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閉ざされた講義室の前で

 総長室を出ると、廊下の空気は冷えていた。


 高窓から斜めに落ちる朝の光は、いつもと変わらない。けれど、その光を受けるはずのざわめきが、今日はどこにもなかった。講義へ急ぐ学生の靴音も、開いた扉から漏れる笑い声も、資料を抱えた若い研究員が早口で交わす議論も、みな遠くへ押しやられている。聞こえるのは、職員の低い声と、急ぎ足を抑えた革靴の音だけだった。


 大学が、息を潜めている。


 そう思った瞬間、足裏の石の冷たさが靴底を透いて膝まで上がってきた。ここは本来、知のための場所だ。紙をめくる音や、黒板を叩く白墨の粉や、誰かが思いつきを口にしたときの小さなどよめきで満ちている場所だったのに。いまは、どの扉も半分だけ閉じられ、廊下を行き交う人々は、目が合ってもすぐに視線を外していく。隠しているのではない。隠さなければならないものがあるのだと、誰もが分かっている沈黙だった。


 ヴィルは、わたしの半歩後ろにいた。


 半歩前でもなく、背後へ控えすぎてもいない。総長室で唯一人の騎士と呼ばれた人は、もうその言葉を顔に残してはいなかった。ただ、廊下の角、閉じた扉、窓の向こうの足場、その一つひとつを淡々と確かめている。その普段どおりの無言に、呼吸が少し整った。


 パウエルは記録板を胸に抱え、先に立って歩いていく。濃い緑のローブの裾が、磨かれた床の上を静かに滑った。


「灰色の塔へは、こちらの回廊から向かうのが最短です。最上階の観測室の鍵は、塔の管理室で受け取ります」


「お願いします」


 返事をしたところで、ふいに足が止まった。


 回廊の曲がり角に、人影があった。


 薄い亜麻色の髪を耳の後ろへ流した少女が、壁際に立っている。腕には紙の束を抱えていた。きちんと揃えられた角が、彼女の指の内側へ食い込んでいる。爪の付け根が白くなるほど握りしめていた。


 ――ソレイユ。ソレイユ・ローベルト。


 名前が落ちた瞬間、わたしは思わず瞬きをした。


 ここに、いるはずがなかった。


 大学の正門も、校舎の入口も、いつもよりずっと厳しく閉じられている。いまこの廊下にいてよいのは、教授か、職員か、観測班か、総長室へ呼ばれた関係者だけのはずだった。


 それなのに、彼女はそこにいた。


「ソレイユ……?」


 呼びかけると、彼女ははっと顔を上げた。


 いつもの柔らかな笑みは、すぐには戻らなかった。目の下に薄い影があり、唇は小さく結ばれている。けれど、こちらを見た瞬間、その頬の硬さがかすかに緩んだ。大図書館で草稿を差し出してくれたときと同じ、安堵がほどける順番だった。


「ミツルさん」


 声は低かった。図書館で余白に丸い字を書き込んでくれたときと同じ、周囲の静けさを破らない声だった。


「どうして、ここに……。学生は、待機を命じられているのではないの?」


「はい。自宅か、寮で待つように、と言われました」


 ソレイユは、腕の中の原稿を持ち直した。紙のこすれる乾いた音が、指先の強さを伝えてくる。あの丸い字を書く手が、いまは余白ではなく紙の角を掴んでいた。


「でも、どうしても、じっとしていられなくて」


 ヴィルの視線が、わずかに鋭くなった。責めるものではない。ここにいる理由を確かめる、護衛の目だった。パウエルもまた、口を開きかけて、けれど総長の縁者でありローベルト将軍の娘でもある彼女を前に、言葉を選ぶように沈黙する。


