俺の兄貴とマドレーヌと
今さらながら、感覚がマヒしてると痛感しますね。
確かに次元跳躍の道は退屈ですね。慣れてしまってた自分が怖いです。
それじゃあ、ゆっくり話をしながら帰りましょうか。
安全運転でよろしく。
はいはい、了解。
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丑三ツさん。
はい?
さっきまで俺が話してた事、本当に信じてますか?
信じてますよ。
だけど、信じるに足る根拠が無い…という事ももちろん分かってます。
かつがれてる可能性もあるってね。
だけど、だから疑ってかかるというロジックは好きじゃないんですよ。
嘘なら嘘でもいい。だったらもう、最後までそれを貫いてねって感じ。
…少なくとも、玉見さんがそういう無意味な嘘を言うとは思いません。
どうでしょうか?
ハハハハハ!
かなわねぇなあ。年下だと思って、ちょっと甘く見てましたよホント。
いや申し訳ない。
ええ、確かに無意味ですよね。まあ経費もかかるのにそんな事したら、
柳橋さんに死ぬほど怒られますよ。てめェ何してくれてんだ!ってね。
あの人、そういうとこシビアだし。
それじゃあ。
嘘じゃないのなら、必要経費として認めてくれるって事なんですよね。
あたしを、ジューイ君のところまで連れて行った行為を。
そうです。
そもそもそんな嘘ついても、すぐに柳橋さん経由でバレますからね。
あいつは、俺の兄貴です。
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お兄さんモエビトだったんですか。
ええ。
22歳の時に判明したんです。俺はその時、20歳でした。ちなみに、
俺はフリーターで兄貴はニートって身分でした。もうずいぶん前です。
ニートだったんですか、お兄さん。
まあ、ありがちな話ですよね。
勉強もできなかったし、特技とかもこれといって無し。人付き合いも、
どっちかというと苦手で。客観的に見て、かなりのダメ人間でしたよ。
俺には優しかったんですけどね。
…ご家族は、どうだったんですか?
遠慮ない質問ですね。いい感じだ。
父も母も、兄貴には何も期待してはいなかった。お荷物扱いでしたよ。
まあ、俺も似たようなもんでした。生意気だったし不真面目だったし、
結果的にフリーターに己の身の丈を合わせてダラダラ生きてましたし。
もっとしっかりしろという小言も、いつしか言われなくなってました。
でも、フリーターはずっと続けてたという事なんですよね。
ええ。まあ意地みたいなもんでね。
俺は兄貴とは違うんだって感じで、雀の涙みたいな金を家に入れてね。
それでマウントを取ったような気になって、兄貴を見下してました。
親からすれば、落ちこぼれだという括りで同じ扱いだったと思います。
今さらな話ですけどね。
…すみません、シケた身の上話で。
とんでもないですよ。
誰かの身の上話を聞く機会なんて、本当にありませんからね。
あたしにとっては、十分過ぎるほど拝聴する価値のあるお話です。
拝聴って…いやはや大袈裟だなぁ。
ま、光栄に思っておきますよ。
あ、そうそう。
はい?
ダッシュボード開けてみて下さい。
マドレーヌ入ってますから。
えっ!?…あ、ホントだ!!
早く言って下さいよ!!
すみません、忘れてました。
そこの冷蔵庫に、ペットボトル入り紅茶も入ってます。
よかったらどうぞ。
ありがとうございまーす!!
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ま、そんな風にグダグダ生きていたある日です。
柳橋さんが来たのは。
え?
来たって、訪ねてきたんですか?
直接、モエビトの家に?
そうです。もう分かると思うけど、かなりのイレギュラー案件ですよ。
その時は俺と兄貴しかいなかった。まあ、それを狙っての来訪でした。
どうしてまた、そんな事を?
判らなかったから、らしいですね。
俺と兄貴、どっちがモエビトかが。
え?
そんな事あるんですか?
レアケースです。双子でもないのにはっきり判らない…というのはね。
だから本人に会って話して、それで判別するしかなかったんだとか。
すごい事しますね、柳橋さんも。
つまり聞いたんですか、モエビトの運命とかについて具体的に。
ええそうです。
話を聞いた上で、更に触診を受けてようやく判明したんですよ。兄貴が
モエビトだって事がね。まあ正直、全然ピンと来てませんでしたけど。
で、異世界に転生してください…となったわけです。無茶苦茶でしょ?
無茶苦茶ですね。
お兄さん、承諾されたんですか?
さすがに悩んでましたが、最終的に転生する運命を受け入れました。
このまま生きていても仕方ないし、世界を崩壊させるのは嫌だからって
泣き笑いで言ってましたね。俺は、何にも声をかけられませんでした。
…それで、ジューイ君に?
そうです。
本来なら記憶は消されるパターンになるんですが、特例扱いです。
15歳で異能に目覚めると同時に、元の記憶を取り戻せる仕様で転生を
する事になりました。柳橋さんの、ささやかな詫び石って感じです。
へぇ…
あ、丑三ツさん。
はい?
俺にもひとつ置いといて下さいね。
ああっ!
は、はいもちろん!
言わなきゃ全部食べてましたよね?
と、とんでもない!
