第2話 多々良と氷室【後編】
「あんた、やるじゃない。 本当に、神木の娘をたぶらしてきたの」
姉が帰って来た僕に駆け寄るなりそう言って、僕にそう声をかけて来た。
我が姉ながら、人聞き悪いにも程がある。
「姉さん。もう、どっから、何を窘めて良いか分からないな。兎に角、正気になりなよ。
姉さんはいみじくも、神社の宮司に授かった娘なんだよ、心清くあるべきだし、その言葉遣いに、その言い様はあんまりだよ」
姉は、娘が5つになろうというのに、子供の様に頬を膨らませて腰に手を置いた。
「昔っから、長男だと思って威張るし、叱るし、生意気なのよ」
「そういう事は、一度でも、その威張りと叱りと生意気をきちんとやらせてから、被ってから文句も言ってよ。僕の話なんか、みんな、何も聞いてくれたこと無いじゃないか?」
僕が抗議すると、姉は少し寂し気な顔で僕に言った。
「貴方の良い所は、人に自分の意見が通らなくても無理強いしない事。でもね、そこが唯一の悪い所何だよね。 それにしても、人に頼み事したり、交渉事も、争い事もからきし駄目な貴方がどうやって連れて来たの?」
人に、頼み事しておいて。
その言い草はあんまりじゃないか?
「あんたさ、見た目は良いから、よもや神木の娘を骨抜きに出来るんじゃ無いかって、思ったのに、あんた顔負けの美男を二人も連れてたら、たぶらして来たとはおまわないでしょ? どうやって連れて来たの?」
「ただ、正直に話をしただけだ。⋯⋯彼女を騙そうとした事以外、何も嘘偽りなく」
姉は笑った。
「そりゃ、初恋の人になりすまして助けて貰いに来ましたは言えないけど、正直に話したって。
何処まで話したの?」
「離縁された上に、妻に先立たれて、息子を取り上げられた事まで全部⋯⋯」
「はぁ? あんたっ、そんな事まで、それも、最後まで話したの? あちゃ~。あの神木の娘さんって、あんたなんか、相手にする必要も無い事は即分かったわ。 あんなに見目麗しい美男に囲まれていたらね。 はぁ、初恋の一目惚れは、嘘ね」
「何で、そう思うの?」
「あの娘さん、あんたと仲良かった若い人、あの人の事が好きよ。 彼を見ている時の表情で分かるわ。 あの若い人も、まんざらじゃないみたいだけどね。あんた、お邪魔虫になるところだったわね」
胸がきゅっと締め付けられた。
否、よもや、そうなんじゃないかとは思ったが、たった今、姉は遠目で見ていただけで、こうもばっさり言ってのけるとは。
とは言え、だ。
「姉さんも、そう思うんだ」
「やだっ。あんたもちゃんと分かるなんて、逆に見直すわ。 さすが、人の気持ちはよく分かる出来の良い私の弟だわ。 察しが良いと破滅的に人の良さだけは、あんたに勝てる男は居ないって見込んだだけはあるわ」
「えっ、どう言う事だよ」
「私もね、自分さえ良ければまわりが傷付いたり悲しい思いをしても構わないなんて思ってないのよ。私はね、何より、ただあんたに変わって欲しかったの。人を思いやってばかりで、いつも、人に遠慮してばかりの貴方に、自分の考えを通したり、時には、意地の一つも張れるようになって欲しいってね。はは、本当、何の功名か知らないけど、大事になったわね」
姉さん、それは無責任が過ぎるよ。
※
「改めまして、私は黒田藩お抱えの大鏡神社の宮司を務める神木 絆と申します」
「私は、絆の叔父で両親のない彼女の後見人をしている黒田藩馬廻役 筆頭 氷室 剛流と申す」
「俺は、博多の漁師町で顔役をしている多々良 羅砂だ」
「ようこそ、おいで下さいました。先ほど、倅と娘から事情を聞いて驚いております」
「えっご両親は、お話聞いてらっしゃら無かったんですか? 風呂敷に柑橘だけ包んで、懐に忍ばせた僅かないりこで飢えを繋いで来られる訳ですね」
絆が呆れた様子でそう言うから、僕は改めて恥をかいた。
「はっ、お前、ふらっと居なくなったと思えば、着の身着のままで、博多まで行ったのか!? 馬鹿な⋯⋯」
