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ピヨからLINE。
『朝倉が退勤しました』
橋場は一度自宅に帰って用意万端整えていた。よれたトレーニングウエアの上下、野球帽にマスクとサングラス、手には競馬新聞、耳には赤ペン。うらぶれた中年のおっさんという、完璧な変装であった。
小洒落たカフェの一隅を占領してみたら、客も店員も橋場が不快なのか視界に入れようとしない。ブレンドコーヒー一杯でねばる。ゲップをするのも通りすがりの女性を見てにやにや笑うのも、恥ずかしいどころかちょっとした権利の行使をしている気がする。ガラの悪い格好をするとガラの悪い言動も許された気分になる。優越感を抑え、店内から会社の玄関に視線を移す。やがて、あたりをきょろきょろと警戒する朝倉が出てきた。行動開始だ。
ストーカーを見つけ出し、ギッタギタに叩きのめす。俺の名誉は俺が取り戻す。
『僕はどうしたらいいですか』
ピヨからだ。ピヨにはストーカー退治を手伝ってもらう。相手がどんな男かわからないが、複数で対峙すれば負けることはないだろう。
俺ひとりでも、卑劣なストーカーには充分立ち向かえる自信はあるのだが。
『俺は朝倉をつけるから、おまえは俺をつけろ。俺が困ってたらアシストにやってこい』
『了解っす』
弱みを握られたピヨは素直に従う。
橋場は朝倉を追った。彼女は足早に駅に向かっていた。うっかりすると見失ってしまいそうだ。改札を通るとき、一度だけ朝倉は周囲を警戒するように振り返ったが橋場が気づかれることはなかった。
『部長はまだ社内か? うちの部長じゃなくて第一営業部の』
『残業らしいっす。どっちかの部長がストーカーってほんとですか?』
どっちかであってほしいというのは橋場の願望だった。他にめぼしい奴がいないのだ。
ピヨはストーカーの情報を得るために、「先輩が粗末な物を見せてすみません」などと朝倉に頭を下げにいったそうだが、第一営業部の部長は部外者を朝倉に近寄らせなかった。代わりになぜか局山のLINEをゲットしてきた。経理なのになぜか第一営業部に入り浸っている。というわけで、ストーカー情報はほとんどない。だから推測は雑になる。
『それにしても……先輩の格好が汚くて幻滅です』
どんな格好をしているか説明しなかったのにピヨは橋場を見つけたようだ。ピヨに幻滅されても痛くも痒くもなかった。衣類は封を開けたばかりの新品、ノーパン、足は裸足にサンダル、頭はつるっつるだ。
『朝倉の住所は桜町なので最寄り駅は桜中央駅のはずです』
有益な情報だ。感謝を込めて軽く振り返ってみたがピヨを見つけることはできなかった。帰宅ラッシュの時間だ。ストーカーがいつ現れるかはわからない。最寄り駅のほうで待ち伏せている可能性もある。
隣の車両に乗り、尾行を続けた。一度乗り換え、桜中央駅に着く。プラットフォームにおりた。朝倉を探したが見つけられない。
「まさか」
「先輩、車内に戻って!」
ピヨの声が聞こえて慌てて踵を返す。
閉まりかけた扉に無理やり体を滑り込ませた。頭と右足を挟まれ、両肩は扉に激突した。センサーが感知して開いたものの「飛び込み乗車はおやめください」のアナウンスに赤面する。
「くそ!」
声が届く範囲にピヨがいるはずなのに、乗客に紛れてわからない。たいした奴だ。スマホの画面に意識を移す。
『先輩、面白くて最高っす』
『おまえ興信所に転職できそうだな』
『興味ないっすー』
『朝倉はどこに向かってるんだ!!!』
『動きましたよー』
朝倉が降りた。桜中央駅の二つ先だ。
『婚約者と会うのか? どんなやつなんだ』
『知りませんよ。興味ないんで』
橋場は慎重に朝倉のあとをつけた。朝倉に接近する者がいたら、それはストーカーか婚約者だろう。ところが、改札を抜けたあたりから自分が場違いなことに気づいていたたまれなくなった。周囲は若い女性でいっぱいだ。みな同じ方向を目指して歩いている。
『先輩、今夜はアイドルのコンサートがあるみたいです』
なるほど、辿り着いた市民会館には男性アイドルグループのポスターが貼りだされている。どうやら朝倉の目的もコンサートのようだ。
チケットを持っていない橋場は立ち止まった。小さくなっていく朝倉の背を見送る。若い女性の集団におっさんが紛れていたら、それこそストーカーじみている。本物のストーカーも会場の中まで追ってはいくまい。
スタッフらしき人がちらちらと橋場を見ていた。格好だけ見ればダフ屋みたいなもんだから、怪しまれて当然だろうと橋場は思う。スタッフに向き直った。怪しまれないように尋ねる。
「当日券売ってますか?」
「ありません。チケットのない方はお帰りください!」
汚物を見るような目でにらまれた。俺が本物のファンだったら傷ついたろう。反論せずにすごすごと引き下がる。
引き返そうとした橋場の耳に、ひときわ大きな「お帰りください!」という声が届いた。しつこさに辟易して振り返ると、橋場に向けられたものではなかった。
「どうして入れないんですか。私、チケット持ってますけど!」
朝倉の声だ。必死に警備員に食い下がっている。
「あなたは、出禁! なんです! 帰りなさい!」
呆然と眺めていると「うわ、また来てるよ、あの女」「懲りないね」「頭おかしーんじゃない?」などと囁く声も耳が拾ってくる。
そこへ朝倉の背に手を回して外に出るよう優しくうながす人影があった。局山だった。
「さあ、帰りましょう」
「ねえ局山さん。局山さんもおかしいと思うでしょ。だって私、ちゃんとチケット持ってるのに」
「そのチケット、不正に入手したのよね。ファンクラブ退会させられたでしょ。さあ、帰りましょう」
彼女たちのほうにふらりと足が傾くのを、背後から肩をつかまれて制止される。振り返るとピヨが悲痛な顔をして立っていた。
「局山さんにまかせましょう」
「あ、ああ? どういうことだ。つ、局山がストーカーなのか?」
ピヨは首を振った。
「朝倉さん、すごく興奮しています。僕たちが顔を出したらパニックになるかもしれません」
「そうか、そうだな。……説明してくれるんだろうな、ピヨ」
ピヨは頷いた。とても頼もしく見えた。




