第7話 宿命への冒涜-2
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静まり返った寝所で呆然としていると、不意に隣の襖の戸が開いて、姉と義兄が姿を見せた。
「あのお姫様、やるわね」
姉よ、その感想はのんきが過ぎる。
「据え膳喰わねば、なんとやらだが。流石に隣の部屋で初夜をされたら、俺も今夜は一睡も出来んな」
義兄よ、流石姉を妻に望むだけある、無遠慮発言。
いや、本当にお騒がせものだ。
きずなは、僕と姉夫婦の部屋が隣って忘れてたのかな?
「ごめん。起こしちゃって」
「気にしないで、お父さん達には、黙っといてあげるから、ちゃんと明日ご機嫌取ってあげるのよ。 私は、姫様の事、見直したよ。 矢を持って来ようが、鉄砲持って来ようが平気です。雷様が来ようが閻魔様に怒鳴られようが怖いもん無しって感じで、常人離れの人の様に振る舞ってたけど、ちゃんと弱みもあれば、心に傷もあるんだって分かって親しみ持てた。 あんた、ちゃんと今度こそ、幸せにしてやんなよ」
姉の言葉に義兄が続いた。
「そうだぜ。 お前さん、ちゃんと姫さんに好かれてんじゃねぇか。 俺も新婚の頃は、嫁がいつも憎たらしかったもんだ」
「あんた、どういう事よ」
「騒ぐなよ。みずなが起きるじゃねぇか」
きずなには、悪いが姉と義兄と笑いながら、何事も無く済んだ事を喜んで、その夜は遅くまで、きずなの話に花を咲かせて、明け方まで夜更かししてしまった。
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翌日、朝から晩まで、きずなは僕に素っ気なかった。
朝食の時も寡黙で、日中も博多から届いたたくみの作った木材の組み立てに専念していた。
「日取りは明後日で間に合うな」
「はい、明日の昼前で完成です。叔父上、結納の品を揃えて下さってありがとうございました」
「阿呆。お前の兄からお前を託されたんだ、当たり前の事をしたまでだ。だが、願わくば、お前の両親にお前の婚儀まで見せてやりたかった」
作業の手伝いの間に聞こえた2人の会話に、僕は胸が痛くなった。
そして、夜が更けて、寝る間際、僕は声をかけることなくきずなの部屋に忍び込んで、今度は布団に入って目を閉じる彼女に声をかけた。
「起きて⋯⋯」
きずなは、ビクリと身体を震わせて目を見開いて口元を手で抑えた。
「きゃっ⋯⋯簾様? どうして、ここに」
きずなは蹲るように、身を捩って床に手をついて半身を起こしそうとした。
「君が手を出して欲しいって言うなら、叶えるよ。 君の駄々を聞いてあげる」
僕はきずなを抱きしめてゆっくりきずなを布団に押しやって布団に背中を寝かせた。
「こわくなったら、今ならやめられるよ。でも、もう、この先は止まらないから」
「⋯⋯」
きずなは放心しているのか、眉一つ動かさずに固まったが、震える手で僕の方に手を伸ばした。
「きずな?」
思わず名を呼ぶと、彼女は目を細めて呻く様に言った。
「貴方が憎い⋯⋯」
憎いと言いながら、きずなは、僕の頬に触れて身体を起こして、僕の唇に自分の唇を重ねて離した。
触れるだけの軽い口付けで、こんな焼石に水の様な行為じゃ、舌も濡れないと思うほど、焦れったくて、今度は自分から唇を重ねて、浴衣の上からきずなの身体を手のひらで撫でた。肩、二の腕に手をやった後、浴衣の帯に手を下して解いて、浴衣をはぎ取った。
※
どれくらい、時間が経ったか分からない。
僕に心身を乱されて、身悶えするきずなに全く配慮出来ず、最後の時は気を失っていて、僕も果てた後はそのまま眠りに落ちてしまった。
目を覚ますと、きずなの部屋に僕一人が寝入っていて、あたりを見渡すと乱れた布団と僕の衣服しか無かったわ。
慌てて着衣を整えて、部屋を出ると、まだ夜が明けたばかりだった。
東の空の向こうが僅かに茜がかって見えた。
胸騒ぎがして、外に出ると女物の足跡があって、それは、きずなの履いていた下駄だと思った。
高価な下駄を履いているから、見分けがつく。
僕は、下駄の足跡を辿って、きずなを追った。
なぜ、1人で出て行ったのか。
ずっと、考えていると、怖くなった。
本当は、僕が嫌だったのでは無いか?
まだ、多々良や氷室達の事が忘れられず、僕に抱かれる事で、無理に諦めようとしたのでは無いか。
僕に抱かれて絶望したんじゃないか?
