第10話 果実も恋も酸いも甘い-1
「対価は受け取った――――」
瞬間、目の前で息子は消えて、僕はいつの間にか、1人で砂浜に立っていた。
春一番が吹きすさぶ砂浜で、足には砂を踏む感触、潮風が当たる肌寒さと、自分の身体の重みがずんとして、夢から覚めたようだと思った。
「僕の息子⋯⋯あっ⋯⋯そんな⋯⋯あの子は、あの子は違う。違う。 違うっ、嘘だっ」
我が子を2度と手放さい。
何を奪われ、騙され、引き離されようと、それだけはもうしない。
妻は失ったが、子は取り戻した。
それを、自分の都合で差し出すつもりなど無かった。
また、騙された。
欺かれた。
また、取り上げられるなんて。
「うわぁ――――」
僕は、絶叫した。
※
砂浜に崩れ落ちて、頭を砂に擦り付けていた。
「簾様。 お顔をお上げください」
きずなの声だった。
眠らされて、氷室に連れもどされた筈なのに、今、ここにいる筈は無い。
だが、子を産んだばかりで、産後間もないきずなが本当にそこに居るなら、一大事だ。
身体が脱力して、痺れるように身体が重くて、僅かに顔を上げて言葉を紡いだ。
「きずな? 何で」
「楓様が、お祝いだと仰って、驚く様な贈り物をして来られて⋯⋯あの⋯⋯貴方のお兄様が来ていた衣のようなのですが、貴方のお兄様よりお若いから⋯⋯よもやって」
何を言って居るんだ?
よく分からなくて顔を上げると、きずなが胸に息子を抱いて立っていた。
「⋯⋯それは、僕の息子だ。⋯⋯返して」
心の底から、自分の軽率な行いを猛省している。
こんなつもりじゃなかった。
もう、二度と会えなくなるんじゃないかって。
そう思っていたのに。
なんで、きずなに抱かれているんだ。
「えっ、じゃぁ、やっぱり、簾様のご子息だったんですね。びっくりしまたした」
きずなは満面の笑みを零して、愛しげに僕の息子に視線を移して、僕に背を向けた。
「驚かせて済まない……。 早く、その子は、返して⋯⋯」
「えっ、楓様からいただいたものをお返しする事は出来ません。お断り致します」
きずなは僕の方に振り返って、首を左右に振った。
「きずなっ、その子はっ」
僕が怒鳴るときずなは、口を膨らませて言った。
「良いではありませんか。簾様は私のものです。私のものは、簾様のものです。 私と夫婦になれば、そうなるのです。私は、息子を産むことが出来ません。この子を我が子と等しく、愛し育てます。……ですから、⋯⋯今更、お返しする事など出来ません。簾様、お許し下さいまし」
きずなはそう言って僕に屈み込んで目の前に来た。
「きずな⋯⋯僕の息子は、君の子ではないんだよ」
「ですから、楓様がくださったんです。 私に息子を下さいました。 こんなに嬉しいお祝いはありません」
きずなは僕の胸に、頭をもたげて頬を寄せた。
「子が出来た⋯⋯そうお伝え出来ずに去った事をずっと悔やんでおりました。謝罪させていただけますか」
「⋯⋯そっか。何か言いたげだったけど、それを伝えたかったんだね」
「はい⋯⋯」
※
「さて、約束を満了して貰ったからね。 ここからは、僕の番だ」
空から声が聞こえ、きずなを抱き締めて見上げると、そこには楓が荘厳な衣装を着て空に浮かんでいた。
今は、夢渡りではないのに、現実離れだが、今更それを言う気にもならなかった。
「きずな、前とはちと状況が異なるから、ご先祖を呼びなさい」
「ご、ご先祖様をここに呼んで宜しいのですか?」
きずなは狼狽えた。
ご先祖と言えば、いつぞやきずなが呼び出した青い龍だ。
そんなものをこんな昼日中の海岸に呼び出して良いものか。
「約束を果すためだ。呼びなさい」
「はい。 ご先祖様、おいでくださいましっ」
きずなが空に呼びかけると、頭上の雲をかき契って、青い龍が空から舞い降りた。
夜の里山に現れた規模とは比べ物にならない程、大きかった。
前の10倍はあった。
「なんだ、度々、楓まで、こんなところで何をやっておる?」