 ソレイユは、その視線を受けても逃げなかった。靴の先が、冷えた石の上で前を向いている。


「総長室へ、講義の原稿を届けるとだけ伝えました。職員の方が、ここで待つようにと」


 彼女は、一度だけ息を吸った。胸が上がり、そのままゆっくりと降りるまで、紙の角を離さなかった。


「わたし、詳しいことは、何も知りません。父も、ここ数日家には戻っていません。昨夜は何度も伝令が来て、母も、何も言わないままで、わたしもずっと起きていました。窓から見える街も、どこか変なんです。通りに兵が多くて、お店も開いているのに、みんなの声が小さくて、なんだかひどく怯えているようで」


 紙を抱く腕に、力が入る。肘の内側に紙の角がこつ、と当たっていた。


「それに、講義が……あんなふうに途中で止まるなんて、ただごとではないでしょう?」


 講義。その言葉で、舌の裏に乾いた空気が戻った。掌ほどの水。光を透かした、小さな実演。息を呑んだ学生たちの目。精霊魔術は怖いだけのものではないと、ただ伝えようとしていた、あの場所。


 わたしは、返す言葉を探した。


「聞いて、ソレイユ。今は、危ないの。詳しいことは、わたしの口からは言えないけれど……とにかく家に戻ってちょうだい。あなたまで、巻き込むわけには――」


「巻き込まれに来たわけじゃないよ」


 彼女の声は、思ったよりはっきりしていた。あの図書館で「焦ると盛りすぎるのは知ってるからね」と返してきた声に、似ている。その芯の強さに、わたしは口を閉じる。


 ソレイユは、抱えていた原稿を、胸の前へ持ち上げた。


「これ、講義原稿を整理したものよ。ミツルさんが前に話してくれた、精霊子と、精霊器と、〈場裏〉のところ。学生には分かりにくいだろう箇所に、注釈を足してある。それから、医術と接続するところは……急ぎすぎると、怖く聞こえてしまうと思ったから、順番を少しだけ変えてみたの」


 持ち上げた紙の端が、彼女の指先の中でかすかに震えている。あの丸い字。余白を埋めていた、柔らかな筆跡がいまも挟まっているはずだった。


「あなた、こんなときに……」


 怖くないわけではないのだと思った。知らないまま来ている。知らないからこそ、怖い。それでも、来たのだった。


「だって、あのまま終わりだなんて……いやだったから。ぜったいに成功させたいって思ったから」


 みぞおちの奥が、つん、と引かれた。その言葉は、予想していなかった場所へ触れてきた。


「王都にいま何が起きているのか、わたしにはさっぱりわからない。でも、きっと大変なんだろうって、それくらいはわかるよ」


 ソレイユは、紙の角を押さえ直した。指先が赤い。冷えた廊下を、随分長く待っていたのだろう。


「わたしは戦えない。でも……ミツルさんがあんなに頑張って取り組んでいた講義が、このままだめになってしまうなんて、ぜったい嫌なの」


「ソレイユ……」


「精霊魔術は、怖いだけのものじゃないって、ミツルさんは言った。暮らしのそばにある術だって。力は人を生かすためにもあるんだって」


 彼女の目が、まっすぐにこちらを見た。亜麻色の髪の下で、睫毛の先だけが朝の光を拾っている。


「だったら、こんな時だからこそ、途切れさせちゃいけないと思うの」


 廊下の奥で、誰かの足音が響き、すぐに遠ざかっていった。その短い間に、わたしは息を吸う。石壁の冷えと、紙の匂いと、ソレイユの肘の内側で鳴る乾いた音が、身体の中へ、ゆっくりと降りてきた。


 この子は、事件を知りたいのではない。わたしを英雄として見に来たのでもない。ただ、途切れかけた言葉を、抱えて来てくれたのだった。


「ありがとう、ソレイユ。その気持ちだけ、ありがたくいただいておくわ。だから帰って……」


 それだけしか、言えなかった。


 ソレイユは、小さく首を振った。


「わたし、ミツルさんの力になりたい」


 声は震えていた。けれど、紙を抱く腕は緩まなかった。


「父が帰ってこないこともそうだけど、街の様子もおかしいし、大変なことが起きてるんだって、わかる。でも、わたしが父の仕事に口を出せないことも、わかってる。だから、わたしにできることをしに来たの。ミツルさんの言葉を、届く形にすることなら……少しは、お手伝いできるって思って」


