火花と花火 前
ログインしたアカネが現れたのは、寮の自室だった。
お知らせがポップアップする。
今日から七月いっぱい、夜時間になると河川敷で花火大会が開催されるという内容だ。期間中、開催地周辺は野生動物の出現率が〇%になるとの注釈付き。昨日も見たのに、【次から表示しない】にチェックを入れるのを忘れていた。
花火は海外にもあるけれど、このゲームで大会とまで称して打ち上げ花火が行われるのは、日本エリアだけらしい。
Diana17は、キギョすくい、ワティ飴、と花火から少々離れた単語を並べ、行きたいと表明していた。いずれにせよ、いい思い出を持って帰ってほしい日本の友人達に、否やは無い。
ともあれ、先ずは楽しく歌ってお別れ会だ。
時刻は昼Ⅰに入った辺り。待ち合わせは昼Ⅱジャストなので、まだ余裕がある。
お知らせを消してから、アイテム欄に届いていた施しを財布に移す。元から札が数枚入っていたが、千Vばかりだったから追加しておくことにした。
浴衣の一式をアイテム欄に放り込んでから、キャミソールにレモンイエローの薄いノースリーブシャツを重ね、デニムのショートパンツを履いて寮を出る。
先日、雨の日があって驚いたが、今日は空と雲のコントラストが見事な、いい天気だ。
現実が夏休みの所為もあるのか、ここのところ行き交うプレイヤー数が増えていた。
殆どの人が私服で、数人ずつで楽しそうに何処かへ向かっている。日本エリアでもRコインショップに渡航チケットが登場したから、他のエリアへチャレンジする人も居るに違いない。
普段はあまり人を見かけない商店街付近にも、プレイヤー達の姿がある。アーケードを抜けると駅に近道だから、余計だろう。
手前の銀行ATMで虎の子の万札を下ろしたら、アカネは横手から声をかけられた。黒いキャップを被り、白いTシャツに焦げ茶色のカーゴパンツ姿で、桐臣がやって来る。
「もうこのままカラオケ行くだろ?」
「ん。オミもでしょ」
「せっかくだからフルコーラスで〝すきやき〟聴かないとな」
アカネが退いたATMの前に立って、桐臣もパネルを操作する。ぅお、残高がヤバイ、と口走るのが聞こえた。
「スキップポリスに弟子入りしたら」
「んじゃ、収賄成功した時の為に、宙返りの特訓しないと」
軽口を叩き、桐臣はカーゴパンツのポケットへ財布をしまう。
アカネと桐臣がカラオケ店へと歩き出したら、向かいから体格のいい男子の二人連れが来た。
ATMを探していたのか、指を向けて互いの腕を叩く。結構な大声で話していたが、何を言っているのか解らない。日本語じゃなかった。多分、英語。
距離が縮まれば、二人とも白人と知れた。金髪が【Nick】で、茶髪が【BIGBOM】。どちらも掘りが深く、ハリウッドの若手スター張りの容姿だ。日本の商店街が物珍しいのか、あちこち可笑しそうに示し合っては綺麗な白い歯を覗かせている。
海外エリアで、Diana17や桐臣の姉と同じ学校に通っている人達かもしれない。
お姉さんが鼻の下を伸ばしてる人達かね、とアカネは冗談を口にしようとして、桐臣の思いがけず険しい顔つきに瞬いた。
「オミ……?」
アカネが声をかけたタイミングは、やや遅かった。
すれ違いかけた二人に、きつい口調で桐臣が何か言った。
日本語じゃなかった。多分、英語だった。
NickもBIGBOMも、唐突に通じる言葉で話しかけられたからか、ちょっとぎょっとしたような顔をした。それにしたって、桐臣の言い方は意味が解らないアカネでも棘を感じたくらいだ。見る間に彼らは剣呑な表情となる。
「オミ」
アカネは再度呼びかけた。が、彼は警官並に背の高い相手を睨み上げ、更に何か言い募る。口ぶりからして怒っているようなのに、顔色一つ変えずに滔々と。ネイティブというヤツなのか何なのか、早過ぎてさっぱり解らない。
相手にはしっかり通じたようで、BIGBOMが口を歪め、Nickは、あー、と言う感じで両手を掲げる。解った解った、と言うような仕種が続き、何かまとまったのかと思ったものの、桐臣はどうしてしまったのか譲らなかった。
「Apologize!」
桐臣が踏み出したのと、BIGBOMが手を出したのは同時だった。突き飛ばされた細い身体を、アカネは咄嗟に受け止める。衝撃に息を詰まらせつつも、ね――やめて、と少年の腕を引く。
