第5話 みずなの願い-2
「それにしても、借金を盾にしたのはこっちも阿漕だが、踏み倒して実家に帰ったままってちと、悪事が過ぎるんじゃねえか?」
「え? いや、僕は姉から、そちらの母君に「借金の証文を破り捨てでも、お前のような嫁はいらん。女しか産めん石女は出て行け」と言われて、追い出されたと聞いていたのですが。え、姉上は借金踏み倒してうちに帰って来たんでしょうか?」
僕が狼狽えながらにそう言うと、義兄はみるみる怒りを増してその場に地団太を踏んだ。
「そんな話は聞いてねぇっ。 借金を踏み倒して出て行った、あんな悪食は忘れて、新しい女を作れって言うんで、漁が一段落着いたら、連れ戻しに行くつもりだった」
あぁ、ちゃんと文句を言いに来るつもりではあったんだ。
いや、いくら証文を破り捨てておいても本気で、姉やみずなを連れ戻す気があるなら、来るだろうからもう二月も経つのに何の音沙汰も無いから本気で離縁するつもりだろうと両親と話していたが、そうだったのか。
「おっとう、みずなは、おっとうとおっかあが居たら、ばあばに嫌われてても、我慢するから、私達を捨てないで。 わたし、生まれて来てごめんなさい」
「馬鹿言うな。 生まれて来た事を謝るなんて、二度と口にするな」
「うわぁああん」
父親に怒鳴れて、みずなは地面に座り込んで泣き出した。
「いや、この子に、何、言わせるのよっ」
きずなが慌ててその場にうずくまるみずなを抱き起すと、義兄はあろう事かきずなを突き飛ばしてみずなを抱き寄せた。
「人の娘に触るな。俺の娘だ」
一触即発の状況の中、背後でがさりと音がして、振り返ると般若の顔で打ち震えた氷室が、拳を握って前に出て。
きずなを突き飛ばした義兄に殴り掛かるすんでの所で、きずなが氷室を窘めて何とかその場は事なきを得た。
※
「事情を知らなかったと言え、非礼の数々、お詫びのしようもない」
義兄は服を着て、遅れて到着した一団を尻目に、氷室に深々と頭を下げた。
「いや、事情は伺った。 妻子が突如行方をくらまして、さぞ心配な日々を過ごされたのだろう。 それをぶしつけに、息女を連れ出したうちの姫が軽率であった」
「姫? お、お武家様は、一体かような方でいらっしゃいますか?」
「ここに居られる姫の親代わりをしている。 博多のものだ」
「博多、そりゃ都会から来られたもんで」
呆気にとられながらも、片時もみずなを抱いて離れなかった。
姉がずっと嫌そうな顔で恨めしそうに父にしがみついて離れようとしない水菜を見つめていた。
「兎に角、まず、夫婦でよく話をされると良かろう。我々は今夜はここの傍のはたごで宿を取る。 話はそこでしていただけるとありがたい。 姫はここの湯を大変愉しみにしておるのでな」
そう言って、氷室は義兄も連れて、本当に今しがたまで居た場所からすぐ傍に軒を構える鏡山のふもとの旅籠に入って、部屋で話をする事になった。
そこで、きずなは早速、露天の風呂に入るのだと、みずなを誘って湯屋に行ってしまた。
義兄が渋ったが、きずながうまくみずなに働きかけて、連れて行ってくれて、幾分話のしやすい状況になった。
幸い、同席しても良いと氷室も話の場に付き添ってくれた。
「借金はもう無いのだから、女しか産めない私はお役御免で、良いと思っています。 生意気な女の性分は一生治りませんから」
「……勝手にしろ。お前がそうしたいなら、構わねえ。 けどよ、水菜は俺の娘だ。 置いてけ」
「嫌よ。私が産んだのよ。 あんたは、十人でも二十人でも、新しく産んで貰えば良いじゃない? お金はある。 何人でも養えるって、口を開けば、金・金・金って、もうたくさんなのよ。 私は……一人しか産めない役立たずですから。 後生よ、そんな私が産めた娘を私から取り上げたりしないでよ」
「お前が一人しか産めねえって、俺が文句言った事があるか! 俺はお前が、俺が一度限りおめえに望んだ事以外、何も文句言った事ねえだろ。 何も、これ以上望んでねぇ 」
2人の話を聞いて、僕は二人の結婚生活のあらましを想像して血の気が凍った。
姉は幼馴染の許嫁がいたが、義兄の町に米を納めに行く手伝いで訪れた義兄に見染められて、里の借金を肩代わりを申し出て、縁談を漕ぎつけて、姉を嫁にした。
