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共鳴する力 戦士と魔法使いの絆

 夕陽が落ち、砂の上に月の白が薄く差し始めていた。


 巨大魔獣――オブシディアン・アラクニドは、まるで地の底から這い上がるように姿勢を取り戻し、前方十五メートルほどの距離から、ゆっくりと、しかし確実にこちらへ迫ってきている。


 その存在が押し出す見えない重さに、冷や汗が背へ滲んだ。黒光りする外殻は月明かりを反射し、闇を吸い込むように鈍く艶めいている。砂を踏むたび、乾いた粒が押し潰される音が、夜気の中で妙に大きい。


 ヴィルは肩を落とさない。そびえる体、無精ひげに覆われた顎、ぼさぼさの金髪、傷だらけの手。緊張は走っているのに、握り込む指だけがぶれない。わたしの視界の端で、その指先が月光を薄く拾った。


「さてと……こちらは二人だ。どうしたものかな?」


 冗談みたいな口調のまま、彼の目だけが魔獣の脚運びを数えている。


「ちょ、ちょっと待って。あなた、勝算があるんじゃなかったの?」


 問い詰めた瞬間、わたしの息が砂を噛んだ。口の中がひりつき、うまく声が伸びない。


 彼は微かに口元を緩ませた。その間が、かえって怖い。息がひとつ、引っかかった。


「あるにはあるさ。ただな、せっかくの大物だ。本音としては、カイルたちに経験を積ませたいってのもある。できれば到着を待ちたいところなんだが……」


 言いながら、肩越しに一度だけ、背後の闇へ視線を投げる。隊商の気配はまだ遠い。月の白さだけが、砂の斜面を薄く縁取っていた。


「なるほど。けど、そうもいってられそうにないわね……」


 理解はできる。けれど、時間は味方じゃない。砂の鳴る音が、じわじわ近づく。胃の底に冷たいものが沈んだまま、戻らない。


「だな……。仕方あるまい。俺たちだけでこいつを片付けよう」


「でも、どうやって? 風では抑えるだけで精一杯。水は弾かれて目を狙うくらいしかない。火なら通じるかもしれないけど、わたしの力じゃ強すぎて、ここにいる人たちも巻き込んでしまうかもしれない……」


 言葉を並べるほど、自分の未熟さが露わになる気がした。夜気は冷えるのに、掌だけが汗ばんでいる。


「ミツル、お前の魔術は何も威力だけではあるまい? 無詠唱かつ無遅延の発動。そのうえ正確無比な制御。そこらの魔術師とは比較にもならん。一番近くで見てきた、『相棒』であるこの俺が保証する」


――えっと……相棒って。


 その一語が、体の芯へ落ちた。砂の匂いしかないはずなのに、鼻の奥に潮の匂いがふと立つ。焼け焦げた鉄の気配が、記憶の底から浮き、すぐに消える。


 前世の茉凜の言葉が蘇る。


『これからは一緒にがんばっていこうよ。ね、相棒?』


 掌の熱が肋の真ん中へ触れたような錯覚が、遅れて胸郭の内側をなだめていった。怖さが消えるわけじゃない。けれど、ひとりで立たなくていい、と身体のほうが先に思い出してしまう。


 わたしは唇を一度噛み、視線を戻す。


「そ、それはそうかもしれないけど。だからって……」


「俺に策がある。いいか? 指示した通りに正確に魔術を行使しろ。合図は数字で出す。一番目は風の魔術で俺の前面に障壁を張れ。瞬間でいい。二番目は地の魔術で……えーっと、なんだったかな、地面から杭を突き上げるやつだったか?」


 真剣に考えているのに、そこで少しだけ眉が崩れる。緊張の中で、可笑しさが一滴だけこぼれた。


地棘突(グラウンド・スパイク)ね」


「そうだ。そいつで行こう」


 風の障壁は〈場裏・白〉。地棘突は〈場裏・黄〉。イメージさえできれば、無詠唱で、遅れなく応えられる。わたしは砂を踏み直し、足裏の位置を確かめた。硬い粒が、靴底の縁から押し返してくる。


「ようするに、あいつの動きを止めればいいってこと?」


「そうだ。あとは俺に任せてくれればいい」


 ヴィルの声には迷いがない。けれど、わたしの胃の奥はまだ冷たいままだ。


 この巨体と強固な外殻に、剣が通るのか。


「そんな、あなた一人で? どう考えても、あいつに剣なんて通りそうもないんだけど。ほんとうに大丈夫なの?」


「通るか通らないかは、これからわかる。俺を信じろ」


《《美鶴。ヴィルの目を見てごらん》》


 彼の目が強く光る。心臓はまだ暴れているのに、その視線に触れた途端、足裏の砂が少しだけ落ち着いた。


《《相棒がこう言ってるんだ。信じてみよう。そうすればこの勝負、きっと勝てるさ!》》


 相棒が二人。そう思うだけで、背中のどこかに支えが生まれる。


「わかった。あなたを信じるわ」


 わたしの言葉を確かめるように、ヴィルは鞘へ指を添えた。金具がかすかに鳴り、刃が抜ける音が夜気を裂く。月明かりが細い線となって走り、砂の白さまで鋭く研がれた。


――これが雷光。彼の、ほんとうの輪郭……?


