第4話 奇跡の証明-2
夜、皆が食事を摂ってから、自分も食事を摂って、後片付けまで手伝って僕もぬるま湯の残り湯で身体を洗って部屋に戻ろうとして台所で水を飲むきずなを見かけて声をかけた。
「まだ、起きていたのですか?」
「えぇ、さすがにちょっと長湯がたたって喉が渇いたので」
「そうだ、簾様、良かったら私の部屋に寄ってくださる?」
「はっ、今からですか?」
「ええ、お見せしたいものがあるのです」
よしんば、夫に望まれているとは言え、まだ、約束前に妙齢の女性の部屋に伴うのは駄目だと思った。
「姉も呼んで宜しいでしょうか?」
「いけません。簾様、おひとりで来てくださいまし」
「でしたら、たくみ様にお声をかけていただけますか? 貴方おひとりのお部屋にはまだ行きかねます」
「たくみには言ってない事なので、困ります。 どうしても、駄目でしょうか?」
「ご事情がおありなのでしたら、少しだけなら」
正直、かなりまずい事だが、きずなが話があると言う以上、聞きたいのが本音だった。
きずなの部屋に行くと、きずなは手荷物から驚く物を出して来た。
「これ、お味見……していただけますか?」
それは、僕が里で栽培している柑橘だが、間違いなく里で実を付ける柑橘とは異なる有様だった。
岩の様に硬い皮脂の柑橘がみずみずしく橙色に輝いており、手に載せると柔らかい感触だった。
皮脂に指を立てるとぷりんっと皮が裂け、剥いて身を出すとすっと房がほぐれて口に含むと鮮烈な風味がして歯を立て噛みしだくと甘酸っぱくみずみずしい果汁が口中に広がった。
「うまい……」
「でしょう? この地で育てず、私が家で育てたものです。呪いがないのと、私の土地の恩恵で、ここまで出来ました」
「え? どういう事?」
「簾様からいただいた、柑橘の種で植えたんです。 3年位前にやっと実を付ける様になったんです。 あ、安心して下さい。 育てたのは1株だけ、それも、私の土地は普通の人や獣は出入りできないから、外には漏れないし、簾様の柑橘をよそに広めたり致しませんから」
「どうして、僕にこれを?」
「え、だって、証拠が無ければ、どうやって信じられましょうか? これ、説得力あります?」
証拠の腕試しに僕を誘ったのか。
僕はそう察した。
「君は本当に神様みたいな人だよ。この柑橘を食べれば、みんな納得するよ。 ありがとう」
「では、ここからが本題です。 明日、里の人達をみな、納得させることが出来れば、簾様は私の夫になってくださいますか?」
本題、そこだったか。
僕の本心も聞きたかったなら、もう心は決まっている。
「あぁ、皆が賛成してくれるなら、喜んで、君の夫になるよ。 でも、君は一つ思い違いをしているから、僕も、あらかじめ言っておきたい事があるんだ。 聞いて欲しい」
「何でしょうか?」
首を傾げるきずなに僕は言った。
「僕は君を愛している。 君は僕が君を好きでは無いから望ましいと理由の一つに挙げたけど。それは君の見込み間違いだから、それだけは、言っておく」
いっそ、多々良を今も愛して忘れられないきずなが憎くさえあって。
せめて、一矢報いれるならいっそこう言ってしまいたい。
実際、抱きたい衝動はあった。
湯上りに部屋に招き入れられたら、期待だってする。
自分のものに出来たら、とも思いもしている。
今でも、妻子を一番愛している。
それでも、今、目の前で、他の男を思って心を閉ざす、彼女が欲しくてその為なら、それでも自分のものにしてしまって、誰にも渡したくない。
ただ、彼女の傍に心も身体も自分が一番傍に居たいが為に、だ。
「……そうでしたか。失礼致しました。 そうですね。 愛して貰わねば子は出来ませんから、それは、好都合でございますね。 気負いが減りました」
