7 盗賊の病……領主様は芋飴に夢中 改
クレイドルの言葉を、アルバンは思い出していた。
――あの狼を味方だと思わないほうがいい。
確かに、その通りだ、だが、それだけではない。
盗賊たちと対峙したとき、白い狼が男女二人を背に乗せて立ち去ったことを、アルバンはクレイドルに話していなかった。
二人の名前も、身分も知らない。
白い狼が二人を連れ去った、それとも、二人が自ら狼の背に乗ったのか。あの場では確かめる余裕がなかった。
ただ、人間二人を背に乗せて走る獣など、普通ではない。
魔獣だとして、二人を助けたのか理由が分からなかった。
街中を駆け抜けたあと、どこへ向かったのか。その行き先を知る者はいないだろうか。
アルバンは情報を集めることにした。
覚えているのは、男性が年上だったこと。そして、女性が黒いドレスのような、見慣れない服装をしていたことだ。
二人は花屋にも立ち寄っていた。茶を飲むために店へ入ったとも話していた。
だが、特徴を説明して男女二人連れのことを尋ねても、店の者たちが覚えているとは限らない。
案の定、これまで訪ねた店では、手がかりを得られなかった。
仕方なく、アルバンは数人の騎士に協力を頼み、男女二人連れを見かけた者がいないか調べることにした。
「隊長、それらしき二人連れが花屋に来ていたそうです」
部下の報告に、アルバンは内心ほっとした。
「そうか。店主から詳しく話を聞こう」
「お供します」
「頼む」
アルバンは短く答え、騎士とともに花屋へ向かった。
部下を連れてアルバンは花屋へと足を運んだ。
店内には女性が多い、人気のある花屋なのかもしれないと思いつつ中に入ると店主が近づいてきた。
盗賊を騎士団が捕まえたという噂は、ここ数日で首都に広まっていた。
捕まった盗賊たちは、かなり遠い場所にある鉱山送りになった。
この話だけでも市民たちが騎士団に向ける視線は変わる。
「盗賊騒ぎを調べている。人を捜しているんだ。男は白髪交じり、女は若いが黒のドレスを着ていた」
思い出したのか、店主は頷いた。
「実は、後日使いの人間が参りまして、騒ぎが落ち着くまでこちらに来るのは控えたいと申し出があったんです」
店主から名前と領地について聞き、アルバンは部下に記録させた。
王都から遠く離れた領地を治める領主が来た。
領主は狼の正体を知っているのか、考えれば考えるほど、疑問は増える。
確かめたいと思っても騎士団長に就任したばかりの今、王都を長く離れることはできない。
盗賊団の残党がまだ潜んでいる可能性もある。
クレイドルに相談するべきか……あの男なら領主の名前、身分や領地の事情を調べることもできるだろう。
だが、どこまで話すべきか。
アルバンは眉を寄せた、白い狼のことを話していない。
今、報告すれば、なぜ黙っていたのかと問われるだけではない。
正体の分からない狼、遠方の領主が関わっている可能性がある以上、個人的な判断だけで動くわけにはいかなかった。
「隊長?」
部下に声をかけられ、アルバンは顔を上げた。
「いや、何でもない。まずは残党の捜索を続ける。領主については、こちらでも調べておこう」
「承知しました」
アルバンは歩き出した。
あの二人に再び会う日は来るのだろうか。
その答えを知るには、まだ時間がかかりそうだった。
「団長、今、よろしいですか」
その日の夕方、アルバンが執務室で書類に目を通していると、部下が慌ただしく入ってきた。
その顔を見た瞬間、アルバンは手を止めた。
何かあったのだ。
「どうした?」
「牢の囚人について、ご報告があります。……発病しました」
アルバンはすぐには返事ができなかった。
「発病だと?」
「複数の囚人の体調の異変が見られています」
部下は一ためらうように続けた。
「医師の見立てでは、娼婦から病気をうつされた可能性があるそうです」
部下の表情は、戸惑っているようだ。
「医師も驚いています。発症するまでの時間が短すぎるそうです」
書類を確認しようとしたアルバンの手が止まった。
「普通なら症状が出るまでに一週間、それ以上かかることもあるそうです」
「体中に赤や黒の斑点のような発疹が出ています」
あの地下牢で、壁に黒い狼の姿が浮かび上がった光景が脳裏をよぎった。
「医師は発症した囚人たちを隔離しようか迷っているようです」
「牢番や治療に当たる者たちの安全にも気を配れ。原因が分からない以上、勝手な判断はするな」
「承知しました」
部下が退出すると、アルバンはしばらく動かなかった。
娼婦からうつされた病気、それなら、まだ説明はつく。
だが、医師がおかしいと感じている。
アルバンは机の上の書類を見下ろした。また、新たな問題が起きてしまった。
別々の問題だと決めつけるのは早い。
あの獣が盗賊たち、頭の行動を知っていた。
なぜ病気のことまで予告できたのか。
考えれば考えるほど、疑問は増えていった。
地下牢では、囚人たちが互いに距離を取っていた。
「おい……本当に、女からうつされた病気なのか?」
一人の男が、向かいの牢にいる仲間へ問いかけた。
「知るかよ。俺だって医者じゃねえ」
返事をした男の声には、いつもの威勢はない。
「赤や黒の斑点が出るなんて、聞いたことがねえぞ」
