巫女にはなれぬ私と、偽りの聖剣伝承
「うむ。思うところがあれば何なりと言ってごらん。遠慮はいらんよ」
「では、率直に申し上げます。わたしはリーディス王家に生まれる巫女に共通する身体的特徴を備えています。ですが、それだけで『巫女そのもの』だとは言い切れません」
「なんだと?」
「まず、代々の巫女たちについてです。彼女たちは精霊への高い感受性を持ち、言霊を受け取ることができる存在でした。そのなかでもメービスは、神託を受けて聖剣『マウザーグレイル』を探し求めて旅立ち、その際、随行の騎士を伴った――後世に残った伝説の骨子は、そこです」
「そうだ。それが伝承のあらましだ」
「けれど、そこにはひとつ飛躍があります。王家の巫女は、言霊を受け取れても、それだけで失われた精霊魔術を自在に扱えるわけではない。少なくとも、自力で戦う術までは持っていません」
卓上の茶器がかすかに触れ合った。乾いた小さな音が、控室の静けさへ落ちる。
――言い出した以上、もう引き返せない。
喉の奥に残った息を、ゆっくり飲み下す。核心へ触れるには、まだほんの少しだけ、身体が追いつかなかった。
「む、それはどういうことかね?」
「それについては……順を追ってご説明いたします」
「わかった。続けてくれたまえ」
静かな促しの底に、先を急ぐ色があった。わたしは膝の上で重ねていた手をほどき、指先に残った熱を逃がしてから言葉を継ぐ。
「そのため、もう一本の聖剣が用意されたのです。巫女ひとりでは成立しない部分を補い、実際に戦う役目を担う者が必要だった。そこで随行の騎士が、もう一本を帯びることになったのです」
「まさか、そのもう一本とは……?」
「はい。長らく王家に所蔵され、今はブルフォード卿が帯びている、あの銘のない聖剣のことです」
視線だけを、ヴィルへ移す。彼は黙したまま、窓の外へ目を置いていた。けれど、その横顔は少しも遠くない。
「あの剣は……たしかに尋常ならぬ切れ味を持つ。だが、マウザーグレイルのように声も温もりも返さぬ。持ち主に寄り添い、精霊魔術の安定に寄与する類の剣ではあるまい。すなわち『心』がない。では――それで、どう戦うというのだ?」
「そこが要です。マウザーグレイルは、単に心を秘めた剣ではありません。巫女と繋がり、精霊魔術に必要な力を集め、術式を制御する側です。いわば、力の流れそのものを作る器であり、動力炉なのです」
お祖父さまのまなざしが、そこでわずかに深くなる。わたしは息を継いだ。
「一方、もう一本の聖剣は、そのような制御機能を持ちません。けれど『斬る』ことにだけ極端に特化している。心はない。されど、ただの名剣でもない。巫女とマウザーグレイルが組み上げた力を、騎士の剣として外へ解き放つための刃として機能するのです」
深淵で使われていた技術の言葉なら、もっと短く言えた。けれど、それではお祖父さまの積み上げてきた王家伝承と聖剣研究から、こちらだけが遠く離れてしまう。
だからわたしは、その異物を、いまこの部屋で通じる魔術理論の言葉へ置き換えていた。
「……続けたまえ」
「はい。では説明します。まず、巫女がマウザーグレイルを通して術式を構築します。そして、騎士が持つ一本の聖剣にその力――つまり具現化された現象を纏わせるのです。あとは騎士が剣を振るうだけで術が放てます。また、斬撃そのものに精霊魔術の現象を重ねることも可能です。つまり、ひとつの剣が奇跡を編み、もうひとつの剣がそれを現実へ断ち下ろすのです」
「ふむ……」
お祖父さまの頷きはごく小さかった。けれど、拒まれてはいない。その沈み方に、張っていた肩の内側がほんの少しほどける。
「材質については不明ですが、二本は同系統と見てよいはずです。少なくとも、常識外れの強度と耐久性を備えていることは、お祖父さまご自身が検証し、すでにご存じでしょう」
「うむ……」
お祖父さまは低く唸り、額に手を当てた。沈黙の中で、思索だけがゆっくり深く沈んでいく。
「つまり、巫女とマウザーグレイルが力を集め、精霊魔術として現象を具現化し、騎士が持つもう一本の聖剣へ委ねて外へ顕す。――ならば、巫女と結びついた騎士だけが、その力を行使し得る、ということか……」
抑えた声の奥で、瞳に鋭い光が宿る。長く物語の奥へ押し込められていた謎が、ようやく骨を持ちはじめたようだった。
「はい。これが伝説の真実であり、聖剣が二本であることの理由です」
「君は……いかにしてそこまで突き止めたのだね?」