 その言い方が、あまりにまっすぐで、胸の奥がじわりと熱くなった。


 けれど、すぐに頷いてはいけないとも思う。彼女を、こちら側の危うさへ引き寄せてしまうことになる。名づけと、距離の置き方を間違えないことが、どれだけ大切か。わたしはこの数日で、嫌というほど思い知らされてきた。ソレイユはローベルト将軍の娘で、学生で、講義を支えてくれる人だ。危機対応の駒では、決してない。


「ソレイユ。こんなこと、あなたに背負わせることはできないわ」


「うん……」


「いま王都で何が起きているのか、わたしから詳しく話すことはできないの」


「分かってる」


「灰色の塔へも、簡単には――」


《《はい、ストップ!》》


 白い剣の奥から、茉凛の声が割り込んだ。


《《もう黙ってらんない。強制介入!》》


 いつもの明るさより、声の底が低かった。茶化すための軽さではない。わたしがまた、正しさの形をした壁を立てようとしているのを、先に見つけた声だった。


《《いい、美鶴? この子はね、この騒ぎの中、危険を冒してまでここまで来たんだよ。何も知らないままで、それでもあなたのために走ってきたんだ。そこ、ちゃんと見てあげて》》


「茉凛……」


《《あなたの言うことは、いつだって正しいよ。背負わせちゃだめだって。巻き込んだらだめだって。危ないところへ押し込んじゃだめだって。たしかに、ぜんぶ正しい》》


 言葉が、舌の上で止まった。


《《でもね、正しさって、使い方を間違えると、せっかく伸ばしてくれた手まで払っちゃうんだよ》》


 ソレイユは、わたしと白い剣を交互に見た。彼女には茉凛の声は届いていないはずなのに、何かが変わったことだけは分かったのだろう。腕の中のものを、わずかに身体のほうへ引き寄せる。


《《この子を見てるとね、弓鶴くん……ううん、彼の中にいたあなたと出会ったばかりの頃のわたしを思い出すんだ》》


 茉凛の声の角が取れた。


《《あの頃のわたし、何でもいいからしてあげたかった。だって、いつもつらそうなのに、何も言ってくれないから。ふざけてみたり、笑ってみたりして、少しでも荷物が軽くなればいいって思ってた。じぶんでも馬鹿じゃないかって、悩んだこともあったよ……》》


 鎖骨の下が、小さく痛んだ。


《《美鶴なら、わかるよね。辛いことも、悲しいことも、はんぶんこにできたらいいのにって。わたし、本気でそう思ってたんだ》》


 ――はんぶんこ。


 その幼い響きが、白い剣の奥から、わたしの胸の内側へ静かに落ちた。やさしい言葉のはずなのに、細い刃のように、息の奥へ触れてくる。


《《ソレイユも、たぶん同じだよ。秘密がほしいんじゃない。危ないところへ入りたいんでもない。ただ、あなたが抱えているものを、自分の手で持てる形にして、少しだけ一緒に持ちたいんだと思う》》


 何もできないまま待つこと。


 その苦しさを、わたしは知っている。母の手がかりを待っていた夜も、ヴィルの無事を待つしかなかった時間も、扉の向こうで誰かが決めてしまうのを、ただ息を殺して聞いていた瞬間も。


《《全部はんぶんこにできなくてもいい。できないことのほうが多いんだから。でも、この子の手に持てるものまで、持ちたいって気持ちまで取り上げなくてもいいんじゃない?》》