困ったように曖昧に微笑って、きずなはわずかに身を引くから、思わず傍に寄って肩を抱いた。
「簾様?」
「なぜ、後ろにたじろぐのです?」
「……分かりません。 あ、あの……」
困った様子で狼狽えるきずなに、僕はそっと額に手を当てて撫でた。
「こわがることはありません。僕は一度は妻を得た身です。 あなたがどんなに美しくも、魅力的な方であっても、見境なく、手を出したりは致しません。 ただ、やはり妙齢の女性が、夜分に男を寝所に招き入れてはなりません」
僕は、きずなの顔をまっすぐ見て話し、言い終えるのを合図に部屋を後にした。
※
翌朝、昼過ぎから煮炊きを初め、里のもの全員に振舞う獣汁の用意に精を出した。
肉を捌き、野菜と煮込んで、味噌で味付けをした。
「本当に何も起こらんかった。前に、猪を狩った時は、狩をした家の屋根が落ちて、家族が熱を出して、地崩れで里の前の橋が落ちたのに」
「鹿を狩った時なんて、翌日、そこの主が足を折ったじゃないか」
「野兎とった日は、廊下の床が抜けて……」
みんな獣汁に舌鼓を打ちながら、狩猟に因んで降りかかった災厄の話に花を咲かせていた。
食事の後、里長が全員の前で、きずなが神隠しにあった全員を助け出し、柑橘の栽培を成功させ、山の怒りを鎮める事が出来る事を洗いざらい説明して、最後を乞う括った。
柑橘を栽培し、狩猟を行い、神隠しで戻った子供達を神の遣いとしてあがめれば、この里は未来永劫安泰である、と。
里長は、ここでやっと、我が家に戻って来た長男つかさをみんなに紹介して、人々の度肝を抜いた。
「後、残り7人も必ず連れ帰ると約束をしていただいている。皆には、明日から山を鎮める為に、神木様が行う行事を手伝って貰う」
無論、全てにおいて納得するに値する根拠を示しているきずなの申し出に反対の意を示するものは誰も居なかった。
勿論、きずなはみなに食後の口直しにと全員に、自分が栽培した柑橘を神の力を得られたら出来るものだと、自分が育てた事は伏せて試食させていたので、柑橘の栽培の成功の証拠として、絶大な説得力の猛威を振るった。
翌日、氷室と多々良が里に急ぎやって来て、何用かと外に出ると、氷室が先頭だって前に進み出て、一番に出て来たきずなをしかりつけた。
「お前、夢渡りをして、狩猟をしたと聞いた」
「……たくみが鳩を飛ばしたのですか? もう、黙っててって言ったのに」
「阿呆、何の為の見張りか!! 戯けがっ」
あっ、むっちゃしかられとる。
まぁ、向こうの人達に取ってすれば、きずなが独断でばんばん決めていたら、驚きもするし腹も立つだろう。
「叔父様、私は神木の跡取りです。 私が決めた事には、ご意見無用願います」
「断る!! 俺は、お前の親代わりだ!! お前の両親に、お前の親になると誓って二人とも俺が看取った!! お前のする事を許さんと言ったら、許さんからな」
「叔父様は私の父でも、母でもない。 神木でない者が神木にお逆らいになられるなら、ご覚悟ください。 我が使命の為、私は、ここで神木を作ります」
「阿呆が、こんな余所者の居る場所が為に、無償で神木を授けるなぞ、噴飯ものだ。 気でも狂ったか?」
「いいえ、正気でございます。 私はここの白山神社のご次男を婿に選びました。 つきましては、ここで、私、神木 絆一世一代の大作を成して、結納の品とさせていただきます」
きずなの申し出に、後ろからゆっくりとやって来た多々良が目を丸くして立ち止まっていた。
※
「お前さん、絆に婿入りを申し込まれたのか?」
「事の成り行きで……」
きずなは氷室と共に、人目を阻んで親子喧嘩を続行しており、護衛が周りを取り囲んで今は、何の話をしている事か。