 ふと、息を忘れてしまう。荒くれ者の剣士の雑さはどこにもなく、動きだけが静かで、迷いがない。


「さてと……美味い酒のため、一働きするとしよう」


「いいえ、新鮮な食材のためによ」


 申し合わせたみたいに言い合って、ふっと肩が軽くなる。笑いは短い。すぐに夜の冷えが戻った。


 ヴィルが静かにもう一本の短めの剣を抜く。二度目の鞘走りが、耳の奥へ鋭く残る。双剣の構えを見るのは初めてだ。肘を張らず、重心を砂へ沈め、鋏の届く線だけを拾っていく。柄を握る手の角度、刃先の向け方、そのすべてに決意が滲む。


 わたしも一緒に立つ覚悟を固めた。足裏で砂を踏み直し、揺れる呼吸を、ひとつずつ戻していく。


 息を合わせるように、大きく深く吸う。空気がぴんと張る。風の音が、ひとつの拍に揃う気がした。


《《いよいよ、ヴィルの本気が来るね。美鶴、ここからが本番だよ》》


 茉凜の声が息の奥へ落ち、わたしは無言で頷いた。腰の剣帯からマウザーグレイルを抜き取ると、掌に確かな重みが戻る。握った瞬間の安心は、想像以上だった。繋がっている感覚が、冷えを薄くしてくれる。


 柄の冷たさが掌に収まり、わたしの指が迷わなくなる。


 ヴィルが一歩踏み出す。わたしも続く。大きな背が前へ出るたび、足裏の砂がぶれなくなる。


「行くぞ、ミツル!」


 その声と同時に、わたしたちの間の緊張が一本に束ねられた。


 砂を裂く音が遅れて届く。そこから先は、息を数える暇もない。


◇◇◇


 横向きで低く構えた瞬間――彼は消えた。


 正確には、猛烈なダッシュにわたしの目が追いつかなかった。残されたのは走り抜ける風の音だけ。風だけを置き去りにする加速で、魔獣の懐へ滑り込む。


 名を考える前に、砂だけが遅れて鳴った。


 ヴィルは瞬時に、オブシディアン・アラクニドの鋭利な鋏の攻撃圏内へ迫っていた。


 わたしは息を呑み、すぐに〈場裏・白〉を領域展開する。領域部分解放による断層障壁エアリアル・バリアを準備する。指先が冷たくなり、汗がじわりと滲む。全身が張り詰め、彼の背だけを追った。


 その瞬間、巨大で鋭い鋏が突き出された。ヴィルは身を翻し、双剣を重ねて滑らせながら懐へ潜り込もうとする。甲殻と金属がぶつかる甲高い音が、背骨の奥まで突き刺した。


 けれど彼は受けない。流し、殺さず、入り込む。砂の上で足取りが乱れない。


「一っ!」


 合図と同時に、わたしはヴィルの前面へ〈場裏・白〉を寄せた。


 領域部分解放。白い断層が刹那だけ立ち上がり、彼の前面を塞ぐ。


 刹那、魔獣が顔周辺から無数の棘を放った。鋭い針が猛烈な勢いで襲いかかる。だが断層障壁が受け止め、叩き落とした。乾いた音が連なり、砂が細く跳ねる。わたしの奥歯がきつく噛み合い、音がひとつも漏れない。


「二っ!」


 さらに指示が飛ぶ。わたしは視線を魔獣の胴体下へ沈めた。腹側の影が、月の白にわずかに浮く。


「突き上げろ!」


 〈場裏・黄〉を領域展開し、内部で事象の具現化。砂の下で硬い層がひとつ鳴り、鋭い突起が下腹へ突き上がった。槍のようなそれが甲殻の継ぎ目を掠め、縁がぎしりと歪む。深くはない。けれど、確かに刺さった勢いで、巨体の上体が反射みたいに反り返った。


 脚が砂を掻き、鋏の先がわずかに浮く。腹側にできた影の隙間が、ほんの短く大きくなる。


 ――通った……。


 その認識が手首へ返り、震えが一度だけ走る。ヴィルは最初からそれを知っていたみたいに、迷いなくその隙へ滑り込んだ。黒光りする腹の下へ、風に縫われるように身を潜らせる。特徴も、弱点も、すでに手の中にある。


 そのとき、ヴィルの手元で小さく弾ける音がして、濃い煙が一気に立ち込めた。彼の姿が輪郭ごと覆われる。


 何が起きているのか分からない。けれど、焦げた樹脂の匂いが鼻腔を刺し、耳の奥が薄く詰まって、世界がふっと遠のく。


 直後、オブシディアン・アラクニドが身を捩らせ、苦悶のような気味の悪い鳴き声を上げた。声が骨に刺さり、背中の汗が冷たい線になって落ちた。


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