 正しさは、時々、誰かの手を空にしてしまう。


 わたしはソレイユを見た。


 紙束の角が、彼女の指の内側へ食い込んでいる。痛いはずなのに、彼女は離さない。怖いからではない。ここへ来る理由を、手の中で逃がさないようにしているのだと思った。


「……ソレイユ」


「はい」


「あなたが察した通り、いま王都は、厄災と呼ぶべきものの瀬戸際に立っているのかもしれない」


 言葉にした途端、廊下の冷えが、喉の奥へ細く入り込んだ。


「だから、あなたにまで背負わせることはしたくなかったの。知ってしまえば、知らなかった頃には戻れないものもあるから。あなたを、わたしの都合で駒のように扱いたくないの」


 ソレイユは、原稿を抱いたまま、黙って聞いていた。


 その沈黙が、逃げるためのものではないことだけは分かった。紙の角が、彼女の指の内側へ、いっそう深く沈んでいる。


「それでも、あなたが持ってきてくれたものを、ここで切り離してしまうのも……違うのだと思う」


 言いながら、やっと肺の奥まで息が入った。


「……でも、もし、もしもだけど。あなたの意志で、わたしを手伝ってもらえるなら――」


 一度、唇を閉じた。


 お願いすることの重さが、舌の上に残っている。背負わせないために線を引くことと、彼女の手にあるものを信じること。そのふたつを、同じ場所に置かなければならなかった。


「灰色の塔へ、いっしょに来てくれないかしら?」


 ソレイユの目が、驚いたように揺れた。睫毛が一度上がり、それから、唇が開くまでにわずかな間があった。


「いいの?」


「さすがに観測室の奥へは、勝手には入れないわ。機密にあたる王都図や診断票には触れられないの。そこまで、あなたに背負わせることはできないわ。わかってもらえるかしら」


「うん、それはわかるよ」


「でも、塔にはそれとは別に、記録の出入りがある。いつ、どこから灯信が入ったのか。どこへ返したのか。再送を求めたのか。伝令へ回したのか。あとから届いた書面が、どの灯信に対応しているのか」


 言いながら、わたしは、彼女の腕の中にある原稿へ視線を落とした。


「あなたにお願いしたいのは、分析ではないわ。受け取ったものと、送ったものの順番を台帳へ残すことよ。中身ではなく、流れを整える仕事、といったらいいかしら」


 ソレイユは、その束を抱く腕に、静かに力を込めた。


「つまり、記録の整理ね」


「ええ。灯信の時刻、発信元の符号、宛先、通信の種別、再送の有無、書面番号。そういうものを、パウエルさんの指示に従って写してほしいの。見てはいけない名や内容は、伏せたまま扱うことになるけれど」


「……はい」


 返事は震えていた。けれど、紙の角を押さえる指は緩まなかった。


「それなら、わたしにもできます」


「あなたが順番を整えてくれるなら、きっと助かるわ。だからお願いね」


 ソレイユは、紙束を胸に抱いたまま、深く頷いた。


「うん、わかった。余計なことは聞かない。見てはいけないものを、見ようとしない。指示にも従う」


 声は震えていた。けれど、逃げてはいなかった。足の裏が、冷えた石の上にしっかりと置かれている。


「できることなら、何でもしたい。わたしはミツルさんの言葉を、届く形にしたいの。王都にいま何が起きているのか、わたしには分からない。でも、怖いことが起きたからといって、怖いもののままで終わってしまうのは、嫌なんだ」


