貴族院会議――女王の微笑は策を秘めて①
ステファン班からの※風耳鳥が王宮へ届いたのは、翌朝、夜の名残が窓硝子の隅に薄く留まっているころだった。雪を含んだ雲が空を塞ぎ、執務室には燭台の火がまだ消されずにいる。コルデオが両手で差し出した細長い紙には、急いで書かれたらしい小さな文字が、行間をほとんど残さず並んでいた。
「ステファン殿からの第一報にございます。本人は男爵領に留まり、引き続き監視を続けているとのことです」
机の脇には、知らせを受けて戻ってきたヴォルフが立っていた。外へ出る支度を解く間もなかったのか、濃色の外套を着たまま、わたしの手に渡った紙へ目を向けている。
わたしは、風耳鳥の脚に取り付けられた小さな通信筒から取り出された専用の通信紙を机へ広げ、最初の行から読み進めた。
【ステファン班第一報】
『女王陛下よりお預かりした書状は、昨夜、モンヴェール男爵家の年配の侍女へ、封蝋に乱れのない状態で預けました。侍女は、責任を持ってロゼリーヌ殿へ渡すと明言しております。ただし、ロゼリーヌ殿本人への送達は確認できておりません。返答も受け取っておりません。
男爵家の屋敷及び周辺の街道では、レズンブール伯爵家の紋章を掲げた兵が見張りに立っております。屋敷内へ入った兵は、自らをイストリアの伯爵家から来た者と称しているとのことです。しかし、実際の所属、指揮官及び命令系統は、現時点では確認できておりません。
門では、使用人の出入り及び搬入物が検分されております。屋敷内でも見回りが行われ、使用人が誰と話したかまで問い質されることがあると、侍女から証言を得ました。これらはすべてリュシアン殿の警護を理由として行われているとのことです。
ロゼリーヌ殿は夜も休めない日が続き、屋敷へ兵が入ったことを自らの責任と受け止めておられる様子です。リュシアン殿も屋敷の外へ出ることができず、書斎又は自室で過ごしているとの証言がありました。いずれも侍女二名から得た話であり、本人への直接確認ではありません。
当班からは戦端を開いておりません。屋敷周辺の巡回、門の人数及び物資の出入りを、それぞれ分けて記録しております。連絡地点は変更しました。合流地点を一か所確保し、その位置は本紙末尾に記しております。引き続き現地に留まり、男爵家及び街道の監視を継続します』
最後まで読んでから、もう一度、書状を侍女へ預けたという最初の項目へ戻った。
「書状は、まだロゼリーヌ様へ届いたとは言い切れないのですね?」
「はい。ですが、少なくとも、こちらからの連絡を拒んでおられると判断する根拠はありません。問題は、情報の出入りそのものを封じられていることです。これはもはや警護ではありません。実質的な占拠と申せましょう」
コルデオの声は抑えられていた。わたしは紙の端へ置いていた指を離し、顔を上げた。
「……そういうことですね。目も耳も塞がれたような状態に置かれて、行動の自由すら許されないのですから」
この状況で王宮に言葉が届いていないことを、王家への拒絶とも、伯爵への同意とも、リュシアン殿の擁立を受け入れた証とも扱うことはできなかった。
「まず、書状がロゼリーヌ様の手へ渡ったかを確かめましょう。ステファンには、監視の目が届かないところでお二人のお考えを伺い、その言葉をこちらへ届けるよう命じます。その先の方針は、お二人の言葉を得てから定めます」
「だが、二人の意思を確かめる前に、連中が母子を連れ出そうとしたらどうする」
ヴォルフの問いは低かった。わたしはまっすぐ彼を見た。
「その場合は、お二人の言葉が届くのを待ちません。銀翼騎士団を動かし、先に救出します。屋敷を囲む兵であれ、宰相が別の名目で北へ向ける兵であれ、お二人を連れ去らせはしません。安全を確保したうえで、改めてお考えを伺います」
ヴォルフは通信紙へ視線を落とし、ステファンが末尾に記した合流地点を指で押さえた。
「ここまで、俺が調べた継走所を繋げば、本隊の行程は組める。馬も、飼葉も、蹄鉄も、当たりはつけてある」
ヴォルフが通信紙から顔を上げると、わたしはコルデオへ向き直った。
「……よし」
「ヴォルフ、銀翼騎士団本隊を、予定どおり冬季演習の体裁で動かせるようにしてください。ただし、現地へ到着しても、こちらから戦端を開いてはなりません。ステファンたちには、まずお二人の意思を確かめるよう伝えてください。同時に、屋敷の者たちにも退避の意思があるかを確かめ、危害を受けるおそれのある者を含めて、安全な脱出経路を探すように。本人たちの意思を確認できないまま、母子を移送する動きがあれば……返答を待たずに突入を許可します。退避を望む者の保護も含め、現地での判断については、ステファンに全権を託します」
「分かった。そうと決まればこちらも動かせる。演習の先触れと本隊の移動を分け、表から見える支度と、現地へ繋ぐための人員も分けておこう」
