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血と臓物の影

空には、満月が輝いていた。


「おぉい…どこさ行った吾平…!」


虫の音が幾重にも重なる林の中を、何とも心細い声を上げながら一人の

農夫が進んでいく。手にした鍬には土がびっしりとこびりついており、

それが武器でない事は明白だった。それでも彼は、周囲を見回しながら

ゆっくりと歩みを進めていく。


「吾平!…おめ、いい加減帰らんとおっかさんが心配すっぞぉ…だから」


ガサッ!


震えを帯びる呼びかけの声は、突如聞こえたその音でピタリと止まる。

ハッと反射的に向き直ると、視線の先の茂みがかすかに揺れていた。


「な…何じゃ吾平か?そんなとこで何しとる。はよう帰らんと…」


ズルッ!


踏み出そうとした足が、ぬかるんだ地面で滑る。慌ててついた右手に、

ぬるりとした感触があった。


「何じゃ…」


かすれた声で呟き、月明かりの下にかざした右の掌。青い光の中でも、

それがべっとりと血にまみれているのがはっきりと見て取れた。


「な、何なんじゃこれはぁ!吾平!お前どこにおるんじゃ!吾」


ガサッ!!


再びあの音が響き、差し込んでいた月明かりに影が落ちる。

向き直ったその眼前に見えた光は、青白く淡い月の光ではなかった。

原始的な本能と凶暴さを併せ持つ、獣の眼光そのものだった。


挿絵(By みてみん)


ガシュッ!!


悲鳴は上がらなかった。

そんな間はなかった。


人の声は絶え、あまりにも生々しい咀嚼音が虫の音に混じっていく。




月明かりの眩しい夜だった。


================================


「若ぁぁ!!どこにおいでです!」


張りのある声が木霊となって返る。しかし、返答の声はなかった。


「この辺りのはずなんじゃが…」

「西の三須村に行かれたのでは?」

「あんな遠くまでか?だとすると、今日中に連れ戻すのは無理じゃぞ」

「どっちにしても、馬が必要になるかも知れませんね」

「濃姫さまは明々後日にはお越しになると言うに…!」


声を張り上げていた侍が、言いつつ頭を抱える。嘆きの思念は背中から

立ち上らんばかりに深かった。


「とにかく平手様、しばしこの場でお待ちください。馬を調達して、

すぐに戻りますゆえ」

「すまんな。…あそこに見えておる農家に厄介になる。早めに頼むぞ」

「承知しました。では!」


そう短く答えた若侍が、踵を返して駆け去っていく。

自分からはすでに失われているその若さに、「平手」と呼ばれた侍は

小さなため息をついた。


馬ぐらい自分で取りに行けんのか、今の自分は。

そこまで老け込む歳になったのか、自分でも気づかぬうちに。

この歳になって大役を仰せつかり、自分なりに力を尽くしてきた。

しかしその結果が今の状況ならば、力が及ばなかったと言うしかない。


何ゆえ、若様はあれほどのうつけになってしまわれたのか。

やはりわしの至らなさが原因か。

やっと美濃の斎藤道三の娘との婚姻を取り付けたというに、相変わらず

鳥のように煙のように掴みどころのない放蕩振り。あれで本当に当主が

務まるのか。誰よりも信じるべき、わしでさえもう分からなくなった。

このままわしは、生き恥をさらして老いていくのだろうか。


それならばいっそ…


「何を言うておる、政秀!!」


侍は、大声で言いながら己の両頬を荒っぽく叩いた。その甲高い音が、

ひと気のないあぜ道に響き渡る。


あきらめるのはまだ早い。まだまだ早過ぎる。

若が非凡な存在である事は、とうの昔に分かっておるではないか。

身命を賭すと誓った以上、どれほど煙たがられようと務めを果たす。

それこそがわしの、最後の務めだ。


まずは今日、若を見つける。

後の事は、それからでいい。


顔を上げた侍-平手政秀は、遠くに見える小さな農夫の家を目指して

歩き出す。



まだまだ日は高かった。


================================


「御免。ちと休ませてもらい…」


来訪の意を伝える言葉が途絶える。


静か過ぎる。

留守だとしても、気配が異様だ。

狭い家の中は荒れ、何とも言えない臭いが漂う。おそらくは臓物臭だ。


何だ、いったい何があったのか。

押し入られたのか、こんな農家が?いったい、何を奪おうというのか。

しかもこの死の気配。どう考えても正気の沙汰とは思えない。


誰が何をしたのか?


政秀は腰の刀を抜き放って家の中に足を踏み入れる。予想通りそこには

誰もいない。あちこちの柱や壁に、何かで引っかいたような跡がある。

何かなど、考えるまでもない。鋭い爪を持つ獣の一撃だ。恐らく家人は

同じように襲われ、連れ去られた。だとすると相手は、熊になるのか?

