14時間目
白を基調とした部屋の中。窓の外はすっかり日が落ちています。
「黒崎さんったら、最後まで六神くんにノックアウトされっぱなしね」
壁際のベッドに腰掛けて、保健室の紋先生がウインクしながら言いました。
「あはは、本当ですね」
桃は『美女と野獣』をカーテンコールまでしっかりとやりきりました。その後、劇を見ていたイツメンからの労いの言葉を聞き終わるまで意識を保っていましたが、一同に笑顔でありがとうと告げた直後、いつものようにぱたっと倒れてしまったのです。
「ベルの役、すっごい良かったわよ。なんかね、健気な黒崎さんそのものだった気がするの」
紋先生はにっこり微笑んでそう言います。桃が感謝の意を述べました。
「ですが先生、私はヒロインにはなりきれなかったです」
桃がどこか清々しい表情でぽつりと呟きました。
「それでも、すごくいい気分です」
紋先生は深く追及したりしません。ただただ笑顔で、桃の話を聞いています。
「それが唯一、恋に効く薬なのかも知れないわね」
桃には、『それ』が具体的に何を示すのかはわかりませんでした。それでも、紋先生の言いたいことはなんとなく伝わったような気がしました。
「疲れたでしょう。ゆっくり休んでね」
桃は伶とこの場所でお鍋をつついた日のことを思い出しました。忙しかった劇の練習を思い出しました。うじじとのじゃんけん大会を思い出しました。虹色の文字で記されたプログラムを思い出しました。自分でもびっくりするようなアドリブを思い出しました。薄い肌着を着た伶がいました。胸に顔を埋めた時の違和感が蘇りました。手で確認してみました。すると伶が言いました。桃ちゃん何触ってるの、くすぐったいからやめてよー。
「ぶ、らじゃー」
紋先生は深く追及したりしません。
「みちるちゃんみちるちゃん、こっちこっち!」
隆也が翠園若学院のジャングルにみちるを連れ込もうとしています。
「いや、何するつもりやねん」
それぞれの出し物を終えた後の学院内は、日中とは違う静けさを漂わせています。暗くなった空には、ぽつぽつと小さく光るLEDライトがいくつもありました。噴水の水しぶきがその光に照らされ、宝石の雨が降っているかのようにきらきらと落ちていきます。
「見せたいものがあるんだ♪」
隆也はジャングルの中を指さします。人差し指が向いている遠くの方に、赤い物体が微かに見えます。
「ふーん」
さほど興味の無いみちるは、いそいそと隆也の後をついていきます。隆也は迷うことなく、ずんずんと先ほど指さした方角へと突き進みます。そしてしばらくも行かないうちに見えてきたのは、
「レッドカーペット?」
ジャングルの中を真っ直ぐに伸びる赤い絨毯でした。
「ささ、姫、この上を歩いて参りましょう」
隆也がみちるの手を取り、後は絨毯のゆくままに進むだけです。
「ピーチちゃんはね、主演以外にも何か大きなことを成し遂げたみたいなんだ」
隆也が歩きながら話します。
「詳しくは語らなかったけど僕にその報告をしてくれて、そしてラッキーを分けてくれた」
すると突然目の前が開けました。二人の前には円状に切り取られた空間がありました。そのスペースに大きな木は無く、丈の短い草だけが生えています。空間のちょうど真ん中に、膝丈程度の大きな切り株がありました。弱い月の光が、切り株に小さな影を作っています。
「みちるちゃん座って。間もなく上演の時間ですよ」
「ほいほい」
促されるままに切り株に座ると、隆也もその隣に座りました。そしてこそこそと切り株に何かをしました。
次の瞬間。
「え……」
唖然とするみちるに無理はありません。目の前に広がる暗い木々の集まりに映し出されたのは、色鮮やかな光の粒。粒はくっついたり離れたりしながら、おとぎ話のプリンセスを浮かび上がらせます。そしてまた別の粒が連れてきたプリンスが、プリンセスに指輪をプレゼントしました。すると、すべての光の粒が散り散りになり、『出会ってくれてありがとう』の文字を形成すると、輝きながら動きを止めました。
「みちる、これからもずっと一緒にいてね」
隆也のはにかんだ笑顔をじーっと見つめていたみちるでしたが、ふと口を開きました。
「一回だけな」
そう言うと、隆也の胸ポケットから猫耳を取り出し、自分の頭に被せました。
「ありがとう」
目の前に映し出された輝く文字を見ながら、みちるがぼそっと言いました。
「うおぉぉぉぉ!ツンデレ萌えぇぇぇぇぇ!!」
二人の背後の森に隠れていたちびっこ部員が、ほぼ息の音だけで静かに叫びました。
「黒崎さん、これで良かったんですね」
部員は呟き、一眼レフを握りしめながら、二人の姿を心のシャッターで切り続けました。
既にすべての装飾が片づけられ、昨日と何も変わらない三組の教室に、二つの影がありました。
「秋蘭、時間作ってくれてありがとう」
「いやいや、いいってことよ」
窓の外はLEDの光でそれなりに明るかったので、不審に思われないように教室の灯りはつけずにいました。
「こんなことを言うと、君は困るかも知れないけど」
伶の顔の左半分が明るく照らされています。窓際の誰かの席に座って話しています。
「君はボクにとって……」
「う……うん……」
秋蘭は窓際の誰かの机にあぐらを掻きながら、劇以上の緊張を感じて唾を飲み込みました。
「初めて出会った同じ境遇の人だと思うんだ!!!」
目を爛々(らんらん)と輝かせながら、伶が極上の笑顔で言い放ちました。
「……へ?」
訳がわからず間抜けな返事をする秋蘭ちゃん。
「女の子からきゃーきゃー騒がれて、猛烈アタックされることもしばしばで、でもボクは女の子には興味ないんだよ!そりゃ女の子に興味がある女の子がいても全然いいと思うよ!?でもボクは違う、ボクは男の子が好きな普通の女の子なんだもん!お父さんは恋愛対象にすら自由をくれないの!?」
ここに来て伶が爆発しました。いえ、クライマックスが近いからこそ爆発したのでしょう。
「あっ、ごめん、騒いじゃって……」
首をひょこっとさせて謝る伶の顔を、茫然と眺める秋蘭ちゃん。
「こんなこと言えたの秋蘭だけなんだ。女性ファンに騒がれることは良いことだから、出来るだけ隠しなさいってお父さんが……」
「あ……あぁ、そうか……」
あまりにタイトル通りのオチに、体の機能が省エネモードに突入した秋蘭ちゃん。うまい返しのひとつも出来ません。ふぅ~まったく、誰のせいだか。
「ごめんね、急にこんな話をし出して。でも秋蘭には聞いて欲しかったんだ」
伶は落ち着きを取り戻して言いました。秋蘭は軽度の混乱状態で、静かに伶の話を聞いていました。
「じゃ、門限だから、行くね」
「お、おう」
足取り軽く、教室を出て行く伶。しかしまたすぐ戻ってきて、扉からしばし秋蘭を見つめます。
「ん?どした?」
「ううん、何でもない」
秋蘭の顔は逆光によって、伶からはほとんど影にしか見えません。でも、伶には秋蘭の表情のひとつひとつが容易に補えました。
「秋蘭」
それは、初めて心を打ち明けた友の名。それでも、伶だって彼女にすべてをさらけ出した訳ではありません。言えば淋しくなることだってあるのです。
「またね」
「うん。気を付けて帰りや」
伶は首をひょこっとさせて微笑み、そして一目散に走って行きました。




