補習のお知らせ
わかと柾高がゲーム内でようやく会ってから、四日後。
昼食の支度をする時間が近づき、朱音が台所を覗いたら、祖母はゼリーだろうカップをせっせと冷蔵庫に入れていた。
このところ、森家の冷蔵庫は開けるなり、手作りのプリンやババロアや牛乳寒天が、やぁ! と声を揃えんばかりに並んでいる。開けた瞬間にフリーズしている祖父を、何度か目撃した。
「何ゼリー?」
椅子に腰かけつつ朱音が問うと、わかは笑顔を向けてくる。
「グレープフルーツだよ。お夕飯の後で食べようね」
「おぉ、部活の差し入れにも良さそうだね」
「ふふふ、あっちでも作るよ。柾さんのへの字口が楽しみぃ」
(楽しみなんだ……というか、祖父ちゃんのあの表情は、もしかしてご機嫌の印だったのか?)
ワカはものすっごく暇になることが多いようで、あれから二度もおやつを作って桜井高校に出かけている。アカネも、お裾分け目当てについて行った。
マサタカは面倒くさそうな顔をしつつも、しっかり受け取りはする。そうして、美味しいなぁ、と笑み崩れるgakuの隣で、むすっとした顔で匙を咥えるのだ。
ほぼ、現実で食事をしている時と変わらない。
お蔭で朱音も、ゲーム内のマサタカの姿と祖父が重なってきた。恐らく、ワカと同じで整形をしていない、若かりし頃の柾高なのだろう。
「祖父ちゃん、弓道は中学の時って言ってたね。高校ではクラブしてなかったのかな」
朱音が何となしに言うと、わかは少し困ったような笑みを浮かべた。ちらりと居間の方へ目を流したが、柾高は午前中に散歩をするのが日課で、まだ帰宅していない。
訊いてはいけないことだったのか。
血が繋がっていると言っても、朱音が祖父母と暮らし始めて一年経っていない。ずけずけと踏み込むべきでない領域はまだまだ広大だった。
話題を変えようと朱音が口を開きかけたら、わかの方が先だった。
「柾さんは、お家の事情で、高校や大学には行ってないの」
今時? と、こぼしそうになった台詞を辛うじて呑み込めた。朱音は、すうっと背筋が冷える。
わかは、やんわりと微笑んだ。
「今は余裕もできたけど、当時は働くしかなかったそうなの。だから今、通えなかった筈の高校で、勉強や部活をできるのが楽しくてしょうがないのね」
「……そかぁ」
やっと出せた声は、掠れていた。
わかが、やや早口になる。
「さ、もう、おとーさんも帰ってくるだろうから、お昼御飯作ろう。素麺に何を追加しようかぁ。朱音ちゃんは、生姜をおろしてね」
ん、と朱音は席を立つ。何か指示してくれなかったら動けそうになかったから、助かった。
本当に、自分は甘い。
三人で囲んだ昼食は静かだった。
そろそろ暑過ぎるから散歩の時間を短縮させる、と祖父が面白くなさそうに告げ、倒れたらお散歩どころじゃないものね、となだめるように祖母が同意して。
後は、各々が立てる食器の微かな音ぐらい。
普段も似たり寄ったりだ。けれど、今は気まずくてしょうがなかった。
今日は、ゲーム内でDiana17が海外エリアに帰ってしまう。この後ログインして、昼時間はカラオケ店で送別会。夜時間になったら、河川敷で開催されるらしい花火大会に行く約束もしていた。
現実の夏休みを無為に過ごしている身で、ゲームでまで遊びほうける予定を立てていた。その事実が、いつにも増して圧し掛かってくる。
食欲が湧かず、取り分けた少量の素麺を食べ切るのにやたら時間がかかった。そこに色のついてるのがある、と祖母が勧めてくれた一本を、なんとか飲み込む。
ごちそうさま、と朱音が挨拶した時、玄関チャイムが鳴った。
祖父母は麦茶を注ぎつ注がれつしていて、朱音は席を立つ。
冷蔵庫に貼り付けてあるドアモニターの子機を見たら、制服姿のふっくらと明るそうな女生徒が映っていた。
顎の下で切り揃えたストレートの髪。白い半袖ブラウスに黒いプリーツスカート。襟に一本入ったラインが赤色で、三年生だと判る。