が、桐臣は今度こそ頬を紅潮させると体格差をものともせずに飛びかかっていった。無論、呆気無く殴り返される。
吹っ飛んだのは被っていた帽子だけで、襟首を掴まれた桐臣は、もう一発殴られた。それでも負けん気いっぱいで太い腕に掴みかかり、足を蹴り上げようとする様が、見ていられない。
NickもBIGBOMも小馬鹿にしたような顔つきで、動揺の過ぎたアカネは怒りが湧いてきた。唇を噛み締め、震える拳を握り締める。
「ぅ――ぁああああ――ッ」
アカネが桐臣と同じように踏み出しかけた時、ぐっと腕を背後に引っ張られた。阿呆、と拳骨が降ってくる。
つむじから駆け抜けた痛みに涙目で見上げたら、マサタカが冷え切ったオーラを纏って立っていた。
弓道着にスニーカーで、手首に引っ掛けている半透明のレジ袋には、保冷剤と昨日ワカがクラブで作っていた杏仁豆腐が見える。
アイテムはアレだが、出で立ちはなかなかに侍のマサタカに、NickとBIGBOMは気圧されたように後ずさった。桐臣が落っことされ、闇雲に暴れていたから受け身もできず、地面に尻餅をつく。すかさず立とうとして、ようやくマサタカに気づいたようだった。
「あ……」
そう洩らすと、桐臣は顔をくしゃくしゃにする。片頬が奇妙に赤く、口元も血が滲んで腫れてしまっていた。酷い状態になっているのと、こんなグラフィックまで出たことにアカネは面食らった。
駆け寄って、手を引っ張って立ち上がらせる。俯く桐臣のよれよれになってしまった襟元を直し、袖口や腰をアカネがパタパタはたいてやっている内に、マサタカの隣にgakuも来た。やはり弓道着だ。
gakuがNickとBIGBOMに英語で話しかける。
白人二人は目を見交わした。ムッとしたような顔でNickが応じていたら、いきなりBIGBOMが姿を消す。
面倒になってログアウトしてしまったようだ。
置いて行かれたNickがぽかんとして、うろたえ出した。gakuが苦笑し何か告げると、Nickは金髪が乱れるほど頭を掻いた後、不機嫌そうに頷いて姿を消した。
気づけば、遠巻きに人垣が出来ている。
「はい、皆さん、終わりましたよ」
gakuが手をぽんぽん叩いたら、皆、ちらちらと窺ってきつつも散っていった。何だったの、こわーい、などと聞こえてくる。
マサタカが腰を折り、飛ばされていた黒い野球帽を拾い上げた。アカネを見たので、首を振って桐臣を指差す。
泣くのをこらえているのか俯いたままの少年に、かぽんと帽子を被せ、ぐいぐいつばを下に引っ張り、マサタカはぶっきらぼうに言った。
「こういう事は女の居ないトコでやれ」
アカネは口をすぼめた。
「居ないトコでもやるもんじゃないよ、祖父ちゃん」
「突撃しようとしてたくせに何言ってんだ」
ごましおじゃない眉を上げてから一転、マサタカは眇めた目で迫力いっぱいに睨んできた。「アカネ、今度ここで祖父ちゃんて言ったらゴミ出し押し付けるぞ」
凄味に強張ってしまったアカネは、かくんと肩を落とす。ゴメン、と応じると、満足げにマサタカは頷いた。
gakuが笑声をこぼし、アカネと桐臣を交互に見る。
「で、さっきの二人にも話を少し聞いたので、君達にも聞かせてほしいんだけど? エリアの違う住人間のトラブル事例は初めてだからねぇ」
「あー、えぇと、すれ違っただけだと思ったんですけど……日本語じゃなくて、わたしは、よく、解らなくて……」
途中で無能が恥ずかしくなり、アカネは尻すぼみになる。高校受験で英語も必死に詰め込んだ筈だけれど、今日の彼らの会話は全く理解できなかった。
地面に目を落としている桐臣が、ナチュラルに英語でぽつぽつ話し出す。
gakuが相槌を打つ横で、マサタカが意外そうに桐臣を見た。
口にする片仮名英語が妙に発音いい時あるなと思っていたが、まさかぺらっぺらだったとはアカネも青天の霹靂である。
「あぁー……それで、謝れ! かぁ」
gakuが、ぽんと桐臣の肩を叩いた。「うん、気持ちは解るけどね、暴力に発展させちゃ駄目だよ。このゲームでは禁止事項でもある。因みにポリスは来ない。別のペナルティだねぇ」
「え――オミにもペナルティなんですか。口喧嘩売ったっぽいのは確かにオミですけど、手を先に出してきたのは向こうでした」
急いでアカネが訴えると、いい、と短く桐臣が遮った。
