4 妖精たちの警告、街に潜む盗賊団 改
その朝、ジョルジュは朝食を済ませると、ミヤのいる部屋を訪ねた。
馬車に乗って街まで出かけたのだ。疲れが残っているのではないかと思ったのである。
だが、ノックをしても返事がない。まだ眠っているのだろうか。
そう思ったとき、廊下の向こうから話し声が聞こえてきた。
「あの銀貨で苗を買いませんか?」
「苗か。どんなものを?」
「芋です。トマト飴が評判よかったですけど、芋飴もいいと思うんです」
ミヤの声だ。
「子供だけじゃなくて、女性も甘いものが好きです」
その言葉にトマスは頷いた。
確かに、甘いものを喜ぶのは子供ばかりではない。
市場では女たちが味見をしていたし、買ってくれた女性もいた。
「それと、屋台に花も飾りたいんです」
「花?」
トマスが聞き返した。
「屋台が華やかになるでしょう?」
「野菜を売るのに、花を飾るのか?」
思わず口を挟んだジョルジュに、二人が振り返った。
「旦那様、おはようございます」
トマスが頭を下げ、ミヤも慌てて礼をした。
「おはよう。花を飾るというのは、どういうことだ?」
「足を止めてもらうためです。珍しいものが並んでいて、見た目もきれいなら、ちょっと覗いてみたくなるでしょう?」
ミヤは当たり前のことのように答えた。
「それに、花を砂糖漬けにするのもいいと思うんです。商家の奥さんなら、お茶の時間に出すお菓子として買ってくれるかもしれません」
「花の砂糖漬け?」
ジョルジュとトマスは顔を見合わせた。
花は飾るもの。そう考える二人にとって、花を菓子にするという発想はなかった。
ジョルジュは考え込んだ。
以前、貴族の茶会に招かれたとき、色鮮やかな花びらや果物を砂糖で加工した菓子が、銀の皿に美しく並べられていたのを思い出したのだ。
夫人たちは珍しい菓子を楽しみ、商人たちはどこで手に入れたのかと話題にしていた。
確かに、裕福な商人や貴族、王族なら興味を持つだろう。
すぐには返事ができない、だが、彼女の言葉に確かにとジョルジュは頷いた。
珍しさがあれば裕福な客の関心も引ける。
「……少し考えてみよう」
そう告げると、ジョルジュは執務室へ戻った。
「花や果物の砂糖漬けですか?」
執事のバルジャンは驚いたようだ。
「アイデアとしてはいいと思いますが」
「提案したのはミヤだ」
「彼女は作り方を知っているんでしょうか?」
「そこまでは聞いていない」
ジョルジュは続けた。
「知らないことを、わざわざ提案してくるとは思えないんだが」
「おっしゃるとおりです」
バルジャンは思案顔だ。
「街の商人たちの間で、珍しい菓子が話題になっているのは確かです。もし、ここで作れるのなら、試してみる価値はあるかもしれません」
ジョルジュは頷いた。
ミヤの提案は、ただ珍しい菓子を作ろうという話ではない。今まで売れなかったものを商品に変え、領地の収入につなげようというものだ。
「街、王都へ行けば食用の花を扱っている店があるかもしれない。ミヤを連れて、街へ行ってみようと思う」
バルジャンは一瞬、顔を上げた。
「旦那様ご自身が、ですか?」
「食べられる花だ。普通の花屋には売っていないだろう」
「そうですね」
バルジャンは頷いた。
出発の日、屋敷の前には馬車が用意されていた。
馬車に乗り込んだミヤを見て、ジョルジュが尋ねた。
「その服は、以前着ていたものか?」
「はい。お気に入りなんです」
ミヤが着ているのは、黒いドレスだった。
この国では、女性が黒い服を好んで着ることは珍しい。まして、これほど飾り気のないデザインは見かけない。
だが、装飾がないからこそ、生地の質や仕立てのよさが際立っていた。
ミヤの白い肌には黒がよく映え、すらりとした姿をいっそう引き立てている。
ジョルジュは彼女の装いをしばらく眺めてから、口を開いた。
「よく似合っている」
「ありがとうございます」
ミヤは嬉しそうに微笑んだ。
ジョルジュは手を差し出し、彼女が馬車に乗るのを助けた。
「食べられる花をお探しですか?」
店主は、目の前の二人を見比べた。
飾るための花ではない、貴族の料理人や菓子職人が、料理や菓子に使う花を求めて訪れることはあった。
だが、今、店にやってきた二人は、そうした客とは少し違って見えた。
男は白髪交じりの壮年の男性。若くはないが、身につけている衣服は上質で、立ち居振る舞いにも品がある。
一方、連れの女性は黒いドレスを着ていた。
この国では、女性が黒い服を好んで着ることは珍しい。レースやリボンといった飾りもなく、デザインは驚くほど簡素だった。
それでも、生地の質や仕立てのよさは一目でわかる。
年上の男と、見慣れない服を着た若い女。
商人の愛妾か、裕福な男に囲われている女性か。そんな考えが頭をよぎった。
だが、二人のやり取りには妙な馴れ馴れしさがない。女性の言葉遣いは丁寧で、男も彼女の話を遮ることなく聞いている。
「どのような花をお探しでしょうか?」
「食用花の砂糖漬けを作りたいんです」
ミヤの言葉に、店主はわずかに眉を上げた。
「お客様ご自身で、お作りになるのですか?」
