第11話:西の軍師、スイゼイ
巻の二:神殺し戦記(上)
第1章:マカツ滅亡編
第11話:西の軍師、スイゼイ
フツヌシが去った後のマカツは、死よりも重い沈黙に支配されていた。大和の本国の圧倒的な剣理を見せつけられた民たちは、もはや平伏する気力さえ失い、ただ壊れた人形のように残骸の中に座り込んでいる。
「……あいつは、また来る」
イワレビコは、血に汚れた右手を焚き火にかざしながら呟いた。
右肩の刺突痕は大和の剣に塗られた粗悪な油と不純物によるものか、深刻な鉄毒を帯びて治癒を拒むように黒く変色している。フツノミタマによる過酷な肉体負荷と、体内に回る鉄毒。イワレビコの肉体は内と外から、大和という理への反逆の過酷な代償に蝕まれていた。
「次は、俺の盾も持たねえぞ。……イワレビコ、何か手はねえのか」
ニニギが、無惨に切り裂かれた大盾を研ぎながら訊ねた。
答えはなかった。武力で届かぬのなら、智で穿つしかない。だが、大和という巨大な天下の理の構造を、この地の人間は誰も知らなかった。
「――大和の兵の肉を裂く方法は知っていても、大和という国家の壊し方は知らぬようだな」
闇の中から、不意に声が響いた。ニニギが即座に大盾を構え、イワレビコが黄金色の左目で影を射抜く。
そこに立っていたのは、一人の男だった。戦士のような荒々しさはない。煤けた灰色の外套を纏い、顔の半分を深いフードで隠している。だが、その隙間から覗く瞳は、感情を削ぎ落とした氷のように冷たく、暗かった。
「何者だ」
「名は、スイゼイ。……かつて、大和の心臓部で奴らの国家設計に関わっていた男だ。ちなみに俺の祖先は、西の大陸から渡ってきた」
男――スイゼイは、地上の長を値踏みするような足取りで焚き火の傍まで歩み寄ってきた。老臣オオクメが、その名を聞いて顔色を変える。
「スイゼイ……まさか、西の果ての諸部族を糾合して大和に反旗を翻し、その情報網を根こそぎ破壊したという、あの裏切り者の技術司か!?」
「技術司、か。古臭い呼び名だな。俺はただ、大和の支配機構の化けの皮を剥ごうとして、返り討ちにあった生き損ないに過ぎん」
スイゼイは、イワレビコの黒く強張った左腕を、無造作に掴んだ。冷たい。その指先からは、大和の冷徹な官僚機構の中にいた者特有の、血の通わぬ虚無が伝わってくる。
「……フツノミタマ。よくもそんな超重量の鉄を引き抜いたものだ。過酷な肉体損壊を見るに、お前の命、持ってあと数節といったところか」
「貴様に、何がわかる」
「わかるさ。大和を殺すには、大和の法を知らねばならん。お前がやっているのは、巨大な城壁に向かって闇雲に剣を振っているのと同じだ。……教えてやろうか。大和の本隊の拠点網がどこにあり、奴らが何を恐れているかを」
スイゼイの言葉に、場が凍りついた。大和の拠点を叩く。それは待つだけの防衛戦から、こちらから敵の物流網へ踏み込む侵略への転換を意味していた。
「なぜ、俺たちに手を貸す」
イワレビコが、スイゼイの胸倉を荒々しく掴み上げた。
「俺一人の憎しみでは、大和の王座には届かなかった。……だが、その超重量の鋼を振るうお前という『暴力の火種』があれば、大和の物流網を焼き尽くす大火になるかもしれない」
スイゼイは首を絞められながらも、薄気味悪い笑みを浮かべた。その瞳の奥にあるのは、正義でも救済でもない。大和という絶対的な統治機構を、自分と同じ泥の中に引きずり下ろしたいという、底なしの怨恨だった。
「信じられるか、こんな奴!」
ニニギが唾を吐き捨てる。
「信じる必要はない。だが、今のままではフツヌシ率いる本隊が次に来た時、お前たちは全員、一糸乱れぬ包囲網で綺麗な灰の荒野に変えられるだけだ」
スイゼイは外套の中から、一枚の奇妙な地図を取り出した。
それは列島の人間が使う粗悪な木の皮ではない。西の大陸の精緻な技術で織られた、極めて滑らかな絹布に、朱と墨で列島西岸の山河が狂いなく描き込まれた、圧倒的な解像度を誇る軍事地勢図だった。大陸の晋の製図法に基づき、大和の統治を碁盤目状に切り分けた冷徹な縮図。
「日向の北、断崖に囲まれた豊の海の境界――すなわち豊国の海峡。そこにある大和の要衝に、大和が周辺部族から強奪した水銀朱や鉄鉱石を集積し、本国へ送るための巨大な物流拠点――『鉄塞』がある。各地の富をせき止めるその拠点を壊せば、前線へ向かう大和の本隊は一時的に補給網を失い、その強固な掛甲の維持すら不可能になる。……お前のその黒い鋼なら、その堅牢な門を叩き割れるはずだ」
イワレビコは、スイゼイを放した。この男は、猛毒だ。関われば、自分たちもまた、国家を呪う底なしの闇に染まるだろう。だが――。
「……案内しろ、スイゼイ」
「殿! 罠かもしれませんぞ!」
オオクメの制止を、イワレビコは片手で制した。
「罠なら、その時あいつの首を飛ばすだけだ。……座して殺されるより、毒を喰らってでも大和の機構を穿つ」
スイゼイは、深くフードを被り直した。
「賢明な判断だ、イワレビコ。……歓迎しよう。国家解体の最前線へ」