姉は、僕が一番骨身に染みる程、自由奔放に育ったが故に、婚家で全く義兄どころか、舅姑を立てる事なく、家事仕事は平等だと家の事は完璧にこなしながらも、外で働く男衆を立てず、平気で先に飯を食う、ひと月に一度の風呂の一番風呂に入るなど、絶対他家でやってはいけない金字塔の限りを尽くした挙句、みずなを身ごもりながらも家事の合間に、街道の沿いの旅人に声をかけては、里の窮地を救う知恵は無いかと聞いて回ったのだそうだ。
そして、好いた惚れたで妻に望んだ恋女房のどんな所業も、家事仕事は見事にこなして、待遇の不平不満を直談判して家族と揉めまくる姉に文句の一つも言った事がなかったが、この時ばかりは一言申したと言った。
「お前が俺の女でも、里の為に生きようと死のうとお前の勝手だが、腹の子を殺したら、 里ごとお前を焼く」
おおう、本当に海町の男衆の考える事は荒っぽいと呆れたが、同時に、姉とみずなへの深い愛を垣間見て、ホッとした。
姉も、みずなも愛されていた。
そう知る事が出来た事が幸いだった。
※
その日、結局義兄は、みずなの顔を見ることなく旅籠を去った。
ただ去り際に、姉に「お前、俺が好きか? 俺が金が無くても、裕福じゃなくなっても」と尋ね、「私は、貴方は好きだった」と答えて見送った。
その日は、お風呂に入っている途中でぬる湯の気持ちよさで眠気に襲われ、みずなは舟をこぎながら服を着て、脱衣場で敢無く沈没してしまい。
翌日まで目を覚まさなかった。
幸い、神社の板の修復も兼ねてご馳走を振舞って貰っていたので、朝まで腹もすかさず眠れたようだった。
「おっとうは?」
「夢を見たのよ。 なんの事かしら」
姉は、いけしゃあしゃあとみずなに嘘を付き、みずなに泣かれて往生していた。
「うっわぁあん~、帰りたくない。おっとうの所に行きたい」
しまいには、旅籠を飛び出そうとする。
姉が慌てて追いかけ、外へ出た、その時だった。
みずなが、向こうから歩いてきた人影に抱き上げられる。
——誰かに、抱き上げられている。
姉は、その場で足を止めた。
目を向けて、息を呑む。
「そうか、ここが良かったか?」
義兄だった。
更に泣きじゃくるみずなの頭を撫でながら、呆然とする姉に向かって義兄は言った。
「取り敢えず、居候させてくれるか? みずなを家なしには出来ねえから」
「……は、何言ってんの。 自分ん家はどうすんのさ」
「次男に家督を譲るって言って出で来たさ。 うちは三男も四男もいんだ。 金はあるらしい……ってか実際あるんだ。 俺が居なくてもかまわやしねえって」
姉は、よろよろと義兄の元に行き、義兄が抱きかかるみずなごと、義兄を抱き締めて、やっと泣いた。
あぁ、人は喜びでも涙を流せるものだった、と。
自分も、初めて我が子を胸に抱いた時、経験したことを思い出した。
その日は、義兄も加わって海沿いの道を優雅に歩きながらのんびり帰って夕暮れ時に里に着いた。
「は、婿殿?」
「申し訳ございません。実家と縁を切って参りました。 しばし、居候させていただければ、ここでなんなりと仕事を見つけ、ご息女と孫に苦労をさせぬ生活を心がけます」
義兄は、両親に臥して頼み込み、両親は慌てて義兄に顔を上げさせて、来訪を喜んだ。
「これから、仕事は増えるし、男では少しでもあった方がはかどるわ」
「そんなにすぐに里は繁えないよ。今年の柑橘はもう不味いんだから。早くても来年の初夏だろう?」
「あ、そう思っていらしたの? まぁ、柑橘の山が地鎮の最後の予定だから、今年は間に合わないけど。 暮らしの改善と食い扶持の確保は、何も柑橘だけじゃないの。 ほら、狩猟で獲れた皮を売り物にしたり、肉を捌いて食い扶持に当てて、獣肉って滋養に良いのよ。 余ったら市場で肉も売る。 そのお金で、味噌・塩・しょうゆ・砂糖を買うの。暮らしを豊かにしていかなきゃ。 柑橘一番、狩猟が二番、あと、家族はみんな共に幸せであれ……かな」
きずなはそう言って、義兄と姉がみずなと共に仲つつまじく笑いあう姿を見て、ハッとした。
きずなは幼くして両親と死に別れていて、辛くない筈がない事に。
それに、今頃やっと気付いた自分の愚かさに。
※