「実は昨日、王都外の練兵場で二本の聖剣を全力でぶつけ合ったのです。剣士が剣戟を通して言葉なき対話を交わすように、剣同士にも共振が起これば、答えを引き出せるかもしれないと考えたのです」
お祖父さまは頷き、今度はヴィルへ視線を向けた。
「ブルフォード、その場に居合わせた君は――どう見たのだ?」
「ミツルの言うとおりだ。俺たちは剣の記憶とも呼ぶべき未知の空間へ飛ばされ、そこで若緑の髪と翡翠の瞳を持つ少女と、銀髪の若い騎士の姿をはっきり見た。他には誰もいなかった」
お祖父さまは眉間に皺を寄せ、目を伏せる。白い卓布の上に、短い影がひとつ落ちた。
「そうか……。私も長年伝説を研究してきたが、記述には多くの疑念があった。なぜ最優の騎士ひとりを選び、巫女と二人きりで旅に出たのか。常であれば大勢を出して広く探させるはずだ。戦力を割けぬ事情があったにせよ、なぜ二人なのか――物語上の脚色と片づけていたが……」
「真実は、二人でなければならない旅路だったのです」
自分の声が、思いのほか澄んで響いた。斜め後ろで、ヴィルの気配が息を潜める。
「二本の聖剣が真価を現すには、巫女と騎士が互いを必要とし、信頼を深め、魂を預け合えるところまで至らなければならない。つまり、護衛を連れて出ればそれでいいのではなく、メービスにとっては、その騎士――彼でなければ意味がなかったのです」
言いながら、剣の記憶に見た光景が瞼の裏へ重なった。若緑の髪。銀の横顔。ふたりだけで進むには、あまりに大きすぎた世界。
「たしかに、あまりにロマンチックな話に聞こえるかもしれません。けれど、それが伝説の素顔だったのです……」
「なるほど。巫女と騎士、二人が選んだ未来への願いが、世界を救う力へと繋がった……」
「ええ。動機は驚くほど単純でした。人々を守りたい、世界を救いたい。そして――」
ことばをいったん奥歯の裏で留める。礼装の襟に触れた指が、布の下でごくわずかに熱を帯びた。
「――その先で、ささやかでもいい、幸せを掴みたい。その願いが、どんな試練も共に越える力になったのです。そんなひたむきさが、やがて後世には壮大な英雄譚へと仕立てられてしまったのでしょう」
「なるほど……伝説がどれほど虚飾で彩られていたか、よく理解できる」
お祖父さまは小さく息を吐き、肘掛けを一度だけ指先で叩いた。
「そうです。真実は意外なほど純粋で、とても単純でした」
わたしは、あの二人を思い描く。楽な旅ではなかったはずだ。それでも手を離さずに進み続けた、そのひたむきさだけが、いまも瞼の裏で消えずにいる。
――……でも、わたしはどうだろう。
「……ですが、わたしはメービス、そして母のようにはいかないのです……」
その言葉を口にした途端、あたたかかった伝説が、ふいにこちらへ向きを変えた。
膝の上の指が、少しだけ強張る。伏せてきた真実に触れなければ、この先へは進めない。古代から伝わる剣の歴史、とりわけ、マウザーグレイルの初代所有者のことを。
浅く息を吸い、いったん視線を落とす。それから、お祖父さまをまっすぐ見た。控室の空気が、そこでわずかに張る。
「まず、わたしが巫女ではない根拠をご説明します」
お祖父さまは目を細め、静かに頷いた。
「うむ……言ってごらんなさい」
促すようなその視線に押されるまま、ひとつ間を置く。襟もとへ触れた指だけが、まだ熱を残していた。
「これまで王家の巫女は一時代にひとり――そう認識されていますね?」
「そうだ。伝承では、時代ごとにただ一柱」
背に当たる椅子の木が、体温でわずかに温む。その感触を確かめてから、わたしは次の言葉を出した。
「では、なぜ巫女であるはずの母から、次の巫女が生まれたのか。そこが不自然です」
お祖父さまは沈黙し、思案の皺を寄せる。その間が、わたしに続ける勇気をくれた。
「本来なら、母が巫女として聖剣探索を成し遂げ、対となる騎士ユベル・グロンダイルと結びついた時点で、少なくとも当初の役目は果たされたと考えられます」
言い切ってから、襟元をそっと正す。乾いた息が一度だけ浅く擦れた。
「その後は、来るべき脅威に備えて身をひそめ、聖剣を守り抜けばいい。いざ事が起きれば王家の聖剣を手に取り、ともに戦えば済む――わざわざ娘のわたしが、次の巫女として生まれる必要はありません」
お祖父さまは、困惑をまじえた声音で返す。
「だが、メイレアは君とユベルを残し、行方知れずとなった。それでは巫女と騎士の組み合わせは成立せぬ。それゆえ次代の巫女が必要になったのだ、と考えることはできぬか?」
言葉が室内の静けさへ沈んだ。香木の匂いが薄く漂い、窓辺の光が紋章の縁をかすめる。
