仕組まれた「揺らぎ」の正体
「なるほどな……統一管理機構が精霊族を完全に排除できない理由が、システムの根幹を司る中核意識集合体にあったというわけか……」
ロスコーは低く唸りながら、視線を焚き火からデルワーズへと向けた。火の赤が、その目の奥で小さく揺れている。言葉の下にあるものを探るように、彼の瞳は細く沈んでいた。
「そうです。レナードさんが入手したデータによると……『ラオロ・バルガス』は精霊族の存在を重要視している可能性が高いとされています。それが、システムないし世界全体の均衡を保つためなのか、あるいは別の目的のためなのかはわかりません。ただ――」
デルワーズは言葉を切り、火の揺らぎに照らされた拳を見つめた。指先がかすかに震える。
「――もしその仮説が正しいのなら、システム・バルファは……わたしたちの想像を超える目的を持っているかもしれません」
「世界の均衡だと? バルファ市民と精霊族のか? どうだかな」
ロスコーは腕を組み、低く続けた。
「仮にその推測が事実だとしよう。だが、精霊族因子がシステムにとって必要ならば、逆に保護されてもおかしくはないはずだ」
炭が崩れて、火の匂いが濃くなる。灰の苦さが、舌の奥に薄く残った。
「でも……現実には精霊族因子を持つ者は異端として摘発され、処分され続けています。必要だというなら、筋が通りません。レナードさんは、『ラオロ・バルガス』の中に、ある二重性が存在するからではないかと推測しています」
「二重性だと……どういう意味だ?」
ロスコーの低声に、困惑と関心が混じる。
「はい。ラオロ・バルガスには、『社会秩序の最適化』と、『試行と模索』という高次目的がある。そういう二重性が併存している、という仮説です。それが結果的に、矛盾としか思えない行動を取らせているのではないかと考えています」
慎重な声音の奥に、不安の影がにじむ。
「それだけか? それだけの推測で、君はシステムの中枢に挑むというのか?」
「いいえ、それだけではありません。ロスコーさんは、統一管理機構がなぜ生まれたか。システム・バルファによる人類の計画的調整生産が、なぜ始まったかご存知ですか?」
ロスコーは眉をひそめた。熱の揺らぎに浮かぶデルワーズの横顔を見つめ、言外にある意図を測るように沈黙する。
「うむ……」
彼は短く唸り、視線を落とした。暗がりが顔にゆっくりと線を刻み、思案の輪郭を濃くした。
「かつて世界は、資源枯渇と環境破壊、戦争によって限界に達していた。統一管理機構は、その混乱を収拾し、人類を存続させるために生まれた。……少なくとも、そう教えられてきた」
薪の芯が赤く沈む。
「人間の争いを止めるためには、人間そのものを制御するしかない。感情、衝動、思想、遺伝子、生殖……不確定要素を排除して、理想的な人類を計画的に生産する。それが、システム・バルファの根本思想だ」
言葉を吐くたび、ロスコーの声は硬さを増していく。
「人工子宮プラントによる調整生産。役割ごとに設計された市民。効率化された社会。争いも飢餓もない、完全な秩序……。それが、統一管理機構の掲げた理想だった」
「はい。けれど、その理想は、人間から揺らぎを削り取るものでした」
デルワーズは静かに頷いた。膝の上の手が、ゆっくりと開かれる。火の明かりが、掌の線を淡く照らした。
「感情の揺れも、偶然の出会いも、誰かを愛して子を産むことも……すべてが不安定要素と見なされた。人は個人ではなく、秩序を維持するための単位として扱われた」
火がぱちりと鳴った。
「でも、もしラオロ・バルガスが、その理想そのものに矛盾を感じ始めたとしたら……」
ロスコーは目を上げる。
「ラオロ自身が、統一管理機構の理想を疑ったというのか?」
「その可能性がある、とレナードさんは考えていました」
デルワーズは唇を結び、静かに息を吐いた。
「統一管理機構が求める『理想』とは、あくまで彼らが設定した効率と秩序のためのものでした。でも、もしラオロ・バルガスがその理想に矛盾を感じ始めたとしたら……」