ミヤは頷き、言葉を続けた。
「花はあまり大きくないものがいいんです。花びらの数が多すぎず、それから、香りが強すぎないものがあれば……」
店主は黙って聞いていた。
菓子職人には見えない。身なりも、普段から花や菓子を扱う者のものではなかった。
それなのに、求める花の条件は具体的だ。
単に珍しいものを作ってみたいというだけなら、もっと曖昧な注文になるはずだ。
「なるほど……」
「砂糖漬けにするのでしたら、花の見た目だけでなく、香りや花びらの丈夫さも考える必要があります。どのような仕上がりをお望みですか?」
ミヤはすぐには答えず、考えるように視線を落とした。
「お茶に添えたり、お茶に浮かべたりできるものがいいと思っています。見た目がきれいで、贈り物にもできるようなものにしたいんです」
店主は、今度は隣の男に目を向けた。
男は口を挟まず、ミヤの説明を聞いている。
どうやら、ただの思いつきで店を訪れたわけではなさそうだ。
花は取り寄せることになった。
店主は花の種類と値段を帳面に書き込んでいたが、ふと手を止めた。
今、何か聞こえなかったか。
小さな声がした。だが、聞こえるのは客たちの話し声だけだ。
気のせいか、そう思ったとき、手の甲に何かが触れた。
虫、店主は店内を見回した。
そのとき、入口近くで花を見ていたミヤの姿が目に入った。
肩に、何かが止まっている、いや、頭の上にも、小さな影が動いていた。
店主は目を細めた、虫ではない。
そう思い、眼鏡を外して布で拭いた。それから、もう一度目を凝らした。
小さな人影に見えた、背中には羽が生えている。
まるで、物語に出てくる妖精のような姿だった。
まさか、店主は息を呑んだ。
そのとき、ミヤの隣にいた男が、こちらを見た。
目が合うと、彼はほんの一瞬だけ視線を向けた。
驚いた様子はない。
店主は口を開きかけたが、言葉が出ない。
ミヤは相変わらず花を眺めている。肩に妖精が止まっていることにも、頭の上を飛び回っていることにも気づいていないようだ。
店主はもう一度ジョルジュを見たが、彼は何も言わなかった。
だから、店主も尋ねることができなかった。
「よかったですね。花が買えて」
店を出たミヤが、嬉しそうに言った。
ジョルジュは頷いた。
花の仕入れ先も見つかり、必要な注文も済ませた。目的は果たせたはずだった。
だが、ジョルジュの頭には、店の中で起きたことが引っかかっていた。
ミヤの肩や頭の周りを飛び回っていた、小さな人影。
店主も気づいたようだ。眼鏡を拭き、目を凝らし、最後には言葉を失っていた。
それなのに、周りの誰も反応していなかった。
見えていなかったのか。それとも、気づかなかっただけなのか。
「安心していいよ」
突然、声がした。
ジョルジュは足を止めた。
今の声は、隣を歩くミヤのものではない。
「皆に見えるわけじゃないの」
「驚いた?」
子供のような声が、すぐ近くから聞こえてくる。
ジョルジュは周囲を見回した。通りを行き交う人々は、誰もこちらを気にしていない。
まさか、自分に話しかけているのか。
すると、弾んだ声が聞こえた。
「そうだよー!」
「あたしは花の精!」
「あたしは水の精。甘い水が大好きなのーっ!」
「土の妖精もいるよー!」
次々に声が重なる。
ジョルジュは驚いた、姿は見えている。小さな身体に羽を持ち、ミヤの周囲を楽しげに飛び回っていた。
だが、彼らの声は普通の人間には聞こえていないらしい。
「今、びっくりしてるでしょ?」
妖精たちは面白そうに笑った。
自分の考えている事がわかるのか、それとも、表情から察しているだけなのか。
自分には見える、だが、どうして彼女には見えないのだろう。
そう思った時。
「聖女召喚」
「儀式のせいだよ」
ジョルジュは、はっとした。
そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
聖女召喚。その儀式が、ミヤに関係しているというのか。
自分の国で行われたものなのか。それとも、聖女を召喚したという他国の儀式なのか。
「少し休もうか」
ジョルジュはミヤに声をかけた。
「せっかく街まで来たんだ。少しくらい、ゆっくりしてもいいだろう」
自分だけなら、用事を済ませたらすぐに帰るつもりだった。
だが、ここまで来るのに一日近くかかったのだ。ミヤも疲れているかもしれない。
食事よりも喉が渇いたという彼女の言葉に、ジョルジュ自身も飲み物が欲しいと思った。
二人は近くの店を見つけ、休むことにした。
紅茶が運ばれてくると、ジョルジュは先ほどの妖精たちの言葉を思い返していた。
聖女召喚。
まさか、そんな言葉が出てくるとは思わなかった。
魔法や呪術が発展した国なら、聖女を召喚する儀式があっても不思議ではない。だが、自分の国はどうだろう。
この国では、魔術そのものがあまり発展していない。
領地を切り盛りするだけで手いっぱいだったジョルジュは、王都や貴族たちの動きに疎い自分を、今さらながら悔やんだ。
他国から術師を招いていたとしたら?
