走れスクーター
慣れるって、不思議だ。
意識が戻って目を開ける前に、もう肌の感覚ではっきりと確信できた。
寝かされているのが、なじみの深い自室のベッドの上だという事を。
ゆっくりと開いた目に映ったのは、やっぱり見慣れた寝室の天井。
だけど、日の差し込み方にだけ少し違和感があった。
もう夕方なんだ。
そして
帰ってきたんだ。
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ゆっくりと身を起こす。
どこにもケガは残っていなかった。だけど、痛みは残っていた。
自然に治ったんじゃなく、何かしら特殊な力で治癒した結果だろう。
…例えば魔術とか。
そんな事を当然のように考えている自分にも、もはや慣れっこだった。
時刻は、夕方の4時35分。
いつもならまだ仕事をしてる時間。何だか、ちょっと不思議な感じだ。
ベッドの傍らのテーブルに、小さな手書きのメモが残されていた。
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今日はゆっくり休んで。
また明日から!
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どの字もちょっと端がハネている。間違いなく、柳橋さんの字だった。
手に取っていたメモをそっと戻し、窓の外の空を見やる。いい天気だ。
こっちの世界も、晴れてたんだな。
また明日から。
そうだよね。
知りたい事は色々ある。
だけど、今日はゆっくり休もう。
今さら、あたしにできる事はない。ただ粛々と顛末を受け入れるだけ。
だとすれば、しっかり体調を戻して臨まないといけない。どんな結果が
待っているのだとしても、正面から受け止められるように。
とりあえず
水でも飲もうかな。
あと、今さらだけど。
おなか空いたなあ。
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翌朝。
「おはようございます!」
ほんの少しの勇気を胸に、あたしは努めて明るく声を張り上げた。
「はい、おはよう」
「おはようございます」
「おはようっす!」
社長も剛守さんも玉見さんも、実にいつも通りの挨拶を返してくれた。
そして。
「はぁい丑三ツちゃん。おはよ!」
柳橋さんも、いつも通りだった。
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「ご心配をおかけしました」
「あーもうね、ホントにね!」
深々と頭を下げて詫びるあたしに、柳橋さんはからからと笑った。
「ぶっちゃけ労災っぽいけど、まあ貴重な経験だったと思ってね」
「はい」
そこは異存ありません。
確かに、こんな仕事をしているから巻き込まれたんだろうな…と思う。
とは言え、自分にとって意味のある経験だったのも間違いないんだ。
なら、後はもうひとつだけ。
「…あの、柳橋さん」
そこで、ぐっと唇を噛みしめた。
あの最後の瞬間、触れた手の感触。崩れていく砂のような感触。
残酷なほどに憶えている。そして、そこに残酷な確信も残っている。
それでもあたしは、受け止めたい。
あいちゃんの末路を。
「あいちゃ…あの子は」
「そうそう、丑三ツちゃん!」
食い気味の言葉に押され、あたしは黙った。…何だろう、圧が強い。
「そろそろ、あなた専用の社用車を用意しようと思っててさ」
「はえ?」
思わず、変な声を上げてしまった。
ありとあらゆる意味で、違和感しかない提案に言葉を無くした。
社用車?…しかも、あたし専用の?どっちかと言うと内勤系なのに?
しかも、何でこのタイミングで…?
「あの、それは」
「とりあえず見てみてよ!」
「はえッ!?」
見てみてって事は、もうあるの!?
どうしてそんなに急展開なの!?
「ささ、ホラ行きましょう」
疑問を口にする間もない。圧の強い柳橋さんの笑顔に促され、あたしは
何だか分からないまま後に続いた。って、他の人たちもついて来るよ。
何なんですか、この急なイベント。いったい何がどうして…?