火の音が一段だけ低くなり、灰の匂いが舌の奥に苦く残った。
「例えば、完全管理の中で失われる創造性や多様性の必要性に気づいたとしたら。あるいは自然を破壊し消費するのではなく、調和と安定により持続可能な社会を実現できる存在に、何らかの価値を見出したとしたら」
灰が舞い、瞳の縁に小さな痛みが残る。
「それは……科学技術に頼らず、この世界に遍く存在する精霊子を感じ取り、限られた領域で物理現象を引き起こせる。さらに自然に繁殖できる――たとえば精霊族のような。そして、その因子を発現させた人々のような……」
言葉を結ぶと、膝の上の手がきゅっと固くなる。指先の震えが、火の揺らぎでわずかに見えた。
「それこそが、精霊族因子を持つ者たちを生み出した理由なのかもしれません。システムは彼らを通じて、新しい人類の可能性を模索しているのではないでしょうか?」
ロスコーの眉間に皺が寄った。火の赤が、その目の奥で小さく揺れる。
「……つまり、ラオロ・バルガスは、自らの手で、システムの、世界の、そして人類の枠を壊そうとしているというのか?」
デルワーズは短く息を吐いた。
「ええ……そう考えると整合的に説明できるかもしれません」
指先が膝布を一度だけ掻き、引きつれた糸が光った。
「それが……完全な秩序を求めながらも、変異を許容し続ける矛盾の正体か……なんてこった」
火がぱちりと鳴って、音だけが言葉を追い越した。
「背景には、もしかしたら『ラオロ・バルガス』自身の明確な意思と思想――いや、ひとつの哲学があるのかもしれません。統一管理機構の定義する『理想』という枠を超えて、別の未来を模索せずにいられないほどの……渇きが」
ロスコーは息を短く吐いた。暗がり越しにデルワーズを見つめる。すぐには言葉を返さず、火の中で崩れる薪の形を追った。
「もしそれが本当なら……『ラオロ・バルガス』は敵でもなければ味方でもない。いや、むしろどちらでもある。やれやれ、厄介な話になってきたぞ」
彼は咳払いし、言葉を継ぐ。
「俺の考えとしては――システム・バルファ、いやラオロ・バルガスというのは、ある種の実験をしているのではないか? 統一管理機構が理想とする人類と、ラオロ・バルガスが志向する、精霊族の因子を持つ人類。この二つを均衡させつつ、両者の生存競争の行く末を見守っている――そんな気がする」
デルワーズは目を見開いた。けれど、すぐには否定しなかった。膝上の指が、布の皺を一度だけ探る。
「……いわゆる生存競争、ですか?」
「そうだ」
ロスコーは暗がりを見据えたまま、低く続ける。
「もし、ラオロ・バルガスがただの管理プログラムではなく、理想と進化を追求する意思を持つ存在ならば、統一管理機構が提示した理想が唯一の答えではない、と考えたのだろう。そこで、もう一つの選択肢として精霊族因子を持つ者たちを生み出し、両者を競わせてその行く末を試しているのかもしれない……」
焚き火が一度だけ沈黙し、次の火花までの間が伸びた。
「そして、将来的には両者の融合という未来も、想定しているのかもな……。だが、秩序はそれに耐えられるのか。自分で自分の国を揺さぶるような策だぞ。共倒れ。いや、破滅に繋がりかねん」
デルワーズはその仮説を反芻し、息を詰める。
「つまり……精霊族因子を持つ者たちが異端者とされる一方で、完全には排除されないのは、その均衡を保つための意図的な設計だと?」
ロスコーは火の芯を見つめた。頷くまでに、ほんの短い間があった。
「その可能性はある。ラオロ・バルガスが精霊族因子を持つ人類を完全に排除すれば、統一管理機構の理想だけが残ることになる。だが、それでは本当の意味での進化や調和が実現しないと考えたのだろう。そこで、もう一つの道――因子を発現させた者たちを選択肢として残し、どちらが未来にふさわしいかを見極めようとしているのかもしれん」
デルワーズは視線を落とした。仮説の重さが、胸の奥で形を持つ。焚き火の赤が、握り直した指先を淡く照らした。
