6 牢屋の中、宰相と騎士は目撃する 改
「説明してください」
館へ戻ったジョルジュたちを見て、バルジャンは驚きを隠せなかった。
無理もない。ジョルジュは書斎に執事を呼び、二人きりになると、王都で起きた出来事を説明した。
「青銀狼……盗賊団ですか」
バルジャンは驚き、すぐには言葉を返せなかった。
「正直、騎士が数人いたところで、あの場から逃げ切るのは簡単ではなかっただろう」
ジョルジュは、襲ってきた男たちの顔を思い浮かべた。彼らは、騎士がいることを少しも恐れていないようだった。
欲しいものだけを奪って逃げるつもりだったのか。それとも、騒ぎになった場合の逃げ道まで確保していたのか。
「旦那様が、ご無事で何よりです」
話を聞き終えたバルジャンは、深刻な表情を浮かべた。
王都の中心部で騒ぎを起こそうとした盗賊団。普通では考えられないことだった。
「しかし、人の言葉を話す獣とは……魔獣でしょうか」
「私も驚いた。他国には獣人もいるらしいが」
「噂を聞いたことはあります。ですが、人間とは関わりを持たない種族だと聞いております」
ジョルジュは険しい表情になった。
「それにしても、聖女召喚ですか……」
バルジャンが呟いた。
「妖精たちが詳しく話さなかった理由は分からない。知らないのか、それとも、何か別の理由があるのか」
ジョルジュは思案顔になった。
「花屋にはミヤが直接行くことになっている。彼女が再び狙われるようなことがあれば困る」
「では、私が王都へ参りましょう。街の様子を調べ、必要な品も手配してまいります」
バルジャンの申し出に、ジョルジュは少し考えてから頷いた。
「頼めるか」
「お任せください。ただ、旦那様もお気をつけください。王都での一件について、事情を聞こうとする者が現れるかもしれません」
「ここまで調べに来ると思うか」
「すぐに領地まで来ることはないでしょう。しかし、盗賊団を捕らえた騎士が事件の詳細を調べている可能性はあります。あの場にいた者を探しているかもしれません」
ジョルジュは黙って頷いた。
王都で起きたことが、これで終わったとは思えなかった。
「騎士団長就任、おめでとう」
宰相であるクレイドルは、にっこりと微笑んだ。
「世辞はいい」
アルバンのそっけない返事にも、クレイドルは気を悪くした様子を見せなかった。
「世辞ではないよ。私は心から、君の功績を喜んでいるんだ」
人当たりのよい笑顔だった。
整った顔立ちに、落ち着いた物腰。額から右頬にかけての傷を隠す仮面さえ、彼の魅力を引き立てているように見える。
実際、女性たちからの評判は悪くなかった。
仮面の下にはどんな顔が隠されているのか。どんな過去があるのか。
そんな好奇心を刺激されるらしく、彼に近づこうとする女性は少なくなかった。
アルバンには理解できなかった。
顔がいいのは認める。だが、問題はそこではない。
この男の笑顔を、額面どおりに受け取ってはいけないのだ。
以前、ある貴族がクレイドルの提案に異を唱えたことがあった。
クレイドルはその場では穏やかに笑い、相手の意見にも理解を示した。ところが数日後、その貴族は自分の発言が原因で、厄介な仕事を押しつけられることになった。
一度や二度ではない。
だからこそ、アルバンはこの男の笑顔を信用していなかった。
「ところで、騎士団長。就任早々、忙しくなりそうだね」
「何の話だ?」
「王都に盗賊団が入り込んでいるそうじゃないか。青銀狼団だったかな」
クレイドルは、まるで世間話でもするように言った。
「新しい騎士団長の手腕が試される。期待しているよ」
アルバンは相手を見据えた。
「情報が早いな、宰相殿」
「私だからね」
クレイドルは楽しそうに笑った。
その笑顔を見ながら、アルバンは思った。
やはり、この男は信用ならない。
「ところで、そろそろ本当のことを話してくれないか」
クレイドルの言葉に、アルバンは眉を寄せた。
「俺だって分からないことだらけだ。だから調べているんだ」
「一人でか。ところで、捕まった盗賊たちに尋問するが、来るか?」
