あきらめる前に
「…あれが召喚された聖女か」
意外なほど落ち着いたその言葉に、あたしはハッと振り返った。
いつの間にかその場に立ち上がり、あいちゃんは聖女を見据えている。
ただ立ち上がっただけなのに、その体表から細かい粒子が微かに散る。
専門知識などなくても確信できる。彼女の体は、もう終焉が近いと。
「あァら、やる気になったァ!?」
距離を感じさせない大音声が響く。規格外の身体能力に覚醒したのが、
否が応にも感じ取れた。召喚された彼女の力は、想像を超えている。
そして彼女自身、己の力をしっかり認識しているらしかった。
まずい。
召喚されたその日に決戦って展開はかなりテンプレから外れてるけど、
同じその日のうちにあたしもここに至ったんだ。あの子もきっと状況は
把握している。もちろんここにいるあいちゃんが何かまでは知らない。
あくまでも「闇夜の魔女」として、ガチで倒す気でいる。
状況は、限りなくまずい。
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「…で、何ィ?あなたもその魔女と一緒に死にたいっての?」
「……」
あたしに向けられた問いに対して、何と答えればいいか分からない。
ただただ姿勢を低くして息を殺す。相手からの攻撃に備えるために。
「あなたの事情なんかは知らない。だけど、この状況で敵対するなら。
容赦なく吹っ飛ばすからねェ!!」
「………………」
やっぱり何も言い返せなかった。
邪気は感じない。感じるのはただ、圧倒的な敵意と殺意だけだった。
当たり前だ。
今のこの状況に、明確な「悪意」と呼べるものは存在しないんだから。
今のお仕事に就いたが故に、それがはっきりと認識できてしまうんだ。
あいちゃんは、モエビトになった。そして彼女の存在が世界を歪めた。
さほど時間をかけずに、この世界は根こそぎ変わり果ててしまった。
原因はあいちゃんだ。それはもう、間違いないと確信している。
だけど、彼女に責任なんかはない。モエビトになってしまった事実は、
ただの不運であり悲劇でしかない。望まぬ最強の力を得て、歪む世界に
拒絶された。その後の人生はまさに地獄だっただろう。
変わり果てた世界の人間は、彼女を殺そうとした。例外なく返り討ちと
なり、全員が命を落とした。そんな結果だけを見るなら、彼女は確かに
忌むべき「魔女」だったのだろう。その判断だって、責められない。
恐るべき魔女を倒すために、聖女が召喚された。当然の発想だろうね。
多くの人間を殺害したという事実がある以上、それも責められない。
目の間でラスボスのような振舞いを見せるあの子だって、邪悪な存在と
決めつける事は出来ない。だって、頼まれた事をやってるだけだもの。
正直にこの地まで来たというなら、むしろお人好しと言ってもいい。
危険を承知で魔女と戦うのを、自ら承諾したって事なんだろうからさ。
どこを見ても、悪い人がいない。
だからこそ今、あたしはどこまでも進退窮まっていた。
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「とりあえず、先に確認しとく!」
相変わらず響く声は、明らかにこのあたしに向けられていた。
「そこをどくならそれでいい。けど本気で敵対するなら、闇夜の魔女の
仲間と見なして殺す。そのつもりで選択しなよ!」
「………………ッ!」
唇を噛みしめる事しか出来ない。
そんな自分が情けなかった。
さっきと同じ事を言ってる。これはあたしに対する、彼女の温情だ。
と同時に、脅威と見なしていないという認識の裏返しでもあるだろう。
聖女と魔女。あまりに分かりやすい対立構造の中では、あたしは単なる
空気の読めない異分子でしかない。
だからって、言われた通り大人しくどくってわけには行かない。
だって、あたしがここにいるのは…
「いいよ、智華ちゃん」
「えっ」
「あの子の狙いはあたしだけ。ならあなたはもう行って。帰れるあてが
あるって言ってたじゃない。もう、ここに留まる理由なんてないよ」
「あるよ」
即答した。
ないとは言って欲しくなかった。
あたしは、涙を堪えていた。
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こうして見れば、本当に同年代だ。
どれほどの歳月を過ごしてきたかは知らないけど、普通の女の子だよ。
魔女と呼ばれる存在になったのは、本当に不幸な結果論でしかない。
無実なわけじゃないだろう。それは本人も語った。嘘じゃないと思う。
怖ろしい存在として今、この場所で討たれる結末もアリなんだろう。
本人ももう、それを受け入れてる。目を見れば判るよあたしにだって。
あいちゃんはもう、あきらめてる。
自分自身を。
変わり果ててしまったこの世界を。
そして、未来を。
それは分かる。
ほんの少しだけど、あきらめに至る彼女の苦悩も悲しみも想像できる。
あきらめるななんて安い精神論は、間違っても口にしたくない。
だって
「さっさと決めてよッ!!」
ドッゴオォォォォォォォォォォン!
