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倭王年代記  作者: 水前寺鯉太郎
神殺し戦記(上)

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第5話:布都御魂の誕生

巻の二:神殺し戦記(上)

第5話:布都御魂の誕生

 不帰の森。そこは光さえも木々の呪縛に囚われ、地表に届くことを許されぬ拒絶の地だった。イワレビコたちは、その底冷えする深淵を這うように進んでいた。

 追ってくる軍用山犬の遠吠えはいつしか止んでいたが、代わりに森そのものが自分たちをじわじわと監視しているかのような、重苦しい気配が一行を包み込んでいる。

「殿、その破片……やはり、今すぐ捨てたほうがよろしいのでは」

 背後からオオクメが、歯の根も合わぬ怯えた声を絞り出した。

 イワレビコの手の中には、数日前、泥の中から掘り起こした黒い欠片――炭素量を極限まで調整された、あの山岳の『鋼』があった。あまりの硬度ゆえに切っ先が指に食い込み、手のひらの肉をじりじりと削り続けている。だが、イワレビコはそれを決して離さなかった。これが、大和の支配を撃破しうる唯一の物質的根拠だからだ。

 森の最深部。そこには、大和の威光から完全に隔絶された、古代の岩石切り出し場の一角が存在していた。

 赤黒い鉄錆の混じった泥水が地面を這い、その中央に、一本の煤けたような漆黒の大刀が突き立っていた。

 それは、大和の黒漆の短甲を容易く打ち砕くために作られた、列島の流通品を遥かに超越する巨大な「高炭素鋼の肉厚平峰剣」だった。一般的な刀剣の三倍を超える重量。刀身の中央に極厚の峰を走らせ、切るためではなく、鉄甲ごと敵を『圧殺』するためだけに鍛え上げられた、無骨な鉄の質量そのもの。

「待て。何かがいる」

 漆黒の大刀を守るように立ちはだかったのは、大和の侵略を拒み、この森で大盾を構えて生き延びていた山岳氏族の若き長――ニニギだった。

 彼らは産鉄のみならず、山岳の斜面で独自の焼き畑による陸稲を育てる、大和の水田インフラとは異なる独自の農耕技術を保持した誇り高き山の民だった。

 そしてニニギの背後、石柱の影から、煤と泥に汚れ、飢えた獣のような目でイワレビコを凝視する者たちが現れた。

 彼らこそ、大和の貢納支配から零れ落ち、山岳の奥深くで鉄を叩き続けてきた渡来系鍛冶集団――後世に『八咫烏』、あるいは神剣を管理する物部の祖と語り継がれる、まつろわぬ山民たちであった。

「大和の重装歩兵を殺したいか」

 鍛冶集団の長の一人が、掠れた声を漏らした。

「あの鉄の壁を叩き割るには、大和以上の『鋼の重さ』が必要だ。だが知れ。その黒き鉄を振るう者は、もはや平穏な人間の肉体ではいられぬ。骨は軋み、肉は裂け、死ぬまで戦い続ける呪いを背負うことになる」

「……上等だ」

 イワレビコは、その無骨な黒鉄の柄を固く握りしめた。

 その瞬間、凄まじい重量負荷が全身の筋肉と関節を襲った。

「が、ああ、ああああッ!!」

 まともな乗馬技術も、重武装に耐えうる骨格も完成していないこの時代に、超重量の鋼鉄大刀を強引に引き抜く暴力。

 イワレビコの左腕の筋肉繊維が、負荷によって激しく断裂し、内出血を起こした皮膚が不自然な漆黒へと変色していく。まるで硬質な鱗のように壊死していく肉。神を殺す技術の代償。それは、使用者自身が自らの肉体を「非人間的な兵器」へと作り変えていく、自傷的な狂気そのものだった。

「殿……! その手を離してください!」

 オオクメが駆け寄ろうとするが、イワレビコは血の涙を流しながら、ゆっくりと、しかし確実にその大剣を石座から引き抜いた。

 圧倒的な殺意の質量。

「終わったぞ。オオクメ」

 イワレビコが振り返った。

 その左腕は内出血で黒く強張り、かつての長の慈悲を完全に失った復讐者の目が、冷酷に光っていた。彼が一歩踏み出すたびに、負荷で折れた骨が擦れ合う鈍い音が響く。

「これで、奴らの首に届く」

 ニニギは、イワレビコのその凄絶な変貌を、息を呑んで見つめていた。救世主ではない。自分たちが手に入れたのは、大和の機構を破壊するためだけの、肉体を犠牲にした猛毒の牙だった。

「……イワレビコ。お前、本当にその鉄で行くんだな」

「これしかないんだ、ニニギ」

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