3 トマトが飴に? 朝市で始まる新しい商売 改
「旦那様、お願いがあります」
その朝、庭師のトマスから街へ行きたいと言われて、ジョルジュは驚いた。
「トマトを売ってこようと思うんです」
領地内の町ではなく、少し離れた大きな街まで行くという。
驚いたのはジョルジュだけではない、執事のバルジャンもだ。
「街まではかなりの距離があります。荷馬車で揺られていたら、トマトが傷んで売り物にならないのではありませんか」
「生のトマトをそのまま売るわけではないんです」
トマトの収穫量は少しずつ増えている。温室だけでなく、畑でも育てているのだ。
「加工して売ろうと思っています」
「それは、お前が考えたのか?」
「いいえ、ミヤです」
トマスは笑った。
「ジャムやピクルスにして売るんです。生のままより保存が利きますから」
「なるほど。しかし、それなら容器が必要ではありませんか」
バルジャンの問いに、トマスはにっこりと笑った。
「今回はお試しです」
「お試し?」
ジョルジュだけでなく、バルジャンも不思議そうな顔をした。
「まずは試食してもらうんです。気に入って、もっと食べたい、買いたいと言ってくれる人がいれば、注文を受けようと思っています。売れそうなら、次は容器も用意して本格的に売りに行きます」
「それは……うまくいくでしょうか」
バルジャンは思案顔だった。
「試食を持ってきました。マーサさん」
トマスが声をかけると、扉が開き、皿を持ったマーサが入ってきた。
「旦那様、どうぞ召し上がってください。バルジャンさんも」
皿の上には、小さなトマトが丸ごと盛られていた。
「酢に漬けてあるのか」
一つ口にしたバルジャンが尋ねた。
「それだけではありませんよ。砂糖やハーブ、香辛料も使っています」
マーサは嬉しそうに説明した。
「私も、こんなものは初めて食べました。生の野菜が採れない時期の保存食にも良さそうです」
ジョルジュも一つ口に運んだ。
酸味の中に甘みがあり、香辛料の風味も感じられる。生のトマトとは違った味わいだった。
「保存食ですか……。盲点でしたね」
バルジャンが感心したように呟いた。
「街には、いつ行くつもりだ?」
ジョルジュが尋ねると、トマスは少し表情を引き締めた。
「ピクルスの仕込みができたら、すぐにでも。あくまでお試しですから、まずは反応を見てみたいんです」
初めてのことなので、トマスの言葉には遠慮があった。だが、その表情には期待も感じられた。
「試食はいいとして、売り方はどうするつもりです?」
バルジャンが尋ねた。
保存食として売るなら、容器に入れなければならない。だが、領地には売り物にできるほどの保存容器があるわけではなかった。
「量り売りにします。ピクルスを作った鍋ごと馬車で運んで、買いたい人には家から鍋や容器を持ってきてもらうんです」
トマスの言葉に、ジョルジュとバルジャンは驚いた。
「最初から容器を買いそろえる必要はありません。容器代がかからない分、安く売れますから」
トマスは少し考えるように首を傾げた。
「それに、野菜のピクルスなんて、街の人たちだって毎日のように食べているとは思えません。まずは味を知ってもらわないと」
「だから、初日は試食を兼ねた販売というわけか」
バルジャンが納得したように頷いた。
「そうです。食べてもらって、気に入った人がいたら買ってもらう。売れそうなら、次から容器を用意してもいいと思うんです」
「しかし、街の人々はピクルスを食べる習慣があるのか?」
ジョルジュが尋ねると、トマスは少し考えてから答えた。
「塩漬けや干し野菜なら、食べたことがある人は多いでしょう。でも、酢に漬けた野菜となると、普段から食べている人は少ないんじゃないでしょうか。それに酢はともかく香辛料となると安くはないです」
「なるほど。保存食そのものが珍しいわけではなく、手軽に買えるものではないということか」
「はい。だからこそ、試してみる価値があると思うんです」
トマスの表情には、いつになく強い意欲があった。
「それに、野菜が採れない時期にも食べられるなら、気に入ってくれる人はいるはずです」
ジョルジュは驚いた。
野菜を育てるだけだった男が、今では売り方まで考えている。
そのきっかけを作ったのはミヤだが、教えられたことを自分なりに考え、形にしようとしているのはトマス自身だった。