その場に取り残された僕と多々良だったが、遠く博多から来た多々良に申し訳ないので、自分の部屋に招き入れて、茶と刺身こんにゃくを出した。
「このこんにゃくうめぇな、えぐみがねえ。生でもうめえ」
味付けは、からし味噌と醤油を添えて、洗いざらした今朝茹で立てのこんにゃくを水にさらして薄切りにしたものを出した。
「お腹空いてたら、握り飯もあるけど?」
「あぁ、朝馬で出たから、くいっぱぐれちまって」
「早く言ってよ」
僕は慌てて台所に戻り、昨夜の獣汁の残りを温め、握り飯と一緒に振舞った。
台所に居た家族に、氷室達が朝食も食べず博多から早馬で来た事を伝え、食事の手配も怠らなかった。
「獣汁なんて去年の秋に叔父貴から猪貰って以来だな」
「猪と鹿と野うさぎのごたまぜ汁だよ」
「はっ、だから、癖の違う肉だと思えば」
「鹿と野兎の一頭ずつは、きずな様が仕留めたんだそうだ」
「ぶっ、あいつ、やりたい放題じゃねぇか。たくみが匙を投げるだけあるぜ」
たくみの報告で駆け付けたと言っていたがどう言う訳か尋ねると、たくみが帰巣本能のある鳩に手紙を括り付けて現状報告したのが事の顛末だと多々良は語った。
「お前さん、きずなと対価をくみかわす覚悟があるのか? きずなの婿になって六封じに来る覚悟が」
「六封じ?」
六封じとは、何だ?
そう尋ねると、多々良は僕に、多々良のいる町も、氷室が屋敷を構える馬廻役の屋敷も大きな湖もその隣の立派な神社も、すべて神木のものだと説明した。
そこを、神木の領地、六封じと言う場所であると言う事も。
溢れる霊力を6方位から松の木を神木で植樹し閉じ込め、封じた場所なのだと言う。
何故、そこに霊力が溢れるのか?と尋ねると、多々良は言った。
湖を鏡に龍を閉じ込め、中の島に橋を渡して轡にして閉じた龍の霊力が漏れ出すのだと。
「お前、手鏡の話はきずなとしたか?」
「いいや、そんな暇なくて、もう、多々良と氷室様が帰られてから早速、里を見て回ってその日の夜に僕の兄を連れ帰って」
「きずなは何も話さねえのか?」
「あぁ、何も」
多々良は、溜息を付いた。
「お前、夢渡りしたんだってな。今、やってみろ」
「え、無理だよ。 彼女が不思議な小袋を持たせてくれて、それを持つといつの間にか夢に飛んだんだ。自力で出来ない」
僕の言い分に、多々良は白けた笑いで言った。
「俺の手を掴め」
「は?」
「良いから」
多々良に言われるがまま、片手で多々良の手を掴むと、全身に違和感を覚えた後、体が軽くなった。
「えっ?」
「この感覚を掴め。お前は素養があんだ。きずなの名を呼ぶ力があんだ。自力で出来らっ」
僕は何度か、多々良に指南を受け、自力で夢渡りを習得した。
※
その後、氷室は、初夏の初漁と山開きの祭事と田植えの祭事がある為、10日程、博多に帰るようきずなを説得し、里も少ないが田植えをせねばならぬので、一度帰郷する事を納得させた。
夜、夕食の後、多々良に言われて里の外れの小川で夢渡りして物陰に潜んでいると、手筈通り、多々良はきずなを伴って小川にやって来た。
「兄やんも、私にお説教?」
きずなは今日は一日、ご機嫌ななめだったが、多々良の前でも、不貞腐れているようだった。
「うんにゃ、俺はお前の決めた事に、何も文句は言わねえし、言えねえよ」
「じゃぁ、どうして、私を呼びつけるのさ」
きずなは、今まで見せたいつの時よりも、幼い少女の様に甘えた口調だった。
自分と居る時は、努めて大人びて話していたのだと、思えてそれを可愛らしく思った。
「お前、手鏡の事、なんでちゃんと言わねえんだ。怒んねえんだ。 お前のおっかさんの形見を売っぱらちまったんだぞ」
