第7話「図書館に眠る真書――世界の枠線」
夜が明ける前、私は再び王立図書館を訪れていた。
眠れなかったのだ。今日という日が、あまりにも重要すぎて。
静まり返った図書館の中、私は書架の間を歩いていた。何を探しているわけでもない。ただ、心を落ち着けたかった。
「眠れなかったのかい?」
書士の声が、背後から聞こえた。
振り返ると、黒いローブを纏った書士が立っていた。
「ええ。今日、全てが決まります」
「そうだね。運命の交差点だ」
書士は静かに頷いた。
「だが、あなたに見せたいものがある。ついてきなさい」
そう言って、書士は図書館の最深部へと歩き始めた。
私はその後を追った。
普段は立ち入ることのできない、禁書庫の扉の前で書士は立ち止まった。重厚な鉄の扉。そこには複雑な魔法陣が刻まれている。
「ここは……」
「真書の間だ。世界の真実が記された書が、眠っている場所」
書士は手を翳し、魔法陣を解除した。
扉がゆっくりと開き、中からは淡い光が漏れてくる。
中に入ると、そこは円形の部屋だった。
中央には台座があり、その上に一冊の本が置かれている。白い革装丁の、美しい本。契約の書とは対照的な、神聖な雰囲気を纏っていた。
「これが、真書」
書士が言った。
「世界の理を記した書。過去、現在、未来の全てが書かれている」
「全て……?」
「そう。あなたが契約の書を使って変えた運命も、ここに記録されている」
私は恐る恐る、真書に近づいた。
本は自然とページが開かれ、そこには金色の文字が浮かび上がった。
『リアナ・ヴァレンティアの運命』
その下には、複雑な図表が描かれていた。
まるで、枝分かれした樹のような図。一本の幹から、無数の枝が伸びている。
「これは……」
「あなたの運命の分岐だ」
書士が説明した。
「最初の幹が、元々の運命。そこから分岐した枝が、やり直した後の運命」
私は図を凝視した。
最初の幹には、「婚約破棄」「追放」「王立図書館」と書かれている。そこから分岐した枝には、「一度目の契約」「父の失脚」、そしてさらに分岐して「二度目の契約」「セルゲイの愛情喪失」と書かれていた。
そして——。
その先に、三つの枝が伸びていた。
一つ目の枝:「三度目の契約」
二つ目の枝:「契約の放棄」
三つ目の枝:「真実の選択」
「これが、私に残された選択肢……」
「そうだ」
書士は頷いた。
「三度目の契約をすれば、さらに運命が変わる。だが、代償は計り知れないものになる」
「契約の放棄は?」
「今の状況を受け入れ、自分の力だけで戦うこと。ただし、成功の保証はない」
「そして、真実の選択とは?」
「それは——」
書士は私の目を見つめた。
「あなた自身が、真実を見つけることだ」
「真実……」
「なぜセルゲイが婚約破棄をしたのか。なぜリオン侯爵があなたを狙うのか。そして——」
書士は真書のページをめくった。
そこには、驚くべき文字が書かれていた。
『セルゲイ・アルノが失った記憶』
『七歳の夏、図書館の庭園でリアナと交わした約束』
『「大きくなったら、君を守る騎士になる」』
私は息を呑んだ。
それが、セルゲイが私を愛した理由。
幼い頃の、彼の約束。
それが、二度目の契約で失われてしまったのだ。
「でも、これを知ったところで……」
「いや、意味がある」
書士は言った。
「記憶は失われたが、約束は消えていない。彼の心の奥底に、まだその想いは残っている。あなたが本当の愛を示せば、彼の心は再び開かれるだろう」
「本当の愛……」
「そう。打算でも、執着でもなく、ただ相手を想う気持ち」
真書は次のページを開いた。
そこには、リオン侯爵についての記述があった。
『リオン侯爵の真の目的』
『アルノ公爵家の財産を手に入れること』
『そのために、姪をセルゲイと結婚させる』
『ヴァレンティア家は、その障害に過ぎない』
「やはり……全ては金のため」
私は拳を握りしめた。
「彼は、愛も絆も何も考えていない。ただ、自分の欲望のためだけに——」
「そういう人間は、必ず自滅する」
書士が言った。
「だが、放置すれば多くの人が傷つく。あなたが止めるべきだ」
真書はさらにページをめくった。
最後のページには、今日の運命が書かれていた。
『王都の朝、謁見の間にて』
『三つの運命が交差する時』
『リアナは選択する』
『己の心に従い、真実を語るか』
『契約に頼り、運命を捻じ曲げるか』
『その選択が、全ての未来を決める』
「今日……全てが決まるんですね」
「ああ」
書士は真書を閉じた。
「だが、忘れるな。どの選択をしても、あなたは生きていく。大切なのは、後悔しない選択をすることだ」
その言葉が、深く胸に刺さった。
後悔しない選択。
それは、一体どれなのだろう。
図書館を出ると、東の空が白み始めていた。
もうすぐ、朝が来る。
運命の日が、始まろうとしている。
私は深く息を吸い、決意を固めた。
今日、私は真実を語る。
契約に頼らず、自分の言葉で、自分の想いで。
それが、後悔しない選択だと信じて。
屋敷に戻ると、リュートが待っていた。
「リアナ様、準備はできています」
彼は録音の証拠と、書き起こした文書を手渡してきた。
「これで、リオン侯爵の陰謀を証明できます」
「ありがとう、リュート」
私は彼の手を握った。
「あなたのおかげで、ここまで来られました」
「いえ、あなた自身の力です」
彼は微笑んだ。
「さあ、行きましょう。運命を、切り拓きに」
私たちは王宮へと向かった。
朝日が昇り、王都が目覚め始める。
新しい一日が、始まろうとしている。
そして、私の新しい運命も——。




