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黒鶴の取引

 わたしたちは倉庫街を後にし、夜の静寂に包まれた街路を歩いていた。


 頬を撫でる夜風は驚くほど冷たく、さっきまで肌にへばりついていた倉庫の油臭さと湿り気を洗い流していくようだ。


 肺に満ちる清涼な空気を吸い込み、わたしは強張っていた肩の力をとんと落とした。


 ようやく、生きた心地が戻ってくる。


「ふぅ……なんだか、大変なことになっちゃったわね」


 わたしが呆然と呟くと、ヴィルは愉快そうに喉を鳴らした。その低く響く笑い声に、張り詰めていた背中が一枚ほどける。


「ま、いい稼ぎになったし、結果良ければ万事良しだ。俺は魔石の相場については詳しくないが、まさかあんな値がつくとは思いもしなかったぞ」


「わたしもよ。双星の翡翠姫って呼び名もそうだけど……それがまさか金貨二十枚に化けるなんて、びっくりした」


 言葉の尻が震える。懐の革袋を押さえる指先に、金貨の硬い角が当たってごつごつとした。ずしりと重い。その質量が、夢ではないと告げている。


「でも……」


 わたしは言葉を濁し、視線を足元の石畳へ落とした。


「ん、なんだ?」


 ヴィルが首をかしげる。歩みは変えないのに、気配だけがこちらへ寄る。


「あれ、とっても綺麗だったし、手元に置いておいてもよかったかもって……ちょっとだけ思っちゃった」


 口にした瞬間、惜しいと認めた感情がチクリと胸を刺した。


――なに言ってるの? 子供みたい……。


 ヴィルは歩くペースを崩さず、一瞬だけ横目でわたしを見た。その視線は闇の中でも鋭さを保っているけれど、どこか穏やかな温もりが潜んでいる。


「下手に持ち歩いて無用な騒ぎに巻き込まれるよりも、適切な場所で役立てられたほうがいいだろう。それに、旅には先立つものが必要だ」


 淡々とした声が夜気に溶ける。わたしは返事を探して、いったん息を飲み込んだ。


「そうだね。あなたの言う通りだと思う……」


 うなずくと、革袋の口を押さえた指先に、改めて硬貨の重みが沈んだ。


《《それにしてもさ。金貨二十枚だなんてさぁ。まさに一夜にして大富豪じゃない!》》


「まったくね」


《《これでリーディスに着いたら『食の祭典』は確実だよ! ああ、豪遊の日々を想像するだけで、うふへへへ……》》


 茉凜の調子に乗った声が脳裏に響き、わたしは思わず脱力した苦笑を漏らす。


「もう、茉凜ったら。今からそんな気分になっちゃってるの? ほんとに欲望まみれなんだから」


 わたしが毒づくと、ヴィルが興味深そうに背中の剣へ視線を流した。歩くたび、剣の帯が衣擦れの音を立てる。


「マリンが、何か言ってるのか?」


「ええ。大金をせしめたから、これで美味しいものをいっぱい食べようってね。まったく、いい気なものだわ」


 言いながら、声の端が勝手に柔らかくなるのが悔しい。


 ヴィルはクスリと笑い、肩をすくめた。


「いい相棒じゃないか」


「そうかしら? 『あれもー』とか『これもー』とか、引っ掻き回されてばかりで、こっちは毎日大変なんだから」


 わたしはわざと嫌味っぽく返すけれど、自然と口元が緩んでしまう。


 革袋の中で金貨が触れ合い、ジャラリと重たい音を立てた。その音が、妙に現実的で、安心感があった。


 双星の翡翠姫――あの翡翠色の魔石がわたしたちの手にあった時間は、あまりにも短かった。けれど、あの石の輝きはわたしを強く引き寄せていた。目に焼き付くほど美しく、同時に言い知れぬ力の奔流を秘めていて。


