体育祭 1日目
夕飯を済ませ、逡巡の後、朱音は私室で『青春Playing』にログインした。
迷ったのは、食卓で父が哀愁の眼差しを向けてきていたからではない。
なんだか今日は、誰かに泣き言を洩らしてしまいそうで怖かった。言っても言われてもしょうがないだろう事々を。
それでも、幸いイベントが始まっている。参加して楽しんでいたら、いっ時でも嫌な事は忘れられるかもしれない。朱音は、それに縋った。
現れたのは本屋の傍だ。
祖母の話どおり、お知らせがポップアップする。
【貴方は紅組です。】
アカネは口をすぼめた。桐臣にとどめを刺せず、喜ばせることになったようだ。
(まぁ、一日の終わりに、ようやく誰かの役に立てたかもしれないってことか)
千Vを取り出すべくアイテム欄を見ると、〝期間限定枠〟というのが出現している。体操服らしき衣装が贈られてきていた。白い半袖Tシャツにスニーカー。赤い七分丈のズボンとソックス、ハチマキ。
新しい服となると着てみたくなって、制服と交換してみる。鏡が無いので変じゃないか判らない。アカネは早々に制服へ戻した。
スカートのポケットからどこでもフォンを出し、チェックする。肝心の〝オミ〟はグレーだった。
(なぁんだ)
桐臣の友達とアカネの友達は、かなり被っていた筈だ。となると、ログインしている他の友達は、白組だらけという確率が高い。
【私、赤】
桐臣にそのメールだけ送っておく。
一つ息をつくと、アカネは自転車を借り、競技場へ向かった。
サクラ競技場は学園都市の北東に在る。
噂では、夏休みイベント時、サッカーやテニスの試合がVマネーで観戦できたらしい。プロによる過去の名試合と言われるモノが再現されていたそうだ。この先も折々、他のスポーツ観戦もできそうである。
本日は、競技者として結構な数のプレイヤー達が集まっていた。
種目登録パネルは相当数設置されているらしく、短い列が何本も出来ている。どうやら、白組はズボンも靴下も白のようだ。
思ったより人が多く、駐輪場に貸自転車を置いたものの、アカネは躊躇した。これ以上、衆人の中に入る勇気が出ない。
桃姫☆以外も、現実で同じ学校に通っている人が居るかもしれない。
今からでも顔グラフィックを変えるべきか、悶々とする。
駐輪場の脇でアスファルトに目を落としていたら、声をかけられた。視線を上げたら、体操服姿の0601が立っていた。アカネが貰ったのと同じ、赤いズボンに靴下、ハチマキ。制服で地味な感じしか目にしたことが無かったが、本日はきちんと十六歳っぽく見える。
「久しぶり。もうイベント参加した?」
「や、今、来たとこ」
0601の中の人は、自称だけれど社会人。恐らく嘘ではない。
アカネは、多少ホッとした。
「ロクイチさん、紅組だったんだね。インしてる友達、みんな白かと思ってた」
0601とは典型的な、取り敢えず登録だけしている友達だった。ログイン時間が合う機会が少ないので、仕方ないと言えば仕方ない。
あ、一緒? と0601は目を細めた。
「紅白に分かれてるってことは、最終的な勝ち負けで賞品も変わるのかな。ちょっと燃えるね」
「あー、そういえば何か貰えるんだっけ」
0601がのんびりと列の方へ歩き出し、アカネもついて行く。行きつつ、周りが体操服の人だらけと気づき、アカネも再び着替えておく。
パネルの周辺では、相談し合いながら登録をしている人達が見受けられる。眺めやり、どれぐらい種目があるんだろう、と0601が言い、アカネは祖母から聞いていた種目を口にした。
「ワカさんがパン食い? 意外だね」
可笑しそうに0601が口元へ拳を当てる。
「前から一度やってみたかったらしい。何等かなんて二の次で、美味しかったと言ってた」