「お願いいたします。それからコルデオ、第一報の到着時刻と経路を記録してください。写しは作らず、原本はダビドの報告書とは別に保管を。情報の管理は厳に」
「かしこまりました」
コルデオは一礼したものの、すぐには机から離れなかった。胸元に収めていたもう一通の書面を取り出し、わたしの前へ置く。
「もう一件ございます。宰相閣下より、銀翼騎士団の冬季演習構想について貴族院首脳を交えた確認の場を設けたいとの申し入れが届いております。ヴォルフ殿下が通達を出された直後のことでございます」
薄い紙の上には、会議の時刻と場所が記されていた。演習の名目だけを聞いても、宰相はその背後に別の目的があると疑っている。あるいは、女王が王宮を離れる可能性まで探ろうとしているのかもしれない。
だからといって、ダビドの報告書やステファンの第一報を見せる必要はなかった。こちらが何を知っているのかを教えれば、宰相は証拠を消し、命令経路を切り、別の名目を用意するだろう。会議で使うべきなのは、こちらが密かに得た情報ではない。宰相とレズンブール伯爵が、すでに公の場へ持ち出した言葉だけだ。
「なるほど、向こうもそれなりに気に留めているということね。いいでしょう。会議には出席します」
「当然のことだが、演習の目的を問われるぞ」
「こちらの狙いまで説明する必要はありません。そうですね。『銀翼騎士団の設立目的は、魔獣の被害に対する即応性です。速やかに練度を向上させ、実用段階へ移行させる必要があります』。これで通らぬ理由はありません」
「その通りだ」
「それから、伯爵殿が王都へ向かっていると宰相が考えているのなら、その認識を宰相本人の口から明らかにしていただきます」
召喚状に応じたことも、王都へ向かっていることも、まだ確認されていない。だが宰相派は、レズンブール伯爵が女王との謁見へ向かっているという話を先に広めている。その話を利用するなら、伯爵を実際に王都へ来させ、女王の前で目的を説明させなければならない。噂だけを使って擁立案を押し進め、本人を表へ出さない道を残すつもりはなかった。
「伯爵殿を歓迎すると、皆の前でおっしゃるおつもりですか?」
「ええ。ただし、擁立案を受け入れるという意味ではありません。レズンブール伯爵本人には、擁立案と男爵家への関与について説明していただきます。ロゼリーヌ様とリュシアン殿のご意思は、伯爵殿の言葉とは別に、お二人ご自身に確かめます。それが正しい手順というものです。宰相自身にも、その手順を認めていただきます」
コルデオの目が細くなった。侍従長の穏やかな表情の奥から、前夜、ダビドの報告書を読んだときと同じ重臣の顔が覗く。
「宰相閣下が、それを素直にお認めになるでしょうか?」
「認めないのであれば、王位継承に関わる提案を、伯爵本人の説明も、母子の意思もなく進めようとしていることになります。認めれば、わたくしを除いた場所で擁立を決めることはできなくなる。どちらを選ぶかは、宰相殿にお任せします」
◇◇◇
会議は、その日の午後に開かれた。玉座の間ではなく、貴族院首脳と王家の側近だけが入れる小規模な会議室だった。
扉をくぐった瞬間、室内に張っていた沈黙が衣服の表面へまとわりついた。壁際には侍従と近衛が控え、長卓の両側に並んだ重臣たちは、立ち上がって礼を取りながらも、目だけでこちらの動きを追っている。羽根ペンの先には墨が含まれたまま、書記の手元で止まっていた。
わたしは勧められた上座へ腰を下ろした。背後にはヴォルフが立ち、コルデオは壁際の侍従たちからわずかに離れた位置に控える。椅子の張りが背を押し返し、襟元の糸が首筋へ細く触れたが、両手は卓上へ静かに重ねた。
「女王陛下、ご多用のところお運びいただき痛み入ります。先だってヴォルフ殿下より、銀翼騎士団の『冬季演習』につき拝聴いたしました。つきましては、いくつか確認させていただけますと幸いです」
宰相は最上席に近い位置で杖を支え、帽子の影からこちらを見ていた。口元には薄い笑みがあるものの、目の奥までは動いていない。
「確認とは、何についてでしょうか。銀翼騎士団の設立目的は、魔獣の被害に対する即応性です。速やかに練度を向上させ、実用段階へ移行させる必要があります。冬季演習は王国防衛の一環として、わたくしが王配殿下と協議のうえ命じたものです」
室内のどこかで、椅子の革がかすかに軋んだ。宰相は笑みを保ったまま、杖の頭へ指を重ね直した。
「無論、演習そのものに異を唱えるつもりはございません。とはいえ、近頃の王都は何かと慌ただしく、陛下自らご動座となれば各方面に動揺も生じましょう。無用の混乱なきよう、進行のすり合わせを賜れればと存じます」
「ほう……わたくしが王都を離れると? そのようなこと、一言も申し上げておりませんが?」
羽根ペンの軸が、書記の指のあいだで止まった。宰相の口元から笑みが消えるより早く、わたしは言葉を続けた。
「銀翼騎士団の演習に、女王の動座を結びつけられた理由を伺いましょう。宰相殿は、わたくしが王都を離れるとの情報を、どこから得られたのですか?」
