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巫女が力を集めて、騎士が斬る

 昼前。


 扉を開けると、淡い陽射しが部屋の奥まで伸びていた。ヴィルは寝台に身を預けたまま、上体だけを少し起こしている。頬に薄い疲労の翳が残り、みぞおちがきゅっと締まった。彼が倒れ込んだときの衝撃が脳裏をかすめ、足がわずかに止まりかける。


「ヴィル、具合はどう?」


 声をかけて歩を進めると、彼は「問題ない」と面倒くさそうに答え、枕もとの銘無しの聖剣を手繰り寄せた。がっしりした腕で抱え込む姿が、今だけは頼りなく見えて、胸の奥が締めつけられる。


◇◇◇


 リーディス王家に所蔵されていたこの剣を、現王ロイドフェリク二世は「わが国の至宝、聖剣マウザーグレイル」と呼んでいた。だが、それは大きな勘違いだ。


 伝説の騎士ヴォルフが泉の精霊から授けられたとされるその剣は、本当のマウザーグレイルではない。真のマウザーグレイルは、いまこの手に握られているほう――かつて巫女であった母が断言した。『この剣には心がない。マウザーグレイルなどではありません』と。


 母は本物を探すため、最も信頼のおける騎士として父を伴い、国を後にした。それが王女誘拐事件と呼ばれるに至った真相だ。


 二本の聖剣は、外形の骨格と基礎構造をほぼ同じくし、非力な者でも扱えるほど軽い。けれど、その本質は決定的に違っていた。


 ヴォルフの聖剣には鋭い刃があり、何もかもを断ち切る力を宿す。一方、姫巫女メービスが所持していたマウザーグレイルには刃がない。それには理由がある。


 マウザーグレイルは、かつてデルワーズの補機兼安全装置として開発・運用されていた専用兵装だ。剣の形はしていても、「斬る」という用途は与えられていなかった。その本質は、IVGシステムを中枢に、高度な量子演算と膨大な記録領域を内包した、剣形の情報体兵装にある。


 デルワーズは、精霊族の巫女の遺伝子を基盤としながら、規格外の精霊感受性と精霊子受容体容量に調整された特異な因子を与えられ、人工的に造られた個体である。しかし、彼女を始祖とするリーディスの巫女たちや、後のメービスには、その因子は受け継がれていない。ならば、攻撃特化の精霊魔術の術式も、運用経験も持ち合わせていなかったはずだ。


 そのことは、わたし自身がいちばんよく知っている。巫女特有の身体的特徴を持ちながら、精霊とされる存在からの言霊を受けられない歪さ。デルワーズと同様、マウザーグレイル無しでは自滅しかねないほどの精霊子感受性。わたしだけが、代々の巫女たちと同じ列には立てない。


 では、メービスはどうやって戦っていたのだろうか。推測するに、マウザーグレイル自体が内包する術式によって、彼女はサポートを受けながら〈場裏〉を展開していたのだろう。その〈場裏〉がヴォルフの聖剣を覆い、魔術的な現象効果を付与する。これこそが、巫女と騎士によって脅威を打倒し、世界を救済するシステムの根幹だったのだと考える。


 寝台の布がかさりと鳴り、彼の肩が一度だけ大きく上下した。


 ――簡単に言うなら、「巫女が力を集めて騎士が斬る」。そんなヒロイックで、ロマンチックな構造だったというわけね。


 呼吸がそろうと、刃のない白が脈の拍にそっと寄り添った。いまは、その静けさだけで足りる気がした。


 もっとも、その打倒すべき脅威とされる魔族が本当に実在するのか、いまだ半信半疑だ。異界へ通じるとされる虚無のゆりかごや、そこから生まれる魔獣の存在は確からしく思えるが、その上位存在をまるごと魔族と呼ぶのは乱暴にすぎる。背後には、もっと複雑で深い何かが潜んでいるはずだ。


 残るのは、刃を持つもう一本が何なのか、という点だった。


 制御人格――すなわち心――を持たないヴォルフの剣は、別目的で作られたか、あるいは後にデルワーズが用意したのだろう。


 肉体を失った彼女にとって、現実世界を護るための代行者となる巫女と騎士が必要だった。そのためにもう一本の聖剣を備え、世界が脅威に見舞われると予測される時には、自らの血を継ぐリーディス王家へ精霊子を介して働きかけ、巫女を生じさせる。さらに言霊という形で、二本の聖剣の在り処を示す。