 思い出すだけで、指先にかすかな痺れが蘇る。あの光を掌の中で転がしていた感触が、まだ消えずに残っている。


 わたしの異能において、魔石は必ずしも必要がないものだ。それでも、あの輝きには魂を揺さぶる何かがあった。


 それでも、やっぱり――。


《《お肉っ! お肉っ! あと甘いお菓子もね!》》


 脳裏に踊る茉凜のはしゃぎ声を聞いていると、胸の奥の未練がふっと甘く溶けていく。彼女が喜ぶなら、綺麗な石ころ一つくらい安いものだ。


 わたしは革袋をぎゅっと抱き直し、白く光る息を吐いた。どっちが大事かなんて、考えるまでもなかった。


◇◇◇


 ほんの少し前――あの奥の部屋でのことだ。


 ヴィルが用心棒の傭兵二人を瞬く間に片付けると、取引相手の男は満足げに笑い、本格的な商談に応じる様子を見せた。


 さらに狭い、隠し扉の奥にある商談室へと案内される。窓ひとつない閉鎖的な空間に、わたしは緊張でみぞおちがきゅっと縮んだ。息が浅くなり、肩が自分のものじゃないみたいに硬い。


 それでも、茉凜はいつでも予知視を発動できるよう準備を整えていてくれたし、何よりわたしのそばには頼りになるヴィルがいる。そのおかげで、不安はかろうじて形を保っていた。


 部屋の中央に置かれた重厚な黒檀のテーブルにつくと、男は部屋の隅にある大きな金庫へ向かい、その中から革袋を取り出した。袋が動くたび、硬貨が低く触れ合い、重い金属の気配が室内に滲む。


 男は袋に手を入れ、一枚の金貨を取り出すと、それをテーブルの上に置いて見せた。


「これはリーディス王国で鋳造された、正真正銘本物の『メービス金貨』だ。あんたたちが持ってきた魔石――双星の翡翠姫に対して、こちらから提示できるのは、金貨五枚というところだな」


 それは、わたしにとってこの世界で初めて目にする金貨だった。それも、母の故郷であるリーディスで鋳造されたもの。


 わたしは手のひらに乗せた金貨をじっと見つめた。ひやりとした冷たさが、皮膚の下へ沈む。


 表面には細かな彫刻が施されており、中央には長い髪をたなびかせた女性の横顔が精巧に刻まれている。彼女は剣を抱いており、その凛とした美しさから、素人目にも技術の高さが伝わってくる。


「この女の人は……」


 思わず、そんな言葉が口をついて出た。それを聞いたヴィルが、ちらりと金貨に目をやってから答える。


「これか? リーディスに伝わる伝説の人物だ。かつて世界を救うために戦ったという、別名――精霊の巫女と呼ばれた女性だ」


 その単語が、耳の奥に棘のように引っかかった。


――精霊……って!?


 わたしの異能の動力源である『精霊子せいれいし』。その言葉との奇妙な符合。動揺が顔に出そうになるのを、わたしは奥歯を噛んで無理やり飲み込んだ。


「ふーん、巫女ね……」


 わたしはそう軽く相槌を打ったものの、心は波立っていた。


 だが、金貨の伝説を掘り下げている時間はない。わたしは疑問を意識の隅へ追いやり、目の前の状況に意識を戻す。


 男の口角、指先の迷い、まぶたの上下――そこだけを見た。金貨の縁をなぞっていた指を止め、わたしは相手の目をじっと見据えた。


「五枚ですって? ずいぶんと軽く見られたものね。わたしとしては、貴重な魔石を安売りするつもりはないんだけど?」


「小娘のくせに、言うじゃないか。おい、そこのでかいの。お前は交渉に加わらないのか?」


 ヴィルがにやっと笑う。


「お前さんご自慢の傭兵どもを片付けたこの俺が、相棒に任せるといってるんだ。……その意味はわかるよな?」


 取引相手の男の頬の筋が一瞬だけ引きつった。わたしはそれを見て、金貨を置く指先の力をそっと抜く。肩を上げない。声も急がない。


 男はしばらくわたしたちの様子を観察し、次にどう出るかを考えているようだった。狭い部屋の空気はぴりぴりと張り詰め、互いの駆け引きが静かに火花を散らしている。


「ふむ、なかなか度胸がある」


 男は鼻先をぴくりとさせ、薄笑いを浮かべたけれど、その目は笑っていない。


「だが、この商談に乗るも乗らないもあんたらの自由だ。俺が提示できるのは五枚――それ以上を求めるなら、他の買い手を探すことだな。小娘、ひとつ教えといてやろう。取引ってもんは強気ばかりじゃ損をする。引き際が肝心だ」


