第1話 不味い果実【後編】
「はあ? きずなが自分の素性を明かしたのか?」
「いや、見た目が幼な過ぎて最初全然気付かなかったけど、奥方が神木の娘の名前で呼びかけるから、ハッとなってさ。向こうもそれで、僕が気付いたって、悟ったんだと思う」
それについては、申し訳ないと言う気持ちしか無い。
俯く僕と奥方を前に多々良は笑った。
「気にすんな。 俺がうっかり名前を教えてちまって、俺の女房ががきずなの名を口にして、全部バレるなんてとんだ似た者夫婦だな」
「ごめんよ。気が回らなくてさ⋯⋯。あぁ、無駄に素養があるのがたたったね。 私に異能は必要無いのにさ」
奥方の素養とはなんだ?
異能は必要ない。
それは、何に必要なのだ。
「おめえは、身体がつれぇんだから何も悪くねえよ。俺がいっちゃんしくじってんだ。それに、本人が会うっつってんだから、今更どうでも良い」
多々良は気落ちする奥方をはげまして肩を叩いた。
正直、羨ましかった。
綺麗な住まい、順調な仕事に、蓄えに恵まれ、何の不安も心配も無い。
子宝に恵まれ、幸せに満ちた多々良の創り上げた家庭が。
「本当に済まない。 僕は君達を騙そうなんて思ってなかったのに、申し訳なくて」
「騙そうなんて思ってねえか、分かんねえから、人は見ず知らずの人間を警戒すんだ。お前は、身元もしっかりしてるし、貧しい貧しいって言っても、卑しくも浅ましくもねぇ。 心付けなしで、口利きを申し出て来た厚かましさ以外なんの文句もなかったからな」
「い、いや、心付けを失念していた事は心から申し訳ないと」
「いや、謝るなって。 お前は、その心付けの無い事を有耶無耶にはせず、体を差し出して、 俺の家を手伝ってくれているじゃねえか。 俺にしたら、満点だぜ」
「満点……か?」
「今まで、何度となく神木の娘に会って、縁付きたいと見合い話を持って来る奴、自分が娶って神木の家督を継ぎたいと申し出る奴が、何人……いやもう何十人も来てな。その度に、俺の家の玄関の柱に横に何本も傷がついてんだろう。そういうやつらを追い返す度に柱に覚書のつもりで、傷を増やしてたら、あのざまだ」
何かの模様かと思ったが、あの横に搔き抉ったような傷の数だけ、撃退したなら、よく今自分がここにいるものだと改めて思った。
※
結局、約束通りきっちり三日、多々良の家で留守を回り、家の家事と子守を担った後、多々良は夜に自分に改めて話をして来た。
「明日、朝飯を食ったら、ガキを連れて、神木の家に行く。きずなが、お前に会うと言うから、会うのは構わんが、これだけは先に言っておく。よく聞け」
多々良はそう言うと、まるで人が変わったかのように恐ろしい形相で、まるで俺を親の仇とでも言わんばかりに憎々し気に言葉を紡いだ。
「つむぎは、俺にとって、妻子と自分の命と同等以上に大事な女だ。 万が一にも、あいつに危険が及ぶ事、不利益な事、欺く事、貶めるような事をお前がしたり、お前らの仲間にさせたりした時は、俺は、祟る位じゃ生ぬるい。 努々忘れるな。 そん時はただじゃおかねえからな」
「多々良、なんて事を言うんだ」
多々良の言葉に、覚えた不快感に、頼みごとをしている自分の立場も忘れていた。
「どういう意味だ」
「自分の命よりも、は勝手にすれば良い。 自分の妻と子以上に大事なものがあるなんて、言うもんじゃない。 自分の妻子を一番大事にすべきだろう」
どうしても、多々良の言葉のその一部分が、納得できず、また譲れず、思ったままを口にしてしまった事を、悔やむ事も出来ない。
だが、自分は村を救うためにここに来たのに、その言葉一つ受け流せない自分が嫌になった。
「……お前、変な奴だな。そう言えば、お前、俺より歳上だったよな。まさか、神さんも子もいんのか?」
「あぁ、そうだ。息子は二つになったばかりだ」
あぁ、そもそも、何で正直に言ってんだ、自分。
今回よしんば、神木の娘にお目通りがかなったとしても、見合い相手に自分を売り込んで、自分を婿に選んで貰う為に、ここに来たのに。
それを、今から自分を売り込む前に白状して、どうするんだ。
終わった。
始まる前から終わった。
そう思ったが、後の祭りでその夜は一睡も出来なかった。
※
次の日、多々良は夜が明ける頃に起きて来て、先に起きて水を汲みに出て来た自分に目を見張った。
「お前、働きもんだな」
「いや、ただ飯ぐらいだから、早起き位は⋯⋯」
早起きを褒められても、ここはあくまで他人の家で、食料も、宿代も払ってない身で遅寝はしかねる。
「昨日は、言い過ぎた」
多々良は、絞り出すようなか細い声でそう呟いた。
「は?」
言い過ぎ?
