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精霊の加護と運命の剣

 宿の薄暗い魔道ランプが、わたしの影を静かに長く引き伸ばしていた。


 マウザーグレイルの柄に指先を置く。金属に見えるその白い表面が、皮膚の薄いところから熱を奪っていく。息を整えようとして、うまくいかないまま胸骨の奥だけが小さく鳴った。


 意識を深く沈めていく。暗い水底へ潜るような感覚の先で、幻想の淡い光がふわりとひらく。


 その中心に茉凛がいた。柔らかな燐光を纏い、いつものように微笑んでわたしを迎える。触れられない距離なのに、目だけが体温に近い色をしていた。


《《……ふーむ。話は聞かせもらったが、これは謎が謎を呼ぶ展開だね》》


 茉凛は探偵気取りで顎に手を当て、わざとらしく眉間に皺を寄せた。その仕草がどこか愛嬌たっぷりで、張り詰めていた神経が少しだけ緩む。


《《メービスにヴォルフときたか……。名前の響きも、姫巫女と守護騎士っていう役割も、あの演劇とそっくり。いんや、配役そのままといってもいいかも?》》


 小首をかしげた彼女の髪先が、重力のない場所でゆっくりと漂って揺れる。揺れ方があまりに細やかで、逆に現実味が薄く、胃の底がひやりとした。


《《けどさ、伝説なんて尾ひれがついてナンボじゃない? 真実と創作がミキサーにかけられて、何百年も経てば原型なんて残らないものだよ。だいたいここは異世界なんだよ。今のところは『偶然の一致』ってことで処理するのが、名探偵茉凛の推理かな》》


 茉凛の声は軽やかで、意識的に明るい。わたしは頷きかけて、すぐに止めた。


「言われてしまえば、その通りなんだけど……」


 頷いた瞬間、さっき鏡の前で見た自分の姿――あの得体の知れない符合まで肯定してしまいそうで、息が喉の奥に引っかかる。


「それでも、どうしたって気になるの。メービスってリーディスのお姫様だったわけでしょう? 母さまだってそうだし、わたしはその血を継いでるんだから……」


《《気になるのは髪の色のことかな? メイレアさんとあなたは黒で、メービスは緑ってこと》》


 言葉にされた瞬間、みぞおちのあたりがきゅっと縮む。視線が逃げ場を探して、茉凛の肩のあたりをさまよった。


「そこよね。王家の血筋の髪色なんてわからないけど、さすがに緑ってのは……。普通に考えてありえないでしょ?」


《《だよねえ。アニメキャラじゃあるまいし、地毛で緑なんてね。まあ、ミースさんが作ってくれたのはすごく自然な若緑色だったけどさ》》


「そう、とても綺麗だった。……でも」


《《でも?》》


「もしかして、メービスの本当の髪の色って……」


 ――わたしと同じ、黒髪だった……? 


 口にしかけた言葉を、寸前で飲み込む。舌の裏が乾いて、唾が鉄のように重くなる。


 確証のない推測は、今はまだ毒にしかならない気がした。茉凛もそれを察したのか、ぱちんと指を鳴らして空気を変える。


《《ま、今は考えても答え合わせできないし! それより気になるのは、“精霊”の泉の加護ってワードのほうかな。精霊子とか黒鶴とか、そっちのほうが重要そうだし》》


「そうね……。あと、聖剣っていうのも――もしかして……」


《《マウザーグレイルだってこと?》》


 茉凛が真剣な瞳でわたしを見つめてくる。心配そうな影がその表情に差し込んで、胸がじんとしたもので満たされる。


 けれど次の瞬間、彼女は芝居がかった動作で大げさに両手を広げてみせた。


《《そう、かもしれない……信じるか信じないかは、あなた次第ですな!》》


 おどけたポーズで煙に巻く。わたしが暗い穴へ落ちそうになると、彼女はこうしていつも、軽口というロープを投げてくれるのだ。


《《……なんてね。さすがにそれは飛躍しすぎだよ。伝説の聖剣とお揃いだなんて、かっこいいけどさ》》


 茉凛は空中でくるりと体を回し、両手を組んで考え込むふりをする。動きが滑らかすぎて、吹き出しそうになるのを喉の奥で堪えた。


《《まずは、詳しく調べてみなくちゃね。ほら、この世界の事情とか歴史とかさ。わたしたちって、ほんと知らなすぎだもん》》


 調べる、という言葉が救いになる。答えじゃなくても、進み方にはなる。胃の奥が、ほんの少しだけ落ち着いていく。


「そうだね。無知なままではこれから先に進めない。そのためにも、わたしはリーディスに向かうべきなんだと思う。王都に行けば、きっと手がかりになるものが見つかるはず。それに、フィルが言っていた――」


 フィル・ラマディ。エレダンで出会った風属性の若き魔術師の声が、薄く脳裏を掠める。


《《王立魔術大学だね》》


 彼女の言葉に、わたしは深く頷いた。茉凛は嬉しそうに目を輝かせ、ぴょんと跳ねる。弾けた光の粒が、わたしの不安の縁を少しだけ削っていく。


《《大学っていうからには、図書館くらいあるでしょ。古い本だって山ほどあるに違いないっ。よーし、この世界の知識をまるっとゲットだぜ》》


「また調子に乗って……そんな簡単にいくもんですか。いくらわたしが本が好きだからって、物理的な限界があるわよ。頭がパンクしちゃうか、どうせ右から左へ流れて上っ面だけでおしまいよ」


