火花と花火 後
学園都市の西部、桜井高校や男子寮の裏手を、北から南へ、桜川が流れている。川幅は広いが、水深は浅い。流れは比較的早めで、水は綺麗なものだった。
夜時間に入り、河川敷にはプレイヤーが続々と集まっている。人のざわめきが、せせらぎの音を打ち消しそうだ。
高台には、ねじり鉢巻きのNPCが立っている屋台が並んでいた。赤や黄の灯りが各所に吊るされ、辺りや川面をちかちかと煌めかせている。
月は細く、雲は無く、空には地上の煌めきを映したような星々が瞬いていた。
時折ゆったりと、夏のぬるい風が川岸の草や人々の髪を撫でていく。
白地に朝顔模様の浴衣を纏ったアカネは、集合場所の橋のたもとで、水気のある夜の空気を吸い込んだ。橋の上には、花火が良く見えそうだと予想したのだろう、若者達がたむろしている。
川岸の草地でも、レジャーマットを持ち込んで、ばっちり見物体勢に入っているグループもある。
まだ一発も打ち上がっていないし、花より団子で各露店にも人が群がっていた。
クローズドβで新規プレイヤーも入らないから、あっと言う間に過疎化が進みそうなゲームだと思っていた。だが、割合、続けているテスターは多いようだ。こんなに居たんだな、とアカネは正直、驚いている。
既に集まっていた数人と雑談するうち、うっちーとDiana17が到着した。二人とも紺色の浴衣だ。美人は概ね、何を着ても似合う。うっちーはポニーテール、Diana17は素朴な簪を使ってアップにしていた。ワカから教わったらしい。
綺麗、可愛い、と率直なコメントが皆の口から次々に出た。Diana17が嬉しそうに袖の端を指先でつまみ、ぴょこぴょことひと回りする。漆塗りの下駄にも挑戦していて、彼女の内心を代弁するように、明るい音がたった。
「あまり派手に動くと着物が乱れるよ、ダイアナ」
うっちーが微笑しながら止めたら、oh、とDiana17は慌てて身を正す。仲間内に笑声が湧き起こった。
楽しげな音が消える前に、人を縫って桐臣が来た。無意識に安堵したアカネに、片手を上げてくる。
桐臣は渋い緑色の甚平を着ていた。ワォ、と洩らしたDiana17が興味津々の目で桐臣の周りをうろうろする。これは男物で、昔は部屋用の着物と、うっちーが解説する。
「とても似合う、オーミ」
Diana17が褒め、うっちーも頷く。
桐臣は、今日ようやく、Diana17を見た。片端に絆創膏を貼った唇をほころばせる。
「Dianaも素敵だ」
「――アリガト」
Diana17は薄暗い中でも判る程に耳元を赤らめ、はにかんだように白い歯をこぼした。
俺も浴衣を買っておくんだった……と脇で男子の一人が洩らし、一同にまた笑いが起こる。
ややして、南の空に、花火が打ち上がり始めた。
アカネ達は土手の片隅で立ち止まり、夜空を見た。仲間とはぐれるリスクを避けて、やや人だかりから離れた地点だ。それでも、火の花が散り開く度、腹に重い音が響く。
現実でも、比較的近くで打ち上がる花火は、これ程に衝撃を伝えてくるものなんだろうか。
アカネは、打ちつけられる音を鼓動と錯覚しそうになる。Diana17は圧倒されたように小さく口を開け、宙に舞い上がっては消える大輪の花々を見ていた。他の面々も似たり寄ったりだ。
枝垂れるような光の筋、何色か色を共演させる物、土星のような形に開く物。地上付近で、噴水のように湧き上がり、火の粉を散らす物。
幾つか連発した後、小休憩のように小型の物がポンポン上がり出した。皆、一斉に息をつく。
「現実と間違えそうになって、このゲーム、時々、怖いくらい」
女子の一人がポツンと呟き、すげぇクオリティだよなぁ、と応じる男子が居る。
「本物、日本の花火、も?」
Diana17が胸を押さえつつ問う。周りが頷いて、ほぅ、と少女は吐息を洩らした。「では、わたし、は、lucky」
現実なら、金や時間や諸々を、もっとつぎ込まなければ、他国に住むDiana17には見ることが叶わない光景ではあるだろう。
再び大玉が打ち上がり始め、再度みんなは空を見やる。
現実のあの大きさの物は一発がかなり高額なのだと、うっちーが説明を始め、Diana17は熱心に耳を傾けていた。つまりは、現実の日本でも、この立派なサイズの連打は、早々お目にかかれない代物のようだ。
「ただ見てただけなのに、喉がからから」