本当に、馬鹿な事をしたと何度考えてもそう思った。
「良いじゃない? お父様、お母様。 神木の娘様から早速、柑橘は不味くても薬になるって教えを乞えたのよ。私達、救われるわっ、よくやったって褒めてあげなよ」
姉が、無遠慮にそう言うと、絆が顔を顰めて言った。
「教えは不要です。 失礼ですが、ご子息は無能です」
瞬間、場の空気が凍り付いた。
「⋯⋯それは、どう言う意味でしょうか?」
氷室の顔は絆を咎める様な表情で、多々良はあからさまに苦笑いを浮かべていた。
「私が以前、ご子息から柑橘を受け取った際、私は価値あるモノと交換して居たのに、ご子息はおろか、ここの方々は誰も気付かれなかった。 なぜ、私が気付くきっかけになればと差し上げた想いに気付く事が出来なかったのか、はなただ不思議でなりません。 こんなに沢山、無価値の柑橘をよくも今まで育て続けて来られたものです。 山を捨てて、他所へ移ろうともせず、うまくいかないまま、なぜ、そこまでしてここで柑橘を育てる事にこだわられんですか」
これには、流石に僕たち家族はみんなで顔を見合せて気まずい空気が流れたが、姉が声を上げた。
「なぜ、ちゃんと言って下さらなかったのですか。分からないわ、分かりづらいわ。 ちゃんと言って欲しかった」
「なぜ、縁もゆかりも無いに、そんな事してあげる道理があるの?」
姉は、その場を立って地団駄を踏んで言った。
「でも、高価な代物との交換で気付けって、無茶よっ。 何がしたかったのよ」
食ってかかって苛立つ姉に、絆は少し俯いてから言った。
「私は、ただお礼をしたかったまでです。私の兄貴分の目の病を治すことの出来る柑橘を求めて立ち寄った町の市場で、無償でありったけの柑橘をただで持たせてくれると言った優しい男の人に。 私は、兄貴分の目の病が治るなら、惜しくない。そう思って、価値ある大事なものを贖った。 貴方達を助ける理由も分からなければ、貴方達の立場も知らないのに、無茶を言っているのは、どちらかしら?」
話しは完全に、絆の方に道理がある。
だが、僕ら家族も、とは言え、親切に柑橘の情報を教えて欲しかったと言う気持ちがぬぐえず、気まずい雰囲気となったところで、氷室が声をかけた。
「すまんがもうすぐ夕餉時だ。食料と薪は全部そちらに渡すので、滞在中の食事や湯の世話を頼んでも宜しいだろうか? これは、僅かばかりだが心付けだ」
氷室はそう言って、里で祭りが出来る位の金を懐紙に包んで両親の前に広げた。
「そんなお願いして来ていただいたのに、食事や薪ばかりか、銭までいただく訳には参りません」
「いいや、それはこちらが、そうでは参らん。 姫が滞在する間は何不自由なく過ごせるよう出来ねば、私が帰り辛い。 多々良も明朝私と博多に帰る。 明日遅れて入れ替わりに私の息子の到着を待って、ここに残すのも気がかりだ。せめて、身の回りはきちんと決めてから帰る。 湯の準備は、言えば護衛に声をかければ手伝うよう言い聞かせておく、毎晩は、苦労だろうかが。食事と寝屋と湯の世話を頼みたい。 彼女は我らにとって、神に等しい存在だ。 ゆめゆめ、若い者が懸想せぬよう言い含めても貰いたい。 姫に何かあれば、死ぬぐらいでは済まぬ事になりかねん」
え、死ぬぐらいで済まない事ってなんだ。
この世で一番きつい罰が、死ぬ事だと思っていたが、よもやそれを口に出す事も出来なかった。
※
「取り敢えず、夕餉の準備をしましょうか?」
「えっと、大人数になったね」
「ねぇ、お米に味噌に、魚の干物に……。そう言えば、雌鶏三羽も貰ったのよ。うちのもう卵産まなくなってたから、助かるわ。今年のおせち、久しぶりに伊達巻たべられるかも?」
「あんた、本当に暢気ね」
姉は、先日、嫁ぎ先で姑と大喧嘩して娘を連れて帰って来て、実家に居続けている居候の身だった。