お祖父さまの推論は鋭かった。感情では否定したかった。けれど、きっぱりと退けきれない何かが、背の奥へ重く沈んでいく。
「……その可能性が、まったくないとは言い切れません」
自分でも驚くほど、声は低く落ちた。
「けれど、もしそうだとしたら――それはもはや、王家が伝えてきた精霊の導きや神託の範囲を越えています。未来を告げるというだけではなく、来るべき器そのものをあらかじめ用意していた、ということになる。そんなものは……少なくともわたしたちが知る巫女の在り方とは別です」
お祖父さまは「むぅ……」と低く唸り、口を閉ざした。
わたしはさらに言葉を重ねた。
「それに、わたしには精霊の言霊が聞こえません。歴代の巫女なら必ず届いたはずの声が、わたしには届かないのです。一方で、わたしは異様なほどの精霊への感受性と、底なしの器を持っています」
カーテン越しの光が膝の上へ淡く落ちる。絡めた指の冷えだけが、胸の内の昂りから取り残されていた。
「そして、通常の魔術の範疇を超えた高出力と広範囲の行使、さらに複数の系統を同時に扱うことすら可能にする。周辺の環境までをも巻き込み、容易に破壊の側へ傾ける。しかも行使の際に、負の感情の増幅と――破壊の悦びさえ伴う狂気が滲む。……これほど異常で破滅的な要素を孕む存在が、果たして巫女などと呼べるのでしょうか?」
「ミツル……では、君の力とは一体?」
息を整え、わたしは口角だけで苦い笑みをつくる。
燭台の影が卓の縁へ薄く伸びる。膝の上で、指の節だけが白くなっていた。
「簡潔に申し上げます。わたしは巫女などではありません。マウザーグレイルはわたしにとって、力を引き出すための道具ではなく、暴走を防ぐための安全装置です。あれがなければ、わたしは自分の力を抑えきれません」
白い茶器が窓の光を鈍く返す。掌に残る冷えだけが、やけに確かだった。
「なぜなら、わたしは精霊魔術の本質を――理論としても、感覚としても――すでに理解しているからです。けれど、どうしてそんなふうに理解できるのか、その理由だけは、わたし自身にもよくわからないのです……」
言葉が切れたあと、香木の匂いさえ薄く遠のいた。乾いた静けさが、卓の上へ張る。
「簡単なことです。わたしには特異な因子が備わっているのです……」
そこで一度、ことばが細く途切れた。窓枠の影が卓布の端へ落ちる。誰も次の言葉を急がなかった。
言い切ってしまえば、取り返しがつかない。胃の底に沈んだ重みだけが、ゆっくり広がっていく。
「わたし自身が、巫女の枠を越えた底知れない器を持ち、規格外の出力で、大規模破壊をもたらすほどの精霊魔術を行使できるからです。ただ、それだけのことです……」
声にした途端、腹の底が頼りなく沈んだ。
「これは……自然と調和し、過度な破壊を避ける本来の精霊族の魔術とは、根本からして性質が異なります。あらゆる制約を捨て、ある特定の目的のために余計なものをそぎ落とした、異質の素養なのです」
言い終えると、お祖父さまの視線がわずかに揺れた。磨かれた床に返る光の冷たさごと、その息遣いが耳の奥へ残る。
それでも、目を逸らさなかった。
「それほど歪められた過剰な力……その目的は、いったい何だというのだね?」
声に微かな震えが混じる。お祖父さまの中で、長く支えられていた秩序が、音もなくかたちを変えていくのがわかった。
香木の匂いがふっと痩せ、窓辺の光だけが白い卓の上へ残った。
「それは、敵と定められた対象を、確実に――そして根こそぎ殲滅するため、です……」
言葉が落ちた瞬間、窓辺で沈黙を守っていたヴィルが、ゆっくりとこちらを振り返った。お祖父さまは言葉を失い、室内に静けさが満ちる。
澄んだ空気が、肌の上を薄く撫でた。
もう、止まれない。
「そうです。わたしは巫女などではありません。巫女の血を基盤にしながら、その能力を歪な形で拡大し、本来あるはずの制約を削ぎ落とした――いつ壊れるかわからない、危険な器なのです……。遥かな昔、殲滅だけを目的に最適化されて設計された、マウザーグレイルの本来の持ち主がいた。――その影に、わたしという器が重なる。設計図が先にあり、わたしはその形へあとから合わせられた……」
息がひどく浅くなる。けれど、逃げない。
あの日、すべてを打ち明けたあとに返ってきたヴィルの沈黙が、いまも背にあった。
「……だから――わたしは、兵器として設計された存在の写し身なのです」
自分へ向けた刃のような言葉が、腹の奥を深く抉る。
それでも、目を伏せなかった。
張り詰めた空気の中、お祖父さまの返答を待ちながら、わたしは唇を固く結んだ。