明らかに苛立ったひと言が放たれ、同時に凄まじい衝撃が襲い来た。
とっさに展開した防壁は、ほとんど存在しないに等しい一瞬で破られ、
あたしたち二人は吹き飛ばされた。同時に壁に激突し、崩れ落ちる。
レベルが違い過ぎる。
SSランクの魔術師では、まともに太刀打ちできるわけがない。
大体の世界で最強クラスだけれど、ああいう規格外には絶対勝てない。
「ごほっ!」
こみ上げた血を吐き出した。
こんな経験、本当に初めてだった。
隣を見れば、あいちゃんの体からはますます黒い粒子がこぼれている。
直接の被弾ではないにも関わらず、その体は崩壊の速度を速めている。
全身が痛い。
ほとんど感じた事もなかった激しい痛みが、四肢を震わせている。
「…もういいってば、智華ちゃん」
あいちゃんの声は、か細かった。
生きるのをあきらめた人の声って、ここまで弱くなってしまうのか。
痛みより、その哀しさが涙になる。それでもあたしは、懸命に堪えた。
絶対にここで泣きたくはなかった。
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あきらめるななんて、言わない。
そんな言葉を気安く使う人間には、絶対になりたくない。
だってさ。
あたしだって、頑張ったんだよ。
完全にブラックだった前の職場で、限界まで頑張ってたんだよ。
それが愚かだったかどうかは今さら考えない。だけど頑張ってたのは
今も変わらない事実だ。その末に、退職を選択して今に至ってるんだ。
重さは全然違うんだろうけど。
比べるのさえ失礼なんだろうけど。
だから今、あいちゃんがあきらめたのも理解できてるんだよ。
あきらめは、努力の末に生まれる。
力を尽くしたからこそ、その感情は確かなものとして心に芽生える。
何もせずにあきらめるなんてのは、単なる安い放棄だ。一緒にするな。
あたしは、彼女の話を信じている。
モエビトとして、どれほど強い力を得ていたとしても。
ひとりの人間にできる事には、必ず限界がある。歪んでいく世界の中で
彼女は、どうにもならない無力感に苛まれながら、足掻いたんだろう。
その果てに、あきらめに至った。
責める気も否定する気もない。
人間として、当たり前の事だから。
そうして彼女は、ここを終焉の地と定めて静かに待っていたんだ。
ようやく訪れる、自分の最期を。
どこまでも、彼女は人間だった。
本当の意味での魔女になる選択を、最後までしなかったんだ。
だから今、あたしに逃げろと言う。あたしには、まだ未来があるから。
あきらめと共に捨ててしまった己の未来を、あたしに見出したから。
「まだ、あたしはあきらめない」
呟いたひと言は、あいちゃんよりも自分に向けたものだった。
あたしはまだ、最後まで頑張ったと胸を張って言えはしない。まだ、
そこまで足掻いてはいない。
だから。
まだ、あきらめる気はない。
丑三ツ智華は、あきらめが悪いよ。