 わたしは金貨の縁をもう一度だけ撫でた。重みはしっかりと伝わる。けれど、指が揺れたら終わりだ。


 ヴィルは隣で静かに見守っている。視線の置き方だけで、部屋の隙を塞いでいるのが分かった。


「そうね、それも一つの手だわ。でも、きっとあなただって分かっているはずよ。これほどの魔石は滅多にお目にかかれない。五枚で済むと本気で思っているなら、楽観的すぎるんじゃないのかしら?」


 男は口元を歪めて笑みを作る。その奥に潜む計算の色が一層濃くなった。


「小娘、そこまで言うなら少しばかり条件を見直してやれるかもしれん……が、それにはまだ確かめておきたいことがある」


 男の視線が鋭く光る。わたしは背筋をぴんと伸ばし、視線を逸らさずに彼を見つめ返す。喉が乾くのを、舌の裏に押し込めた。


「具体的には、何のことかしら?」


 わたしが意識して冷静な声を保つ一方、男は肩をすくめ、意味深に笑った。


「これだけの希少な品だ。何か裏があるんじゃないかと勘繰りたくなるのも仕方がないだろう。たとえばだ……」


 男は身を乗り出し、声を潜めた。


「まず、盗品である可能性だ。さらには、パーティーメンバーを裏切って持ち逃げした。……そんなところだ。こちらとしては、面倒事に巻き込まれるのは御免だからな」


 胸の奥が一瞬だけ熱くなる。けれど表には出さない。息を細く吐いて、笑みの形だけを作る。


「へえ……わたしたちのこと、まだ信用してくれないんだ?」


「すまんが、疑うのが商売の基本でな」


 男は、しばし沈黙を保ったままこちらを見つめた。わたしは小さくため息をつき、ヴィルと視線を交わす。


「じゃあ、わたしの持つ力を少し見せてあげようか? どうしてグラウクス・ボアを倒せたのか、その理由がすぐに理解できると思うわ」


 男は眉をひそめ、わずかに興味を引かれたような表情を見せた。その目には、用心深さと好奇心が入り混じっている。


「ぜひ……この目で確かめてみたいものだな。どんなタネがあるかは知らんが」


 男は、言葉の端に疑いを込めつつも、わたしの次の行動を期待して腕を組んだ。


 わたしはヴィルの方に一瞬だけ目をやった。


 彼は黙って頷く――わたしが力を使うことに対する了解のサインだ。その視線には、万が一に備えるという鋭い決意も含まれていた。


――今度は、わたしが力を示す番だ。


 交渉を有利に運ぶためには必要なこと。それに、さすがに子供と侮られ続けるのも……いい加減飽きた。


 わたしは静かに息を整え、胸の奥に眠る異能を呼び覚ます。茉凜の存在が、暖かく心を包み込んでくれる感覚が広がる。


《《美鶴、サポートはわたしに任せて。ちょっと派手にいってみようか》》


 茉凜の声が脳裏に響き、わたしは小さく笑みをこぼした。


「じゃあ、ほんの少しだけ……」


 そして、わたしは意識を深淵の闇へと沈めていく。


「我が器に集え、精霊子ちからよ……」


 その言葉を鍵として、背筋がざわりと粟立った。


 虚空から湧き出した無数の光――精霊子が、蛍火のように瞬きながら渦を巻く。金と銀、細かな輝きが螺旋を描き、わたしの輪郭へと吸い込まれていく。皮膚を透過し、熱い奔流となって全身の回路を駆け巡る感覚。そして、脳の奥底にある「器」へと急速に満ちていく。