昨夜の事か。
件の悩みの種だった、失言を思い悩んで悶々としていたのに、謝られた事に驚愕だった。
狼狽える自分に、多々良はため息を付いて言った。
「妻子を引き合いに出すべきでは無かったと思い直した。 俺が間違っていた」
「いや。人の領分に口出しするのは、ましてや、強要するような物言いをした事を、僕の方こそ反省してた」
不思議な位、正直に言葉が出た。
一晩、鬱蒼とした後悔の念に苛まれて、一晩ずっと、何を悔やむべきか考えただけあって、それが本音で、それを綺麗さっぱり言えた事で胸がスッと軽くなった。
「お前さん、妻子を残してまで、なんでここまで来たんだ?」
ううっ、今更、婿を餌に、妙齢の神木の娘に取り入ってあわよくば、助力を願いたいなんて魂胆をどう口にして良いか、この期に及んでそこを、何も思い悩むべくもなく、眠れない夜を過ごした自分に心から嫌気がさした。
しかし、この上は、本懐だけでも、語らねばならない。
そう思った。
「僕の集落は、柑橘の栽培が絶望的で、英知あり異能に優れた神木の娘の評判を聞いて助力を乞いに来た」
「それで、二束三文の柑橘持って来たのか?」
「あぁ、そうだ」
いな、あわよくば、初恋の男と勘違いして貰う魂胆までは、妻子がいる事を暴露してしまった以上、口が裂けても言えなかった。
「お前、良い度胸してんな」
「は?」
「結局、心付けじゃねぇじゃねぇか、おねだりで持って来たって事じゃあねぇか? お前、きずなが喜ぶって思って持って来なかったんなら、心付けどころか手土産無しだろ? ふざけてんのか?」
多々良の指摘は最もで、行き当たりばったりで来た事が露呈した事に、背筋が凍った。
「いや、」
「いや、心付けはある」
「はぁ? だったら、この上、俺には嘘を付いたって話か?」
「いや、嘘は付いてない。 確かに、本来なら、金品も持って馳せ参じるのが筋だが、僕の里と実家にあるのは、死なない為に生きるのに精一杯の蓄えだけだ。それでも、叶えたい願いの為に、縋る想いでここまで来た。 心付けは、僕自身だ。 助けて貰えるなら、願いを聞き遂げて貰えるなら何だってやる。 一生、ここで留守番どころか奴隷にしてくれたって構わない。 姉が、ここの方なら救ってれる。そう信じて、僕を送り出したんだ。 姉は、借財のカタに嫁いで、好きな男と夫婦に無れなかった。 僕も、身の上の貧しさを咎められて、妻と息子を妻の実家に取り上げられて離縁させられた。 里が滅びれば、僕は神社の跡取りだけど、両親が得た氏子を失って、社は廃殿だ。 だから、僕自身を捧げたい」
もうこうなったら、ヤケクソだった。
本当に、行き当たりばったりで、姉の熱意と本心に、心動かされて、来てしまったんだ。
でも、願いは本当だし、嘘は付かなかった。
妻子がいて、貧しさを理由に離縁を強いられた。
妻子にはもう会いたくても、会えない。
例え巨万の富を今更得ようとも、状況は更に最悪のものとなり、今更、もうそんな物では取り戻せない。
もう、妻も子も戻って来ない。
暫く、沈黙の時が流れて、重々しい口振りで多々良から、言葉を紡ぎ始めた。
「……そうだったのか。悪かったな。だが、こっちも慈善はやらねえ。甘えた考えは諦めるんだな」
「甘え……か?」
「そうだ。願いには、対価が伴う。 対価の無い願いは施しで、時に禍の種を生み、やがてそれは、人の心を殺す。覚えておけ、願いには、対価が必要だ。そして、願いは叶えて欲しい結果ばかりに得られるとは限らねぇって事を。 本当にそれが願うべき事か、願い事は慎重にやる事だ」