「これは失礼を。万一を案じたまでにございます。陛下がご動座になるとの確たる情報を得ているわけではございません」
「そうですか。では、冬季演習そのものには異議がなく、わたくしが王都を離れるとの情報も得ていない。そのように理解いたしました。書記官、いまの確認を正確に記録してください」
紙を擦る音が会議室に戻った。宰相は否定しなかった。ここで演習に異を唱えれば、先ほどの発言を翻すことになる。女王の動座について追及を続ければ、王家の動静を探ろうとしていたと認めることになる。
「王国の安寧に資する演習であれば、宰相府といたしましても協力を惜しみません。ヴォルフ殿下の大切な騎士団、存分に鍛錬なさいますよう」
「ご協力に感謝いたします。必要な調整につきましては、王配殿下から正式な書面をお届けします」
卓の向こうで、宰相の指が杖の金具を一度だけ撫でる。わたしはその動きを見届けてから、窓の外へ目を向けた。灰色の空から落ちる雪が、王宮の屋根と中庭を白く埋め始めている。
「ところで宰相殿。近頃は、ずいぶん寒さが厳しくなりましたね。雪が深くなれば、王都へ続く道も通りにくくなるでしょう。レズンブール伯爵殿のご行路には、支障はございませんか?」
宰相の目がわずかに細くなった。
「伯爵殿のご行路につきましては、ご懸念には及びません。よほどの突発事でもない限り、雪に阻まれるような御仁ではございませんので」
「それは心強いことです」
わたしは笑みを薄く保ち、卓の両側へ視線を巡らせた。伯爵が王都へ向かっているという話を意見書へ記した者も、宰相派からその話を聞いた者も、この席にはいるはずだった。
「いまのお言葉は、レズンブール伯爵殿がわたくしの召喚に応じ、王都へ向かっておられるとのご認識でよろしいでしょうか?」
室内の空気が、音もなく張り直された。伯爵本人と一行が領地を発ったことは確認されている。だが、進路も目的も確かめられていない。宰相が王都への行路について「懸念には及ばない」と答えた以上、何を根拠にそう言ったのかが問われる。
「貴族院へ届いております報せから、そのように見込んでいるということでございます。伯爵殿ご本人から、私が直接お聞きしたわけではございません」
「承知しました。では、伯爵殿の王都行きは、現時点では宰相殿の見込みであり、本人の意思を確認したものではない。その点も記録しておいてください」
書記の羽根ペンが再び動いた。宰相が王都行きを断定すれば、伯爵との連絡を疑われる。断定を避ければ、これまで貴族院へ流してきた話は、裏付けのない見込みにとどまる。どちらにしても、噂だけを既成事実として使うことはできなくなる。
「そのうえで申し上げます。レズンブール伯爵殿が王都へお越しになるのであれば、わたくしは召喚に応じられたものとして正式にお迎えします。リュシアン殿の王太子擁立を唱えた当人として、伯爵殿ご自身の言葉で、その目的と男爵家の現状をご説明いただきます」
椅子の脚が床をわずかに擦り、重臣たちのあいだに抑えたざわめきが走った。これまで擁立案へ慎重な態度を崩さなかった女王が、伯爵を正式に迎えると口にした。その一言だけを聞けば、態度を変えたように見えるだろう。
だが、歓迎するのは擁立案ではない。説明の場へ伯爵本人を引き出すことだった。
「伯爵殿が到着されましたら、ご歓談の後、改めてこの貴族院で王太子擁立の議論を交わすことになりましょう。陛下は、その議に応じられると?」
「もちろん、伯爵殿のお話は伺います。ただし、擁立案を審議する前に、確認すべきことがございます」
宰相の杖先が石床へ触れ、小さな硬い音を立てた。
「リュシアン殿ご本人と、ロゼリーヌ殿の意思です。リュシアン殿は、亡きギルク兄さまが遺された大切なお子です。だからこそ、伯爵殿の恩義も、貴族院の都合も、本人たちの言葉に代わることはできません。お二人の意思を確かめないまま、王太子擁立を決定することはありません」
長卓の端で、誰かが息を呑んだ。宰相の作り笑いが薄くなり、目の奥に冷たい光が残る。
「リュシアン殿は、まだお若い。王家と国の将来に関わる事柄を、すべてご本人の判断に委ねるのはいかがなものかと存じます。レズンブール伯爵は、ギルク王子のご遺志に従い、お二人を守ろうとしておられるのでしょう」
「伯爵殿が、ギルク兄さまの学問を援助し、『遺児を守る』と誓っておられることは承知しています。だからこそ、その庇護のもとで、お二人が自由に言葉を届けられる状態にあるのかを確かめなければなりません」
机の木目へ置いた指先に、冷たさが戻っていた。けれど、声は揺れなかった。
「わたくしが、ギルク兄上の書簡に先立ち、ロゼリーヌ殿へ連絡状を送ったことは、宰相殿もご存じのはずです」
宰相の顔から、わずかに色が引いた。
※風耳鳥は、この世界における伝書鳩のような存在です。遠隔地との連絡や、短い報告の伝達に用いられています。