「分かった。まずは試してみよう。大きな利益が出なくても、街の人々が何を求めているのか分かれば、それだけでも意味がある」
「ありがとうございます、旦那様」
トマスは嬉しそうに頭を下げた。
「旦那様、それと、使っていないガラスの花器をお借りしても構いませんか」
トマスの言葉に、ジョルジュは怪訝な顔をした。
「ガラスの花器? いったい何に使うんだ」
「ピクルスを飾るんです」
「……何?」
ジョルジュだけでなく、バルジャンも目を丸くした。
保存食を売りに行くという話だったはずだ。なぜそこで花器が出てくるのか。
「俺も最初にミヤから聞いたときは、分かりませんでした。でも、話を聞いて納得したんです」
トマスは少し得意げに笑った。
「赤いトマトや緑の野菜をガラスの器に入れて、外から見えるようにするんです。色とりどりの野菜が並んでいたら、道を歩いている人も、なんだろうって足を止めるでしょう?」
「つまり、見た目で客を引き寄せるわけか」
バルジャンが呟いた。
「はい。試食を勧めるにしても、まずは興味を持ってもらわないと。見たこともない食べ物なら、なおさらです」
「しかし、花器に食べ物を入れるのか……」
ジョルジュは、まだ少し戸惑っているようだった。
「もちろん、飾りに使うものと、実際に売るものは分けます。売る分は鍋に入れて運びますし、買いたい人には持参した容器に取り分けます」
「なるほど。見せるための器と、売るための器を分けるのだな」
バルジャンが感心したように頷いた。
「そうです。ミヤは、味を知ってもらう前に、まず目に留めてもらうことが大事だと言っていました」
ジョルジュはしばらく考え込んだ。
野菜を育て、収穫し、食べる。それが当たり前だった彼らにとって、野菜を美しく見せることで客を呼ぶという発想はなかった。
女の子は、思わず足を止めた。
朝市には母親と一緒に来ていた。露店には野菜やパン、肉などが並んでいる。いつもの見慣れた光景だった。
一軒の露店の前を通りかかったとき、女の子は目を輝かせた。
ガラスの綺麗な鉢の中に、赤や緑、色鮮やかな色彩が気になってしまった。
朝日に照らされて、ガラスがきらきらと光っていた。
気になって近寄ってみると、鉢の中に入っているのは野菜だ。
その横では、黒髪の女性が細い棒に刺した何かを並べている。
「いらっしゃい」
女性が声をかけてきた。
「食べてみる? トマト飴よ。甘くておいしいわよ」
女の子は目を丸くした。
小さな赤いトマトが、透明な飴に包まれている。表面はつやつやと輝き、まるで宝石のよううに見えた。
「あっ、あの……お金、持っていないの」
女の子は申し訳なさそうに俯いた。
「大丈夫。今日は初出店、試食の日なの。お金はいらないわ」
そう言って、女はトマト飴を手渡した。
女の子は恐る恐る口元に運んだ、最初は、舐めるだけのつもりだった。
だが、思わず声が出そうになった、甘いのだ。
トマトの周りが甘い飴で覆われている。
女の子は周りを見回した。
「あっ、サリー!」
友達の姿を見つけると、駆け寄って声をかけた。
「ねえ、トマト飴、食べない?」
「えっ、何、それ?」
サリーは友達が手にしている串を不思議そうに見つめた。
「すごくおいしいの! 今日はお金はいらないんだって!」
「君たち」
声をかけてきたのは、鎧を身につけた男性だった。一目で騎士だと分かる姿だ。街の見回りをしているのだろう。
「何を食べているんだ?」
「トマト飴です」
アリサが答えると、騎士は二人の手元を見た。
「トマトは野菜だろう。それが飴になっているのか?」
「そうよ。甘くておいしいんだから」
サリーが得意げに答えた。
「どこで売っているんだ?」
「今日は試食の日だから、無料なの。タダなの」
説明しながらも、サリーは少し得意げだ。
騎士は体格がよく、サリーの父親より少し若く見える。
大人なのに、飴を食べたいのだろうか。
「……トマト飴は、子供だけなんです」
「何?」
騎士は思わず聞き返した。
「だって、子供のおやつだもの」
サリーは当然だと言わんばかりに答えた。
「いや、俺は食べたいと言ったわけでは……」
言いかけたものの、甘い香りが漂ってくる。騎士は一度、露店のほうを見た。
「……試食というのは、誰でも食べられるんだよな?」
少女たちは無言だ、だが、その顔が語っていた。
大人なのに飴を食べるの?