単発で、ぽん、ぽん、と小ぶりの物が上がるようになったところで、一人が言う。途端、仲間達に食い気スイッチが入った。かき氷、ラムネ、たこ焼き――と次々に挙がり出す。
それからは露店巡りになった。Diana17が実に楽しそうで、アカネも仲間達も何かにつけ笑顔になった。
やがて、楽しい時間に終わりが来る。
巨大花火が、轟音と共に一気に連発された。
鼓膜がじんじんする中、視界から光の残像が消え、しばらくすると、何処からともなく、本日の花火は終了しました、とアナウンスが聞こえてくる。見物人達のざわめきが広がった。ぞろぞろと、それぞれが動き始める。
Diana17の渡航チケット有効期限は、残り数時間らしかった。
「良かたら、こちも来てぃね。歓迎するぅよ」
彼女は一人一人に丁寧に礼を述べてから、手を振った。振り返す女子の何人かは涙ぐんでいた。
Diana17は、青い目の潤みを誤魔化すように下を向くと、チケットを三回指先で弾いた。三回目で下唇をこらえるように噛んだのを最後に、金髪の美少女は皆の前から姿を消した。
本格的に顔を覆って泣き始めた子が出た。アカネもちょっとばかり、貰い泣きに目頭が熱くなる。
「トモロクしたし、また会えるさ」
うっちーが、慰めつつ、自分も目尻を拭っていた。
露店の灯火が消え始め、他の見物客達は、大体が寮や宅地の方へと足を向けている。〝夜は外出、駄目、絶対〟という強迫観念を植え付けられた若人が、このゲームには多いのである。
アカネ達も、涙を乾かしながら、暗い土手上を歩き出す。
夜時間は残り僅かだ。薄紫から濃い紫へと色を変え、メーターが満ちようとしている。
この周辺を抜けたら恐怖の犬や鳥に追い駆けられるかもしれないので、中には夜明けまでとどまる選択をする人も居るようだった。
「まだゲーム内も夏休みだし、また何かで集まろう」
「今回のイベント、ミニってことは、もっとでかいイベントもそのうち来るのかね」
前を行く仲間達の会話を何となしに聞きつつ、アカネの脳内には〝上を向いて歩こう〟のメロディが流れ出していた。Diana17が、カラオケで披露してくれた昔の歌。
曲は陽気なテンポなのに、詞は意外にも切ない歌。
孤独で。涙をこらえて、空を見上げる歌。
涙をこぼしても、歩き続ける歌。
(人って昔から、例え独りだろうと、歩いてきてるんだよなぁ)
世界史の授業も思い返し、アカネが雲の少ない夜空へと顔を上向けた時、後ろから袖を引かれた。
肩越しに見やれば、桐臣だ。
「あのさ……」
言いにくそうに口ごもって、桐臣は歩みが緩くなる。アカネは暗がりで距離が開いていく皆の背を一瞥してから、足を止めた。ビーチサンダルを引っ掛けた片足首をぶらぶらさせる。
「知ってる? オミが言い淀む内容って、ろくなことが無いんだよ。さっさと言ってしまえ」
ぷく、と桐臣は無事な方の頬だけ器用に膨らませた。
「さっき――昼間、巻き込んだの、謝りたかっただけだよ」
「まったくね。何いきなり、勝てもしない相手に喧嘩売ってんだか」
胸中にたゆたっていた僅かな残滓を、アカネは吐き出す。「止めたのに、聞きもしないし。何処の言葉で喋れば考慮してくれるようになるのか、只今審議中」
「……ごめん」
バツが悪そうに桐臣は目を落とした。「日本語で、お願いします」
「そこを真面目に答えられても困る」
アカネは口を曲げた。桐臣は眉尻を下げる。
夜の中でも内出血しているようにしか見えない頬のグラフィックに、昼間の光景がフラッシュバックした。
唐突に、怖くなって唇が震える。
「ゲームだたから、良かた、けど……」
抑えようと思うのに、鼻の奥がツンとした。「向こうの、人なんて、銃持って、たり、刃物、持って……かもだし……そんな、なって……」
「――ごめん。ホント、ごめん」
慌てたように桐臣が繰り返す。
「馬鹿――オミの馬鹿。オミは馬鹿。ばーかばーか」
悔しいことに一粒こぼれてしまった雫を、アカネはぐいっと拳で拭う。「痛いでしょーよ」
桐臣は物理的に。アカネは心が。
それを言葉にはしなかったけれど、桐臣はしゅんとした。
「以後、気をつけます」
「せいぜい、ポリスに巻き上げられりゃいいんだ」
「今回は来てくれないみたいだぜ」
辺りが、急速に白んできた。時刻バーは濃い紫が満タン。朝へ入れ代わるようだ。
周辺がはっきり見えるようになっていく。雀らしき鳥の声を耳が捉え、空気も爽やかになってきた。毎朝、新聞配達を終え、家へ帰る時に似ていた。
