怒りの柳橋さん
「…何だっての?」
さっきまでの苛立ちとは少し違う。
あの女の放つ気配は、あの二人とは根本的に違う。
面白いじゃん。
ああいうのを屈服させてこそ、真の聖女って感じじゃない?
やば、ゾクゾクしてきたかも。
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「現状の説明、できる?」
「はい」
あちこち痛む体を、玉見さんの手で支えてもらってどうにか起こし。
あたしは、思考を仕事に切替えた。ここまできたなら、プロに徹しろ!
背を向けたままの柳橋さんに対し、出来る限り粛々と告げる。
「聖女の召喚に巻き込まれる形で、この世界に来ました」
「なるほど。で、あれが聖女ね」
「そうです。召喚の目的は魔女を…つまり彼女を殺す事です」
その言葉に対し、視線を向けたのはすぐ傍らの玉見さんだけだった。
「それで?彼女は?」
「モエビトです」
「は?」
そこで初めて、柳橋さんはチラッと視線だけこちらに向けた。
「…どういう意味?」
「この世界は、モエルギーによって何もかも変わってしまったんです。
ここは宇都宮です。ここに来る前に都内各所も確認しています。」
「…なるほど、取りこぼしか」
ポツリと呟いた柳橋さんの言葉に、独特の実感がこもったのを感じた。
「取りこぼし」という形容の意味はさすがに分かる。
手が回らなかった世界は、それこそいくらでもあるって事だろう。
その事に気付けないままの世界も、こんな風にたくさんあるんだろう。
だけど…
「よく独りでそこまで調べたわね。さすがは丑三ツちゃん」
「さすがですねえ、本当に」
「いえ…」
称賛に照れるような場面じゃない。危機はまだまだ去ってはいない。
傍らを見れば、あいちゃんの肉体の崩壊もゆっくりと進んでいる。
何とか彼女を…!
「なぁにペチャクチャ喋ってんの?シカトはムカつくんだけどォ!」
「分かった」
聖女の煽りに答えたのか、それともあたしからの報告に納得したのか。
淡々とそう言い放った柳橋さんが、あらためて聖女の方に向き直った。
「とりあえず、あんたは許さない」
「はぁ?」
心底うんざりといった呻きと共に、見覚えのある光が柳橋さん越しに
膨張するのが見えた。…今度こそ、聖女の放つ手加減なしの一撃だ。
だけど
胸に湧き上がったのは、理屈抜きの確信だけ。
それは、予知に近いものだった。
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シュン!!
いきなり閃光が目を射た。目の前の遮蔽物が一瞬で消えたせいだった。
遮蔽物って何だっけ。考えるまでもない。仁王立ちしてた柳橋さんだ。
それが消え…
消えたんじゃない。
同じ視線、いや射線の上にポツンと小さく見えていた。それはつまり、
まっすぐに飛んだという事だろう。文字通り目にも留まらない速度で。
飛んで行った先に待っているのは、言うまでもなく…
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「え?」
ゲームのバグかと思った。
足元に小さく見えていた年増女が、あまりにも唐突に目の前にいた。
動いた瞬間も停まった瞬間も、全く見えなかった。結果だけがあった。
あたしの目の前に。
近くで見たら、意外と美人だった。
そして。
怒ってるって事も、よく分かった。
反応する間がなかった。
祈るような形で組んだその手が高くかざされ、一気に振り下ろされる。
見入られたように目で追っていた、このあたしの頭めがけて。
そんな細い腕で、何を…
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ドッゴオォォォォォォォォォォン!
凄まじい轟音が反響し、地下空間が大きく揺れた。頭上の穴が広がり、
地面に叩きつけられた聖女の周囲が小さなクレーターと化していた。
飛び散った小さな瓦礫を、玉見さんが展開した防壁が防いでくれた。
あまりにも容赦ない、そして単純なステゴロ戦法だった。
「…グ…ッ……!!」
それでも聖女は立ち上がった。
血の染みになっててもおかしくない威力だったのに、まだ立てるのか。
召喚でそんな力を得られるなんて、この世界の摂理はどうなって…
タン!