「仕方ないでしょ……。命と引き換えに必要になって売ったって言われたら、言えないって」
きずなは仕方ないと言いながらも、あからさまに落ち込んでいた。
小川の傍の大岩に腰を下ろして膝を抱いて蹲った。
「今更、泣いてたら世話ねえじゃないか」
「……だって、改めて、全部失くしたってさ。 そう実感するのよ。 兄やんと遠出してさ、路銀を落として飲まず食わずでさ、踏んだり蹴ったりだったけど。 あの人、自分のお弁当の握り飯も食べさせてくれて、膝をくじいた私に手ぬぐい巻いてくれてさ。不味いけど、綺麗に並べてた売り物の柑橘全部くれてさ。 もう、路銀ないから持って帰れないって諦めてたのにさ。 私が手鏡を差し出したらさ、大事にするって、宝物にするって言ったんだよ。 だから、さ」
そう言ってしばらくきずなはすすり泣いて、多々良が隣に腰を下ろしてきずなの頭を撫でて宥めていたが、やがて顔を上げて泣き笑いで言った。
「約束は果たされても、結果がそれに伴うとは限らない。 私はさ、今まで、何もかもうまく行かなかった。 兄やんも、手鏡も、全部失っちゃって世話ないわ」
きずなは、多々良と破断して、許嫁を失った。
それは、聞いていたが、僕と柑橘と手鏡を交換して、僕がその手鏡を売り払った事で、もうきずなが手鏡を取り戻す術を奪ってしまったのなら。
僕は、取り返しの付かない事をした事になる。
「あの兄ちゃんだけだったな。 身なりの汚い俺らに、唯一親切だった」
そうだ。思い出した。
弁当もあげたが、柑橘全部渡してあげると、片方の子が手鏡を差し出した時、僕は断ったんだ。
お礼は良いって。
そんなつもりはない。
お代は貰えなくても、気にしないからって。
けど、その子がどうしても、お礼に渡したいって言うから。
『じゃぁ、これは、僕の宝物にする』
そう言ったら、その子は喜んでいた。
そして、もう一言付け加えたんだ。
『今度、ちゃんとお代をもって、くるから。それまで、大事にしていてね』
僕はそれに対して、分かった、待っているって言った。
何、やってんだ僕は。
「そもそも、何度、探しても、人を使ってまで調べたけど、見つかんなかったんだから。 これで諦め付いただけ、マシだよ」
「まぁ、里の人間の命と引き換えじゃ、まぁ、致し方ねぇかって。ふっざけんな。お前が望むなら、ここの連中全員、皆殺しにしてるとこだかんな」
「やめてよ。兄やん、良いんだよ。 もう、今更……。でもさ、良いな。 両親が居て、姉弟がいるって……。私ね、兄やん。 この山に囚われた簾様の姉弟に会った時思ったの。 家に帰れば、優しい両親が待っている、まだ今なら二人が幸せになれる。そう思ったら、さ。 あぁ、絶対、やり遂げたいって思ったの。 私がここを見捨てたら、他の山で息子を囚われて、帰りを待つ夫婦も、いずれ里の人達は死んでしまうのに、山に囚われている限り、老いる事も死ぬ事も出来ないなんて放っておけないわ」
「お前が、助けてやる義理ねえだろ?」
「だから、対価をいただくの。 簾様なら、良いって思っている。 叔父様も、兄やんも、たくみも大好きだけど。 他は誰も、愛せなかった。 でも、誰かと睦んで私は次の代に世代を繋ぐ使命がある。 例え、愛を抱けなくても、あの方が良いの。 すごく憎い方だけど」
「憎いか……」
「えぇ、要領は良い方なのに、察しが悪くて、人に物を強く言えない所が、致命的で。私、結構、大事な事を話しているのに、あまり深刻にとらえて下さらなくて、難儀だわ」
心の内を話して気が晴れたのか、多々良に微笑みかけるきずなの向こうで。
「まぁ、柑橘の価値に気付かず、お前の手鏡を損じるような奴だからな」
多々良はそう語りながら、僕の顔を燃えるような目で見つめていた。