アルバンは即答した。
城の地下牢に収監された男たちを見て、アルバンもクレイドルも、彼らが相当な悪党であることを察した。
人を傷つけ、命を奪うことにも、良心の呵責など感じていない。そんな顔つきをした男ばかりだった。
「捕らえた連中は、鉱山や採掘場で働かせるらしいが……大丈夫なのか」
地下牢へ向かう途中、アルバンは尋ねた。
「過酷な現場だ。そう簡単には逃げ出せないだろう」
「逃げ出すことだけが問題じゃない。ほかの労働者たちが嫌がるんじゃないか。こいつらなら、気に入らない相手に手を出すくらい平気でするだろう」
アルバンは眉を寄せた。
喧嘩で済めばいい。相手を傷つけるだけでなく、殺すことだってあるかもしれない。
「それは私も考えた。監督する者を置き、問題を起こせば厳しく処分することになるだろう。もっとも、現場の者たちにとっては厄介な話だがね」
クレイドルは淡々と答えた。
やがて、二人は地下牢へと足を踏み入れた。
湿った石壁に、鎖の擦れる音が響いている。
捕らえられた盗賊は全部で十人。だが、これですべてとは限らなかった。街のどこかに、まだ仲間が潜伏している可能性がある。
騎士と宰相の姿を認めた途端、牢の中から怒鳴り声が上がった。
「おい、いつまでこんなところに閉じ込めておくつもりだ!」
「俺たちには仲間がいるんだぞ!」
「さっさと出せ! でなきゃ、街で何が起きるか分からねえぞ!」
何人かが鉄格子に詰め寄り、乱暴に揺さぶった。
ガシャン、と金属音が地下牢に響く。
アルバンは呆れたように息を吐いた。
「脅しているつもりか。自分たちがどんな立場にいるのか、まだ分かっていないらしいな」
男たちは、なおも罵声を浴びせてきた。
その様子を眺めていたクレイドルが、静かに口を開いた。
「お前たちの仲間に、腕を失った男がいただろう」
怒鳴り声が、ほんの一瞬だけ途切れた。
「……それがどうした」
一人の男が、警戒するように答えた。
「彼がどうなったか、知りたいか?」
クレイドルの声は穏やかだった。
その穏やかさが、かえって不気味だったのかもしれない。
「治療を受けているが、傷の状態がよくない」
「何だと?」
「犯罪者だからといって、治療もせずに放っておいたんじゃないだろうな!」
別の男が食ってかかった。
クレイドルは首を横に振った。
「傷の手当てをし、薬も使っている。だが、熱が下がらず、傷口の状態も悪化しているそうだ。医師も、通常の傷とは違うと驚いている」
「そんな馬鹿な……」
先ほどまで鉄格子を揺さぶっていた男が、手を止めた。
「腕はもうなくなってるんだぞ。傷口を塞いで、薬を塗れば……」
言いかけた男は、口をつぐんだ。
自分でも、確かなことなど何一つ知らないのだ。
「それで、あいつはどうなった?」
別の男が、低い声で尋ねた。
クレイドルは答えない。
牢の中は不気味な静寂に襲われた。
「冗談だろう」
「たかが腕を一本失ったくらいで、死ぬわけがねえ!」
「おい、あいつはどこにいるんだ!」
声を荒らげる者がいる一方で、何も言わずに鉄格子を握りしめる男もいた。
誰もが仲間を心配しているわけではないだろう。だが、腕を失った男が死ぬかもしれないという話は、彼らにとっても他人事ではなかった。
男たちの表情から少しずつ余裕が消えていった。
そのとき。
「宰相殿!」
地下牢の入口から、兵士が足早に近づいてきた。
「どうした」
クレイドルが振り返る。
兵士はアルバンにも一瞬目を向けたが、すぐにクレイドルの耳元へ顔を寄せた。
小声で報告を受けたクレイドルの表情が、わずかに変わった。
「そうか。分かった」
兵士は一礼すると、その場を離れた。
「何かあったのか?」
アルバンが尋ねた。
クレイドルは答えず、再び牢の中の男たちへ視線を戻した。
先ほどまで騒いでいた男たちも、今度は黙って彼を見ていた。
「お前たちの仲間だが……先ほど、息を引き取ったそうだ」
言葉の意味が理解できなかったのか。それとも、理解したくなかったのか。
やがて、一人の男が鉄格子をつかんだ。