 そんな流れが仕組まれていたのだと、わたしは考えている。


 前世の記憶、メービス伝説、父と母の物語、ロスコーの遺した記憶、そして聖剣同士の共鳴。それらが寄り合わさって、この結論に至った。


 もっとも、メービスとヴォルフが実際どう連携して戦っていたのかは、まだわからない。マウザーグレイルのサポートで〈場裏〉を展開できたとしても、常に動くヴォルフの聖剣を包み続けるのは困難だ。わたし自身がやろうとしても、難度は高いだろう。


 先王陛下から貸与されたヴォルフの聖剣には、まだ多くの謎が残る。いまはただ“何でも斬れる”という機能しか感じられない。


 けれど、あまり深く気にしてはいなかった。


 わたしは、伝承に語られる巫女と同じ列には立てない。オリジナルであるデルワーズの写し身。精霊族の巫女の遺伝子を基盤に、一切の制限を外された異常な精霊子感受性と、底の抜けた器を持ち、マウザーグレイル無しでは安定稼働もおぼつかない歪で危険極まりない存在なのだから。


 ――魔獣ごとき、百だろうが千だろうが、敵ではない。


 そう思い込めば、胸の奥に残る恐怖を押し込められる気がした。


 巫女と聖剣のシステムに依らずとも、どんな敵にも立ち向かえるはず。これから先、どんな激しい戦いが訪れても、このわたしがいる限りヴィルを戦場に立たせる必要はない。


 ――彼が傷つかずに済むなら、それでいい。


 それがわたしの偽らざる本心だった。


◇◇◇


「あら、どうして剣なんか持ってるの? あなた、まさか共振解析が怖いってわけじゃないでしょうね?」


 からかう笑みを浮かべると、ヴィルは視線をそらし、眉をひそめた。齢四十半ばの大柄な騎士が、何かから逃げる子どものようで、口角が勝手にゆるむ。


「別に、なんとなくだ。剣を握ってるほうが落ち着く。剣士ならそういうもんだろう」


 口数の少ない物言いの奥に、拗ねた気配がにじんでいた。尖った唇の影に不安が宿り、プライドと未知の術式への警戒がせめぎ合っているのが、皮膚の下でわかる。


「まあいいわ。これからあなたの頭を〈場裏〉で丸ごと包み込むつもりだから、せいぜいその剣をお守りにしておいて」


 わざと脅かすように言うと、ヴィルの瞳がわずかに見開かれた。逞しい腕に力がこもり、聖剣をさらに引き寄せる。横を向いたまま柄をぎゅっと抱く仕草が、妙に微笑ましい。


「おい、冗談じゃないぞ。じょうりとか言うあれだろ? やばいんじゃないのか。俺は隕石轟(メテオ・ストライク)とか、地棘突(グラウンド・スパイク)とか、鎗水(スピア・カスケイド)とか、えげつないものしか見たことがないんだが」


 彼がそう言うのも無理はない。これまで彼が目にしてきたのは、攻撃特化の凶暴な力の具現ばかりだ。警備に回っていた彼は、お祖父さまの診察と治療には立ち会っていないし、情報も秘匿されている。想像のしようがないのだ。


「ふふ、なにも怖がることないわよ。そんな馬鹿げた現象を放り投げたら、とっくに離宮は大騒ぎになってるはずじゃなくて? お祖父さまに叱られるどころか、国中から睨まれちゃうでしょ」


