父が遺した絆の証
木卓の冷えが、掌の奥まで沁みた。
指先はこわばったまま、節の暗がりをなぞっていた。俯いた視界の隅で、ヴィルの外套の留め具だけが紫苑の灯を鈍く返していた。
「……ミツル、お前は魔獣が憎いか?」
指が、木目の上で止まった。
口の奥が乾いた。顔を上げると、ヴィルは目を逸らさずにいた。
「……ええ」
掠れた声が、自分のものではないように遠く聞こえた。舌が上顎へ張りつき、遅れて脈が耳の奥で響きはじめる。
「……だから、お前は魔獣狩りをしているのか?」
視線を落とし、爪を卓の縁へ立てた。
「……そうよ」
その一語だけでは、何ひとつ渡せていない気がした。卓を掴む指に力が入り、父の名と、あの夜の匂いと、明日の食い扶持が、ほどけないまま喉の奥で重なっていた。
ヴィルは息を吐いた。
「だが、どんな理由にせよ、あいつはきっとそんなことは望んでいないはずだ」
爪の先が、木のささくれへ食い込んだ。
父がここにいたなら、何と言っただろう。考えようとするほど、節の輪が滲んでいく。
「……そんなこと、わかってるわ……」
声が擦れ、最後まで届かずに消えた。
「でも――」
唇を開いても、続きが出てこなかった。ささくれの痛みだけが、指先に残った。
「それでも……わたしは生きていかなきゃならない。たとえ一人ぼっちでも……。だから戦っている」
腰の白い剣へ手が動きかけ、膝の上で止まった。
ヴィルはすぐには返さなかった。目を伏せ、口を開きかけて、息だけを吐いた。
店の奥で、布巾がかすかに擦れた。
木床が一度鳴り、ヴィルが近づいた。厚い手が、わたしの肩へ触れた。
肩の布が、その重みに沈んだ。指が一度だけそこを押さえ、力を抜いた。
「そうか……」
低い声が、近くで響いた。
「それがお前の覚悟だというなら、詮索はすまい」
ヴィルの手が肩から離れた。目尻に残っていた硬さが薄れ、その視線は腰の白い剣へ移った。
「じゃあ、見せてもらえないか? お前がユベルの娘であるという証拠をな。何かしらあるんだろう? あいつが遺したものが……」
肩に残った温度が消えるより先に、腰へ手を伸ばした。
盃を卓の端へ寄せ、白きマウザーグレイルを両手で持ち上げた。鞘の金具が小さく鳴った。息をひとつ整え、鞘尻を卓の外へ逃がしながら、斜めに横たえた。
左手で鞘口を押さえ、その親指で鍔を押した。右手で柄を引き、白い剣身を指二本ぶんだけ覗かせると、紫苑の灯がその表面を滑り、木卓へ細い光を伸ばした。
「これよ」
思っていたより、声は落ち着いていた。
ヴィルは剣から目を離さなかった。視線は鞘口から覗く白を辿り、鍔から柄へ移った。眉間の溝が深くなった。
「剣、か……」
わたしは唇を結び、頷いた。
「ええ、これが父さまが最後に握っていた剣よ……」
鞘へ添えた指に力が入った。瞬きをしても視界は晴れず、瞼の裏が薄く濡れた。それでも、ヴィルの横顔から目は離さなかった。
「ふむ……」
ヴィルは少し身を屈め、触れないまま鞘口と柄の細部を確かめた。
やがて、顎を引いた。
「……なるほどな」
「え……?」
想定していた嘲りは返ってこなかった。
「俺にはあいつがどうしてこの剣を大切にしていたのか、正直わからん。が――」
ヴィルは白い剣身を見つめたまま、次の言葉を選ぶように息を細く吐いた。
「――これが大事なものだとお前が言うなら、尊重すべきものだろう。それがどういう意味を持つのか、お前自身で理解する時がいずれ来るのかもしれん。それがユベル・グロンダイルの遺志だというならばな」
遺志という語に、鞘へ添えた指が止まった。
白い鞘の冷えが、掌へゆっくり移ってきた。吸いかけた息が、喉の奥で一度つかえた。
ヴィルは白い剣から目を上げ、まっすぐこちらを見た。
「そこでだが、お前にひとつ提案をしたい」
座り直した拍子に、椅子の脚が小さく鳴った。
「なにを……?」
声が意図せず裏返った。ヴィルの目は逸れなかった。
「俺と手合わせをしてくれないか」
耳の奥が鳴り、息が詰まった。
「ええっ……!?」
腰が椅子から浮き、靴底へ床の冷えが戻った。
「お前の人となりと覚悟は十分に理解した。あとはこの剣に問うだけだ。俺はどうしても確かめたいんだ。お前の中に流れるユベル・グロンダイルの血をな」
父の名が、喉の奥へ重く残った。
腹の底から熱がせり上がり、鞘へ添えていた手が、音もなく白い鞘を握り込んだ。