あたしたちと聖女との間に割り込む位置に、柳橋さんが降り立った。
今さらだけど、この前の時みたいな冒険者スタイルじゃない。いつもの
ビジネススーツ姿だ。…さぞかし、大慌てでここに来たんだろうなぁ。
チラッと時計を見たら、日本時間で朝の8時35分。まだ始業前だ。
そっか、この時間はいつでも会社に出てたっけ。それで…
「素人に召喚されただけのモエビト風情が、このあたしに勝てるとでも
思ったのか?」
え?
場違いな郷愁は、柳橋さんの放ったその言葉で吹っ飛んでしまった。
モエビト?…聖女もモエビトなの?って事は、モエビト同士が殺し合う
異常な状況だったのコレ?
だけど、数秒で腑に落ちた。
この世界の人が行った聖女召喚は、そもそも強大な力を持つ異世界人を
戦力として招く儀式だったはずだ。あたしが巻き込まれた理由は色々と
想像できるけど、今はいい。そしてその条件に合致する存在と言えば、
異世界のモエビトにほかならない。それが目の前の彼女だったんだ。
「…モエビトって、何?」
「不条理な力を得た人間の事」
消え入りそうなあいちゃんの問いに対し、あたしも小声で答えた。
それ以上の事は言えない。だけど、きちんと伝えたいとも思っている。
とにかく、今の状況が…
「てめェらあァ…!!」
傷だらけになりながら、なお聖女はあたしたちに敵意の目を向ける。
あれでも心折れないのはある意味、凄い。異能だけじゃないタフさだ。
だけど。
目の前に立つ背が、何よりも雄弁にあたしたちに語りかけていた。
もう終わりなんだと。
「出直して来い、ガキが」
それが、最後の宣告だった。
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ドォン!
今回の炸裂音は、一撃目よりもやや小さかった。何より、一瞬だった。
無造作に振り抜かれた左の蹴りが、聖女の体をまともに捉えていた。
既に大きく開いていた頭上の孔から蹴り出されたらしく、聖女の姿は
一瞬で目の前から消えていた。
きっかり2秒後。
孔の向こうに遠くそびえていた岩山の頂が、パッと砕けるのが見えた。
…位置的に見て、あそこまで聖女を蹴り飛ばしたらしい。まぁあそこで
止まったとは限らないけど。
「…ふぅ」
大きなため息をついた柳橋さんは、すぐには振り返らなかった。
たっぷり数秒の間を置き、ようやく向き直る。そこに浮かんでいたのは
いつも通りの笑顔だった。
ああ。
見せたくなかったんだろうな。
怒りに歪んだ顔を。
上司に気を遣わせちゃってるなぁ、今のあたし。
「う…ッ!」
柳橋さんの笑顔を目にしたとたん、凄まじい脱力感が押し寄せてきた。
スマホの電池が切れたかのように、急速に全ての感覚が遠くなる。
まだだ。
まだ終わってないんだ。
どうにかあいちゃんに視線を向け、震える手を伸ばした。あいちゃんも
それに応えるように左手を伸ばす。
柳橋さん。
この子を、何とか助けて下さい。
モエビトとして、手遅れの状態ではあるけれど。
このまま何の救いもなく終わるって結末は、あんまりだと思うから。
だから…!
やっと触れた彼女の手は
砂がこぼれるかのように崩れた。
それまで何とか保たれていた形が、手首から崩れていくのが見えた。
待って。
お願いだから待って。
まだ、話したい事があるのに。
やっと落ち着いて話せるのに。
「あいちゃん…!」
視界が暗くなる。
全ての音が遠くなる。
最後の最後に見えたのは
あいちゃんの笑顔だった。
泣いているかのような笑顔だった。
あたしの意識は
そこまでだった。




