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立ち塞がる砂塵の向こう

 立ち塞がる砂塵の向こう。塔が徐々に大きく見えるにつれて、不安が口の中に苦い唾をにじませていく。砂塵は渦をつくり、夕日をかすませ、空気を張り詰めさせた。胸の奥で強まる魔素の感覚が、呼吸の通り道を狭め、指先の力を削っていく。


 ヴィルの背中は相変わらず自信に満ち、肩の盛り上がりが外套越しにも頼もしく張っている。逞しい腕が手綱を握るたび、鞍の革が低く鳴って、わたしの掌の冷えがほどけた。


 信じたいのに、言葉は喉ぼとけの下で固まり、唇は固く結ばれたまま。奥歯の裏が、わずかに痛い。


 やがて、塔がはっきり視認できる距離に入ったとき、その苦さは現実の硬さへ変わった。


 突如、地響き。塔が激しく揺れ、崩れ落ちていく。目の前の景色だけが遅くなり、砂の粒が光をはじきながら落ちるのが見えた。


 腹の奥が、地響きに叩かれて波打つ。


「なっ、なにっ!?」


 口が勝手に開き、冷たい息がひゅっと抜ける。だが、ヴィルの声は冷静だった。


「おそらく魔獣の仕業だろう。一瞬であれだけの規模の建造物を崩せるとなると……」


 鞍革がきしみ、汗が柄へ薄く張りついた。わたしは指を握り直す。


「なおのこと、急いで倒さなきゃ!」


「焦るな。まずは状況の確認。隊商(キャラバン)の安全確保を優先する。いいな?」


 言葉は耳に届く。けれど背中の筋が固くなり、砂の鳴る音だけがやけに大きい。


《《ヴィルの言うとおりだよ。今は落ち着こう。こういう時は、なるようにしかならないってこと。まずしっかり見て、考えて、トライするのはそれからだよ》》


 茉凜の声が胸の内側へ反響する。かつてバイク(自転車)トライアルで培った、危機に動じない彼女の温度が、わたしの骨をいったん押さえた。けれど今は、震える手のひらを握りしめるほど、揺れが数えられてしまう。


 視線は結局、手綱を握るヴィルの指へ戻ってしまう。


――守らなければ。エレダンの人たちが待ち望んでいる、大切な荷物を。危険を冒してまで来てくれた、ゴードンたちを。


 マウザーグレイルの柄へ手が伸びかけて、途中で止まった。茉凜の声が、その縁を押さえる。


《《美鶴、肩に力入りすぎてる。焦っちゃダメだよ。力を抜いて、深呼吸して》》


 背筋を走る冷えと、やり遂げたい熱が、肋の内側で押し合う。


 再び地響き。土が揺れ、眼前に巨大な影がせり上がった。


 黒紫。夕日に鈍く反射する甲殻。塔を囲む土壁の裂け目に、常の四足とは異なる、圧そのものの姿がのぞいた。


「そこか!」


 ヴィルは即座に反応し、スレイドの腹を蹴って速度を上げる。わたしは目を閉じ、背中に必死でしがみついた。


 やがて壁の入口をくぐる。砂が頬を打ち、歯の隙間にかすかに触れた。


「ミツル、見ろ!」


 恐る恐る目を開く。進行方向の斜め向こうに、理解が一拍遅れる光景――。


 二台の幌付き馬車と、十台の大型荷馬車が一塊に。見覚えのあるゴードンの隊商だ。塔の崩落は辛うじて免れ、ゴードンは先頭から降りて指示を飛ばしている。


 その周囲に、十名ほどの男たち。武器を構え展開しようとしているが、装備は貧弱で、身構えにも自信がない。護衛の傭兵だろうが、目線が落ち着かず、互いの距離も測れていない。


「統率もなにあったもんじゃない。あんなので護衛が務まるっていうの? 馬鹿にしてるわ」


「どうせ、出発前に金でかき集めた連中だろう。魔獣の影が薄い街で使える手合いなど、端から期待できん」


「ちっ……」


 足の置き方ひとつ揃わない。その頼りなさが、背へ冷えを走らせた。だが、問題はそこではない。


 馬車群の前方。砂埃の向こうに、それは姿を現した。


 立っているだけで周囲の空気が沈む。唾が引き、舌がうまく動かない。


 低く構えたその魔獣は、大地を貫く杭のように堂々と立っていた。体高は五メートルを優に超え、全長は二十メートル級。黒紫の硬い甲殻が夕陽を受けて鈍く光り、影の塊みたいに見える。


 とりわけ二本の巨大な鋏。鋼鉄めいた光沢を帯び、刃先は鏡のように尖っている。鞍を掴む指に力が入り、革がきしんだ。


 胴は太く、八本の脚が地を抑えつけるように張り出す。尾の先は細く伸び、毒針めいてゆっくり揺れ、こちらの呼吸を測っていた。


 掌が汗で滑り、指の腹だけが鞍の革を探した。


「うそでしょ……わたし、こんなの見たことないわ。大きすぎる」


 膝が勝手に引こうとして、腹の奥が冷えたまま戻らない。巨大なサソリ型ともいうべき魔獣が、砂の向こうで身じろぎもせず、こちらを測っていた。


 甲殻の隙間から砂がさらり落ち、その音が遅れて耳の奥へ届いた。


 ヴィルが微かに笑い、名を告げる。


「『オブシディアン・アラクニド』か……久方ぶりにお目にかかる」


 冷えた風が頬を撫で、名が胸の奥で硬く鳴った。


 その言葉が落ちた瞬間、空気の弦がぴんと張り詰めた。魔獣もこちらを察したのか、甲殻のどこかが鈍く擦れ、砂が細く跳ねる。全員の視線が、恐るべき影へ集まる。


 何かが始まる――その予感だけが、場に沈んだ。

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