「トマト飴、ください!」
「ぼ、僕も!」
「芋の飴が食べたいです!」
屋台の前には子供たちが集まっていた。順番を待つ子供たちの声が、朝市のざわめきに混じって聞こえてくる。
騎士は足を止めた。
さすがに、大人の自分が飴を食べたいと申し出るわけにもいかない。
子供たちの手元には、赤いトマトや芋に飴がけしたものがある。どれも見慣れない食べ物だった。
そのとき、騎士は屋台の前にいる女性たちに気づいた。
子供たちとは違い、彼女たちが見つめているのは飴ではなかった。
屋台の端に置かれたガラスの鉢。その中には、赤や緑の野菜が色鮮やかに並んでいる。透明な液に浸された野菜は、朝の光を受けて艶やかに見えた。
「ピクルスなんて、初めて食べたわ」
一人の女性が、隣に立つ友人に話しかけた。
「野菜を甘酢に漬けたものですって。日持ちもするそうよ」
「保存食なのね。でも、こんなに色が綺麗だと、食べるのがもったいないくらい」
女性たちはガラスの鉢を覗き込みながら、声を潜めて話していた。
「確か、他所の国の貴族が好んで食べるものだと聞いたことがあるわ」
「そうなの? 私たちには縁のない食べ物だと思っていたけれど……」
会話はそこで途切れた。
女性たちは興味を持ちながらも、すぐに購入を決める様子はなかった。見慣れない食べ物に対する戸惑いと、試してみたいという気持ち。その両方が表情に表れていた。
騎士は、黙ってその様子を見ていた。
珍しいものを売っているだけなら、物珍しさから人が集まることもある。だが、女性たちの関心は一時的な好奇心だけではないようだった。
保存が利くという言葉に、彼女たちは反応していた。
騎士は、そのことを頭の片隅に留めた。
「少しでいいから、売っていただけないかしら」
女性の言葉に、トマスは驚いた。
近所の主婦かと思ったが、よく見ると身につけている服は上品で、仕立てもよい。裕福な家の女性か、商家の奥方なのかもしれない。
「以前、お茶会でピクルスをいただいたことがあるの。あれは美味しかったわ」
女性はガラスの鉢に目を向けた。
「こちらのピクルスも、同じようなものかしら?」
「はい。ただ、私たちが作ったものは少し味付けが違います」
トマスが答えると、隣にいたミヤが微笑んだ。
「お買い上げいただけますよ。ただ、今日は容器を用意していないんです。お持ちいただければ、お分けできます」
「容器……」
女性は困ったように周囲を見回した。
自宅まで戻るには時間がかかる。せっかく見つけたのだから、できれば今すぐ持ち帰りたい。
「少し待っていてくださる?」
女性は連れの者に声をかけ、近くの店で小ぶりの陶器の鉢を買って戻ってきた。
「これで大丈夫かしら?」
「はい。ありがとうございます」
トマスはほっとしたように答えた。
「それで、いくらなの?」
トマスは一瞬、言葉に詰まった。
まだ本格的に売ったことがない。値段はミヤと相談して決めていたが、実際に客から尋ねられると、少し緊張する。
「ミヤ、値段はどうする?」
ミヤは女性の持ってきた鉢を見てから、答えた。
「ピクルスは、この鉢一つで銀貨一枚です。今日は初日ですから、芋飴もいくつかお付けしますね」
銀貨一枚。決して安いとはいえない値段だった。
それでも、朝市でピクルスを売っている屋台など見たことがない。珍しいもの好きの彼女は、少し迷った末に購入を決めた。
家に戻ると、夫のもとに客人が来ていた。
商売を営む男性で、夫とは以前から付き合いがある。
彼女は、買ってきたばかりのピクルスを出すことにした。
「これ、今日の朝市で買ってきたばかりなんです」
食卓に小皿を置くと、夫は珍しそうにトマトを見つめた。
「これは何だ?」
「トマトのピクルスですって。試食させてもらったら、とても美味しかったのよ」
妻の説明を聞き、夫は小さなトマトを一つ口に運んだ。
向かいに座っていた客人も、それにならって口に入れる。
夫は何も言わず、もう一度皿の上のトマトを見た。客人もまた、口の中に残る味を確かめるように黙っていた。
「……あの、もしかして、お口に合わなかった?」
妻は不安になった。
「酸味が強すぎたかしら。それとも、ハーブの香りが苦手だった?」
「いや、そうではない」
夫は首を横に振った。
「これは……ずいぶんと手の込んだ味だな」
客人も頷いた。
「ええ。酢の酸味だけではありませんね。ハーブや香辛料の風味が、うまくまとまっています」
客人は、もう一つピクルスを口にした。
「奥様、これを朝市で買われたのですか?」
「ええ。今日、初めて店を出したそうよ。子供たちには、トマトの飴がけを無料で配っていたの」
「トマトの飴がけ?」
夫が聞き返した。
「そうなの。子供たちが大喜びしていたわ。色とりどりの野菜をガラスの鉢に入れて飾っていて、とても目を引くお店だったのよ」
客人は、皿の上のピクルスを見つめた。