覚悟がどっかに行ってしまってた。
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「はぁい、こちらになります!」
「……」
1階のガレージの片隅に置かれた、「それ」を目にした瞬間。
あたしは、さっきまでと違う意味で言葉を無くしていた。
アイボリーカラーのスクーターだ。
「社用車」と呼ぶには、あまりにもピンポイント過ぎるチョイス。
いろんな事が想像できてしまった。
あたしは、スクーターを買いたいと柳橋さんたちには一切言ってない。
初めてそう考えたのが、つい先日の日曜だったんだから。
あたしがその願望を話した相手は、ただの一人しかいなかったはずだ。
それは…
「こういうのを欲しがってるって、ちょっと聞いたもんだからさ」
「……」
やっぱり聞いたんですか。
あいちゃんから。
やっぱり、そういう事だったのか。
あいちゃんは最期に、そんな言葉を遺してくれてたって事なのか。
世界の全てに拒まれ、自分の未来をあきらめたあいちゃんが。
最後の最後に出会ったこのあたしの願いを、柳橋さんに託したのか。
それがこれなのか。
喜ぶべきなのか。
それとも悲しむべきなのか。
今のあたしには、全然分からない。分かるはずもない。
あいちゃんは、救われたのか。
それとも、救われなかったのか。
あたしには…
「ね、ちょっと見ててよ」
黙り込んだあたしにはお構いなく、柳橋さんがちょっとドヤ顔で言う。
ハンドル脇の赤いボタンを押すと、メーターの部分が微かに発光した。
そして。
『目的地ヲ指定シテ下サイ』
いかにもな機械音声が流れ出した。若干レトロな外観とのギャップが、
何だかちょっと気に障る。
「…AI搭載ですか」
「そうそう。凄いでしょ?」
「凄いですね」
答えるあたしの声も機械的だった。
嬉しくない。
今これを用意したよと言われても、カケラも嬉しくない。
…あたしは今日、こんな事のために出社したんじゃないはずなのに。
それは絶対に分かってもらえると、信じていたのに。
どうしてみんな、そんな能天気に…
「ま、とりあえず乗ってみてよ!」
「…分かりました」
もういい。
話題にしたくないと言うなら、もうあたしもしつこくは訊きません。
このスクーターがあたしへの気遣いだと言うなら、黙って受けます。
それがこの会社の方針なら。
スタンドを立てたままで、あたしは機械的にスクーターにまたがった。
まともな感情さえも抱けないまま、やや乱暴にシートに腰を下ろして…
………ん?
「きゃあ冷たあぁいッ!!」
思わず頓狂な裏声を上げてしまい、危うくそのまま転びそうになった。
シートの表面部分が冷たい!お尻が凍り付くかと思った!!
「やーい引っかかったアハハハ!」
『引っかかったー!!』
腰が引けた珍妙な姿勢で飛び離れたあたしに、愉快な笑い声が飛んだ。
あわてて目を向けると、柳橋さんが爆笑してる。社長たちは苦笑いだ。
え、何これドッキリなんですか!?
って言うか、いま、確かに…
『やーい智華ちゃーん!!』
スクーターから聞こえる機械音声のトーンが、さっきとまるで違う。
肉声にしか聞こえないその嬌声に、限りなく聞き覚えがあった。
「…あいちゃん?」
「そう!」
頷く柳橋さん、果てしなくドヤ顔。
「AIじゃなく、あいちゃん搭載のワンオフよ。気に入った?」
「はい」
あたしは、笑うしかなかった。
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「じゃあ、ちょっと行ってきます」
「気をつけて。安全運転でね!」
「はい」
『お任せを!』
すでに用意されていたヘルメットを被り、柳橋さんたちに見送られて
ゆっくりとガレージから走り出す。今日の午前中一杯、慣らし運転だ。
これも仕事の内だと言われたので、遠慮せずにとことん走ります。
二人で。
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残念ながら、彼女の肉体はとっくに限界だった。維持すら無理だった。
次元跳躍にも耐えられなかったよ。
けど、魂だけはサルベージできた。全ての記憶と共に回収したんだよ。
…で、どんな経緯でこんな形に?
もちろん本人の希望でね。
ぶっちゃけ、肉体の錬成というのは禁忌に近い。ホイホイとそう簡単に
やれるような事じゃない。だけど、器を用意するくらいなら問題ない。
で、訊いてみたのよ。そうしたら、ほとんど即答で希望が提示された。
それがこの、スクーターだと。
そう。
あなたと一緒に走りたい、ってね。理由もちゃんと語ってくれたよ。
このくらいならお安いご用ですよ。何たって、頑張ったんだもんね。
あなたもあいちゃんも、どっちも。
柳橋さん。
ん?
ありがとうございました。
どういたしまして!
んじゃ、さっそく乗ってきな!
はい!
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『智華ちゃん』
「ん?」
『空の蒼さは変わらないね』
「そうだね」
本当にそう思う。
どこの世界でも、空は蒼いんだよ。
曇る日もあるけど、いつか晴れる。どこの世界の空も、誰の心も。
『あ、海だ』
「海だね」
『はは、ちゃんと風を感じられる。超テクノロジーだなぁ!』
「いい風だよね」
平日午前から、堂々とツーリング。イイご身分だなぁあたしって。
何か、頑張った甲斐があったよ。
ねえ、あいちゃん。
「これからもよろしくね」
『こちらこそ!』
空の向こうに、未来が広がってる。
どこまでも、限りなく広がる未来。
さあ、どこまで走ろうか。
道は続いてるよ!
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ガラッ!
大きな瓦礫が裏返る。
立ち上がった体から、おびただしい量の粉塵が舞い落ちた。
山頂部が無残に崩れた、山の中腹。
誰もいない寒々とした景色の中で、場違いな金髪が朝日を受けて輝く。
「…あの女ァ……」
かすれた声で、聖女はうめく。
見えるはずもない、遠い誰かの姿を見据えて。
日は、高く昇りつつあった。




