戦士の眼
剣圧が、白い刀身を真正面から打った。
金属音が遅れて胸骨の裏へ潜り込み、骨の継ぎ目がきしむ。足裏の感覚が一瞬だけ抜け、踏ん張るはずの足首からふくらはぎへ、硬い痛みが走った。
唇の裏が乾き、耳の内側がきゅっと詰まる。息が半拍遅れ、そのわずかな遅れがそのまま致命へ転ぶ。頬の熱がすっと退き、膝が勝手に固まった。
次の瞬間、圧がふっとほどける。空気が抜ける音。胸の内側で息がぷつりと切れ、張りつめていたものだけが行き場を失った。
靴底が石をきゅっと噛み、体がようやく真ん中へ戻っていく。ぼやけていた修練場の輪郭が立ち上がり、揺らめいていた男の姿が、実体を帯びてくっきり浮かんだ。
ヴィル。
父の旧い友人。何事もなかったみたいに静かに立っている。息は乱れていない。
その視線が一度だけわたしの手元へ落ち、また持ち上がる。ほんの短い往復なのに、掴みきれない距離と、見透かされる気配だけが残った。
「その小さな体で、よくぞ俺の一撃を耐えてみせた。普通なら、これで終わっていてもおかしくはない」
震えが掌の芯へ戻り、白い刀身の冷えが肘の内側まで伝っていく。対する彼の影は、わたしより一段高く、肩の線は壁みたいに広い。半歩近づくだけで、空気の重さが変わった。
喉に残る渋みを息で押し下げ、ようやく口を開く。
「なぜ……なぜ、全力で振り抜いて押し切らなかったの? あなたの圧力ならそれができたはず……」
言葉の端が擦れ、刃のない白がひどく遠く見えた。
「そんなことをしていたら、お前はいまごろ壁にめり込んでいただろう」
淡々とした真実が、石粉の匂いをまだ濃くする。
「まず、一度目は合格だ」
一度目。たったそれだけ。
胸が忙しく打ち、背に汗が薄く張りつく。いま立っているのは、生半可では届かない『壁』の前だ。
「それにしても、真正面から受け止めるとはいい度胸だ。褒めてやる」
舌先で唾を押し込み、揺れそうな声を押し戻す。
「それって、皮肉……?」
「そうじゃない。お前は決して無謀でも無策でもなかった。風の障壁を展開して、俺の勢いを削ごうとしていただろう。なかなかどうして、よく考えているじゃないか。魔術師としては及第点といったところか」
見抜かれている。息を整えるつもりで持ち直した白い剣が、手の内でひとつ滑った。
「……光栄だわ」
吐いた息は冷たく、胸の奥にだけ小さな痛みが残った。
「しかし、いつの間に魔術を仕込んでいた?」
短く、素っ気なく返す。手の内は渡さない。
「合図の後からよ」
目は逸らさずに答えながら、呼吸だけを浅く整える。
「すると、お前の魔術属性は風か?」
視線が刺す。ぼかすしかない。
「さあ? それはどうかしら?」
彼の眼差しが、さらに研がれる。
「ミツル、お前はもしかして、詠唱なしで魔術を使えるんじゃないのか?」
息が止まりかける。けれど、表には出さない。
「かもしれないわね」
その瞬間、ヴィルの瞳の奥に、獲物を追う獣とも違う硬い光が差した。
「ふむ……。どうやらお前は、詠唱なしで背後に風の障壁を仕込んでいたようだな。そして、俺が打ち込むタイミングに合わせてぶつけてきた」
ほんの刹那。その一刃のあいだに、そこまで読む。
「へえ、よくわかったわね」
「それくらい、剣に伝わる感触でわかるだろう。俺がどれだけ場数を踏んでいると思っているんだ?」
声の底で、歳月の重みが鳴っていた。
「通常、魔道具持ちでも簡潔な詠唱が必要だったり、発動までに隙が生じるものだが、そんな気配はなかった。それだけじゃない。即座に次を展開して、俺の勢いを殺そうとしていただろう?」
返事より先に、手の内で白い剣がわずかに遊ぶ。肘の熱はまだ引かず、震えだけが手首に残っていた。
剣の感触が、勝手に身体へ刻まれていく。逃がしてくれない。
「……でも、あなたは障壁を真正面から切り裂いてきた。そんな芸当ができる人がいるなんて、想像もしなかったわ」
用意していた形が手の中で崩れる。声の端が細くなる。
彼は微笑んだ。冬の修練場へ差す陽だまりみたいな、ほんのわずかな温度を帯びた笑みだ。
「まあな。たとえ無詠唱であろうと、仕込みであろうと、俺にとっては大した問題じゃない。それよりも速く、強く、ただひたすらに斬るだけだ。言っておくが、この間合いなら、俺を止められる魔術師はまず存在しない」
声の底が揺らがない。空気が一段重くなり、肋の内側がきしむ。
「恐れ入ったわ……」
こぼれた声は薄く、胸の奥にだけ渋みが残った。
「はっはっはっ。それを言うなら、俺もお前の冷静さには恐れ入ったぞ。子どものくせに、大人顔負けじゃないか」
笑いが壁で弾み、空気を明るく震わせる。歯の隙間に石粉が噛んだみたいにきしみ、足裏の石が一段冷たくなった。
――子ども子どもと、うるさい。
奥歯が噛み合い、頬の内側が熱い。
ここで終われるか。
なら、もっと遠くへ行くしかない。
わたしは半歩だけ足幅を取り直し、踵を沈めた。肘の抜けを意識の端で縫い止め、白い剣をもう一度、身体の正中へ据える。
掌へ戻った冷えだけを頼りに、わたしは二撃目へ意識を結び直した。