「来いっ、黒鶴っ!」


 わたしの呼びかけに応じて、胸の奥底で眠っていた力が覚醒する。


 空気が重く淀み、部屋の温度が一気に下がったかのように冷たく感じられる。わたしの背後に、黒く揺らめく影が立ち上がる。影は瞬く間に翼のかたちへと伸び、広がった輪郭の縁に、金と銀の燐光が静かに瞬いた。


 わたしの異能が発現する瞬間、部屋にいる全員の視線が一斉にわたしに集中する。息を呑む音が聞こえ、取引相手の男は無意識に後ずさりした。彼の目には恐怖と驚愕が浮かんでいる。


 黒い翼の幻影は威圧感と共に、空気の流れさえも押し返すような圧をまとっていた。


「〈場裏・白〉――展開……」


 いま立ち上げているのは〈場裏・白〉だけ。それでも縁の反射が青や黄や赤を走らせ、切り替えの意志だけがちらつく。手順も条件も端折って、わたしはわざと「万能」の顔を作る。怖がらせれば、それで足りる。


「うおおっ!? なんだってんだ、これは?」


 取引相手の男は恐怖に目を見開き、椅子を倒して立ち上がった。ガタガタと音を立てて壁際まで後ずさり、背中をぴったりと壁に押し付けながら、全身を震わせている。脂汗が額を伝い、喉が何度も音を立てて嚥下しているのが見て取れた。


「お前、一体何をした? こいつは、た、ただの魔術じゃない。そうだろ? なんなんだ、おいっ!?」


 彼の声は明らかに怯えていた。


 わたしはその様子を冷静に見つめ、氷のように冷徹な表情を浮かべる。かつて『氷の王子様』と呼ばれた前世の記憶をなぞるように――心を氷の玉のように冷やしつけ、静かに答えた。


「よく見て……これがわたしの力よ。魔獣を翻弄し、切り裂き、貫き、そして燃やし尽くす――四つの属性に触れる術。風も、水も、土も、火も……全部、わたしの頭の中で自在に組み替えられる。こんな魔術師が、わたし以外にこの世のどこにいるのかしらね?」


 ゆっくりと言葉を選ぶ。自分で口にしながら、その危うさを噛みしめる。


「そうね……やろうと思えば、この建物くらい、一瞬でぐちゃぐちゃに崩すことだってできるわ。つまり、グラウクス・ボア程度なら余裕で仕留められるということね」


「な、なんだって……?」


 わたしは一つだけ〈場裏・白〉を膨らませて、男の眼前へと近づける。


「ひっ……! まじか、やめろ……ッ」


「……できれば、そんな真似はしたくないんだけど」


 わたしは掲げていた手を、ゆっくりと下ろす。それだけで領域の光が波打ち、男の顔色が土気色に変わった。


 破壊の予感を、あえて肌で感じさせる。恐怖という名の毒が十分に回るのを待ってから、わたしは小首をかしげてみせた。


「そういえば、さっきあなたはこう言ったわよね? 『力と結果だけが真実だ』、と……」


 一歩、踏み出す。


「だからね、ここは素直に目の前の現実を受け止めるのが賢明だということよ。それとも――」


 その先に言葉に触れようとした瞬間、胸にきりりと痛みが走った。


――わたしは今、最も嫌だったことを、真似事とはいえなぞろうとした。


 ヴィルはまだ知らないだろう。場裏が人体を素通りするという性質を。深淵の異能に基づく、暗殺術の本質というものを。体内に侵入させて小さな現象具現化と領域解放をするだけで、人の命を断つなど容易いのだということも。