わはははは、と0601は笑声をあげた。アカネもつられて少し頬が緩む。
と、0601は、軽く瞬いた。
「アカネは、運動は嫌い?」
「ううん、身体動かすのは好き」
「あ、やっぱり? でもそれにしちゃ、腰が引けてると言うか、テンション低いね」
驚いて、アカネはほんの少し高い位置にある顔を見上げた。0601は、おどけたように口角を上げる。「教室では大抵、活き活きキビキビしてるから」
「……今日そんな、あからさま?」
「判り易くはある」
両手の指で足りてしまう程にしか0601とは顔を合わせていなかった筈で、参ったなぁ、とアカネは口を曲げた。
ここはもう、相手が大人と見込んで、吐露させてもらう。
「今日、桃姫がさ、リアルで同じクラスだったって判って……」
「――桃姫……あの晒し喰らって消えた桃姫?」
せわしく瞬いて確認してくる0601に、アカネは首肯する。
「もうびっくり。世の中狭いってレベルじゃないでしょ」
「うん――いや、あり得なくはないのかな」
0601は肩をすくめた。「みんなのイントネーションに違和感ないから、僕らがインしてるのは関東の人間が集められたサーバーなんだろうなとは思ってた」
「あ、そか……考えたこと無かった」
アカネは呟くように応じ、更なる気後れを感じてしまう。益々、今日と同じことが起こりうる可能性の高さを、知らされたようなものだ。
「桃姫も、リアル女子高生だったか」
0601が苦笑いする。アカネは小さく笑った。
「本物はもっと大人っぽいよ」
「イケには教えない方がいいな」
「全然会わないけど、インしてるんだ?」
「たまに。深夜が多い」
列の最後尾に加わり、アカネは俯いた。
「やっぱり、桃姫に余計なこと言っちゃったや。イケさんに借金返しとけなんて」
「うは。ああいう子は、ころっと忘れてそうだよ。蒸し返しちゃったの?」
「ん。で、怒らせた」
わっはぁ、と0601はまた笑った。笑い事じゃないよ、とアカネは浮かんだものの、笑い飛ばされたのが何故か少しすっきりした。
「もうそれは、イケにさえ黙っておけば終了。桃姫は、どうせまたすぐ忘れる。アカネも気にしない気にしない」
問題はそれだけではないのだが、何となし気は軽くなった。へへへ、と顔を上げたアカネは笑み返す。
その時、斜め後ろからハチマキの一部を勢い良く引っ張られた。
「へわっ」
不意打ちに仰け反ってアカネがよろめくと、後ろから腕を支えられた。慌てたように、至近で桐臣の声がする。
「あ、ごめ――加減、間違えた」
「いっきなり何するよっ」
振り返ったアカネは、桐臣の首の後ろにも垂れていた赤いハチマキを引っ張る。頭を後方へかくかくさせ、少年は笑い出した。
「ごめん――スミマセン――遂に得たっ、紅い同士よ!」
「まったく……仲間を早々にむち打ち症で退場させる気か」
むすっとしてハチマキから手を放すと、アカネは0601に提案した。「こんな危険な同胞は、足を引っ張る前に埋めておいた方がいいかもしれない」
「そういう種目があったら埋まってもらおう」
ニヤニヤと0601が応じ、埋めないでー、と桐臣が声のトーンを上げる。
「ていうか、アカネの友達だったんだね」
声を戻して桐臣が言うと、0601は軽く頷いた。
「始めたばかりの頃に、教室で一緒になってね」
「ロクイチさんとオミも友達とは知らなかった」
アカネがハチマキを巻き直しながら言うと、寮で、と男子二人は声を揃える。合点したアカネに、0601が言葉を続けた。
「顔を合わせたら挨拶する程度だね」
「だね」
相槌を打つ桐臣に、0601は悪戯っぽく口の片端を上げた。
「まぁ、その程度の割には他にも知ってる。〝例の桐臣〟とちらほら聞き及んでるから」