「むかついたオレが悪かった」
何を急にオトナぶってるんだと、アカネは腹が立ってくる。例え大学教授以上に英語が流暢でも、短絡的な行動の数々からして桐臣の中身はコドモ以外の何ものでもないだろうに。
ぶすっとアカネが口を突き出すと、マサタカが払うように片手を振った。
「まぁ、もういいだろ。ワカは人にこんなもん取りに来させて、自分はさっさとカラオケに向かったぞ。お前らも集まることになってるんだろ? 行け行け」
「怪我は何らかの処置をすれば、リアル一日後には治る仕様だよ。お大事に」
gakuが眼鏡をかけ直しながら笑んで、弓道着の二人は男子校の方へと去って行った。
「そこの薬局で絆創膏でも買って行けば」
素っ気無くアカネが示すと、ん……と桐臣は微かに口端を動かし、すぐ顔をしかめた。
「ゲームのくせに痛ぇ」
「自業自得なんでしょ」
アカネは台詞を投げ、大股に薬屋へと足を向けた。
昼Ⅱの時間帯をやや過ぎた頃、カラオケ店前で待っていた仲間達十人ばかりは、アカネと一緒に現れた桐臣の顔に、一様にびっくりしていた。
鬱血した頬には軟膏、腫れた口元には絆創膏である。どう見ても出来立てほやほやだ。
出がけに寮の階段から転げ落ちたと桐臣が誤魔化したら、オーミ! と声を上げ、Diana17は大層心配してくれた。
女子寮の誰かから繋がったのか、はたまたDiana17の魅力に引き寄せられたのか、ミニイベントが始まってからよく顔を合わせるようになった男子も三人来ていて、彼らは怪我が仕様として存在している点を驚いていた。
痛みもあると知り、目を見張るメンバーも多かった。クラブ活動などで痛めたことがある子も居たので、現実とあんまり変わりないよね、と桐臣を痛ましそうに見ていた。
とにかくも、ぶつけただけだから大丈夫、と桐臣が入店を促し、一同は予定通り送別会に移った。
カラオケ店で仲良く歌い、飲んで食べて、これからもメールのやり取りをしようと約束し合う。
昼Ⅳに差しかかり、一旦、お開きになった。
ワカは本日のログイン限度時間に達するので、これでDiana17とはお別れだ。
ハグし合った二人の美少女は、シィーユー、マタネ、と互いに告げる。ワカは英語の練習、Diana17は日本語の練習を兼ねて、滞在中は相手の母国語で、たどたどしいやり取りをしていた。これからは、どこでもフォンで続けるようだ。
他の半数近くも、別れを惜しみつつログアウトしていく。
Diana17も、ホテルへ戻ってログアウトし、リアルでトイレを済ませてくる、と貸自転車で走り去った。現実ではDiana17の住まいはそろそろ夜明けを迎えるようなのに、実に元気だ。
因みに学園都市にはシティホテルが在る。今回のイベント対応で、渡航チケットを見せるとただで泊まれるらしい。その部屋のクローゼットが、自エリアのクローゼットと繋がっているそうだ。
ログアウトしない仲間達も、また後でー、と声をかけつつ散会していった。
アカネは、隣で小さく息をついた桐臣を見やった。
「花火、来るでしょ?」
ぴくりと、桐臣は軟膏が塗られていない方の頬を震わせた。同じ高さの目線だのに、上目づかいに見つめてくる。澄んだ瞳が、戸惑うように揺れていた。
カラオケ店で、桐臣はいつものように軽い調子で振る舞っていたけれど、無理をしているようにアカネには見えた。今日以前、チラ見しては慌てて目を逸らしていたDiana17のナイスバディを、全く見ようとしないのも気になった。
恐らく、先程の一件の所為なのだろう。
さっきの人達とダイアナは違うでしょ、と言うべきか迷う。何せ、アカネは二人の外国人と桐臣が、何を言い合っていたのかさえ解っていない。
「オミ、あんた、何かペナルティあるみたいだし、花火見れるの今日だけかもよ」
軽く脅してみたら、桐臣は反射的に何か言いかけ、詰まる。不貞腐れた様子になった。
「妙なフラグ盛るなよ。ちょっと自分が嫌になったけど、ペナなんか無関係で、行くし」
「そ。ちょっとで良かったじゃん」
アカネは鼻で笑う。
朱音だって、しょっちゅう己が疎ましくなるのだ。
だのに、こうして他人の尻を叩いたからには。
(わたしだって、来週、絶対、補習に行ってやる)
隣から漂う軟膏のメントールが、目に染みる。
アカネは、きゅっと瞼を閉じ、顎を引いた。