――この力は、人を効率よく殺すための最適解だということ……。


 ぎり、と唇を噛み締める。


 もちろん、威嚇のための演技にすぎない――けれど、口にしかけた内容は紛れもない事実だった。


 周囲に漂う光がわずかに震え、空気がびりびりと揺れる。頬をかすめる風が温度を奪い、まるでわたしの意志に同調するかのように空間は脈動した。


 膨れあがる圧力が室内を覆い、男の喉元へ冷たい重みを押しつけていく。その表情に走った微かな動揺を、わたしは見逃さなかった。


 震えているのはわたしも同じだった。


 ヴィルはその様子をじっと見守りながら、ゆっくりと口角を上げた。


「これで分かっただろう。これ以上下手な真似をしようものなら、次にどうなるかは想像に任せる。無事に朝日を拝みたいのであれば……答えは明快だがな」


 男はもう、完全に恐怖に支配されていた。頷くことさえできず、ただ息を荒げていたが、やがてなんとか絞り出すように言葉を発した。


「あ、あんたの実力はよくわかった……! 言う通りにする! これ以上、駆け引きの余地はない……! よし、十枚、いや……十五枚だ! それで、それで手を打ってくれ!」


 男は震える手で革袋を引き寄せ、口紐をほどいた。硬貨が遅れて低く鳴る。


 ヴィルが短く顎を引いた。


「……迷惑料だ。五枚」


 みぞおちがちくりと痛み、冷えた息が細く途切れ、指先が汗ばむ。


 男の喉が鳴った。歯噛みする気配のあと、革袋の口から金貨がさらに五枚、卓へ落ちた。鈍い音が一つ、跳ねて沈む。


 わたしは冷徹な表情を崩さぬまま、彼の怯える顔を見下ろしていた。だが、心の奥底で茉凜の存在が優しく語りかける。


《《あらら、さすがに怖がらせすぎちゃったかな? でも、これでわたしたちの勝ちだね!》》


 わたしは胸の中で茉凜に微笑みかけ、〈場裏・白〉を段階的に領域解除していった。空気がゆるみ、黒鶴の翼も淡くほどけて消える。部屋の空気がやっと落ち着きを取り戻し、男はその場にへたり込んだ。


 こうしてわたしたちは、双星の翡翠姫の売却に成功した。金貨十五枚に加えて、迷惑料五枚を上乗せするという、少し強引な取引になってしまったけれど……。


 合計で二十枚。


 男の汗ばんだ手から渡されたずっしりと重い革袋。それを受け取ると、わたしたちは足早に部屋を後にした。


◇◇◇


 頭上には、吸い込まれそうなほど深い夜空。そこにばら撒かれた満天の星々が、凍てつくように鋭く瞬いている。足元の石畳にも星明かりが薄く流れ、濡れたように青白く光っていた。


 肺を満たす空気はどこまでも澄んでいる。吐く息は白く、夜の闇に溶けて消えた。


 わたしは腰にぶら下げた革袋の感触を、そっと指先で確かめた。ずしり、と手首にかかる心地よい質量。革の上から口を押さえると、中で硬貨同士が触れ合って、ジャラリと低く鳴る。その硬質で現実的な音が、今の出来事が夢幻ではなく、確かな戦果であることを告げていた。


 隣を歩くヴィルを見上げる。


 闇に溶け込むその横顔は、戦闘時の抜き身のような鋭さを鞘に納め、今はどこか安らいで見えた。ただ歩いているだけなのに、その足取りからは頼もしさが滲み出ている。


《《ね、美鶴。今夜はさっそく一品だけでも……》》


 脳裏に響く、遠慮がちな、けれど期待にはち切れそうなおねだり。その可愛らしさに、張り詰めていた心がふっと緩み、思わず笑いがこぼれた。


「……ふふ、仕方ないわね。ひとつだけ、よ? ついでに軽めのワインで祝杯といきましょう」


「お、そいつはマリンの提案か?」


 わたしの独り言に、ヴィルが楽しげに相槌を打つ。


「うん。今日の成果に乾杯したいんだって」


「では、わがままな姫君にご満足いただけるよう、ここは一献付き合うとしようか」


「そんなこと言って、あなたも飲みたいんでしょう?」


「もちろんだとも。ひと仕事終えた後の一杯は欠かせんだろう? はっはっはっ」


 夜気に響く豪快な笑い声。勝ち取ったのは金貨だけじゃない。明日へつながる糧と、隣にある確かな体温。


 そんなささやかな安らぎを、冷たい夜風の中で、胸の奥にほんの少し灯せた気がした。


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