そう思う自分が情けなかった。
下駄足を追いながら、ある山に入った所で、僕は行く手が何処か見当を見出した。
「まさか、嘘だろ」
僕は下駄足を無視して駆け出した。
もう足取りを気にする必要はない。
彼女は、僕が連れて行った滝を目指している。
※
滝の麓に辿り着くと、きずなは袂で下駄を脱ぎ、浴衣の帯を解いていた。
下手に声をかけて、連れ戻し損ねぬ様にそっと近付いたが、きずなはテキパキと浴衣を脱いで全く躊躇う事無く、滝壺に身を沈めた。
水音も立てず吸い込まれる様にい頭から水面に沈むのを見て、僕はそのままきずなの後を追って滝に飛び込んでいた。
幸い初夏の明け方は、陽が早く昇るから、もうすっかり明るくなっていて、滝に沈んで行くきずなをすぐにとらえて水面に上がった。
「えっ、簾様? なんで⋯⋯」
「なんで、嘘を付いた。死ぬ位、嫌なら、しなかった。 なんで、なんで騙したんだ」
もう。
本音だけしか、出なかった。
こんな事するまで、追い詰めるなんて。
意味が分からない。
「ごめんなさい⋯⋯どうしても、好きで。我慢出来なかったの」
「なら、何で、僕に構うんだよっ。好きな奴と好きにしなよ」
「えっ、だって、どうしても、気持ち良くて」
ん、気持ち良い?
何が、だ。
「私。滝はやっぱり、浸かるのが好きで、本当は打たれるのも好きなんですが、この高さから落ちる水には潰されちゃうって分かっているのでせめてここから浸かる位はって⋯⋯」
あぁ、認識がズレてた。
なまじきずなと知り合って、彼女の人となりを掴んだ気になった奢りが招いた結果だと思った。
「僕は⋯⋯君が絶望して死のうとしたと思ったんだよっ。急に、居なくなるから、不安だった。君は、僕より他に好きな人が居るって、ずっと、そう思って来た。 でも、それでも、良いから⋯⋯君が嫌がる事はしないから。僕を愛して⋯⋯」
きずなは僕を抱き締めて言った。
「愛してない人に、抱いて欲しいとは申せません。 朝風呂を沸かして欲しいとは言えませんでしたので、身体を清めたかっただけでございます」
いや、明け方の山の水の冷たさ舐めたら駄目だよ。
身も凍る程、冷たいんだけど。
きずなと滝壺から上がり、きずなは身体を振ってあらかたの水気を弾いたあと身なりを整えてから、ずぶ濡れの僕の手を取って夢渡りした。
「帰って、夢渡りを解いたらずぶ濡れですから、お風邪を召されぬようお気をつけまし」
「いや、君、平気そうだね」
「母がひ弱だったので、叔父上にしごかれて育ちましたから」
あぁ、それは、逞しくなるわけだと思った。
※
「お前ら、俺の目をかいくぐれると思ったら大間違いだ。いい加減にしろっ」
あぁ、まぁ、そりゃ、朝から布団がもぬけの殻で、僕ときずなが居ない且つ、夢渡りが当然できるであろうきずなの叔父上にバレない訳が無い。
里の前で仁王立ちの氷室に、きずなと仲良く大目玉を喰らって家に帰った。
「なぜ、婿殿だけ、ずぶ濡れなのか?」
「はい、身投げかと思って⋯⋯」
もう取り繕う暇もなく、馬鹿正直に白状してしまった。
「きずなっ、お前の暴挙に婿殿を道連れにしたのか?」
「はい⋯⋯。見つかったら、止められると思い、1人で抜け出したのですが、勘付かれてしまいました」
「こんのっ戯けがっ」
氷室は、きずなを叱りつけ、今度は僕に頭を下げた。
「驚かせて済まなんだ。止めようとして、追いかけたか。難儀をかけた」
「い、いえ。力及ばず申し訳ございません」
何をお互い謝っているんだとも思ったが。
流石に、きずなの滝好きは程々にして欲しいと切に願った。
とうとう明日は、地鎮開始の儀と抱き合わせで結納を控えた夜、氷室に呼び出されて二人で話す事になった。
「婿殿、きずなの親代わりとして、改めて、願う。きずなを宜しく頼む」
「慎んで、お受け致します。神明にかけて彼女の良き夫になれるよう励みます」
取り留めない話をしながら、僕はどうしても一つだけ、氷室に聞いて置きたいことがあって、意を決して氷室に尋ねた。
「きずな様が、叔父上様をお慕いしていた時期があると話して居りましたが、想い人が居るからと断られたと話して居りました。 付かぬことをお尋ねして申し訳ございません。 そのお方はどなた様ですか?」
氷室は手に取っていた酒杯を卓に置いて、暫く押し黙った後、ポツリと言った。
「兄嫁⋯⋯だ。きずなの母が、初恋だった」
僕は、氷室の気持ちが分かる気がした。
もう既に鬼籍とは言え、想い人の娘は娶れなかったのだと。
氷室の自分を偽ることの出来ない一途さが、きずなの初恋を完璧な失恋に誘ったのだ、と。
「婿殿も次男長男だったが、奇跡の次男に返り咲いた。 俺は、少し羨ましい」
「えっ」
「俺も、次男長男だった。たくみもそうなった。婿殿は、稀な方だ」
言われてみれば、そうだ。
まさか、三十年前に神隠しに遭っていた兄が戻って今更、次男になろうとは、夢にも思わなんだ。




