第28話:天空要塞、崩落
第2章:出雲東征準備編
第28話:天空要塞、崩落
マカツの地は、この世の終わりのおぞましい縮図だった。
ニニギ率いる一万の地上の人間大連合軍が、天空要塞から際限なく撃ち出される大型弩の火矢と、大和の密集歩兵の黒漆の盾の壁を相手に泥を啜り合い、互いの血の海を泳いでいた。
スイゼイが、喉から血を吐きながら真鍮の鈴を振り、大和の光学・音響コードを狂わせる。ニニギの黒石補強の大盾が磐井の重装歩兵を先導し、大和の強固な陣形を内側から食い破る。
だが、その激しい混沌の中心だけは、不気味なほどに冷たい静寂が支配していた。
「……面白い。……面白いぞ、泥の長よ」
城壁の頂から、神軍将軍タケミカヅチが、不敵な笑みを浮かべて見下ろしていた。
彼が掲げた大槍の穂先が、大気中の電位を誘導して地を走る静電気の火花を散らし、周囲の焦土をちりちりと威圧する。
「一万の怨恨、海民の知恵、精度を増した人間の機械の腕。全てをもって大和のシステムを試そうというのだな。いいだろう。……これは調停ではない。我らが誇る、大和の圧倒的な軍事の質量をもって、貴様を粉砕してくれよう」
タケミカヅチが合図を送り、城塞の奥に控えていた「それ」に自ら乗り込んだ。
――ズ、ドォォォォンッ!
突如として、マカツの要塞の主門から、凄まじい大音響が轟いた。
現れたのは、かつてマカツを蹂躙した、あの巨大な木石混交の装甲攻城兵器だった。
肉厚の巨木に鉄板をびっしりと鋲打ちした強固な装甲で覆われ、最前面に三つの不気味な青銅仮面を掲げた、六輪の巨大な怪物。その最前部にタケミカヅチが乗り込み、衝角を突き出し、地を走るような凄絶な速度でイワレビコへと突っ込んでくる。
攻城車の内部に組み込まれた、原油と金属粉を混交した大和製の火砲が一斉に炸裂し、三つの仮面の口から地表を揺らす凄絶な咆哮のような衝撃波を吐き散らしていた。
「……来い、大和の化け物」
イワレビコは、黒鉄の機械式義手の左腕をぎち、ぎちと耳障りに鳴らし、右手の天の沼矛を低く構えた。黄金色に歪んだ左目が、砂塵を上げて突っ込んでくる巨大な装甲車の、車軸の弱点を正確に射抜く。
あまりに神速。
数トンの鋼鉄質量が、周囲の地表の岩を砂塵化させながら肉薄する。
イワレビコは、黒鉄の義手の左腕でアメノヌボコをガチリと固定し、地面に向けて真っ直ぐに突き立てた。
――超質量の楔。
海の民特有の風読みと空間認知によって、突進してくる六輪車の「第二車軸」の隙間へと、大矛の鉄の穂先をピンポイントで滑り込ませたのだ。アメノヌボコ本来の高比重の質量と、地面の岩盤、確実に固定したイワレビコの全身の骨格が、一体の巨大な物理的停止装置となった。
次の瞬間、突進する装甲攻城車の凄絶な突撃エネルギーが、一瞬にして完全停止させられ、車体が悲鳴を上げて横転を始める。だが、その巨大な質量を停止させた凄まじい物理的反動は、イワレビコの左肩へとダイレクトに逆流した。
バキ、バキ、バギィィィンッ!!
彼の左肩に接合されていた機械式義手は、その数トンの衝突圧力に耐えきれず、内部の炭素ばね鋼が真っ赤に焼き切れて破裂し、鎖骨に打ち込まれていた鋼鉄の楔ごと、根元から物理的に大爆発を起こして完全に吹き飛んだ。
同時に、大和の攻城車の車体中央、越国から献上された燃える水――『草生水』の精錬油を溜めていた主機タンクが、大矛が鉄車軸を物理的に削り取った凄絶な摩擦熱の火花によって引火し、物理的な大爆発を起こしたのだ。
――ドォォォォンッ!!
マカツの全域を完全に包み込む、黒油の凄まじい大爆発。
大和の白土要塞も、地上の人間も、すべてがその爆風と黒煙、飛び散る鉄滓の豪雨によって、地表の果てまで吹き飛ばされた。
やがて、おぞましい静寂。
黒煙が、マカツの焦土を不気味に満たしていく。一万の人間大連合軍も、武神フツヌシも、ニニギも、スイゼイの姿も、煙の向こうに掻き消え、互いの生死を確認することすら叶わない。ただ、真っ黒な灰が雪のように降り注ぐ中、二人の男だけが、血と泥の中に座り込んでいた。
イワレビコ。
彼の左肩に繋がれた黒鉄の義手は、衝突の衝撃で根元から完全に破裂・消滅し、再び凄絶な肉の断面をさらしていた。右手の大矛も半ばからバキバキに折れ、誇り高き超硬度の穂先は失われている。全身の肉を爆風で酷く焼かれ、両目から血の涙を流しながら、彼は辛うじて右目に宿る暗い執念の光を留めていた。
影のように蠢く装甲攻城車の残骸から這い出たタケミカヅチが、泥の上に膝をついていた。
彼の大槍は地面に虚しく転がり、高潔だった黒い革甲冑は無惨に裂け、その分厚い胸元には、アメノヌボコの金属片が突き刺さり、生々しい血が滴り落ちていた。
タケミカヅチは自らの傷口を見つめ、やがてゆっくりと顔を上げた。灰色の瞳に、初めて、人間に対する驚愕と、そして確かな「承認」の色が浮かんでいた。
「……面白い人間だ」
タケミカヅチの声は、掠れた遠い雷鳴のようだった。
「我らの武を、理を、その泥にまみれた不条理な執念で、ここまで穿つとはな。……イワレビコよ。誉めてやろう。貴様は、大和が明確に認める『敵』となった」
「……」
「だが、勘違いするな。我らは、大和のシステムの一部に過ぎぬ。貴様が穿ったのは、大和の最外周の壁に過ぎんのだ。……大和は、お前を必ず殺す」
タケミカヅチの巨体が、致命傷によってゆっくりと泥の中に崩れ落ち、そのまま冷たくなっていった。最強の武神の物理的な死。
後に残されたのは、左腕を再び失い、泥の中に沈んだ一人の満身創痍の長。そして、神に勝利し、しかし、真なる大和本国の怒りを買った、この世界の巨大な呪いだけだった。
「……ああ。……上等だ」
イワレビコは、折れた大矛を杖代わりに、強引にその身を立ち上がらせた。
要塞は今や半壊し、タケミカヅチは死んだ。だが、これで追撃が止まったわけではない。大和盆地の最高意思決定機関が、この地上の重大なエラーを排除するために、さらに圧倒的な本国軍を瀬戸内へと送り出してくるのは、時間の問題だった。
復讐は終わった。だがそれは、地上の人間と大和の、真なる戦争の幕開けに過ぎなかった。
長でもなく、怪物でもなく、ただの神殺しの人間が、一人。泥と黒い灰が降り注ぐ荒野で、大和の蠢く東の海を見据え、再び一歩を歩み出した。