それにしては、家の損壊が少ない。何者かの仕業だとして、痕跡は…


「…!?」


あった。

妙な足跡が、巻き散らかされた灰の上に残っている。これは…鳥か?

いや、こんな巨大な鳥の足跡など…


ゾクッ!!


いきなり、垣根の向こうから殺気が襲い来た。明らかに人間ではない。

獣のみがまとう、本能的な殺気だ。悪意など混じらない、原初の殺意。


考える前に、駆け出していた。

と同時に、垣根の向こうから足音がかすかに聞こえてくる。明らかに、

人間ではない何かが並走している。間違いなく、わしを殺すために。


家を飛び出し、そのままあぜ道へと一心に駆ける。あそこまで行けば…


「ヴォウッ!!」


奇妙な吼え声が響き、家のすぐ脇の垣根を大きな黒い影が躍り超えた。

思わず足を止めた政秀が、その姿を目の当たりにして目を見開く。


何じゃコイツは。

蜥蜴の類か?

それにしては、あまりに巨大だ。


目の前に着地したその影は、じっとこちらを見据えている。その目に、

嗜虐性を感じさせる光を宿して。


まずい。

蜥蜴の類だとしても、その巨体には明らかに人間以上の力を感じる。

妖の類でないのならば殺せようが、果たしてそれほどの力がこのわしに

残されているのだろうか。わしに、こやつを退けられるだけの技量が…


現実は、迷う者を決して待たない。

そして容赦がなく、残酷でもある。


影は、一気に飛び掛かってきた。

大口を開けて牙をむき出し、巨大な爪を大きく開いて。

刀を構えようとする政秀目がけて。


どうにもならない、原初の絶望。

政秀は、影の向こうに見ていた。



血だまりの中に沈む、己の最期を。


================================


ガキイィィン!!


目の前で、火花が散った。

己の体を引き裂くと思われた爪が、目の前で何かに弾かれていた。


「…これは!?」


目を凝らすと、すぐ目の前の空間に微かな赤い壁のようなものがある。

どうやらこの壁が、襲い来る爪から自分を護ってくれたらしい。


「妖術か…?」

「いえ、魔術です」

「!?」


情けなくも、政秀は身を縮めた。

あまりにも唐突に間合いのただ中に現れた、相手の声にビックリして。


「だ、誰じゃお主は!?」

「ええっと…説明が難しくて」


少女だ。

異様な装束に身をまとう、少女だ。歳の頃は、想像も出来なかった。


「大丈夫ですか?」


ガキィン!!


こちらを気遣う言葉に、さきほどの爪の激突音が重なる。あの怪物が、

懲りもせず攻撃してきた音だった。もちろん壁はびくともしていない。


「なぁんでこんなのがいるかなぁ、戦国時代に…」

「む、娘。これを知っておるのか」

「まあ。ヴェロキラプトルですね」

「ヴェ…何じゃと?」

「とりあえず仕留めます」

「は?」

「レーザービームっ!!」


チュイン!!


雷光を思わせる一閃が走り、目の前で猛る怪物の頭を一瞬で貫通した。

と同時に、その瞳から命が抜ける。糸が切れたように怪物は倒れ伏し、

やがて動かなくなった。


「よっしゃ、出力バッチリ!」

「な、何をしたんじゃ?」

「ええと……説明が難しいですね」


向き直った少女が苦笑する。


何なんじゃ、この状況は。

わしは一体、何を見ておるのだ。

わしは一体…


================================


「何なの、この雑なコラボ世界は」


愚痴らずにはいられなかった。

設定を聞いて、少なからず楽しみにしながらはるばる来たってのに。

何もかも台無しなあの恐竜は何だ。

まさか、あれが智華の言ってた…


ガサッ!!


出し抜けに、背後の茂みから何かが跳び出してきた。

まあ、何かはすぐに判ったけれど。


目を向ければ、案の定の相手。

何と言うか、無性に腹が立った。


挿絵(By みてみん)


いいよもう、そういう映画的登場。

こっちはお呼びじゃねえんだよ。


ドゴォォン!!


ぞんざいに放った裏拳から、相手の頭蓋を砕く感触が伝わってきた。

飛び出した目玉が、あたしを映してそのまま転がっていく。

一瞬で骸になったヴェロキラプトルは、派手に転がっていった。


手応えねえなあ、コイツ。

昔映画で見て怖がってたのが、何かバカみたいに思えてきた。


「死んでろ、雑コラボ野郎」


ヤだねホント。



聖女の仕事じゃないってのよ。

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