多々良は、その時、まるでとても苦々しい事を思い出しているような、苛立ちながらも悲しみを堪えているような面持ちだった。
※
多々良は、朝食の後、2人の子供も一緒に連れて僕を大きな湖のある場所を通って立派な神社へ連れて来た。
「大鏡神社? 随分立派な神社だ。こんな大きな神社があるなんて知らなかった」
「お前が会いたがっている女は、ここの宮司だ」
「えっ、女性が宮司なんて」
「改めて、はじめまして。私は大鏡神社の宮司、神木 絆と申します」
「多々良から事情は聞いたわ。貴方、私にお願い事があるそうね」
今日の彼女は、見た目は18歳とは思えぬ幼い容姿ながらも、醸し出す雰囲気はまるで一国の主の様に毅然としていて、それでいて、神秘的な印象を持たずにいられない雰囲気を醸し出していた。
立ち居振る舞いは、神事に関わる者同士、行儀をおもねていながらも、きびきびとしており、座る姿勢も非常に美しかった。
「はい、お恥ずかしながら、縁もゆかりもないにも関わらず、縋る思いで参りました」
正直な僕の言い分に、きずなは少し顔を顰めて、やがてため息を付いた。
「私は、ただで人の願いは聞かないの。 どんなお困り事か知らないけど、安請け合いはしない。 それで、良ければ、お話を聞くぶんには構わないわ」
素っ気ない口調でそう言われて、僕は溜飲が下がった。
別に、憐みや慈悲の心で、情熱的に迎い入れて貰えるとは思っていなかった。
僕は、目先の問題を二つ返事で解決してくれる仏様みたいな人を想像していた訳では無いが。
とは言え、18歳になったばかりのこんな年端も行かない少女に、荷が重い頼みでは無いか?
断って当然だ。
無茶だ。
ん、最後何って言った。
「えっ、断ってもよいなら、話を聞いてはくれるの?」
「えぇ、そう言ったわ。分かりにくかったかしら」
いや、断られるかと、思って思わず断られたと思ったのに。
話を聞いてくれるのは、嬉しい。
そもそも全く使い途の無い不出来な柑橘が薬になる事を知って、多々良の目の病がそれで治ったって話自体、一刻も速く里に帰って報告したい知恵だったんだ。
頼みは聞いて貰えずとも、是非、話をしたい。
第二話「神木の娘は人にあらず」
「僕の里は、二十年前、この柑橘を里の特産品にして海沿いから山に移住したのですが、柑橘はこの有様で未だに売り物にならず、最初の10年の間に8人の子供達が相次いで神隠しに遭って、呪われていると揶揄されて、今や僕の里は海沿いの町に戻ろうと考える者もいて、今や風前の灯火なんです」
里の人間が離れて行けば、僕の実家の神社が廃殿して今更、両親の実家の神社に一家を迎え入れて貰える事は出来ない。
数年前の不作や時化で、海沿いの町も暮らしは決して楽では無いからだ。
「呪い? 10年で8人も居なくなったの?」
「はい、僕の里は七つの山に囲まれた場所に居を構えたのですが、柑橘を植えた山では2人、その他の山も、1人ずつ、居なくなったんです。 神隠しが起こった山はそれ以上は、行方不明者が出ないのですが、未だに骨一つ見つかっていません」
「でも、柑橘を植えた山だけは、2人なの?」
「えぇ、何でも最初の行方不明者を探して、上の兄弟が探して山に入って帰って来なかったので、その山だけは2人消えたと言われています」
全部の話を聞き終えた後、きずなは少し考え込んで僕に言った。