「もしそれが真実なら……わたしも含めて、精霊族因子を持つ者たちは、システムの実験のために生み出され、利用される存在ということになりますね」
ロスコーは肩を軽くすくめ、デルワーズを見る。
「そうだな。精霊族因子を持つ者たちは、単なる異端者ではない。ラオロ・バルガスが未来を模索する中で不可欠な――駒のような役割を担っている。だが、その未来がどちらに傾くかは、まだ誰にも分からない」
その言葉に合わせるように、デルワーズの拳が膝上でわずかに震えた。
「ロスコーさん……実は、まだ伝えなければならないことがあるんです」
低く、慎重な響きだった。ロスコーは目を細める。
「どうした? まだ何か引っかかることでもあるのか?」
デルワーズは唇を結び、静かに息を吐いた。
「はい。レナードさんが触れたデータは、精霊族因子のことだけではありませんでした」
火の芯が小さく沈み、洞窟の壁に揺れる影が細く伸びる。
「彼は、システム・バルファのさらに深い層へも、断片的にですが接触していました。そこには……ラオロ・バルガスが、わたしたちをただの異端者としてではなく、別の未来へ至るための素材、あるいは試行の要素として見ている痕跡があったそうです」
ロスコーの顔から、わずかな色が引いた。
「素材……だと」
「ええ」
デルワーズは目を伏せる。睫の影が頬へ落ち、火の赤がその輪郭をそっと撫でた。
「人間も、精霊族も、そしてわたしも……誰かの理想を証明するための駒として置かれている。もしそうだとしたら、この争いは、単なる迫害や反乱ではありません。ラオロ・バルガスが仕組んだ、世界規模の試行なのかもしれない」
言葉を告げるたび、喉の奥が冷えていく。
「それが本当なら……わたしが生まれたことも、あの戦争も、たくさんの人が死んだことも、すべて……」
「デルワーズ」
ロスコーが低く名を呼んだ。その声は強くはなかった。けれど、彼女の言葉をこれ以上深い場所へ落とさせまいとするような、静かな重さがあった。
「そこから先は、まだ仮説にすぎない。確証のないものを、すべて自分の罪へ変えるな」
デルワーズは唇を噛み、ゆっくり頷いた。
「……はい」
けれど、その返事はすぐには胸の奥まで届かなかった。膝の上で重ねた手の震えだけが、まだ消えない。
「ですが、だからこそ……わたしは、ラオロ・バルガスに辿り着かなければならないんです。彼が何を望み、何を試し、何を壊そうとしているのか。わたし自身の目で確かめなければならない」
ロスコーは深く息を吐いた。火の熱が頬を撫でる。けれど、その表情に残った硬さは溶けなかった。
「それは、相手が神のような管理意識であってもか?」
「はい」
デルワーズはまっすぐに頷いた。
「わたしはもう、命令で動く兵器ではありません。誰かの理想を証明するための器でもありません。……わたしは、エリシアの母親です。ただそれだけなんです」
その言葉だけは、震えなかった。
「だから、わたしは帰ります。ラオロ・バルガスに辿り着いて、確かめて、止めるべきものを止めて……そして、エリシアのところへ帰るんです。きっと、寂しい思いをしていると思うから。はやく……」
最後の言葉は、火の音に触れる前に小さくほどけた。ロスコーはしばらく何も言わなかった。火の音が、ふたりの間にある沈黙をゆっくり温めていく。やがて、彼は薪を一本取り、火床へくべた。
「……君がそこまで言うなら、俺も聞くしかないな」
乾いた木肌が赤へ触れ、細い煙が立ち上る。
「ラオロ・バルガス。システム・バルファ。そして、君がこれから向かおうとしている場所。俺に分かることがあるなら、すべて話そう」
デルワーズは、かすかに目を見開く。そして、小さく笑った。
「ありがとうございます、ロスコーさん」
焚き火の光が、組まれた指先を淡く照らしている。指はまだ震えていた。けれど、その震えはもう、逃げ出すためのものではなかった。恐ろしさを知ったうえで、それでも前へ進むための、小さな呼吸のようにそこにあった。




