歪みゆく世界に
「座ってもいいですか?」
「………………」
返答はなかった。
だけど、あたしは構わずすぐ傍らに腰を下ろした。予想通り、冷たい。
でも我慢ができないほどじゃない。さっきの石扉の方が冷たかった。
冷却の源が彼女の存在だとすれば、こっちの方が冷たいはずなのに。
心境を反映してるんじゃないかと、勝手に前向きに判断させてもらう。
そんなあたしに対する攻撃は、もうなかった。氷は飛んでこなかった。
さっきのアレだって、威力で見れば本当にささやかだった。もし本気で
攻撃されてたら、さすがに無傷では済まなかったはずだ。今のあたしは
しょせんSSランク。モエビトなら瞬殺できる程度の存在だろうから。
話がしたい。
話せば分かる事は、きっとある。
それは単なる職業意識じゃない。
たとえ手違いだったのだとしても。
今ここに自分がいる意味を、半端に投げ出したくはなかったから。
「…おせっかいね」
「自覚はあります」
そんな言葉を交わし、あたしたちはちょっとだけ笑った。
笑い合えた。
床の冷たさは、もう感じなかった。
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聞かせて下さい、あなたのお話を。
今は聞く事と、信じる事くらいしか出来ませんけど。
それでも。
ホントにおせっかいなのね。
自分も無茶な状況でしょうに。
いいんです。慣れてますから。
正直言って、今のあたしにそれほど語れるような事はありません。
少なくとも、多分あなたほどは。
ええっと…
あい、よ。
あたしの名前は、友永あい。
あたしだったものの名前、と言った方が正しいのかも知れないけど。
あいさん、ですね。
今もその名前は変わってませんよ。
闇夜の魔女なんて、中二病全開って感じじゃないですか。
お互い、そんなのはもう卒業してる歳ですよね。
そうかもね。
あたしがいくつなのかなんて、もうあたし自身にも分からない。
何もかもあきらめた、あの日から。
あたしの時間は、止まったまま。
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智華さん、だっけ?
はい。
あ、もう敬語はいらないよ。
実年齢なんて意味なくなってるし。
そう?
じゃあ、そうするね。
あなた、異世界から来たのよね。
うん。
安っぽい巻き添えだったけどね。
落ち着いてるなあ。
あたしは、そんな風に達観する事は出来なかった。あの日もね。
…あの日って、世界が変わった日?
そう。
やっと就職が決まって、これからの生活が楽しみだった頃の事だった。
前ぶれもなく、世界のあちこちから異世界の口が押し寄せてきたのよ。
ダンジョンが出現したとか言って、世界中がヒステリーを起こしてた。
誰でも自由に入れるという制度が、本当にあっという間に制定された。
何を言ってるんだと思ってたのは、知る限りではあたしだけだった。
家族も友達もそうでない人たちも、みんな目の色を変えて熱狂してた。
世界中で、どれだけの人たちがあの魔窟の中に足を踏み入れたのかな。
何かよく分からない物を持ち帰り、それが世界中に流通していった。
ダンジョン資源とか何とか言って、よく調べもせずに使いまくって。
世界はどんどん汚染されていった。
じゃあ、ご家族は?
みんな日光に出現したダンジョンに行った。あたしも誘われたけど、
行かなかった。そんなあたしの事をみんな、異端を見る目で睨んでた。
誰も帰って来なかったの?