「……嘘だろ」
声がかすれていた。
「嘘に決まってる。あいつが、あんなことで死ぬわけがねえ!」
「そうだ! さっきまで生きてたんだろうが!」
音日たちが叫ぶ。
だが、先ほどの威勢のよさがない。表情にもだ。
鉄格子を揺さぶる手には力が入っていない。仲間の死を否定するように声を張り上げても、誰も確かな言葉を返せなかった。
アルバンは黙って男たちを見ていた。
彼らは人の命を奪うことをためらわない。だが、自分たちの仲間が死ぬことまで、平気で受け入れられるわけではないらしい。
クレイドルは仮面の奥から、男たちを冷ややかに見つめていた。
「さて。まだ街に仲間がいるのだったな」
穏やかな声だった。
「お前たちは、仲間が助けに来ると、本気で信じているのか?」
牢の中から、返事はなかった。
そのときだった。
「死ぬまで、鉱山で働くんだ。お前たちは」
低い声が、突然、地下牢に響いた。
アルバンは即座に振り返った。
クレイドルも、牢の中の男たちも、声のした方へ目を向ける。
石壁の一部が、ゆっくりと歪んだ。
いや、違う。
壁の中から、何かが現れようとしている。
「な……」
アルバンが息をのんだ。
石壁から、黒い狼の頭部だけが姿を現していた。
黒々とした毛並み。鋭い眼差し。そして、人間の言葉を話す口。
狼の首から下は、壁の向こうに隠れたままだった。まるで石壁など存在しないかのように、頭部だけがこちら側に突き出している。
「ば、化け物!」
「何だ、こいつは!」
盗賊たちが一斉に後ずさった。
鉄格子に背をぶつけ、互いに押し合う者もいる。先ほどまで威勢よく怒鳴っていた男たちの顔から、血の気が引いていった。
黒い狼は、そんな彼らを静かに見渡した。
「お前たちの頭だが、女と一緒にいる。街の宿屋で報告を待っていたらしいが、今は逃げる準備に忙しいようだ」
「……何だと?」
一人の男が、かすれた声を漏らした。
「嘘をつくな! ボスが俺たちを見捨てるわけがねえ!」
別の男が叫んだが、その声には明らかな動揺があった。
黒い狼は、口元をわずかに歪めた。
「信じるかどうかは、お前たちの勝手だ」
その目が、牢の中の男たちを射抜いた。
「お前たちの頭は、女とずいぶん楽しんだようだな。だが、その女は病気だ。数日もすれば、兆候が現れるだろう」
牢の中が静まり返った。
頭が病気をうつされた。
その可能性に思い至った途端、男たちの顔つきが変わった。
「……おい」
一人の男が、隣にいる仲間を見た。
「お前、三日前、この街で女に声をかけられたって言ってなかったか」
「それが、どうした」
病気持ちじゃないだろうな、言いかけた男は周囲を気にするように口をつぐんだ。
隣の男の顔色が変わった。
「まさか……」
「おい、お前だって一昨日、女と宿に入っただろう!」
別の男が声を上げた。
「ふざけるな! 俺は何ともない!」
「症状が出ていないだけかもしれねえだろ!」
たちまち、牢の中が騒がしくなった。
互いを疑い、責め立てる声が重なる。
クレイドルとアルバンは、壁の中から頭部だけを現した黒い狼を見つめていた。
狼が何者なのか。どうやって壁の中から現れたのか。なぜ盗賊たちの事情を知っているのか。
問いただしたいことはいくつもあった。
だが、二人が口を開くより先に、異変が起きた。
「うわあああっ!」
牢の中から、凄まじい悲鳴が上がった。
一人の盗賊が床に倒れ、必死に身体をよじっている。
そのすぐそばに、灰色の狼がいた。
「なっ……!」
アルバンが目を見開いた。
いつの間に牢の中へ入り込んだのか。入口から入ってきた様子も、鉄格子を通り抜けた様子もなかった。
ただ、そこにいた。
灰色の狼は倒れた男の右足に食らいつくと、容赦なく牙を立てた。
男が絶叫した。
次の瞬間、灰色の狼が頭を振った。
男の右足が、膝から下を失った。
血が床に広がり、男の悲鳴が地下牢を震わせる。
ほかの盗賊たちは、恐怖に凍りついていた。
逃げようにも、牢の中では身を隠す場所もない。鉄格子の向こうには騎士と宰相がいるというのに、誰一人として助けを求める声を上げられなかった。