「何それ」
桐臣が眉尻を下げる。小首を傾げたアカネは、視界の隅にうっちーとミクママを捉えた。向こうも気づいたようで、片手を上げてこちらへ来る。なるほど、白組だ。
男二人は向き合い、語り合っていた。
「女の子と連れ立って薬局に入ったり、ベッドで上か下かを議論してたそうだね」
「……なんでそこだけ抜き出されてんの。物凄く卑猥に聞こえるんだけど」
「それと……これ、君が写したんだろ?」
「――あれっ。あ、うん。オレが撮ったヤツ」
「僕、千V出したよ」
「えっ、オレ、五十Vで転送したのに……っ」
「あー、そんな気はした。君に直に頼むんだったかな。いいアングルだよね」
「そ、そう?」
ちょっと嬉しそうな声音で桐臣が応じ、アカネは0601が取り出していた黒いどこでもフォンを覗き込んだ。
かの〝おんにゃの子〟の写真があった。
アカネが半眼で桐臣を見ると、少年は狼狽気味に目を泳がせた。
「オレは一度きり五十Vしか受け取ってない!」
「ソコを主張して何になるの」
ぼそっとつっこむアカネの脇から、ポニーテールを揺らして、うっちーとミクママも写真に目を落とす。
「あぁ、〝オミのもうじゅう〟か」
「えっ、何この猫、超可愛い――けど、なんかやらしい」
ミクママが率直な感想を洩らす。ピントが胸だから、とうっちーが的確に指摘してきた。そうそう、と0601はニヤリとして黒いプレートを虚空に片づける。
「男の性が見事に出てる逸品」
「オミ不潔ー」
ミクママが左右にうっちーとアカネの肘を取って遠ざける。桐臣は耳を赤らめた。
「なんでオレだけ……っ」
0601が笑った。
「〝例の桐臣〟だからかな」
「ていうか、誰だ、オレを猥褻物にしてるのはっ」
「男子寮の連中?」
「ちっくしょぉおお、上等だ、類友共め!」
次は千V取る、と桐臣は0601に妙な決意表明をしていた。
しばらく後に順番が回ってきた。
アカネ達もパネルと睨めっこをして、登録した。
種目は全十種あり、三十分毎に三種目ずつローテーションで行われている。無理をせず参加できるものだけ登録するようにと注意書きがあった。登録しておいてサボると、組のポイントと所持Vマネーが減るらしい。
もうすぐ現実で風呂のお呼びがかかる筈だったから、その日のアカネは〝応援〟という、種目なのか微妙な代物に登録してみた。これだけは時間制限も特に無く、帰宅部のように掛け持ちも可能だった。
自分の組の人を応援すればいいようで、応援区域に立ち、百m走をしている紅組の人へ、頑張れー、と叫んだら、ややして二ポイント入ってきた。
どうも、たまたま紅の人が一着でゴールしたかららしい。白が一着だったら一ポイントのようだ。
簡単な百m走は人気種目らしく、男子と女子が入れ代わりに、紅白六人が目の前を駆け抜けていく。
たまに青いハチマキのNPCらしき人が混じっているのは、人数合わせのようだ。大抵は三着くらいでゴールしている。平均スピードで走っているように見えた。
アカネ以外は、皆ひとまず百m走にエントリしていた。うっちーやミクママにも、いっけーっ、とアカネは声援を送る。この際、組なんて無視である。因みに、ちゃんとポイントは入っていた。
うっちーもミクママも一着では無かったけれど、爽やかな顔つきでトラックを外れる。
九ポイント入ってきたと二人は教えてくれた。種目によって、貰えるポイントが違うわけだ。二人三脚とか高そう、と話していたら、桐臣と0601がスタートラインに並ぶ。
女子三人で、ファイトー! と声を飛ばした。
二位と三位で二人がゴールインしたタイミングで、拗ねたような父の声が降ってきた。
〔お嫁に行くのはまだ早い。お風呂〕
アカネは噎せそうになった。