考え始めると、きりがない。
ジョルジュは小さく息を吐き、目の前の紅茶に視線を落とした。
今は考えても仕方がない。少なくとも、妖精たちから聞き出せることはなさそうだった。
「美味しいですね、このお茶」
ミヤの声に、ジョルジュは顔を上げた。
彼女は、満足そうに微笑んでいる。
「気に入ったのなら、茶葉を買って帰ろうか」
「いいんですか?」
「そのくらい構わないさ」
思いがけず弾んだミヤの声に、ジョルジュの表情も自然と緩んだ。
そのとき、ふと視線を感じた。
妖精ではない。人間だ。
店内の客たちが、自分たちを見ている。
「変わったドレスですわね」
「飾りはないけれど、仕立てがいいわ」
「他国の女性かしら?」
女性たちが、ひそひそと話している。
それだけではなかった。
「美人だな」
「ああ、声をかけてみるか」
「男連れだぞ」
「父親じゃないのか?」
ジョルジュは紅茶を口に運びかけ、その手を止めた。
……父親?
自分の年齢を考えれば、そう見られても無理はない。
思わず白髪混じりの髪に触れそうになり、寸前で思いとどまった。
ジョルジュが内心で困惑している一方、ミヤは周囲の視線に気づいていないのか、紅茶をもう一口飲んでいた。
そろそろ店を出ようか。
ジョルジュがそう考えたとき、不意に耳を引っ張られた。
妖精が耳元に顔を寄せていた。
「話、内緒。二人きりになれない」
妖精は笑っていなかった。
声を潜め、真剣な顔で囁く。
「大事な話なの。お願い」
ジョルジュは妖精の顔を見つめた。
今まで、笑った顔しか見たことがなかった。
「少し、席を外す」
ミヤにそう告げると、ジョルジュは店の奥へ向かった。
トイレに入った途端、待ち構えていたように数人の妖精たちが集まってきた。
「ジョル、危険なの!」
「危ないよ」
ただ事ではない様子に、ジョルジュの表情が引き締まった。
「ここへ来るとき、橋を渡ったでしょ?」
「あそこに悪い奴がいたの!」
「青餓狼団、知ってるでしょ?」
名前補悔いた途端、ジョルジュの顔色が変わった。
青餓狼団、金品を奪うだけではない。抵抗する者を殺すこともためらわない、悪名高い盗賊団だ。
「獲物を探しているんだよ」
「街の中にも仲間がいるんだよ!」
「どうして、分かった?」
ジョルジュが尋ねると、妖精たちは顔を見合わせた。
「血の匂いがしたの」
「人を殺したことがある奴の匂い」
妖精たちの話が事実なら、ただの脅しや強盗では済まない。相手は、ためらいなく人の命を奪う連中なのだ。
「……ミヤを安全な場所へ移さなければ」
思わず口をついて出た言葉に、妖精たちは一斉に首を横に振った。
「だめ!」
「ジョルジュを見たんだよ!」
「ミヤのことも見てたの!」
「ここで逃げても、館までついてくるかもしれないよ!」
ジョルジュは唇を引き結んだ。
街で襲われるのを避けて領地へ戻ったとしても、青餓狼団が後を追ってくる可能性はある。
そうなれば、危険にさらされるのは自分とミヤだけではない。
館で働くメイドたちも、使用人たちも、領地の人々も巻き込まれる。
かといって、この街に留まれば安全だという保証もない。相手は街の中にも仲間を潜ませているのだ。
「この街の人だって危険だよ!」
妖精の言葉に、ジョルジュははっとした。
そうだ。危険にさらされるのは、自分とミヤだけではない。この街で暮らす人々も襲われる可能性がある。
「……街の騎士に話をするか。怪しい連中がいると伝えよう」
だが、妖精たちの話だけで信じてもらえるだろうか。
盗賊団の名前を出したところで、証拠がなければ動いてもらえないかもしれない。
「ミヤに話してみたら?」
妖精の一人が言った。
「何?」
ジョルジュは思わず聞き返した。
「ミヤ、気づいてるよ」
「花屋を出たときから、何度も後ろを振り返ってたもん」
