壁の向こうにあるものは
食材は、あっという間に揃った。
さほどの購入額にもならなかった。わざわざ市場まで出向いて、たった
これだけというのはどうなんだろ。さすがにそれをミナさんに尋ねた。
「いいよいいよ。普段はそれなりに贅沢なもの食べてんだからさ」
「それはまあ…そうですね」
言われてみればその通りだ。
腫れもの扱いされてはいるものの、やはり聖女は飛び抜けた貴賓だ。
屋敷の広さも料理の豪華さも、並の貴族など軽く凌駕している。
この世界にさほど興味がなければ、わざわざ買い物で散財する気になど
ならない…って事なんだろうな。
「それじゃあ、帰りますか」
「いや、帰ってキッチンを使わせろとか言うと、勘繰られるでしょ?」
「え…まあそれは…そうかも?」
言いながら、あたしは買い物かごの中にの食材に視線を落とした。
「じゃあ、どうするんですかこれ。お台所がないとどうする事も…」
「まあ任せなさいってね」
食い気味にそう答えたミナさんが、どこかから小さなカードを出した。
「…何ですか、それ?」
「織田信長を捕まえた特別報酬よ」
「オダ…誰ですって?」
「こっちの話。じゃ、ついて来て」
誇らしげに笑いながら、ミナさんはさっさと歩いていく。相変わらずの
マイペースだけど、笑顔でなら別に構わない。お供いたしますとも。
「で、どこに行くんですか?」
「とりあえず、何でもいいからドア探して。なるべく目立たないやつ」
「え?…ドア?」
「そう。空き家とか倉庫の裏口とかそういうのでいいからさ」
「はあ…」
何だ、どういう意図があるんだろ。
まあいいや。
それならすぐに思い当たるし。
今はノリで付き合ってみよう。
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「いかがでしょう?」
「おお、いいんじゃない!?」
あたしが案内したのは、今ではもう閉鎖されている小さな公園の裏手。
もともとは用具倉庫だった建物だ。こちらも廃墟になって久しいけど、
作りが頑丈だったから今でもドアはちゃんと開閉する。もちろん中は、
何にもないがらんどうの廃墟だ。
ここでお料理するの?
正直、あんまり気乗りしないけど…
「じゃ、ちょっと下がっててね」
そう言ってあのカードを取り出し、ミナさんは古いドアの前に立った。
そして、閉まったままになっているドアの取手にカードを軽く当てる。
一瞬だけ、ドア全体が光ったように見えた。…何だろ、聖女の力とか?
「オッケー。んじゃ入ろう」
「入るって…ここにですか」
「そう。はい、オープーン!!」
ガチャ。
ちょい芝居がかった掛け声と共に、ミナさんがドアを勢いよく開ける。
彼女の後ろに控えていたあたしは、何の気なしに向こうを覗き込んで…
………………
え?
何これ?
「ホラホラ早く入って、閉めて!」
「あっ、はい」
何とか落ち着いて言葉を返し、そのドア向こうの空間に足を踏み入れ…
明るい!ってか、眩しい!!
何だこの人工的な光はッ!?
どうにか目を鳴らして見てみれば、実にこじんまりとした部屋だった。
あたしの知る限り、廃倉庫の中より明らかに狭い。何と言うか、今いる
この部屋はすっぽり入ると思った。そして見た事のない設えが…
「とりあえず、うがいと手洗いね」
「え?」
ジャ―――――ッと。
「え!?」
ミナさんが何かを押したと同時に、銀色の管から水がほとばしり出た。
何これ、水魔術とか!?
「ふふん、驚いてくれたようだね」
手を洗いながら、ミナさんがそんな事を言ってニッと笑う。
「これこそ、あたしが元いた世界のお台所ってやつよ」
「え…これがお台所?…って言うか、どうしてそれがこんな場所に!?」
「まぁ異世界で暮らすあたしへの、ささやかなボーナスってところよ」
「はぁ…」
理解を超えてる話が多過ぎるけど、どうにか無理やり理解した。
あのカードでドアに軽く触れれば、ミナさんの世界の台所に行ける。
聖女ってそんな事までできるのかと思ったけど、今の言い方だと多分
誰かからもらったものだ。そのへんあたしには分かるはずもない。
やっぱり聖女は異世界の存在だ。
言う事もやる事も、あたしの想像を軽々と超えてくる。理解できる事が
とにかく少ない。今のこれだって、説明されても不条理に圧倒される。
でもね。
何から何まで理解できないってわけじゃない。専属を務めている中で、
それなりに人となりは知っている。こんな風に普通に言葉を交わせる。
いいじゃん、それで。
この台所に関しても、あれやこれや考えるだけ損だ。受け入れるだけ。
開き直ってしまえば、多分ここには途方もない魅力がある。
「んじゃあ、作りましょう。ええとそうそう、焼肉のたれでしたよね。」
「おお、その気になってくれた!?助かる!!」
パッと喜んでくれるその顔は、実に普通だ。紛れもない同年代の女性。
どれほど強大な力を得ていようと、本質は変わってないって事なのね。
何だかそれが、とっても嬉しい。
さあ、メイドのお仕事始めようか!
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