13時間目
「いや~なかなか接戦やったな~」
講堂の舞台袖へと続く廊下に設置された大きな控室にて。秋蘭がパイプいすにあぐらを掻きながら、つい先ほどの思い出を語ります。
「あんなにあいこが続くとは思わなかったよね。宇治之先生も必死だったよ」
急な休暇を取った罪滅ぼしに、メイド姿でいそいそと仕事をしていた三組の担任を思い出して、伶がくすくす笑いました。
「罪滅ぼしって、ひげ生えたメイドを見ても誰も嬉しくないけどな」
秋蘭が複雑な表情で正論を述べました。
「にしてもじゃんけん強いねんなー桃は」
「あ、ああああ次のセリフなんだったっけ!?」
うじじとの接戦を終えた桃に向けられた秋蘭の言葉は、錯乱状態の彼女には1デシベルも聞こえていませんでした。
「桃、緊張しすぎやで。言うてる間に始まるんやからもう諦め」
秋蘭がトンっと軽く桃の肩を叩きました。しかし、極度の緊張に陥っているのは桃だけではありません。控室の中にわんさかいる関係者の中には、例え裏方であっても自分の仕事をやり遂げられるかが不安過ぎて、トイレと控室をシャトルランしている人が何人かいました。
「あれだけ練習したんだから大丈夫だよ。桃ちゃんなら出来る」
まっすぐな瞳を桃に向けて、伶が噛みしめるように言いました。
「……うん、そうですよね……!」
伶の言葉に、彼女なりの決意を決めて桃が頷きました。
「いや、もう木のインタビューは間に合ってるから!!」
桃の決意が固まった時、三人と少し離れたところで、一眼レフを持ったちびっこ報道部員の声がしました。
「じゃあ次は一番苦労したこと!木という役に我慢すること!」
部員の抵抗何のその、美稀は自分の役(木その3)について熱く語り続けています。
「くそー!俺は木その3の話し相手をするために楽屋に来たんじゃないんだ!」
部員はそう叫ぶと、転げそうになりながら桃の前にスライディングしてきました。
「黒崎桃さん!ヒロインのあなたに是非お話を……!!」
「いや、わわわ私はそそんなヒロインだなんて」
「ヒロインじゃないですか!?木でもその3でもなくヒ・ロ・イ・ン!ほら!」
部員は持っていたプログラムの残部から一枚取り出し、桃の名前が載っているページを開けようとします。
「ほら!ここ……こっこここっこここここれは……」
「それでは有志の皆様―!そろそろ舞台袖に待機の方よろしくお願いしまーす!」
進行役のよく通る声が聞こえた瞬間、控室の全員が一気に動き出しました。秋蘭の動きはとりわけ早く、「お先!」と二人に言い残して、スタンバイの指示に走ります。
「こここれは……幻の……」
「桃ちゃん、僕も先に行ってるね」
伶が短く言いました。そして舞台袖へと流れる人混みに紛れてゆきます。
「幻の……レインボープログラム……」
「あ、私も行きます」
「待って!」
伶に伸ばしかけた桃の手を、ちびっこ報道部員が掴みます。今この空間で足を止めているのは、部員と桃の二人だけでした。
「黒崎さん、あなたはラッキーです。あなたは今日、本当のヒロインなのかもしれない」
後夜祭を共に過ごす相手は決まっていますか――そう続けるちびっこ部員。
中身の文字が虹色で記されたプログラムは、何千枚かに一枚だけのプレミアムチケット。
「ビースト!」
「ベル!」
照明は赤・黄・白・Offと速いスピードで展開します。音響は豪雨や雷などの音が入った嵐モード。舞台裏からは、演者に当たらないように角度を付けた大きな扇風機が風を巻き起こします。舞台の上からいくつも吊るした細いビニールテープがその風を受け、照明の光をアトランダムに跳ね返します。それはまるで雨がきらきらと光るようでした。
「ふぅわっはっはっはっ!!今のうちに別れの挨拶でもしろ!今生の別れだからなあ!」
桃の頭の中には虹色の文字。後夜祭を共に過ごしたい相手ははっきりわかっているけれど、自分にはそんな大それたことをあの人に伝える勇気も術もない。