その夜、相変わらず毎晩風呂に入るきずなの行動を見計らって、僕は部屋に戻る間際に待ち伏せて、きずなに布に包んであるものを渡した。
「え、これ、なんですの?」
「うんと、済まない。 僕は、本当は謝らないといけなかったのに君の善意に甘えて、とんだ厚かましい真似をしてしまった事を、今は恥じている。とても、君の顔を見て渡せるものじゃないから、部屋に戻って中を見て。 僕は、間違いを正したい。君が許してくれるかは、別だと思っている。 だから、このまま、部屋に戻るよ。おやすみ」
僕は、振り返らず、部屋に戻った。
部屋に戻る途中、僕はきずなに返した手鏡を取り戻すまでのことを思い返していた。
多々良にきずなの手鏡に込める本心を知らしめられ、僕はきずなが里を出てすぐ海町に行って、手鏡を質入れした棚を訪れた。
「なんだ? 質入れはもうやっとらんよ。 返して欲しいってもんだ」
2年前の飢饉で質入れが殺到したせいで、物ばかりが入って、銭が流れ。
物価が戻っても、買い控えの世情で、物は売れず、人の財布は固くしまって、逆に生きて行く為に貯め込んだ質草を二束三文で売り飛ばして、質屋の多くは生計が傾いたと聞いている。
「前に、手鏡を質入れしたものです。覚えてらっしゃいますか?」
僕がそう声をかけると、ふてぶてしい顔で軒先に出て来た店主はなぜか僕の顔をみるなり、表情を和らげて、微笑みを浮かべた。
「おう、覚えとうが。 あんちゃん、山里の神主の息子じゃったじゃろう?」
「え、そうですけど。 覚えていてくださったんですか?」
「おうよっ、あんころは、儲かってんだから、施せ、施せってどこの里山の連中も、ただで金を融通しろって、荒っぽい奴なんて銭を棚から掠め取っていきやがるったが、あんちゃんはその日の食い物にも困ってんのに、さるなしの実を三つ持って何とか銭にしてくれってなあ、律儀で仏みてえなカモだと思ったよ。 はあ? あんときの手鏡、取りに来たんか?」
「はい、全額はすぐにはむりなんですが、せめて、まず、まだ、その品があるのか?だけでも、お尋ねしたくて」
「入んな。 おい、かかあ、茶だ。茶を出せ」
店主は、おかみさんにお茶を出させてから、僕の話を聞いてくれた。
「ほう、で、銭は今、いくらばかりあるんだ?」
「これほどです」
妻の離縁状と一緒に添えられていた手切れ金をそのまま店主に見せると店主は言った。
「おう、じゃぁ、こうしよう。この銭、全部でこの手鏡を渡す。 けど、この額は実際、お前さんに貸し付けた金額には足らん。 でも、後で返してくれるんなら、構やしねえ」
実際、裕福な妻の婚家が用立てた、見栄っ張りの家が出して来た手切れ金は安くはないが、それでも、里が飢饉を乗り切るに足る金額の足元にも及ばない金額だった。
「そんなどういう事ですか?」
「おめえさん、俺が、それで良いって言ってんだ。訳なんか聞いても、損するだけだぜ?」
「え、ですが? 10分の1にも満たない額ですよ。せめて、手付けになればと思ってですね」
「本当にあんちゃんお人よしだな。今のご時世な、高価な物より、喰いもんと銭が命なんだよ。 なんで今更、これを取りに来たんだい」
僕は店主に答えて少し答えに困った。
自分の想いをどう言葉にして良いか考えあぐねて、改めて、思い直して答えた。
「失った幸せを取り戻す為です」
「はあ? 物に幸せが宿るものかね?」
「ええ、宿っているんです。 それを思い出したんです」
「だったら、持って帰んな。 このご時世にそんな手鏡一つで幸せになれるんなら、なると良いさ。 ワシも、お前さんのお陰で、孫の節句に着物を用立てられて、一安心だ」
店主は、手鏡が戻った事を喜ぶ僕に泣き笑いで言った。
『もう良い。後の銭はいらん。必要な時に、一銭も返してこん、ただで恵んでもこっちがいざ頼んだら平気で突き放して来る奴らに比べてあんちゃんは、最初から最後まで良い奴だ』
帰りしな、女将さんもお礼を何度も言ってくれた。
これで、孫の晴れ姿を見れる。
お金は必要な時に必要なだけある事がどれだけありがたい事か、と言っていた。
金で、泣いたり笑ったりは何も、僕ら里の者だけに限らず。
色んな場所で、起こり得る事だとしみじみ感じた。




