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漆黒の運命と白き剣

 ひたすら南下を続けて、数日後。わたしたちはようやくキカロスの鬱蒼とした森林地帯を抜けた。


 枝葉の匂いが背から離れていく。視界がひらけたぶん、空が少しだけ遠くなった気がした。旅路を思い返すと、胃の底にじわりと広がる痛みは、まだ消えない。馬の揺れに合わせて、古い傷がうずくようだった。


 けれど、この期間はただの移動ではなかった。黙って前へ進むしかない時間が続いたからこそ、思考が勝手に深いところへ沈んでいったのだ。魔獣を生む元凶。魔石に依存する文明の光と影――父が命を賭して向き合った、この世界の矛盾に。


 ヴィルは、わたしに何を伝えたかったのだろう。答えはまだ、朝霧の向こう側にあるように霞んでいる。それでも、肌で感じ取れるものがあった。


 怒りや憎しみだけでは、何も解決しない。憎悪に突き動かされて戦えば、連鎖が続くだけだという冷徹な現実。本当に魔獣を消し去りたいのなら、この世界の価値観を根から動かす変革が要る。


 ――それは、前世のわたしが向き合った、深淵の血族に掛けられた呪いと同じ。


 唇の裏に、乾いた苦味がいつまでも残った。


 ヴィルが示したのは、たぶん、その凍えるほどに冷静で長い視座だったのだろう。


 思いは、いっそう切なさを募らせた。わたしは自分に問いかける。わたしと茉凛が転生してまで、この世界に降り立った意味とは何か。なぜ戦わねばならなかったのか。深淵の根源――デルワーズの言葉を忘れはしない。


《私は気の遠くなるような長い間、次元の狭間を漂いながら、世界を守るために戦い続けていた。それは、私を『人として』目覚めさせてくれた、大切な人たちとの約束を果たすためにね……》


 記憶の中で響くその声は、残酷なほど穏やかで、優しかった。それが本当なら、わたしの転生した意味もその延長線上にあるのだろうか。


 理不尽だと思わずにいられない。


「そんなに大切だっていうなら、自分で守ればいいのに……」


 喉から漏れたのは、怒りと悲しみが混じるかすれ声だった。どうしようもないやるせなさが、舌の裏に残る苦味となって込み上げる。


 わたしはただ、デルワーズという名の精霊子の集合体――すなわち『器』の中で茉凛と再会することを願い、深い眠りへ落ちたはずだった。


 けれど、目覚めたとき足元には父の血が広がり、わたしの手には白い剣があった。あの時の血の生温かさと、剣の柄の冷たさが、今も指に焼き付いている。


 こみ上げる無力感は、現実の重さに比例して募るばかり。どれだけもがいても、過ぎ去った時間は戻らない。変えられると信じた願いも、いつだって掌の隙間から砂のように零れ落ちる。それがわたしの運命だと、言わんばかりに。


 手の先の冷えが、涙の温度も奪っていった。冷たい風に紛れる涙だけが、静かに頬を伝った。


 それでも、白きマウザーグレイルはわたしに残された唯一の希望だった。父と母が、この剣を軸に繋がっていた真実。いつかそれを掴めたなら、答えに辿り着けるのだろうか。


 霧の中を歩くように、不安に揺れながらも、その細い糸のような思いにしがみつく。


 この剣に込められた意味を知りたい。それが父の遺したものなら、戦う理由へ繋がると信じたい。母の秘密に触れるたび、髪をなでる風の冷たさが、迷いをかき混ぜるけれど、それでも――


 ――何も見えなくても、わたしは前へ進むしかない。


《《美鶴。あなたがいま考えてること、わかってるよ。『デルワーズ』のことでしょ?》》


「ええ、そう……」


《《ほんとにむかつくよね。あいつ、約束を守るって言いながら、わたしをこんな剣の中に放り込んでさ。たぶん『嘘ついたら、追いかけてぶん殴ってやる』なんて言ったから、こんなことになったんだよ。ああ、腹立つ》》


「ひどいよね……」


 唇をきつく噛むと、鉄の味が微かにした。


 ――ほんと、殴れるものなら殴ってやりたい。


 ヴィルに気取られないよう、憤りを飲み込む。


《《……だいたい、転生した先に同じ読みの名前のミツルって子が用意されてるなんて、どう考えてもおかしいもんね》》


「……だよね」


 わたしは親指で柄の溝をなぞり、強く握りしめた。剣の柄に汗がにじむ。茉凛の声が意識の端に触れるたび、押し殺してきた怒りが小さな火種になって灯るのがわかる。


《《美鶴は深淵のひとたちみんなのを呪いから解放するために、あんなに辛い思いをして頑張ったのに。その分誰よりも幸せにならなきゃいけなかったのに。なんでこんな目にあわなきゃいけないの……》》