ハハ、まあいいですよ。
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だけど、じゃあどうして玉見さんは今の仕事に?
セオリーで考えるなら、お兄さんが転生すると同時に記憶を消去して、
後はミガワリと一緒に本来の生活に戻る…って流れですよね。
そうです。
だけどその時に、兄貴がミガワリは要らないって言い出したんですよ。
行方不明扱いにして、ここの生活を自然なままで残して欲しいってね。
柳橋さんは驚いてたけど、聞いてた俺はすぐ納得できてしまいました。
どうしてですか?
さっきも言ったでしょ?父も母も、兄貴を完全にお荷物扱いしてたと。
多少出来が悪くたって、俺がいればそれでいいみたいなノリでしたよ。
ぼんやりしてるようでいて、兄貴はその事実を誰よりも理解していた。
ある日自分が突然いなくなっても、両親は捜しもしないだろうってね。
そんな…
お兄さんは、確信してたんですか。
兄貴だけじゃないんですよ。
それを聞いた俺にも確信があった。
確信できてしまったんですよ。
あの時ほど、情けないと思った事はありませんでした。
何もかもがね。
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異世界に転生して、もう一度幸せな人生を模索する。いい事ですよ。
人によっては羨ましがるでしょう。不本意な日常を送ってれば尚更ね。
そういう意味では丑三ツさんにも、モエビトの可能性は十分あった。
でしょうね、確かに。
思い返せば、ホント思い当たる事が多過ぎて多過ぎて。
兄貴は、自分の運命を受け入れた。生まれた世界を去る覚悟を決めた。
自己犠牲と言うほど、ツラい事とは思いません。むしろラッキーだと、
そう羨む気持ちだってありました。
………………
でもね。
はい。
ミガワリなんてなくていいと言った時の兄貴の迷いのなさが、どうにも
耐え切れなかった。両親にとっての自分を正確に見極めている兄貴が、
あまりにも寂し過ぎたんですよ。
俺には優しい兄貴だったんですよ。小さい頃から、本当にずうっとね。
ニートだ何だと馬鹿にしてる俺は、兄貴の事をまともに見てなかった。
行方不明でかまわないという見解に納得ができてしまった自分自身を、
どうしても許せなかったんです。
兄貴が世界から消えた後で。
俺はどんな顔して生きていくのか。その日の記憶を消去されたとして、
兄貴がいなくなった事を、当たり前の出来事と割り切ってしまうのか。
そうやって生きていくのかと。
まっぴらだと思ったんですよ。
少なくとも俺だけは、兄貴の存在を割り切らない。忘れたりもしない。
転生後もずっと見届けるのが俺の、たった一人の弟の責任だと思った。
両親よりは仲のよかったこの俺が、兄貴を見守りたいと思ったんです。
土下座して頼み込みました。
もちろん、兄貴には秘密でしたよ。言ったら絶対反対しただろうから。
結局、柳橋さんは折れてくれた。
ちょうど運転手が欲しかったからと言って、中途採用してくれました。
俺は元いた世界を離れて、今の世界に移住しました。転生じゃなくて、
ただ移り住んだだけです。もちろん元の世界に、ミガワリを残す選択は
しませんでした。両親からすれば、落ちこぼれ息子の同時失踪です。
かれこれ、もう5年になりますよ。
月日の流れは速いもんです。
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それじゃあ…
ご両親とは、それっきりですか。
ええ。
就職してしばらくした頃、一度だけこのトラックに乗って様子を見に
行った事がありました。両親のね。まあ何と言うか、予想通りでした。
捜索願は出していたみたいですが、部屋はきれいさっぱり片付いてた。
泥棒みたく留守を狙って帰宅して、どっちの部屋も確認しましたよ。
ここまで呆気なく割り切るのかと、寂しく思うと同時に感服しました。
あの時の兄貴の慧眼にね。そして、俺自身もきっちり割り切りました。
もうここは、帰る場所じゃないと。
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丑三ツさん。
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だから、ひとつ残しといてくれと…
え?
ああっ、しまったぁ!!
どう答えていいか分からなくて!!
ゴメンなさい玉見さん!!帰ったら速攻で買いに行きますから…!!
いやいいですって、そんなの。
むしろ…
え?
何を笑ってるんですか?
いやいや。
話そうかどうか迷ってたのが、何か今さら馬鹿馬鹿しくなっちゃって。
シケた話なのに、こんな笑えるとは思ってませんでしたよ。
いやあの…ホントすみません。
大事なお話だったのにマドレーヌで台無しに…
とんでもない。
話せてよかったですよ、ホントに。
何か、心のつかえが取れました。
…だったら何よりですけど。
でもやっぱり買いますから!
はいはい。
じゃあ3種セットのやつでね。
あ、あれ美味しいですよね!
あたしは紅茶味が好きです。
お、気が合いますね。じゃ帰ったら直行しましょう。会社のお土産も、
まとめて買っちゃいましょう。
了解です!
よおし、そうと決まれば…
いや、安全運転でよろしく。
ですよね、うん。
安全運転で帰りましょう。
俺たちの世界にね。
さあて。
明日からも頑張りますか。
はい!
よろしくお願いします!
こちらこそ。
ありがとう、丑三ツさん。




