ジェスの憂鬱
「聖女がお呼びだ、早く行け」
「…はい」
何でそれが当たり前みたいな言い方されなきゃいけないんだ。
あたしが聖女の専属になったのは、全くの無作為だったはずなのに。
今となってはあの人の許に、誰一人行こうとしない。全部あたし個人に
押し付け、なかった事にしている。
別に、あの人が嫌いだとか怖いとかそんな事を言いたいんじゃない。
もっと理不尽な事を言ってくる相手だっているだろうし、メイドとして
そんな所に文句を言う気などない。それなりに仕事と割り切って臨む。
脂ぎった金持ち男とかの慰みものにされるよりは、よほどマシだろう。
そもそもあの人、そんなに言うほど悪い人でも怖い人でもないし。
聖女召喚と言えば、聞こえはいい。
だけどよその世界から拉致するって事実は、言い繕っても変わらない。
おまけに元の世界に戻す手段がないなんて、理不尽にも限度がある。
闇夜の魔女が恐ろしい存在だという伝承は、子供の頃から知っている。
討伐に赴いた人たちを全て返り討ちにして、恐怖を撒き散らす存在だ。
忌むべき怪物と教えられてきたし、周りの誰もがそれを信じている。
だけど、あたしはひねくれ者だ。
それが事実だと誰かに言われると、本当にそうかどうか疑ってしまう。
怖ろしいなら、怖ろしいという事に納得が欲しい。難儀な性分だよね。
廊下を歩きながら、あたしは何だかいつになくモヤモヤしていた。
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闇夜の魔女が、強大極まる「力」を持っていたのは確かな話だろう。
多くの人が殺されたのも事実だし、今さらその事自体を疑う気はない。
でも、討伐に赴いた人を返り討ちにしたというのはどうなんだろうか。
それはある意味、自業自得だろう。それで相手を「邪悪」だとするのは
何か違う気がする。
そんな闇夜の魔女を、今度こそ倒すために召喚されたのが聖女だった。
その力は本物だったし、事実聖女は召喚されてすぐに魔女を討伐した。
周りの人たちは彼女の事を救世主と持て囃していたけど、それと同時に
腫れもの扱いするようにもなった。
「帰還の方法がない」という事実に聖女は荒れた。相応の被害も出た。
闇夜の魔女に代わる厄災を招いた…などと形容する人たちもいた。
何を勝手な事を言ってるんだよと、我が事のように腹が立ったっけ。
闇夜の魔女が何をしたと言うんだ。ここ数年は噂さえも聞かなかった。
完全に抹殺しないと安心できないという浅はかな考えから、聖女召喚が
行われた。正直、馬鹿じゃないかと思った。目的を達成した後、彼女が
元いた世界への帰還を望む事を想像できなかったのか。
考えなしの召喚を実行した連中は、聖女のご機嫌取りさえこのあたしに
丸投げした。現実逃避にも限度ってものがあるだろうと言いたかった。
荒れに荒れたものの、聖女は誰かの命を奪うような事はしなかった。
やがて、用意されたこの屋敷の部屋に引きこもるようになっていった。
あたしには、彼女の気持ちはとても想像できない。絶望したとしても、
何も不思議じゃない。元の世界への思いなど、なおさら想像できない。
あたしだったら、召喚した者たちを皆殺しにしたんじゃないかと思う。
そうしないのは自制心か、それとも帰還する可能性を捨てないためか。
どっちにしても、よく正気を保っていられるなあと感服するばかりだ。
あたしなんかに、聖女という存在は計り知れない。
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部屋の前まで来たあたしは、ほんの少しノックするのをためらった。
怖いからでも、気後れしたからでもない。別に同情などもしていない。
ここしばらくの聖女の事を考えて、ちょっと疑問が湧いたからだった。
最近、彼女は妙に明るい。
外に出てこないのは相変わらずだ。でも、部屋に気配がない時がある。
外出した形跡がないのに、明らかにどこかに行ってしまっている。
もし完全に見失ったとすれば、多分あたしは処刑される。そのあたり、
嫌な確信がある。無力なメイドに、責任まで押し付けるつもりだろう。
本当に嫌になる。
だけど実際のところ、そんな懸念はあまりない。以前と比べて、聖女は
別人のように溌溂としているように思う。きっかけの心当たりもある。
そう、闇夜の魔女の友だちを名乗る女性が訪ねてきてからだ。
あの日、何があったのかはもちろん知らない。聞いてもいない。でも、
あの日を境に聖女が変わったという確信はある。あたしだけの確信が。
何があったんだろうか。
出来れば教えて欲しいと思ってる。何なら、少しあやかりたいとも。
どうせあたしは聖女と一蓮托生だ。本人がどう思おうと、これから先も
彼女と向き合い続ける運命である。だったら、もう少し歩み寄れても…
やめとこ。
下手な事を口走ったら、せっかくのご機嫌を損ねるかも知れないんだ。
個人の要望なんて、メイドごときが気安く口にすべきじゃないだろう。
ただ粛々と、務めを果たすだけだ。
コンコン。
「ミナさん、失礼しま」
バタン!!
言い終わる前に唐突に扉が開いた。
待ちかねていたかのように、聖女があたしのすぐ目の前に立っていた。
「遅いっての!」
「え、あ、いや…すみません」
何だ、このハイテンションは。
最近のご機嫌とも、ちょっとノリが違う気が…
「出かけよう」
「は?」
「買い物に行くから付き合って!」
「えと…」
唐突過ぎて何が何やら。
返す言葉がまともに浮かばない。
「……その恰好では、ちょっと」
「じゃああなたの服貸して!」
間抜けな言葉を返したら、迷いなくこんな言葉が返ってきた。
正直、これは想像もしてなかった。まさかあたしと出かけたいとは。
しかも買い物って、どういった風の吹き回しなんだろうか。
現状、彼女が買い物に行く事自体に何ら問題はない。規制も特にない。
単に本人に行く気がなかっただけ。ずっと引きこもりだったから。
もちろん悪い事ではないとは思う。だけど、何を買いに行く気なのか。
とりあえず訊かないと。
「…ちなみに、何をお求めに?」
「食材」
「え?」
食材?
…料理とかお菓子とかじゃなくて?
「な、何かお作りになるんですか」
「そう。あなたも手伝って」
「…ちなみに、どういったものを」
「焼肉のたれ」
「へ?」
何それ?
ダメだ。
サッパリ分からない。
目の前の展開について行けない。
………
いいや、もう。
すぐに服を取りに行こう。
だって、何だか笑顔が嬉しいから。
目の前に立つ、聖女のね。