面識は無いが、朱音が一応まだ在籍している高校の人だ。
子機のスイッチを押し、朱音は短く発した。
「はい」
〔あ、宮園高校の者です。朱音さんにプリントを持ってきました〕
「……はい……少々、お待ちください」
我ながら歯切れ悪かったが、応じてスイッチを切る。
出たくないけれど、三十度近い暑さの中で待たせるのは申し訳ない。急いで洗面所でうがいをし、玄関に走った。
朱音がドアを開けると、こんにちはぁ、と先輩は人の好さそうな風情で目を細めた。
「近所に同じ学校の子が居たなんて知らなかったぁ。英語の佐藤先生のパシリでーす」
朱音のクラスの担任だ。無表情になりそうな顔に、朱音は一所懸命、笑みを浮かべた。
「お疲れ様です」
「森さん、英語好きなの? 羨ましいよ。わたしは苦手でですね、まぁ、英語以外も苦手だらけで、受験に背中を押されて、大量の補習を受けてるんだけど――」
話好きな人らしく、先輩は雑談も交えつつ訪問理由を伝えてくれた。
どうやら佐藤先生は、三年生の内容でもついてこれそうな生徒を補習に誘っているようだ。朱音の不登校を隠す為の口実なのかとも思ったが、【上級生に追い着け追い越せ】というプリントを渡されて、前々から学校で行われている事らしいと察した。
「でも先生、若い筈なのに早くもボケてるよね。今頃、渡すの忘れてたとか言い出して、人を使うんだからー。有望な生徒を忘れちゃ駄目だよね!」
「あー、いえ、わたし、有望とは程遠いですから……」
ぼそぼそと朱音が応じた時、背後から祖母の声がかかった。
「良かったら、上がってちょうだい? 麦茶とかジュースあるよ?」
あ、こんにちはぁ、と先輩は改めて挨拶してから、ミサンガに貼ったステルスフォンで時間を見たようだ。あちゃ、と声を上げた。
「わぁ、ごめんなさい、長々と。せっかくですけど、これで失礼します」
あらあら、と言う祖母と、ありがとうございました、と頭を下げた朱音の声が重なる。
そこへ更に、祖父が台詞を投げてきた。
「これ、持ってけ」
ペットボトルのスポーツドリンクを突き出され、先輩は若干びびっていたようだけれど、御馳走様でーす、とへらっと笑って受け取り、帰っていった。
帰ってしまってから、名前も聞かずに済ませてしまったと気づき、朱音は凹む。とことん、駄目駄目だ。
プリントに目を落としてしょんぼりしたら、ぽふっと頭に手を乗せられた。見上げると、柾高がごましお眉を上げて、何故かニヤリと笑んだ。
「カワベさんトコの子は、いつも元気だな」
台詞は祖母に向いていて、わかが頷いた。
「お手伝いで、お店に出ることもあるからかね。いい子だよね」
(もしかして、バス通り沿いに在る、おべんと屋……?)
朱音が朝刊配達をしている一軒、〝かわ弁当〟。この店名は意図的なのかと、ポストに分厚い朝刊を挟み込みながら、含み笑いをしてしまった覚えがある。
祖父はすぐに朱音の頭から手を離し、リビングから奥の和室へと入っていった。祖母が、にこやかにこちらを見る。
「上がってもらえなくて残念だったけど、約束の時間に遅れずに済みそうだね」
「――あ――うん」
仮想学園都市の、カラオケ店前で待ち合わせ。ワカは、送別会にだけは参加を予定していた。
今一度、朱音はプリントに目をやる。
三年生の補習授業は夏休み初日から始まっているようだけれど、一、二年生は来週からの二週間だけらしい。各教科が二、三日ずつの割合で組まれている。
上級生について行けそうな生徒なんて言い繕っているが、本来の意味で補習が必要な面々向けなのかもしれなかった。
『青春Playing』で選択している科目以外、自習も疎かな朱音に、果たしてついて行けるのか。甚だ怪しい。
(でも……今日、遊ぶなら……)
来週は、頑張って、久しぶりに本物の学校へ。
(行くだけは、行ってみよう)
決めたら、ほんの少し気分がほぐれた。