「柑橘は、場所を変えれば、それなりに甘くなる。海町に戻って植樹したら良いわ。幸い、柑橘は潮風と相性良いわ⋯⋯。残念だけど、里を移す事を勧めるわ」
僕は、きずなの言い分に唇を戦慄かせた。
「えっ、何でそんなに柑橘に詳しいんだい? 君は、何者なの?」
齢18歳で、女性でありながら、こんな立派な神社の宮司を務めているのも異様だが。
柑橘が薬になる事だけに留まらず、柑橘の生態にも知識があるのは、異様通り越して異常とさえおもってしまう。
この子は、この娘は、何者なんだ。
「そうね。そもそも、貴方が私の事、何だと思っているか分からないから答えようが無いわ。 私が『神木の娘』だから、会いに来た。 多々良からは、そう聞いているけど、貴方は私の何を知っているの?」
質問に質問で返されてしまった。
正直、姉からは、柑橘の実をくれた行商の男に恋をした娘で婿取りに苦慮する周りに早く身を固める事を勧められており、あわよくば、里を救ってくれるんじゃ無いかって、思ってた。
でも、彼女に改めて問われてみると、僕は彼女の事を何も知らないじゃないか。
でも、今、僕は。
「僕は、君に会いたかった。君の事を知って、会いたいと思ったんだ。 僕は君の名前も、顔も知らなかった。だから、君が何者かも、分からない。 だから、僕は君の事を知りたいんだ」
墨を落としたような艶のある黒髪が腰まで伸び、前髪は眉の上で切り揃え、結わずに背中に流したまるで子供の様な髪方は、宮司姿とあいまって親戚的で、化粧はしてないのに、青白い肌をしているのに頬はほのかに赤みがさして、唇も細いが血色の良い紅色で、幼いのに何処か色気があった。
いやらしさでは無く、あどけないが故の危なげなのが、よもや隙あれは、手を出したくなる懸想を抱かせるのに、背筋に冷たいものが走ると思った。
幼く見えても18歳なら、あわよくば、欲しただろう。
自分が一度は妻を得て、子を得た経験が無ければ、彼女に心を奪われていたかも知れない事を、何故か惜しいと思った。
残念ながら、心が一度目の結婚と喪失で、疲弊して麻痺している心では、彼女に恋は出来なかったと。
「面白い人ね。 随分、余裕なのね。 自分の存亡をかけた事態にありながら、興味本位で歩きで2日もかかる道のりを来るなんて。 貴方、暇なの?」
随分な言い様だが、正に彼女の言い分は、正しかった。
生きる事に精一杯の毎日で、こんな事の為に、2日も歩いてここまで来て、3日も多々良の家で家事や子守をして、彼女に会って、この話をしているのは、伊達や酔狂の所業だ。
「君の言い分はごもっともだ。けど、僕も今まで、僕なりに⋯⋯できうる限りの事をして来た。 一生懸命⋯⋯生きてきたんだよ。 君にとって、暇人の所業に見えるって言うけどね。 僕は本気なんだ。 もう、どうして良いか分からないんだ。 今いる場所で、夢を叶えたいんだ。 神に命を捧げてでも」
僕の言い分に、絆は眉を細めて、僕から顔を背けた。
「神に命を捧げるなんて、2度と言わない方が良い。貴方は向いてないわ」
「命を捧げるのに向き不向きがあるのかい?」
絆は、今度は俯いておどけるように言った。
「えぇ、でも、私も人の事言えないわ。 昔、大切なものを無くしたわ。 何も、帰って来ないのに、私は自分の大事なものを対価にしてしまったの。 愛する者を救えなかったのに、私は愛を失った。対価に自分の幸せを捧げたの。 貴方、愚かだから、絶対やめた方が良いわ」
絆に、自分を愚かだと言われて、腹が立った。