「まったくよね……」


《《元はといえば、あいつが“諸悪の根源”なくせにさ。迷惑料込みで恩返しするくらいは当然よ。何倍にもしてね!》》


 みぞおちがきゅっと縮む。すべてを取り戻そうとしても空回りばかりで、運命の歯車は誰かに弄ばれるように回り続ける。


 茉凛が怒りを代弁してくれるたび、少しだけ息がしやすくなるのは、わたしの痛みを誰より分かってくれているから。


 手の甲を服でそっと拭う。


「ほんとう……」


 わたしたちだけじゃない。このミツルにとって大切な家族の運命を勝手に操っておいて、平然としていられる根源――デルワーズが許せない。


 小さく息を吐く。震えた声は、霧のようにほどけて消えた。


《《次に会ったら、このわたしが全力で殴りに行くからね!》》


「ふふ……それなら、わたしも一緒に行くわ」


《《わたしたちの怒りを、拳でぶつけてやろう》》


 剣の向こうから届く茉凛の温もりに、柄を包む指がかすかに震える。肋の裏に張り付いていた氷が、少しずつ溶けはじめたようだった。


◇◇◇


 さらに数日が過ぎ、わたしたちはついにリーディス国境に近い商業都市「クワルタ」へ到着した。


 遠くからでも市場の喧噪が波のように寄せ、石畳には陽が反射して白く輝いている。踏みしめた足裏から、石の硬質な冷たさがじんわりと伝わってきた。


 並ぶ屋台は色とりどりで、馬の蹄音がカラコロと乾いた音で響く。香辛料の刺激的な香りと、炭火で肉を焼く煙が層をなして鼻をくすぐり、空腹を呼び覚ます。異国の衣装をまとった旅人や商人の笑い声が重なり、肩の重さが一瞬だけ軽くなる気がした。


「この街を抜ければ、いよいよリーディスか……」


 そう呟いても、胃にこびりつく緊張は消えない。


 目的地は目前なのに、心はざわつく。覚悟は決めたはずなのに、一歩を踏み出す靴底が鉛のように重い。


「まずは、この街で入国に必要な準備を整える必要がある。しばらく滞在することになるかもしれんが、いいか?」


 隣のヴィルは淡々としている。


 真剣なときほど、余計な感情を表に出さない――長い旅で、少しずつそれも分かるようになってきた。彼の横顔は、彫像のように静かだ。


「うん。そうしましょう」


 頷いても、不安は簡単には拭えない。リーディスにおける黒髪の意味――それが棘のようにみぞおちに残って離れない。


 黒髪は不吉の象徴。たかが迷信と笑い飛ばせたら、どれほど楽だろう。けれど、彼の地では深いタブーで、人々の心に影のように張り付いているという。法で禁じられているわけではないのに、絶対の事実のように扱われる重圧。


 ヴィルの瞳が、一瞬だけわたしの髪をかすめる。何気ない視線が、背すじに小さな波紋を広げる。何も言われないからこそ、不安は増すばかりだ。


「どんな迷信だか知らないけれど、無視するわけにはいかないわよね。面倒事はごめんだから」


 自分の声がわずかに震えた。隠したい揺れが、喉に絡みつく。


 ヴィルは短くうなずく。


「解決策については後で話そう。差し当たっては宿探しだ」


「そうね……久しぶりにベッドに飛び込んで、泥のように眠りたい気分」


 素直にこぼすと、ヴィルはやわらかく笑った。


「ここまで頑張り通しだったからな。お前も相当疲れているだろう。まずは体をしっかり休ませるのが大事だ」


 ふと、バルグに目をやる。彼は重たい背嚢を馬から下ろし、肩へ背負い直していた。その背中の大きさは、見慣れた安心感そのものだったのに。


「バルグはどうするの? このままリーディスに向かうの?」


「儂か? 実はこの街で昔馴染みと会う予定があってな。二三日滞在することになるが……そなたたちとはここで一旦お別れだ」


「そっか……せっかく仲間になれたと思ったのに、残念だわ」


 つい、幼い言葉が出てしまった。


「すまんが、どうしても片付けねばならん用があるのだ」


 困ったように笑う顔はいつも通り。けれど少し寂しげで、わたしは馬の首を撫でる大きな手に目を留める。その手の大きさが、今さら遅れて指先に沁みた。


「心配するな。我々はえにしによって結ばれた仲間であるぞ。旅の目的地も同じ王都。であれば、いずれまた会えよう」


 背嚢の革紐を握る手に、旅の埃がうっすらと付いているのを見て、みぞおちがきゅっとなった。


 長く共にした仲間の一時の別れは、どうしようもなく心に沁みる。


「……わかった。気をつけて。また会おうね」


 名残惜しさが声に滲む。


 バルグは厳つい顔を解くように笑い、太い指で空を弾くような仕草を見せた。


 パチン。


 乾いた音が鳴ると同時、無風のはずの路地裏に、ふわりと温かなつむじ風が舞い降りる。目に見えない風の帯が、わたしの黒髪を優しく撫で上げた。


「何かあれば風を頼れ。儂の風はいつでもそなたの味方だ」


 ふっと安堵が広がる。頬を撫でる大気の流れが、彼の大きな手のように思える。


 場裏の輪郭は見えない。偶然かもしれない。けれど……細かい理屈なんてどうでもいい。


 この優しい風は、人と人との縁。今はそれでいい。


《《バルグならきっとすぐに見つかるよ。だって、あんなに大きな人が美味しいもの目当てでうろうろしてたら、絶対目立つもん》》


「うん、それもそうだね。あのモヒカン頭だし」


 その光景を思い浮かべると、自然に口元がほころぶ。心がすこし軽くなる。指先に残った風の温度が、まだ温かい。


 目の前の謎は、依然として重く積もったままだ。触れようとするたび、指先の温度がひやりと落ち、不安という影が静かに寄る。その答えを追うことが正しいのか、確信はまだ持てない。


 もしかするとわたしは長いあいだ、見えない呪いに囚われ続けているのかもしれない。


 冷たい鎖が心を縛る感覚。だけど立ち止まるわけにはいかない。動くことでしか、わずかな光は見つからないのだと信じている。


 祝福など求めない。ただ、停滞に縛られることが、どうしても息苦しい。動きたい、進みたい――その一心で、わたしは足を前へ運んだ。

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