遠い国のスマホ
心を削るだけの時間が流れている。
無事を願う家族だけでなく、俺たち警察官にとっても厳しい時間が。
もちろん、何もしていないわけじゃない。誘拐された少女自身が都内に
いるのは確かだから、全力で捜索を続けている。犯人が傍にいないなら
身柄の確保も不可能ではない。
しかし、やはり情報が少な過ぎる。
そもそも犯人像すらまともに絞れていない段階で、外国に逃げられた。
深夜便の目的地は把握しているが、ひとつに絞れているわけではない。
加えて、犯人の特徴が何ひとつ判明していないのだ。こんな状況では、
各国の空港に捜査協力を要請するというのは不可能だ。したところで、
外国人に曖昧な情報だけで日本人を特定できるとは到底思えない。
空港を素通りされるのは確定だ。
それだけでも十分救いがないのに、到着までに時間がかかり過ぎる。
気まずいなどというレベルを遥かに超えた、地獄の時間が過ぎていく。
現場を任された刑事・黒木洋二は、ただひたすら己の無力を呪った。
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ジリリリリリン!
唐突に響いた着信音に、場の全員がハッと視線を向けた。その音の源は
被害者少女の母親のスマホだった。戸惑いつつ画面に目を向けた母親は
次の瞬間、目を見開いていた。
「これは…!!」
「どうされました!」
「む、娘のスマホからです!」
「は!?」
黒木をはじめ、全ての捜査官の顔に驚愕の表情が浮かぶ。
少女のスマホは、誘拐されて以降は全く反応していなかった。もちろん
GPSの信号発信も途絶えていた。おそらくは破壊されたのだろうと、
ほぼ確信していたのである。それが今になって着信というのは…
「…とりあえず、出て下さい。」
「は、はい……もしもし?」
『…ああ、お母さまでいらっしゃいますか。どうも初めまして』
「……っ!!」
明らかに加工された男の声が流れ、母親の顔が引きつった。予想通り、
相手は持ち主ではなかった。
『あなたには荷が重いでしょうし、そこの刑事さんと代わって頂いても
結構ですよ。その方が話が早い』
「……」
黙って差し出された黒木の右手に、やはり何も言わずにスマホを託す。
相手の言う通り、母親にとってその会話はあまりに負担が大きかった。
「…捜査一課の黒木だ」
『どうも初めまして。遠い国からのご挨拶になるのはご容赦下さいね』
「やっぱり海外に行ったのか…!」
『お察しの通りです。100万円をはした金と思うのは勝手ですけど、
それなりの事は出来るんです。あ、ちなみにGPSは、ついさっきまで
無効化してましたので』
「そういう事か」
「…反応が感知できません。やはりスマホは海外にあるようです!」
モニターを確認していた女性刑事が押し殺した声で告げる。場の全員が
歯噛みしていた。
スマホのGPSは、いかなる時でも発信し続けるというわけではない。
それなりの技術さえ持っていれば、壊さずに無効化する事も可能だ。
だがこの犯人が、それほどの技能を持っているとは到底思えなかった。
全て見損なわせるための演技だったとすれば、もはや狡猾の極みだ。
先入観の裏をかかれた黒木たちは、致命的な後れを取っていた。
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『お伝えした通り、娘さんは都内に残してきています。もちろん今は、
まだ無事です。見つかりました?』
「………」
『無理ですよね。まあ残りの身代金を送って頂ければ、日雇いの連中に
ちゃんと解放させますので』
「やっぱり闇バイトか」
『2万で請け負ってくれるんです。いい時代になったものですね』
「…どこで引き渡す気だ」
『まだその段階ではないでしょう。もう少ししてから、送金の手続きを
お伝えしますので。それでは』
「おい!」
そこで通話は、一方的に切られた。
何ひとつとして信用できない話に、場の者たちは言葉を発せられない。
しかし、静寂は短かった。
ピロン!
着信音と共に、1枚の画像が届く。
反射的に開いた黒木は、その画像に表情を険しくした。そしてそれを、
青ざめた母親と父親に見せる。
「…ご確認ください」
「これです…あの子のスマホです」
「間違いありません!」
やっぱりか。
明らかに日本ではないと思われる、道路脇のガードレールの上。
その上に、無造作に水色のスマホが置かれている画像。おそらくは別の
スマホで撮影した画像を送った後、あらためて送ったのだろう。何とも
手の込んだ実物証明である。
小さな赤いストラップが、スマホの持ち主が誰かを懸命に訴えていた。
「…画像解析急げ。ここがどこかを割り出すんだ」
「了解です」
黒木の言葉に、先ほどの女性刑事が答えてパソコンを操作し始める。
それがどれほど無駄な行為か、場の誰も言葉にはしなかった。
外国のどこか。
そんな曖昧な情報だけで、写真から場所を特定するなど絶対不可能だ。
国内なら、あるいはヒマなネットの住民が総当たりするかも知れない。
だがいくら何でも外国では無理だ。目印となる物も何も映っていない。
仮に何とか場所を特定したとして、それからどうなる。
国内なら、近くの交番から警察官がすぐに向かえる。しかし同じ事を、
外国で出来るはずがないのである。出来たとしてもそこにいる可能性は
ゼロだ。急ぐ事もなく逃げ切って、また別の場所からかけてくるだけ。
この鬼ごっこは、始まる前から鬼の敗北が決まってしまっている。
無力感が、場を満たしていた。
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「怒りが伝わってきたな」
「だな」
通話を切り、傍らでニヤニヤと笑う相方に視線を向ける。俺も笑った。
何と言うか、実に楽しいね。
もちろん今の時点では、得た金額は微々たるもんだ。誘拐のリスクとは
どう見積もっても釣り合ってない。残りの身代金を得られるかどうかは
まだ分からないだろう。だが現状、警察は俺たちには手も足も出ない。
その状況だけでも満足度が高い。
「さあて、じゃ飯でも食うか」
「呑気なもんだなオイ」
「焦ったって仕方ねえよ。ってか、向こうの刑事どももそう言ってる」
「だろうな、確かに!」
「んじゃ、適当な店を探して」
「あぁ、それが彼女のスマホね」
唐突だった。
それまで人の気配はなかったのに、いきなりすぐ背後から声が響いた。
しかも女の声で、日本語で。
思わず身をすくめた俺たちは、声の主を探してゆっくりと振り返った。
そこにいたのは
あまりにも場違いな女だった。
「…誰だてめえ」
「答えたくない」
問いを一蹴した女は、俺たちの顔をじっと睨みながら言い放った。
「あんたら、日本の誘拐犯よね」
「何を…」
「悪いけど、答えは求めてない」
取り付く島がなかった。
この女、ひょっとして…
「悪いけど今あたし、機嫌が悪い」
やっぱりそうだった。
この女は
俺たちに、マジで腹を立てていた。