灰色の狼は、倒れた男を見下ろした。
そして、低い声で告げた。
「立場が分かったか」
その声に、男は身体を震わせた。
黒い狼が、壁の中から静かに続けた。
「残りの足も必要か?」
「やめてくれええ!」
男は必死に叫び、床に手をついて後ずさろうとした。だが、身体が思うように動かない。
灰色の狼は、男から目を離さなかった。
その場にいる誰もが、次に何が起こるのかを恐れていた。
アルバンは剣の柄に手をかけたまま、動けずにいた。
騎士として、目の前で人間が傷つけられているのを黙って見ているわけにはいかない。だが、相手は普通の獣ではない。人間の言葉を話し、忽然と牢の中に現れた存在だ。
迂闊に動けば、ほかの者まで危険にさらすかもしれない。
クレイドルもまた、黙って狼たちを見つめていた。
宰相として数々の事件に関わってきた彼でさえ、目の前の光景を簡単には理解できなかった。
黒い狼は壁の中から、灰色の狼は牢の中から、それぞれ盗賊たちを見据えている。
地下牢を出ても、クレイドルはしばらく口を開かなかった。
通路を歩きながら、先ほど目にした光景を思い返していたのだろう。アルバンもまた、剣の柄に置いた手の感触を思い出していた。
あのとき、自分は何もできなかった。
黒い狼は壁の中から頭部だけを現し、灰色の狼は、誰にも気づかれないまま牢の中にいた。そして、盗賊の右足を噛みちぎった直後、二頭は煙のように姿を消した。
目の前で起きたことなのに、今も信じられなかった。
地下牢の外へ出たところで、クレイドルが足を止めた。
「引き続き、街の警戒を強める必要があるな」
アルバンは頷いた。
「捕らえた者たちが鉱山送りになることは、公表するんだろう?」
「ああ。盗賊団を捕らえたことは民にも知らせる。街の治安を守るためにも、成果を伏せておく理由はないからな」
そこでクレイドルは、周囲に人がいないことを確かめてから声を潜めた。
「あの狼のことは、ここだけの話にしておこうと思う」
アルバンは眉を寄せた。
「隠しておくのか?」
「正体の分からない魔獣が現れたと知れ渡れば、教会もギルドも黙ってはいないだろう。調査を求めてくるかもしれないし、こちらの許可も得ずに動き出す可能性もある」
「だが、本当に魔獣がこの国に現れたのなら、調査するのは当然じゃないのか?」
「その通りだ。問題は、我々が何を調査すればいいのかさえ分かっていないことだよ」
クレイドルは足を止め、アルバンを見た。
「壁に姿を浮かべ、人の言葉を話す。しかも、我々の知らない情報まで把握していた。あれが何者なのか、君には分かるか?」
「……分からない」
アルバンは正直に答えた。
魔獣についての知識はある。だが、壁の中から頭部だけを現す狼も、突然牢の中に出現する狼も、聞いたことがなかった。
あの二頭は本当に魔獣なのだろうか。
疑問を口にすることはできなかった。
「味方だと決めつけるわけにはいかないな」
クレイドルは、わずかに口元を緩めた。
「そういうことだ」
だが、その表情に安堵の色はなかった。
あの狼たちは、盗賊を罰するかのように現れた。彼らの行動だけを見れば、こちらに協力しているようにも思える。
しかし、盗賊の右足を噛みちぎった灰色の狼は、ためらう様子すらなかった。
もし、あの牙が盗賊ではなく、騎士や民に向けられたらどうなるのか。
考えたくもないことだった。
「アルバン、この件は、私と君だけの秘密にしておこう。地下牢にいた者たちにも、余計なことを口外しないよう命じる必要がある」
アルバンは頷いた。
だが、胸の内に残った不安は消えなかった。
狼たちは、盗賊の頭がどこにいるのかも、何を企んでいるのかも知っていた。
ならば、彼らはどこまで知っているのだろう。
そして、なぜ盗賊たちの前に姿を現したのか。
答えは何一つ分からない。
ただ一つ確かなのは、あの二頭が姿を消す瞬間まで、クレイドルもアルバンも、指一本動かすことさえできなかったということだった。