いいえ。ちゃんと帰っては来たよ。みんなダンジョンで異能を得てね。
今のあなたみたいな力を、父も母も当たり前のように使いこなしてた。
だけどみんな、中身は別物だった。家族の皮を被った見知らぬ人間。
常識も何もかも変わってしまって、変わっていないあたしを敵視した。
変わっていない事が罪だと言って、本気であたしを殺そうとしてきた。
じゃあ、返り討ちにしたんだね。
………………
よくその答えに辿り着けるね。
ちょっとびっくりしたよ。
まあ、職業柄ね。
どんな職業よ、それ。
でもまあ、あなたの想像した通り。家族がダンジョンで得た異能なんて
あたしからすれば限りなく無意味。まとめて退けて、あたしは去った。
もうその頃には、自分に宿った力をそれなりに自在に扱えていたから。
どうしてそんな力に目覚めたのか、理由は今もって全く分からない。
世界の歪みにも呑み込まれなかったあたしは、最強の力を持っていた。
持っていたからこそ、あたしだけが歪む世界を見届ける事になった。
あれから、家族には会わなかった。二度と顔を見る事さえもなかった。
何とかして世界を元に戻せないか、それこそあらゆる事を試してみた。
ダンジョンにも潜ったし、そこから湧き出す魔物も片っ端から倒した。
だけど、あたしは無力だった。
どれほど力を振るっても、容赦なく世界は変わっていった。それこそ、
毎日のように光景は変わり、人々の語る世界の常識も変わっていく。
狂っていく世界に置いていかれて、あたしは無力感に打ちのめされた。
スカイツリーが消えた日、あたしは全てをあきらめた。これが世界の、
そしてあたしの運命だと悟った。
変わり果てた世界の人々にとって、あたしは恐るべき魔女だったのよ。
世界の崩壊を止めるため戦っていた痕跡が、あたしを怪物に変えた。
何百人もの人間が、殺しに来たよ。聖なる戦だ!って気勢を上げてね。
…それも返り討ちにしたって事ね。
そう。
手加減する理由が見出せなかった。もう、あたしにとって世界の全てが
違うものになっていた。だからもう葛藤さえなかった。挑んでくる奴は
全て抹殺したよ。手応えの無さが、逆に何だか悲しかったなあ。誰か、
あたしを殺してくれないかなって。そんな事ばっかり考えてたよ。
あたしは、歳を取らなかった。
もうどのくらい経ったのかしらね。あきらめた日から、あたしの時間は
本当に止まってしまった。家族も、もうとっくに寿命を迎えてるよ。
何もかも、あたしを置いてきぼりにする。嫌われたもんだよ本当に。
だけど、最近になって。
ようやく終わりが見えてきたよ。
…終わり、って?
ホラ、これ。
体から、こんな風に粒子が少しずつ散っていくようになった。
自分の事だから分かる。あたしは、こうやって少しずつ崩れて終わる。
以前ほど強い力も、もう使えない。やっと底が見えた瓶入りジャムよ。
故郷の宇都宮で、あたしは終わりを待っていた。誰にも知られずにね。
そこへ来た人がいた。
おせっかいな女の子がね。
まったく、騒がしいなぁって話よ。
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なあに?
もしかして、泣いてるの?
おせっかいの上に泣き虫なの?
ごめんね。
泣くつもりはなかったんだけど。
あ。
何だかあったかくなってきた。
これ床暖房?
何を言ってんだかね。
まあ、最後に人に話せてよかった。
日本語で話ができる人にね。
………………
智華ちゃん。
うん?
帰れるあてはあるの?
一応は。
それはよかったね。
ま、帰れる事を祈るよ。
あいちゃん。
あなたは…
ああ。
今さら思い出したよ。
世界が変わる前、やりたかった事。
…何だったの?
免許を取ってさ。
小さなスクーターを買ってさ。
海沿いの道を、走ってみたかった。お天気のいい日に、朝からずっと。
そのための資金も溜めてたよ。
頑張って、アルバイトをしてね。
心残りは、それだけかなあ。
………………
ごめん、もしかして引いた?
闇夜の魔女の夢なんて…
違うよ。
ほんの半日前に、あたしもあなたと全く同じ事を考えてたから。
スクーターを買って走りたいって。次の休みに買いに行こうかって。
マジで?
そんな事ってあるんだね。
ひょっとして、あなたがここに来た理由もそれだったのかもね。
魔女の願いを、感じ取ったとかさ。
そうかもね。
きっとそうだと思う。
だったら。
あたしの分も、そのスクーターで
いつか
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ドッゴオォォォォォォォォォォン!!
頭上の空間が、丸ごと吹っ飛んだ。凄まじい勢いで瓦礫が降り注ぐ。
とっさに展開した障壁が、みるみる粉塵にまみれて白く濁っていった。
衝撃が、やっと収まった次の瞬間。
「あぁら、誰かと思ったらあたしのお釣りちゃんじゃなあァい!!」
ぽっかりと空まで開いた大穴から、耳障りな声が響いてきた。
聞いた事はない。だけど本能的に、それが誰の声なのかは察した。
月明かりを背に浮かぶシルエット。それは、禍々しくも神々しかった。
あたしとあいちゃんを見下ろすその瞳に、金色の光が宿っている。
「…聖女…!!」
あたしは、うめくように言った。
あの子だ。
聖女召喚でこの世界にやって来た、金髪の似合うあの可愛い女の子。
あの子が召喚された理由はひとつ。
もう来たのか。
もう時間切れになったのか。
「覚悟しな、闇夜の魔女」
それは、絶望の宣告だった。