 語尾がわずかに尖る。息を吸い直してから、ようやく肩の力を戻した。


《《ふっふっふっ……甘いな美鶴くん》》


「なに、その不敵な笑いは?」


《《君が泥まみれで修行に明け暮れる日々の中で、わたしがただぐーたらしてただけと思うかい? 『こんなこともあろうかと』、ある秘策を手に入れておいたのだよ!》》


 指先の奥で、警戒と期待が同時に立つ。どちらも同じ重さで、息の通り道を狭くした。


「……なにそれ?」


《《それはね……》》


「それは?」


《《その時までの、ひ・み・つ》》


「もったいぶってないで、教えなさいよ」


 声をわざと硬くする。頼っているのが透けないように、形だけを整える。


《《やーだ。種明かししちゃうとつまらないし。ま、ヒントを言うなら『超高速学習モード』ってところかな。今は必要な各機能をチェックして、目的特化に向けてシステムを統合・最適化中ってところかな》》


 無機質な単語が並んだ瞬間、わたしの眉がほんの少しだけ寄った。茉凛の口から出るには、硬すぎる。柄の冷えを確かめて、現実の座標を握り直す。


「……誰の口調よ、それ」


《《ふふん、美鶴くん。わたしも日々努力を重ね、学んでいるのだ。『人、それを成長という』》》


 得意げな芝居がかった声に、喉の奥のこわばりがほどける。こっちへ落ちるな、と言われたみたいで。


「それってつまり、マウザーグレイルの持っている機能が学習に生かせる? そういうこと?」


《《正解。簡単に言うと、わたしたちの意思や五感をダイレクトにつなげる機能さ。マウザーグレイルの演算能力と、底なしの記憶容量。これらを組み合わせれば、本の虫もびっくりの速読ができる……はず》》


 言葉が順に積もっていく。頼もしいのに、どこか怖い。怖さの正体を探す前に、胃のあたりがきゅっと縮んだ。


「そんなことをして、危険はないの? 深く潜りすぎて、またあなたが消えてしまいそうになったりしたら……」


 最後の語尾が、わずかに震えた。柄に押し当てた額が熱を持っているのが、自分でわかる。


《《ないない。絶対ない。それだけは保証できる。わたしがついてるんだから、大船に乗ったつもりでいてよ》》


 保証、という言葉に少しだけ救われる。それでも安心しきれなくて、わたしは小さく頷いた。頷きは、相手へではなく自分自身へ向けたものだった。


「……あなたを信じているけど、慎重にね。約束だよ」


《《約束する。そのときが来るのを楽しみにしていてね》》


 楽しみにする、という言葉が胸の内側に灯る。灯ったぶんだけ、ミースの言葉が残した冷たさが遠のく。わたしは柄を抱く腕に、ほんの少しだけ力を込め直した。


「問題は、フィルから預かった紹介状がちゃんと通用するかどうかだけど……」


 不安が声に滲むと、茉凛はぐっと顔を寄せてきた。瞳がまんまるに見開き、いたずらっぽい輝きを帯びる。


《《そんなときはだね、魔術大学のど真ん中で黒鶴をドーンって見せつけて――》》


「茉凛、それはだめだってば!」


 慌てて制止するわたしに、彼女はくすくすと笑い、両手を後ろに組んで首をすくめる。


《《もう、美鶴って本当に気が小さいんだから》》


 無邪気に頬を膨らませてみせる。その愛らしさに、強張っていた肩の力が自然と抜けていく。


「なに言ってるの。思慮深いって言ってほしいところなんだけど?」


《《たまには思い切って、どーんと行こうよ! どーんと!》》


 わたしは少し笑って返す。


「――わたしはね、あなたみたいに後先考えず突っ込むタイプとは違うの」


《《むっ。なにそれ、ひどっ!》》


 茉凛はぷくっと頬を膨らませて抗議する。その表情があまりに可愛くて、わたしもつい笑ってしまう。


《《でも、わかったよ――》》


 ぱっと表情が明るくなり、胸を張り直す。


《《いざって時は、わたしを頼りにしてよね! 相棒!》》


 その小さな誇らしげな笑顔が、胸の奥をふわりと温めてくれる。


「うん、頼りにしてる。一緒に頑張ろう」


 頷いた瞬間、淡い光がひとつ揺れ、柄の硬さが指先へ戻ってきた。温かさがあるからこそ、まだ冷たい場所が残っているのがわかる。


 頭の中の思考はまだ渦を巻き、混乱は晴れない。指先だけが現実の座標を握っていて、そこだけ置き去りにされている。


 深淵の根源――デルワーズの思惑など、そこに潜むと決めつけるのは早すぎる。偶然が重なっただけ、と今は仮置きしておくべきなのだろう。


 それでも、胃の底のざわめきは消えない。


 メービスの伝説とリーディス王家に隠された秘密。精霊と聖剣、二つの名。どこかで結び目ができていて、わたしはそれに指先をかすめてしまった気がする。


 舌の裏がまたざらつき、飲み込んだ言葉の形だけが喉に残った。理屈では割り切れない直感が、暗がりで小さく囁く。


 そこには、きっと真実がある――と。

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