「誰かにつけられてるって思ってるんじゃない?」
ジョルジュは目を見開いた、彼女も気づいていたのか。
彼女は何も言わなかった。だから、自分だけが周囲を警戒しているわけではない。
街の騎士に協力を求める。
自分たちだけで解決しようとするべきではない。
ジョルジュは妖精たちを見た。
「知らせてくれてありがとう。あとは私が何とかする」
そう告げると、ジョルジュは店へ戻った。
アルバンは王都の騎士だった。
腕はそこそこ立つ。周囲からは、いずれ騎士団長になるのではないかと噂されていた。
だが、本人にその気はなかった。
地位が上がれば、それだけ責任も重くなる。部下の面倒を見て、上役の顔色をうかがい、面倒な会議にも出席しなければならない。
剣を振るっているほうが、よほど気楽だ。
これまで何度か騎士団長への推薦話が持ち上がったが、アルバンはそのたびに断ってきた。
しかし、三十五歳も近くなると、断るための言い訳もそろそろ尽きてくる。
「アルバン、お前、いい加減にしろ」
執務室に呼び出されたアルバンは、騎士団長の小言を聞いていた。
「腕は悪くない。部下からの評判も、まあ、そこそこだ。いつまでも逃げ回っていないで、引き受けたらどうだ」
「団長、最後の評価、ちょっと引っかかるんですが」
「気のせいだ」
いや、気のせいではないと思った。
騎士団長は五十代。半月ほど前、任務中に負傷した。傷は完全には治らず、剣を振るう仕事を続けるのは難しいと医師に告げられたらしい。
それで、ついに引退を決めたという、問題は、その後任だ。
「アルバン、頼む。お前が騎士団長になってくれたら、女を紹介してやる」
「……は? 何です、それは」
思わず聞き返した。
騎士団長の後任を決める話だったはずだ。なぜ、途中から縁談の話になっているのか。
「お前も、もういい年だろう。結婚しているわけでもない。騎士団長になれば給金も上がるし、立場も安定する。女を紹介するにしても、話がしやすい」
「いや、団長。仕事と結婚は別の話では?」
「別だから、両方まとめて世話してやろうと言っているんだ」
ありがたい話なのか、余計なお世話なのか。
アルバンには判断がつかなかった。
そもそも、女性を紹介してもらえるという話だって、相手次第である。
見た目が好みでなかったらどうする。
性格が合わなかったら?
美人で、性格がよく、一緒にいて気疲れしない女性。
そんな相手が理想だと言えば、贅沢だと笑われるだろうか。
だが、これまでの恋愛を思い返すと、アルバンにも多少は言い分があった。
付き合った女の中には、娼婦まがいの仕事をしていた者もいれば、商家の後妻だった者もいる。
最初は優しく、愛想もよかった。
ところが、付き合いが長くなるにつれ、金の無心をされたり、別の男の影がちらついたりした。
気づかなかった自分が悪いと言われれば、それまでだ。
実際、騙されたと気づいたときには、いつも手遅れだった。
「……今度こそ、ちゃんと相手を見極めたいんですがね」
「お前は女の顔しか見ていないから、騙されるんだ」
「失礼ですね。性格だって見ていますよ」
「その結果が今のお前だろう」
アルバンは口をつぐんだ。
反論できないのが、何より腹立たしい。
騎士としてなら、相手の剣筋や動きから実力を見抜く自信がある。
だが、女性の本心となると、どうにも分からない。
次こそは失敗しない。
そう心に決めているのだが、肝心の見極め方が分からないのだから、我ながら救いようがなかった。
「とにかく、考えておけ。次に推薦の話が出たら、もう逃がさんぞ」
「……善処します」
アルバンは執務室を出た。
結局、騎士団長の話を断れたのかどうかも、よく分からない。
ため息をつきながら剣帯を直し、彼は街の見回りへと向かった。
今日も王都は平和だ、少なくとも、今のところは。