「古くお前と共に、ここで祝福を得て死んだ修羅の子孫が遭難した。 君の最初の娘となった者の縁者だ。 そのよしみで、頼まれてくれ」
「お前が行けばよかろう」
「僕がいけるなら、頼まない。 僕は一応この世に理のある神だからね、やり過ぎは咎められるんだ。 君は、しがらみがないから、頼むよ」
「その変わりに俺を封じたお前がどの口でそれを願うものか? まぁ、良い」
「頼むよ。場所はここだ―――――」
楓は、龍に向かって手をかざし光の玉を送って龍の額にぶつけてはじけ飛ぶと、龍は空を駆け抜けて海の向こうに消えて、そして、しばらくして戻って来て頭を海外につけた。
そして、僕ときずなは呆然とした。
「うそだ。戻って来れた。荒津だ」
「夢のようだ」
目にさらしを巻いた多々良と、15歳位の青年と、老齢の男の3人が龍の頭から海岸に降り立った。
「生きてる……。生きてるの!! 楓様」
「あぁ、今回は。 生きていたね」
「楓様!! うそ、うそ」
「今回も死んでいて欲しかったのかな?」
「いいえ、心にも思いません。 あ、ありがとうございました」
「ふふ、僕は君には何も貰ってないよ。 対価をくれたのは、君の夫になる者だろう。早く、祝言を上げて夫婦になって……今度こそ、幸せになりなさい。君が幸せなる事は、僕の君への願いだ。 この六封じで君が果たすべき役目は終わっても、僕は君が死ぬまで幸福である事を願っている。 幸せに生きる努力をこれからも続けて欲しい」
「はい、必ず、必ず、幸せになります」
※
あの嵐で、船で海に投げ出され、最後は難破して言葉も通じぬ者が住む陸に漂流したのだと、多々良は語った。
その際に、船に身体を潰され、両目が抉れ、目はもう無いと言った。
生き残った二人と共に、何とか今日まで生き延びた。
何度も、死のうと思ったが、もう一度、家族に、きずなに会いたいと願って死ねなかった。
きずなは、多々良の元には駆け付けず、多々良の家族を呼んで多々良に引き合わせてその場を離れようとした。
「きずな。多々良に声をかけてあげなよ」
「簾様、良いんです。 まだ、多々良は、自分が居ない間に生まれた子に会ってないんですから。 簾様、貴方も、多々良との再会よりも、まずは私の娘に会ってくださいますか?」
僕は、狼狽えながらきずなを抱き締めて言った。
「勿論だ。 君が産んだ、僕の子に。 僕も会いたい」
きずなは、そう言いながらも、僕を連れて来たのは、多々良の家で、中では氷室が息子の巧と二人で留守番をしていた。
「多々良が生きていたとはな」
聞けば、きずなが海に入っていた間、乳飲み子のきずなの娘に乳を与え、面倒を見たのは、多々良の妻だったそうだ。
多々良は死んだ。
もう、諦めろと、多々良の妻は、きずなを止めたが、きずなは譲らなかった。
海に入って、きずなが居なくなった事を知った多々良の妻は、きずなの娘を自分が世話すると、面倒をみてくれたのだと言う。
多々良の子は、冬の初めに生まれていた。
「藩に今回の騒動の顛末を報告してまいります。力あるものが大騒ぎですから、きずな様のご先祖様の姿を見てしまって……」
巧はそう言って、出て行いこうとして、ふと立ち止まって、僕に声をかけた。
「私は、貴方には敵いません。 完敗しました」
「え?」
「僕は、貴方が憎かった。 でも、ここまでされて、どう憎んで良いかもう分かりません。 感謝……致します」
巧はそう言い終えると、頭を下げて去って行った。
改めて、僕は自分の娘と対面して身体から力が抜けた。
生まれ立ての赤子の可愛さに、懐かしさを覚えた。
2人目の子だ。
最初の感動には、足らぬ。
代わりに、突然引き合わせた娘の存在に受けた衝撃だけは格別だった。
「夏頃……、大鏡で、里の方々に来ていただいて、祝言をして貰えぬか? 婿殿のご実家で……と言うお話だったが、きずなとややを遠出させるのは忍びない」
「勿論でございます。 こちらが馳せ参じるべきです」




