第4話:黒鉄の欠片
第4話:黒鉄の欠片
夜が明け、灰色の太陽が昇った。
マカツの集落を包んでいたのは、すべてが焼き尽くされた後の、死の沈黙を容赦なく暴き出す残酷な明かりだった。居館の前には、わずか数十人の生き残りが蹲っている。大和の衛士による徹底的な焦土戦術によって、一夜にしてその命の灯を消し去られたのだ。
「殿、もはやここに留まるのは危険です。大和の哨戒兵が戻ってきます」
老臣オオクメが、血の混じった痰を吐きながら言った。
イワレビコは、ナガハの形見である折れた矛を杖代わりに、よろめきながら立ち上がった。全身を焼くような激痛。だが、それ以上に彼を苛んでいたのは、己の無力さが招いたこの凄惨な光景そのものだった。
「どこへ行くというのだ。マカツの土地は死んだ。……俺が殺したんだ」
「滅相もございません! 大和の鉄の暴力に抗える人間など、この世に――」
「黙れ!」
イワレビコの怒号が、死の静寂を切り裂いた。彼は折れた鉄屑を腰に差し、遠く広がる灰の平原の先、澱んだ山林を指差した。
「東だ。東の『不帰の森』へ向かう。大和の重装歩兵どもが、あの頑強な短甲の陣形を組めぬ難所は、あそこしかない」
「不帰の森……! あそこは、大和のまつりごとに従わぬ山岳の『まつろわぬ民』の縄張り。足を踏み入れた人間は二度と戻らぬと言われる禁忌の地ですぞ!」
「大和に組織的に圧殺されるのと、山民に殺されるの、どちらがマシか選べ、オオクメ」
イワレビコは冷たく言い放ち、歩き出した。引きちぎった長の衣を、灰の中に捨て去って。
そこからの逃避行は、地獄そのものだった。
糧食はなく、一行は泥水を啜り、木の根を噛んで飢えを凌いだ。一人、また一人と、傷ついた者たちが列から脱落していく。
三日目の夜、山林の入り口付近で、ついに大和が放った追っ手が現れた。
だが、重い鉄甲を纏った歩兵本隊ではない。闇の向こうから、鋭く甲高い角笛の音が響く。
大和の「犬養部」が侵入者狩りのために辺境へ配備した、白毛の獰猛な軍用山犬の群れだった。一糸乱れぬ連携で獲物を追い詰める、生きた兵器。
「ひいぃっ……!」
悲鳴が上がるのと同時に、白い影が逃げ惑う民の一人に飛びかかり、その喉笛を一瞬で食いちぎった。
イワレビコは震える手で、腰の折れた剣を抜く。
「させるか……ッ!」
彼は山犬に斬りかかったが、負った傷が開き、肉体が思うように追いつかない。山犬の鋭い爪が、イワレビコの脇腹を深く抉った。
吹き飛ばされ、泥の中に転がる。牙を剥いて迫る獣を前に、彼の指先が、泥の中に埋まっていた重い金属の感触に触れた。
それは、大和の強制徴用から逃れ、この山岳に隠れ棲んだ渡来系の「野鍛冶集団」が遺棄したと思われる、塊状の鉄滓、その奥に眠る鉄の欠片だった。
ひどく錆びてはいるが、手にした瞬間に伝わる重量と密度は、己の折れた剣とは明らかに異なっていた。
イワレビコはその金属の塊を無意識に掴み、迫りくる山犬の喉元へ、死に物狂いで突き出した。
ズブリ。
確かな肉感があった。マカツの拙い武器では傷一つつけられなかったはずの軍用犬の分厚い皮膚と筋肉を、その黒い欠片は容易く貫いた。
「……あ?」
山犬が短い悲鳴を上げ、その場に崩れ落ちる。
泥が剥げた隙間から、月光を反射して、幾重にも折り畳まれた木目の肌が妖しく浮かび上がる。
それは――大和の規格化された粗悪な鍛造鉄とは一線を画す、独自の製錬法で叩き上げられた高硬度の鋼の破片だった。
残りの犬たちが、その黒鉄から放たれる異様な殺気と血臭にたじろぎ、唸り声を上げながら闇の奥へと後退していく。
イワレビコは、手のひらを切り裂く鋼の破片を握りしめたまま、獣のような目で闇を睨みつけた。
「来い……大和の猟犬ども。食えるものなら、食ってみろ……!」
その瞳に宿ったのは、到底正気のものとは思えぬ光だった。長としての尊厳も、慈悲も、すべてを灰の中に捨て去った、ただ一人の復讐者の輝き。
「大和を殺す……。この黒い鉄さえあれば、あの黒漆の鎧をすべて叩き割れる」
不帰の森の奥から吹き抜ける夜風が、彼をさらなる戦の深淵へと誘うように、激しく木々を揺らしていた。