「俺の知ってる病気とは違う、こんの見たことねえっ……」
そう言った男は、自分の腕を見下ろした。
発疹は出ていないが、牢内で苦しんでいる仲間の姿を見ると不安になる。
いつ自分も同じ状態になるのかと考えずにはいられなかった。
「おい、こっちに近づくな!」
うずくまっていた男が、そばにいた仲間を怒鳴りつけた。
「何だよ。俺は何もしてねえだろ!」
「うつるかもしれねえだろうが!」
「俺だって、こんな病気にかかりたくねえよ!」
怒鳴り合う声が地下牢に響く。
だが、言い返していた男も、すぐに口を閉ざした。
自分は本当に大丈夫なのか。
症状が出ていないだけで、すでに病気にかかっているのではないか。
誰もが同じ疑問を抱いていた。
原因が分からない。
いや、医師たちも互いに顔を見合わせ、困惑している。
牢の中には、いつもの罵声も、鉄格子を揺さぶる音もない。
聞こえるのは、苦しげなうめき声と、鎖がかすかに鳴る音だけだ。
一人の男が、震える声で口を開いた。
「まさか、あの狼の仕業じゃないだろうな」
誰も答えなかった。
あの黒い狼が壁に現れたときのことを、全員が覚えていた。
仲間の頭が女と一緒にいることも、逃げる準備をしていることも知っていた。
誰かが小さく呟いた。
「俺たちが、何をしたっていうんだ……」
盗賊として、彼らは多くの人間を傷つけてきた。奪い、脅し、逆らう者には容赦しなかった。
それでも、自分たちが得体の知れない何かに苦しめられることなど、考えたこともなかった。
彼らの脳裏には、壁に浮かんだ黒い狼の姿が焼きついていた。
全員が、同じことを考えていた、次に発病するのは、自分かもしれない。
「トマスさんも、味見してみてください」
ミヤが差し出した皿には、茶色く艶のある芋が並んでいた。甘い香りが台所に漂っている。
庭師のトマスは、フォークで一つ刺して手を止めた。
「おや? こいつは……」
表面は飴で固まり、薄い膜のようになっている。
フォークで持ち上げ、口に入れる。
軽い音がした。表面は歯ごたえがあるのに、中は柔らかい。
「うまいな、これ!」
トマスは目を丸くした。
「芋なのに、菓子みたいだ。甘さもちょうどいい」
「本当ですか? よかった」
ミヤがほっとしたように笑った、そのときだった。
「あら、何を食べているんです?」
台所に入ってきたマーサが、二人の様子を不思議そうに眺めた。
「おう、マーサ。あんたも食べてみろ。こいつはうまいぞ」
「何ですか? ……芋?」
マーサは一つ手に取り、口に運んだ。
カリッとした食感に、ぱっと顔が明るくなる。
「おいしい! 外はパリパリなのに、中はほくほくしているわ」
「でしょう?」
ミヤも嬉しそうに頷いた。
「ねえっ、旦那様にも召し上がっていただいたら?」
マーサの言葉に、ミヤは首を横に振った。
「まだ試作品なんです。もう少し、おいしくできないかと思っていて」
「いやいや、十分だよ」
トマスが皿を覗き込む。
「旦那様は、金持ちの貴族みたいに気取った方じゃない。贅沢を言わないからな」
「それでも、せっかくなら、もっとおいしくしたいんです」
ミヤが真面目な顔で答えると、マーサはくすりと笑った。
「そんなにおいしいのか?」
入口から声がした。
三人が振り向くと、ジョルジュが立っていた。
「だ、旦那様!」
マーサが慌てて背筋を伸ばす。トマスも、つまみかけていた芋を皿に戻した。
「いつからいらしたんですか?」
「今、通りかかったところだ。ずいぶん楽しそうだったのでね」
ジョルジュは皿の上の芋に目を向けた。
「それは何だ?」
「芋に飴を絡めたものです。まだ試作中で……」
ミヤが説明すると、ジョルジュは興味深そうに皿を覗き込んだ。
「表面を固めると、食感が変わるんです。でも、まだ改善できるところがあると思っていて」
「なるほど」
ジョルジュは頷いた。
「では、私も一ついただこうかな」
ミヤは思わず顔を上げた。
「試作品なのだろう? 味見をする意味があるんじゃないか」
ジョルジュは、どこか楽しそうに笑った。
ミヤは一瞬迷ったものの、皿を差し出した。
ジョルジュは芋を一つ手に取り、口に運んだ。
カリッと小さな音がする。
彼はゆっくりと噛み、しばらく味わってから頷いた。
「うん。これはいいな」
「本当ですか?」
「甘いものは久しぶりだ。しかも、芋からこんな菓子ができるとは思わなかった」
その言葉に、ミヤの表情がぱっと明るくなった。
ジョルジュは、そんな彼女を見て、ふと目を細めた。
料理がうまくいったことよりも、誰かに喜んでもらえたことのほうが嬉しい。そんな顔をしている。
「次に作るときは、私にも声をかけてくれないか。完成までの変化を見るのも面白そうだ」
ミヤは少し驚いたあと、笑顔で頷いた。
「はい。もっとおいしくできたら、ぜひ!」
「楽しみにしているよ」
ジョルジュがもう一つ芋を手に取ると、トマスが横から口を挟んだ。
「旦那様、気に入ったんですな。さっきから二つ目です」
「……そういうことは、いちいち数えなくていい」
ジョルジュは咳払いをした。
マーサが口元を押さえて笑い、ミヤもつられて笑った。
台所には、甘い香りと、久しぶりに賑やかな笑い声が広がっていた。




