第29話:タヂカラオの腕
第2章:出雲東征準備編
第29話:タヂカラオの腕
大和は、もはや地上の「治安維持」という段階を完全に切り捨てていた。
マカツの白土要塞を巻き込んだあの凄絶な大爆発から、わずか数日。地上の景色は、圧倒的な物量という名の冷徹な絵具によって塗り替えられようとしていた。
東の海――日向灘の海平線を埋め尽くす大和の本国軍船から、もはや一隊の分遣隊ではない。万を超える黒漆の掛甲兵たちが、上陸舟艇の群れをなして、日向の沿岸部へと絶え間なく揚陸を繰り返していた。彼らは一切の感情を排した無機質な統制のもと、機械的な精密さで避難する人間の列を包囲し、一軒残らず大和の大型弩の黒油火矢によって、灰の荒野へと消滅させてゆく。
「……南の集落が、また一つ完全に消えたか」
マカツの燃え盛る廃墟から数里離れた、峻険な岩山の砦。
イワレビコは、残された右の手のひらで、折れかけた大矛『天の沼矛』を強く握りしめ、眼下に広がる黒煙に包まれた大地を見つめていた。
彼の左肩――あのタケミカヅチの突進を至近距離で停止させた凄絶な反動により、機械式義手は発条ごと跡形もなく破裂し、鎖骨に打ち込まれていた鋼鉄の楔もろとも、肩の肉ごと吹き飛んでいた。再び剥き出しになった生々しい欠損断面からは、大和の焦土の油と血が混ざり合った、鼻を突く腐敗の熱気が不気味に立ち上っている。
ニニギも、スイゼイも、あの大爆風の黒煙の向こうに掻き消え、生死すら分からぬ孤立状態のままだった。
「イワレビコ長……! 逃げてください! 北の関門が、一撃で……わずか一撃で木っ端みじんに粉砕されました!」
マカツの敗残兵の一人が、血まみれになって砦の岩肌を必死に駆け登ってきた。
「何だと? あそこには磐井の精鋭が、大盾を並べて防衛線を築いていたはずだ!」
「違います……! 兵刃でも、大和の大型弩でもない。ただ……巨大な、ただの黒鉄の『腕』が、岩山ごと関門を握りつぶして粉砕したのです……!」
――どおおおおおんっ!!
伝令の悲鳴を裏付けるように、砦の背後に聳える巨山が、凄まじい音を立てて内側から地滑りを起こし、崩壊した。
巻き上がる白土の砂塵の中から現れたのは、黄金の鎧さえ纏わぬ、剥き出しの丸太と鉄骨を幾重にも組み合わせた、大和の最新鋭の超大型掘削・破砕重機だった。
外殻を白土の漆喰で固め、大和が独占する積層クジラ髭と炭素ばね鋼を縒り合わせた巨大なねじり発条。そこに十数のドラム滑車を介し、数万人の腕力に匹敵する物理的な圧搾エネルギーを一箇所のアームへと集中させた、身の丈十丈を超える巨大な木石混交の起重装置。その最前面には、大和の規格的な黒漆の鉄面を掲げた一隊の技術司たちが乗り込んでいた。
これこそが、大和王権が地上の堅牢な防壁や岩山を物理的に解体するために送り込んできた、天空の掘削・破砕装置――『タヂカラオ』だった。
起重機の足場の上に、一人の大男が傲然と立ち上がった。鍍金の青銅装飾が施された厚い肩甲を据え、一切の感情を排した無機質な目元を黒漆の鉄面で覆った技術将校。
「不浄なる……小利口な虫ども。我が名は、タヂカラオ。大和の天下の理に従わぬ地の岩戸を、肉ごと引き裂き、押し潰す者なり」
彼の合図とともに、起重機の巨大な鉄骨のアームが、物理的な圧倒的質量をもって、イワレビコたちの砦に向けてゆっくりと振り上げられた。それは武術でも戦術でもない。ただの、空間ごと構造物を押し潰す圧倒的な質量の暴力そのものだった。
「……ニニギも、スイゼイもいない。だが……」
イワレビコは、右手の折れた大矛を低く構えた。
左肩の傷口が裂け、鮮血が流れる。だが、彼の右目に宿る、大和を噛み殺すための暗い狼の光は、以前よりもずっと鋭く、冷徹に研ぎ澄まされていた。
「……ここで、踏み留まる。大和の『腕』が、どれほど強固な鉄骨であろうと、人間の執念で穿てぬ道理など……この世に存在しない」




