戦士の眼
白い刀身を押し込んでいた力が、ふっとほどけた。
白い剣を支えていた身体が前へつんのめりかけ、靴底が石をきゅっと噛む。傾いた重心を両足のあいだへ戻すにつれ、足首からふくらはぎへ硬い痛みが走った。
吸おうとした息が、胸の浅いところでつかえた。
最初の風圧を斬り裂かれた直後、刀身の前へ滑り込ませた二つ目の〈場裏・白〉も、ヴィルの剣勢をほんのわずか削っただけだった。受け止めきれなかった衝撃が、まだ手首から肩へ痺れとなって残っている。
白い剣を下ろせないまま、浅く息を継いだ。
ぼやけた灯の向こうで、ヴィルは何事もなかったように立っていた。剣先を下げ、こちらの様子を見ている。肩は呼吸にさえ揺れていない。
その視線が一度だけわたしの手元へ落ち、また持ち上がった。短い往復だった。それなのに、指の震えも、崩れかけた足元も、すべて拾われたような気がした。
「その小さな体で、よくぞ俺の一撃を耐えてみせた。普通なら、これで終わっていてもおかしくはない」
柄越しの反動が、掌から肘へ戻ってくる。
褒められたとは思えなかった。
いまの一撃は抑えられていた。二つの〈場裏〉を続けて使っても押し切られかけたのに、彼は最後まで振り抜いてさえいない。
息を細く吐き、ようやく口を開いた。
「なぜ……なぜ、全力で振り抜いて押し切らなかったの? あなたの圧力ならそれができたはず……」
擦れた声が、白い刀身の震えに紛れた。
「そんなことをしていたら、お前はいまごろ壁にめり込んでいただろう」
返す言葉を探して吸った息に、石粉のざらつきが混じる。
「まず、一度目は合格だ」
一度目。合格という言葉より、その前に置かれた数が刺さった。腕の痺れが消えないうちに、もう一度あの剣を受けなければならない。しかも、いまの一撃さえ彼の全力ではなかった。
「それにしても、真正面から受け止めるとはいい度胸だ。褒めてやる」
ヴィルは剣を下ろしているだけだった。こちらの指にはまだ痺れが残っているのに、彼の手元には乱れひとつない。唾を飲み込み、揺れそうな声を押し戻した。
「それって、皮肉……?」
「そうじゃない。お前は決して無謀でも無策でもなかった。風の障壁を展開して、俺の勢いを削ごうとしていただろう。なかなかどうして、よく考えているじゃないか。魔術師としては及第点といったところか」
汗ばんだ掌のなかで、白い剣の柄がわずかに滑った。
背後に〈場裏・白〉を置いたことも、ヴィルの踏み込みに合わせて風を解放したことも、刀身の前へもう一つの領域を滑り込ませたことも、あの一度の攻防で拾われている。
及第点という響きは、思ったよりもやさしくなかった。次は通じないと告げられたようで、指先の汗が冷えた。
「……光栄だわ」
「しかし、いつの間に魔術を仕込んでいた?」
「合図の後からよ」
目は逸らさず、呼吸だけを浅く整える。
「すると、お前の魔術属性は風か?」
答えの代わりに、唇の端だけをわずかに上げた。
「さあ? それはどうかしら?」
ヴィルがわずかに目を細めた。
「ミツル、お前はもしかして、詠唱なしで魔術を使えるんじゃないのか?」
息が止まりかける。けれど、喉だけを小さく動かし、口元は崩さなかった。
「かもしれないわね」
ヴィルの視線が、白い剣からわたしの指先へ移る。
「ふむ……。どうやらお前は、詠唱なしで背後に風の障壁を仕込んでいたようだな。そして、俺が打ち込むタイミングに合わせてぶつけてきた」
柄を握り直す。冷たい金属の感触が、掌へ戻った。
「へえ、よくわかったわね」
「それくらい、剣に伝わる感触でわかるだろう。俺がどれだけ場数を踏んでいると思っているんだ?」
父と並んで剣を振った年月が、その声には残っていた。
「通常、魔道具持ちでも簡潔な詠唱が必要だったり、発動までに隙が生じるものだが、そんな気配はなかった。それだけじゃない。即座に次を展開して、俺の勢いを殺そうとしていただろう?」
答える前に、ヴィルの剣先へ目を向けた。
「……でも、あなたは障壁を真正面から切り裂いてきた。そんな芸当ができる人がいるなんて、想像もしなかったわ」
用意していた形が、手の中で崩れていく。
ヴィルの口元が少しゆるんだ。けれど、剣の握りは少しも緩まない。
「まあな。たとえ無詠唱であろうと、仕込みであろうと、俺にとっては大した問題じゃない。それよりも速く、強く、ただひたすらに斬るだけだ。言っておくが、この間合いなら、俺を止められる魔術師はまず存在しない」
低い声は揺らがなかった。魔術を置く余裕も、予知の像へ身体を重ねる余地も、あの剣は断ち切ってくる。この距離では、考えが形になるより先に刃が届く。
「恐れ入ったわ……」
自分の声が、ひどく薄く聞こえた。
「はっはっはっ。それを言うなら、俺もお前の冷静さには恐れ入ったぞ。子どものくせに、大人顔負けじゃないか」
笑い声が石壁へ返り、張りつめていた空気を明るく震わせた。けれど、足裏には床の硬さしか返ってこない。
――子ども子どもと、うるさい。
奥歯が噛み合った。腹の底からせり上がった熱を宥めようとしても、肩の力は抜けなかった。
――わたしは、ユベル・グロンダイルの娘として、ここに立っている。
受けるだけで終わるわけにはいかない。
わたしは足幅を半歩だけ広げ、踵を沈めた。肘に残る震えを押さえ込み、白い剣をもう一度、身体の正中へ据える。
掌へ戻った冷えを頼りに、ヴィルの肩と足元へ視線を戻した。