 からかい半分で重ねると、ヴィルは鼻を鳴らして目を伏せた。


「まあ……信用してるさ。だが、こいつは俺の誇りみたいなもんだ。お守りとして持たせてもらう」


「もちろんよ。好きにしていいわ」


 息を吐き、鞘からマウザーグレイルをゆっくり抜き放つ。刃を持たない純白の刀身の気配がするりと意識へ入り、頭の奥で茉凜の声のさざめきが広がった。


《《やっほー、こっちは準備万端だよ。それにしても、ヴィルったら意外とビビりなんだね。普段はあんなに強面なのにさ》》


「まあまあ、彼にもいろいろあるんだから、無粋なこと言わないの」


 軽く諭すと、茉凜はぷいと口を尖らせた気配を漂わせた。目には見えない存在なのに、その気まずさが空気の温度で伝わってくる。


《《でも、よかった。ちょっとだけ安心したよ》》


「何が安心なの?」


《《ううん、なんでもないよ。ふふ……》》


 唐突に話を切る調子が、妙に含みを残す。けれど本題に舵を切る彼女の声に、意識は自然と研ぎ澄まされた。


《《えっと、本題なんだけど、今回の共振解析は前回よりも踏み込んで詳細にやりたいの。脳の深部まで精密に探りたいから、いつもより多めに精霊子を集めてほしい》》


「理由は?」


《《より高密度の精霊子空間を形成すれば、それだけ鮮明に異常を捉えられるはず。ヴィルの大脳基底核近辺で起きてる変異が、どういうメカニズムで進行してるのか、吸い寄せられる精霊子がどんな振る舞いをしているのか、徹底的に探りたいの》》


 理屈はわかる。ただ、多めに呼び寄せれば、こちらのリスクも跳ね上がる。唇の裏に力を抑え、言葉を選んだ。


「了解。でも、過剰に呼び寄せたら負荷も高くなるし、黒鶴の翼が出てしまうかもしれない。わかってる?」


 自分の中に潜むもうひとつの力を意識した途端、肩甲骨の内側が固くなった。完全に暴走すれば、ここが離宮であっても混乱は免れない。わたしの危惧を察したのか、茉凜の声にやわらかさが差す。


《《それは想定内。シミュレーションは何度もやったし、万が一イレギュラーが起きても対処はできるはず。リディアさんの協力で、この部屋は完全に閉ざされているし、カーテンを引いておけば、外からはまず勘付かれないでしょ》》


「うん、わかった。頼りにしてるから。じゃあ、本腰入れていこう」


 不安を振り切るようにカーテンへ歩む。窓という窓をきちんと閉め、薄く差していた光を断った。部屋は茉凜とわたし、そしてヴィルだけの密室になる。衣擦れがそっと立ち、枕もとへ戻った。マウザーグレイルを握る指にぐっと力を込める。


 銘無しの聖剣を抱き寄せるヴィルへ視線を落とした。向かい合う二本の聖剣が同じ場所へ息を潜めている光景が、どこか不思議で、口もとがわずかにゆるむ。けれど彼の表情は深刻だ。軽口は飲み込んだ。


「ヴィル、肩の力を抜いて。身体がこわばると解析が滞るから」


「わかってるさ。こっちは腹をくくった。煮るなり焼くなり好きにしろ」


 枕に半分沈んだ頭が少しだけ浮き、こちらを見上げる。絡む視線に、普段とは違う痛ましさがあった。けれど修羅場をくぐった男の意志は、なお強い。


「その調子よ。わたしを信じて」


「当然だ。お前は俺が全幅の信頼を置く大切な仲間だ。信じているさ」


 その言葉に、彼のメモ――【俺を信じてくれ】が脳裏をよぎる。みぞおちがふっと温んだ。部屋の音が一拍だけ遠のく。


 ヴィルが息を整え、仰向けに落ち着いた。肩へそっと触れると、張りのある筋が指先に伝わる。こわばりを解くように撫で下ろした。


 彼は息を吐き、瞳を伏せる。叱られても剣を手放さない子どものようだが、その大きな手は確かに聖剣を掴んだまま。無力を認めるのは苦手でも、いまはわたしの手を受け入れてくれている。そう思うだけで、こめかみが静かに脈打った。


「頭の下に手を入れるから、少しだけ失礼するわね」


 首筋に手を添え、枕の角度を直す。縦に剣を抱え込む姿勢は少し危なっかしいが、騎士の心の拠り所を無理に奪いたくはなかった。


「じゃあ始めるわね。目を閉じて、呼吸を整えて。ゆっくり吸って……吐いて……」


 静かに呼吸を合わせ、意識を沈める。内側へ深く落ちていく感覚に身を委ねた。


「……我が器に集え、精霊子よ」


 脳裏の器へ、精霊子を呼び込む。見えない粒が肌を撫でるように寄り集まり、胸の奥を満たしていく。この世界のどこにでも在るそれは、普通は誰にも見えない。けれど、こうして呼べば応えてくれる。わたしの中の精霊族の因子が、それを可能にする。


 マウザーグレイルが、刃のない刀身に白熱のにじみを宿した。呼吸と鼓動を合わせるように微かに脈打ち、空気が一段と澄んでいく。微細な振動が伝わり、わたしを中心に渦が巻く。見えない流れが重みを帯びて凝縮し、瞬く間に一点へ集まった。

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