荒っぽい漁師の長男に嫁いで行ったものの、男女兄妹を平等に好き放題させる家庭でおおらか通り越して長子である事を言い事に好き放題甘やかされて育った性格が、婚家のご家族がから大変不興を買っているとは聞いていたが、とうとう、借金が婚姻の鍵と鳴り結んだ婚姻だったとは言え、最後は、お姑さんが「借金の証文を破り捨てでも、お前のような嫁はいらん。女しか産めん石女は出て行け」と借金の証文を目の前で破り捨てる姑に、「謝金もないなら。喜んで出て行ってやるわ。お義母さんだって女の癖に。私が産んだ子が気に入らないなら、それで構いません。新しいお嫁さんでもなんでも、好きになさって下さい」と啖呵を切って漁に出ている旦那さんに会わずに出て行って今に至る。
「あぁ、さっきさ。一瞬、ちょっとイラっとしちゃったわ。 本当さ、あんたが柑橘を綺麗な工芸品と交換して貰えたって、みんなで喜んでた時さ。 覚えてる? 物の価値が分からん子供から巻き上げて、悪い奴だなって。 最後はみんなして笑ったよね?」
「あぁ、僕は心が痛んだよ。 詮無い事をしてしまったって……。もっとよく考えるべきだった」
そう言って、落ち込む僕に、姉は言った。
「そうね。私もそう思う。 でも、私達、その事を今日知る事が出来ただけでも、幸運だと思う。 後で、ちゃんとお礼を言いましょう。 何はともあれ、あの手鏡でその年の飢えを救って貰えたのだから」
「ああっ、失念してたよ。 僕はちゃんとお礼が言えてなかった」
※
夕食は一家総出で準備に当たったが、里長の家から芋のにっころがしや漬物を差し入れに貰って何とか夕食の準備が整った。
「台所の傍に竹林がありますが、あそこは片づけた方が宜しいと存じます」
「それは、またなぜでしょう? 失礼ながら台所はなるべく水場の近くが好ましいので」
「もうすぐ初夏です。マムシが餌を求めて活発になると、じめじめした竹林を好み、ネズミが出やすい台所に潜むようになります。竹林を切って、風通しの良い場所にされた方が良いですよ。 みずなちゃんもまだ幼いし、万が一があったらいけません」
「マムシは、竹林を好むんですか? 餌を求めて、台所に潜むものなのですか?」
僕の質問に、絆は穏やかに笑った。
「ええ、私の居る集落では、なるべく竹林で子供たちを遊ばせぬよう心掛けていますし、水場の近くに生える竹は、群生しないように片づけるようにしています」
彼女は、物知りだ。
と改めて感心した。
夕食の後、氷室の指示で風呂の用意をしていたので、きずなは風呂に行っていた。
姉の娘のみずなが、風呂に興味を示して、きずなは姉にことわりを入れて、姉も一緒に三人で風呂に入った。
「まったく、あいつは」
「神木の娘さんは、頻繁に風呂に入っているのですか?」
「神事で祝詞をあげておるから、常に身を清めておる。 普段は、神職で忙しい身だ。 たまには、息抜きに良いとは思って許したが、あまり、無茶をさせんで貰いたい。 彼女は本当に、我らの姫なのだ」
「姫……ですか?」
「そうだ。我らが住み暮らす場所の守り神の娘だ。 くれぐれも大事ないよう頼む」
確かに、異常なまでに、彼女に気を遣っている事はかんじられるが。
彼女を姫と呼ぶに至る程か、と思えば疑念が残った。
※
「ねぇ、お風呂なんて、お正月ぶりよ。 気持ちよかったぁっ。 残り湯でも、構わないから、また、入りたいわ」
確かに、風呂なんて贅沢は、盆と正月か、よっぽどの時ではないと、薪や労力を考えたらなかなか手が出ない。
風呂の準備も薪も、神木の計らいで用意して貰えるのは、ありがたいが過ぎる。
「あの娘、18歳って本当なのかしら?」
「どう言う意味だよ、姉さん」
「うん……とね。その、まだ、あんまり身体が幼いから、ちょっとびっくりしてしまって。 あのね、簾。 あのお嬢さん、まだ手を出したら、駄目……だと思う」
「え、だからどういう事なのさ」
姉はものすごく困った顔で悩んだ挙句言葉を紡いだ。