「ベル……離すんだ」
「だめよ!絶対離さないわ!」
大道具係さんが机を積み重ねてすごく強固な造りで固めた今にも崩れそうな崖の淵。下は、両端を舞台裏で大道具係さんが操る青いビニールの大海原。万が一に備えて下には体育用のマットが敷いてありますが、落ちれば事実上打撲、脚本上死は必至。桃はそのか弱い腕で必死に伶の手を握ります。桃の手を握る伶も、伶の足を掴む秋蘭も、片手は備え付けられた出っ張りで自分の体重を支えているので、落ちることはありません。けれども、桃は何かを伝えるように、必死に伶の手を握ります。
「ベル、聞いておくれ」
「だめ!じっとして待ってて、村の人たちが来れば助けてくれるわ!」
「ベル」
伶は答えるかのように、桃の腕を掴んでいる方の手にギュッと力を込めます。
「私はもともとそう長くない命だった。しかしそれも運命。あの赤いバラが散っていくことも、ただの失望でしかなかった」
野獣コスチュームのたてがみが、風にさらされて乱暴に吹き乱れます。
「でも、いつからかその命が惜しくなった。ベル、君のおかげだよ。君に出会ってからと言うもの、毎日が新しくて楽しくて何だか恥ずかしくて――君は希望の光だ、だから、ベル」
桃の頬を、一筋の涙が流れ落ちます。
「私の分まで生きてくれ」
「そんなこと言わないでビースト……」
桃の声は震えていました。
「愛してるよ、ベル」
「私もよ……だから……」
本番なったらわからんよ?アドリブの神が降臨するかも♪――
「だから……また一緒にお鍋をつついて、二人で長いすに座って……。いつも目を覚ませばあなたがいた……壁際のベッドに寝ていると、あなたが迎えに来てくれて……だから……」
トイレと控室をシャトルランしていた照明係リーダーが、断末魔の表情で台本を睨んでいました。放送室にいる他の照明係は一斉に、リーダー!!!と指示を仰ぎます。ちょうど今、講堂二階の側面にいるスポットライト組から、リーダー!!!と無線が入りました。
「だから……行かないで――私のそばにいてください!!」
その時、照明係リーダーは決心しました。照明係さん光量全開のち暗転のち全開のち通常のちリーダートイレに直行。
「さあ!道連れ……う、うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」
繰り返される暗転の中で、机の崖をちょっと登りながら叫ぶ秋蘭。伶の野獣コスチュームの背中チャックを開けざま、青いビニールテープの海原へと落ちて行きました。
「ベル」
暗闇の中で伶の声がします。
「ありがとう、ベル」
その時、照明と音響を受け持つ放送室に、若干足を引きずった脚本家が現れました。照明係さん、彼女の指示通り光量全開の明転。
「君のおかげだよ」
明るくなった崖の上にも下にも野獣の姿はなく、あるのは薄い肌着を身に着けて崖に立つ伶の姿。
「君の純粋な気持ちが、僕を本来の姿に戻してくれたんだ」
客席からは小さく、伶様~♡という声がいくつか聞こえます。
しかしその声よりも小さく、
「伶ちゃん」
と呟き、桃は伶の胸に顔を埋めました。そしてナレーション。
「奇跡!ビーストの赤いバラは、その最後の花びらが落ちる寸前に今までの時を取り戻し、ビーストを王子の姿へと変えたのです!ベルはその後、村人に二人の愛の巣である城や庭園を開放し、祝福されながらいつまでもいつまでも幸せに暮らしました。人々は、人を見た目で判断してはいけないということ、そして愛する人への想いを愛する人に伝えることの尊さと勇気を知ったのです。さあ、皆さんもこの後の後夜祭では、思う存分愛を囁き合ってくださ~い♪」
明菜の気の利いたピュアボイスで舞台は締めくくられ、徐々にボリュームを上げて流れてくるのは『Beauty and Beast』。その名曲を掻き消さんばかりに、大きな拍手と歓声がいつまでも講堂中に響きました。




