第3話:灰の荒野の誓い
巻の二:神殺し戦記(上)
第3話:灰の荒野の誓い
耳鳴りが、止まない。
視界は赤黒い黒煙に白く濁り、上下の感覚さえ曖昧だった。イワレビコは泥の中に顔を埋めたまま、必死に酸素を求めて喘いだ。呼吸をするたびに、肺の奥で鋭いガラス片が暴れ回るような激痛が走る。
大和の衛士が放った一撃の衝撃――それは圧倒的な製鉄技術の差がもたらす、絶対的な断絶だった。
「……様……イワレビコ様!」
歪んだ視界の端に、泥まみれになりながらこちらへ這い寄ってくる近衛のナガハが見えた。弟のように可愛がってきた若者だ。ナガハは折れた矛を杖代わりに強引に立ち上がり、イワレビコの前に立ちはだかった。
「我が主には……指一本、触れさせん……!」
鉄面の男は相変わらず感情を排したまま、無造作に顎で部下たちに指示を下した。ナガハは必死に木盾を構え、折れた矛を振るったが、大和の強固な鍛造直刀の前に、一撃で刃を大きく弾き飛ばされる。
間髪入れず、組織的に連携した二人の兵の肉厚な盾がナガハの肉体を挟み込むように圧殺し、その隙間から、隊長の漆黒の直刀が容赦なくその胸を深く刺し貫いた。
骨が砕ける乾いた音が響く。ナガハは血に濡れた唇を微かに動かし、「お逃げください」と音にならない言葉を残して崩れ落ちた。二十二年の短い生涯が、大和の冷徹な軍事行動のなかで、あっけなく幕を閉じた。
「ナガ……ハ……」
イワレビコの指先が、無力に泥を掻く。自分が長として浅はかに剣を抜いた結果が、これだ。親友の遺族も、忠義の臣も救えず、集落をさらなる業火に投げ込んだ。
大和の使者が冷酷に手を挙げると、後衛の部隊から一斉に火矢と、黒油を満たした陶土の油甕が放たれた。越後の燃ゆる水を精製した、大和の独占する焼夷兵器。夕暮れの空に放たれた火線は、まるで天から降り注ぐ赤い雨となり、マカツの邑へと降り注ぐ。
叫び声を上げる暇もなかった。労働力として価値のない老人や幼子は、大和の非情な焦土戦術によって、すべてが平等に灰の荒野へと還元されていった。
どれほどの時間が経っただろうか。
激しい熱気が引き、代わりに死の冷気が辺りを支配し始めた頃。夜の静寂の中で、イワレビコは辛うじて上体を起こした。目の前に広がっていたのは、月の表面のような無機質な灰の荒野と、点在する黒い影――かつて人間であったものの成れの果て――だけだった。
老臣オオクメが、生き残ったわずかな兵を引き連れて駆け寄り、惨状に言葉を失ってへたり込んだ。
「ああ……なんということだ……大和の武力に触れるとは、これほどまでに……」
イワレビコの傍らには、大和の甲冑に跳ね返され、無残に曲がった長家伝来の鉄屑が転がっていた。彼はその鉄屑を強く掴み取った。鋭い破片が手のひらに食い込み、新たな血が流れる。
「……オオクメ。これが、世界の道理か。大和は天にあり、人は地に幾重にも這う。逆らえば消される。それがこの世界の形か」
「左様にございます……ですから、私はあれほど申し上げたのです。辺境の武器では、大和の鉄には及ばぬと……」
「そうか」
イワレビコは、折れた剣を地面に突き立てた。灰と化した集落を、ナガハの亡骸を、一度だけゆっくりと見渡す。
「及ばぬのなら、超えるまでだ。道理が人間を殺すなら、俺がその道理を殺す。大和が天にあるなら、引きずり落として土に埋める。……そのためなら、俺は人であることを捨てる」
夜風が吹き抜け、灰が舞う。かつて一族の長であった男の背中を、冷徹な月光が鋭く切り裂いていた。