川を見下ろしながらアカネが深呼吸すると、桐臣も同じ方を眺めやり、大きく息をついた。
「オレ、さっきのDiana、ホントに綺麗で素敵だと思った」
何その急な惚気、とツッコミたかったが、アカネも発言の中身には賛成だった。
「オミがしみじみ言うから、ダイアナ、めちゃくちゃ照れてたよね。それがまた可愛かったなぁ」
「ちゃんと、心から言ったの、アカネにも判ったんだな?」
おかしなことを桐臣は確かめてくる。アカネは首を傾げた。
「ていうかさ、ああいうのは二人きりの時に言った方がいいんじゃないの」
「え、なんで妙な雰囲気作らないといけないんだよ」
「えぇ? そういうつもりの発言じゃなかったとしたら、天然?」
はぁ? と桐臣は訝しそうな目を向けてきてから、決まり悪そうに目線を逸らした。絆創膏を痒そうにしながら、ぼそぼそ言う。
「昼間、あいつらに言っちまったの、Dianaにも、凄く、失礼だったって、気づいて……Dianaには、そんなこと思ってない。それを解ってほしかっただけだし」
「ダイアナ、あの場に居なかったでしょ」
「そうだけど、もっと別の言い方、あった」
「一体、何を言ったんだか」
「…………」
「ここで黙秘か」
「……うん」
アカネは目を眇める。桐臣は視線を泳がせた。「アカネ、ホント、マサタカさんの孫だな。目つきが凄ぇ迫力。怖ぇ」
「――乙女になんちゅー褒め言葉を垂れ流すんだ、この口はっ」
「ふぃででででっ」
乙女の多大なる優しさを発揮して痛めていない方の頬を引っ張ったのに、桐臣は大袈裟に騒ぐ。
ホントに失礼な、とアカネは手を離し、むくれた。
「リアルでお夕飯の時間だから、わたし、もうここで落ちる」
「あ――うん、お疲れ」
桐臣が、ほんの一瞬、残念そうな顔をするから。
アカネは、マゾめ、とニヤリと笑んで見せ、ログアウトした。
桐臣が口を割らなかったので、諍いの発端となった英会話の概要は、随分と経ってからアカネは知った。
菅原教授から祖父と祖母を経由して、ようやくである。
そんな事もあったなぁ、と苦笑で流せるくらいには月日が経過した頃だ。
件の来日してきた二人は、商店街に関し、センスが無いとか古臭い等々、けなして歩いていたらしい。各店先に立つNPCのことも、日本のは愛想笑いが板についていると嗤ったそうだ。
そんな会話の中身も知らず、行き交う日本人の、特に女性陣は好意的な目で彼らを追う。
悦に入った彼らは、道行く他プレイヤーを小猿と評しだした。爽やかに観光を楽しんでいるのかと思いきや、実はモンキーパークだと嗤い合っていたわけだ。
全て聞き取れてしまっていた桐臣は、不快指数がうなぎ登りになっていたようで……
極めつけが、明らかにアカネを見ての一言。
『まったく、小猿は雄か雌かも判んねぇなぁ』
アカネは髪も短いし、出るトコロも大して出ていないので、しょうがない気もする。
しかしそれで、桐臣は我慢の限界を超えたらしい。
『ここが限定パークなら、のこのこ迷い込んでるあんたらは珍獣だと気づけ、白豚』
悪口と言うのは、時に、無駄に舌を滑らかにする。『ジャンクフードで頭も脂肪だらけの珍しい豚さん達、人間の言葉解りますかー? 解るなら、さっきの発言、謝れ』
こうなると、もはや、どっちもどっちである。
それで結局、取っ組み合いになったわけだ。
因みに、BIGBOMと桐臣には、運営からリアル一週間のアカウント利用停止処置が課せられた。
暴言の数々を録音で確認されたNickにも、三日間の発言禁止措置がなされたようだ。
そういえば、Diana17が、どこでもフォンで撮った写真を送ってくれていた。添えられた英文メールを頑張って訳してみたら、こんな内容だった。
【帰国してすぐ、ストリートで、こんな人を見たの。イケナイわ。こっちの生活もとても大事だから帰国したけど、いきなり奇妙な人を見てしまうと、日本が恋しくなる。】
海外らしい椰子の木が見える、開けた背景。明るい夏の日差しの中、中央から少しずれた所に、異彩を放つ人物が斜めから写っている。
金髪で、顔色は蒼白。目は必死で、両足が宙に浮く程の疾走中のショットだった。異様なのは、口を覆う白い巨大マスク。
マスクには、赤で大きなバッテンの印が描かれていた。
措置に気づき、寮にでも逃げ帰っているところだったのだと思われる。