 その言葉に、喉が細くなった。


 今度の「ありがとう」は、胸の内でしばらく転がってから、ようやく声になった。


「……ありがとう」


 ヴィルが、低く言った。


「なら、俺からも条件を増やす」


 ソレイユの背筋が、わずかに伸びる。ヴィルの声は、いつも通り短かった。短いのに、逃げ場がない。


「塔では、パウエルの指示から外れるな。指定された場所から動くな。俺が下がれと言ったら下がれ。書くものは、パウエルが許したものだけだ。いいな」


「はい」


「それと」


 ヴィルは目を細めた。腰の銘なき聖剣に触れるでもなく、腕を組むでもなく、ただ立っている。けれど、その立ち方そのものが、この場の重さを引き受けていた。


「手伝うなら、まず無事でいることだ。危ない目に遭うようでは、ミツルの気が散る。それは、手伝いとは言わん」


「……はい」


 少なくとも、わたしには、護衛騎士の定型には聞こえなかった。


 ソレイユは、叱られたように頷いた。けれど、その返事には安堵が混じっていた。拒まれなかったことへの、ではない。誰かがちゃんと線を引いてくれたことへの、安堵だった。


 わたしは、思わずヴィルを見た。


 言い方は、相変わらず無骨だった。けれど、彼は拒んでいない。ソレイユの申し出を、危険の中へ押し込むのではなく、届く場所へ置き直してくれた。荒い言葉のかたちをしているのに、置かれた線だけが安全だった。


 パウエルが、記録板を胸に抱え直した。


「では、ソレイユ嬢には、塔の前室に書記机をご用意いたします。観測室の内扉より奥は、許可があるまでお入りになりませんよう。灯信の受発信台帳と、書面番号の照合表をお預けします。機密名と診断内容は、こちらで伏せます」


「はい。よろしくお願いします」


 ソレイユは、深く頭を下げた。


 その所作は学生のものだった。けれど、紙を抱く腕だけは、すでに何かを引き受けた人の硬さを帯びていた。


「ソレイユ」


「はい」


「講義草稿、預けても、いい?」


 言った瞬間、彼女の表情が変わった。笑みというには小さすぎるけれど、頬の線が、わずかにやわらいだ。


「うん。もちろん」


「でも、無理はしないで。少しでも不安なことがあったら、パウエルさんに言って。ヴィルにも、ちゃんと頼っていいから」


「分かった」


 彼女は、原稿を抱いたまま頷いた。それから、ためらうように、けれど確かに、言葉を継いだ。


「ミツルさんも……無理しないでね」


 肩の奥が、じんと鳴った。


 無理をしないで。今日は、何度も言われている。お祖父さまにも、ヴィルにも、茉凛にも、きっとリディアにも。けれど、ソレイユの声で聞くと、また違う場所へ届いた。


 彼女は、わたしがこれから何を読むのか、知らない。


 それでも、心配してくれる。知らないまま、ただわたしの身を案じてくれる。何も知らなくても向かい合える手が、ここにある。


「ありがとう」


 今度は、笑えた。口もとが動いた感触で、自分でも分かった。


「終わらせてくるわ。それで、講義も、ちゃんと続けるから」


 ソレイユの目が、わずかに潤んだように見えた。けれど、彼女は泣かなかった。ただ、紙束を抱く腕に力を込め、唇を結び直した。


「うん。待ってる。……ううん」


 彼女は息を吸った。


「一緒に、待たせて。講義が続くその時を」


 その一言が、廊下の冷えた空気へ落ちた。紙の匂いだけが、あとからそっと追いかけてくる。


 わたしは頷き、灰色の塔へ向かう回廊へ、足を向ける。


 パウエルが先に立ち、ソレイユが紙束を抱えてその少し後ろにつづく。彼女の靴音は軽い。けれどその足取りには、図書館の閲覧机に向かうときと同じ、迷わない歩幅があった。ヴィルの足音は、すぐ隣にある。白い剣の奥で、茉凛が小さく息を吐いた気配がした。


 講義は、止まっていない。


 そう思えた。


 掌に浮かべた、あの小さな〈場裏〉も。草稿に残された注の線も。ソレイユの腕の中にある紙の重みも。どれも、まだ終わってはいない。途切れかけて、それでも、誰かの手の中で細く続いている。


 わたしは、灰色の塔へ向かう。


 戦場ではなく、王都を診るために。


 そして、いつか、講義室へ戻るために。


 回廊の窓から、昼前の光が斜めに差し込んでいた。その光の帯を、わたしたちの影が、ひとつずつ横切っていく。


 閉ざされた講義室の前で止まりかけたものが、紙束の中で、まだ小さく息をしていた。

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