「男を知るには、幼過ぎるわ。 もう少し、育たないと、私、簾が彼女に夜這いしようものなら、家からたたき出しちゃうかなって……」
「いや、そもそも、今更、彼女に手を出して、彼女をどうにかしようなんて思って無いから。変な事言わないでよ」
その夜は、遅い時間になって残り湯のお呼ばれを受けて、最後の方の湯で風呂に入った。
一人で入るのは勿体ないもので、丁度良く、酒に酔った多々良のお守りも兼ねて一緒に湯に入った。
「柚木崎、お前、俺の名前言えるか?」
先に身体を洗い終わり、湯に入った多々良がおもむろに僕にそう声をかけて来た。
そう言えば、先だって名を名乗っていたが、何の了見だと訝しみながらも思い出した名を呼んだ。
「羅砂【らさ】 多々良 羅砂だったか?」
「おう、言えるんだな。 お前、俺の名が呼べるのか? 氷室の叔父貴の名はどうだ?」
「氷室 猛流【ひむろ たける】様」
「よもや、か。 きずなも呼べるか?」
「きずな様は流石にもう覚えた。 僕の記憶力を試しているの?」
「うんにゃ、ちげぇよ。 ここは、やっぱちと、異様だと思ったが、やっぱ、俺の目に狂いはねぇって事か」
多々良は意味深にそう言って、湯に肩まで浸かった。
明日は早いから、酒を抜いておかねばと、長湯をしていた。
「お前さ、きずなに懸想しても良いが今夜はやめておけ」
「何を唐突に」
湯上りに多々良と台所で水を飲んでいた。
「今夜は、氷室の叔父貴が居るし、俺も面白くはねぇからよ。 まぁ、あいつの事を女と思って、寝込みに入ろうと、俺は構わねえからよ」
「そんなつもりは無いよ。 思ったより、随分幼いし……」
虚を突かれて、自分が無意識に、初めは女として彼女を見ていた事を。
口を滑らせてしまって初めて気づいてとどめたが遅かった。
多々良の表情がみるみる曇って行く。
「そうか、やっぱ、お前、最初はきずなに近付く魂胆だったか……」
バレてしまった。
すっかり、その気はなく、よしんば、物事がうまい具合に進んでいた事ですっかり油断しきっていた。
「あぁ、確かに。その通りだ。 彼女が縁談を断り続けて、パサパサした酸っぱいだけの不味い果実をくれた男を待ち続けていると聞いて、よもやと思った」
「お前、なんで、きずなが、そのくそ不味い果実をくれた男を探していたと思う?」
「その男を好いていると聞いていた。もう一度会う事を願っていたと思っていたけど?」
「よく考えろ。 半分合ってて、半分違ってんぞ。 お前、最悪な事してくれたな」
「えっ、どう言う事?」
「お前は、きずなが探していた不味い果物売りだ。 だが、きずなはお前に恋なんかしてねえ、自分で、自分のしでかした事よく考えるんだな」
そう言うと、多々良はさっさと寝床に行ってしまった。
そして翌朝、一人の青年が馬を走らせ里にやって来た。
氷室の次男で、年は16になったばかりの青年だった。
※
「みんなにお弁当を持たせてくれてありがとう」
「充分過ぎる品と銭をいただいたので、ほんの心ばかりの事です」
普段の朝餉は、麦飯に、わずかな漬物が良い所の食卓が、白飯に、菜っ葉とわかめの味噌汁に小魚の干物まで出る朝食に、姉の娘のみずなが満面の笑みでご飯を食べる姿に胸が締め付けられた。
自分も、我が子にこんな暮らしをさせて、笑顔を見ながら暮らしたかったと思った。
「今日からお世話になります。氷室 猛流の息子で、名を巧と申します」
青年ながら、脇差を二本差しているから、彼も武士なのだろうと思ったら。
「非常勤で会計方のお役目をいただいてはおりますが、本来は、姫の傍で技巧の助けを担っております。 皆々様方、どうぞよしなに」
「技巧の助けですか?」
父がそう尋ねると巧は熱のこもった表情で語った。
「姫は、宮細工の才に優れており、素晴らしい神器や建物を作る事の出来る素晴らしい職人でもございます。私は一命をとして、姫にお使いし、神のおられる場所作りを支えて行くのが、本望でございます」




