はぜる火花と、見知らぬ命の重さ
「まるで、空そのものが崩れ落ちてきたかのようでした……」
デルワーズの声はかすかに震え、焚き火の明滅がその言葉を細く揺らした。喉元へ添えた指が白くなる。逆流してくる記憶を、身体の奥へ押し返そうとしているようだった。
「人々の悲鳴と怒号が混じり合い、キャンプ全体が瞬く間にパニックに陥ったのです」
頬に触れる熱だけが虚しく、指先の冷えが遅れて戻る。
「その時……レナードさんとライルズは、足りない物資の調達と周辺の見張りに出ていて不在で、わたしはニナさんに手を引かれながら、ただ必死にエリシアを抱きしめることしかできなくて……無我夢中で走りました。後ろから爆音が迫るたびに、地面が大きく跳ねて……何度も転びそうになりながら」
砂塵が喉に貼りつき、肺が熱を帯びた気がした。瞼の裏に立ちのぼる暗い映像が、揺れる焚き火の赤と重なってちらつく。
「次々とテントが燃え上がり……火は強風に煽られて、どんどん広がっていきました。逃げ惑う人々が互いに押し合い、足をとられて倒れる人たちがいて。それでもわたしは、エリシアだけは絶対に守らなくてはと思って……必死にその場を離れようとしたんです。でも……」
息が引っかかり、次の言葉が喉の奥で止まった。
「途中で、狂乱する人の波に……飲み込まれてしまったんです。ニナさんの手が、指先から滑っていった。……その瞬間、腕の中のエリシアの小さな手が、わたしの服を掴んでいました」
肩が一度だけ跳ね、火の光がその影を岩壁で浅く揺らした。ロスコーは眉間の皺を深くし、口を挟まずに耳を澄ませている。
「息もできないほどの圧迫感……。周りは混乱と恐怖に包まれていて、至る所で誰かが叫んでいました。泣き声や、助けを求める声が爆音にかき消されるたびに……わたしは、エリシアをきつく抱きしめていることしかできなかった……」
言葉が途切れ、火のはぜる音だけが耳の奥に落ちた。
「……絶望という言葉では到底足りない、今でもそれが染み付いて、消えません」
肋骨がきしみ、血と汗と、焦げた土の匂いが肌に貼りつく。言葉は脆く、吐息の縁が震えていた。ロスコーは無言のまま薪をくべた。炭がぱちりと弾け、語りの縁に小さな切れ目を入れて、すぐに闇へ消えた。
「その後、運良く群衆の中から抜け出すことができて……燃え残った近くの木陰に身を隠しました。でも……」
デルワーズの瞳が、揺れる赤を映したまま沈む。
「目の前で……さっきまで一緒にいた仲間たちが、次々と爆風に飲み込まれていくのを見ました。火の海の中で叫ぶ声……助けを求める声……それが、一瞬で途絶えるんです」
膝の上の拳が固く結ばれ、爪が皮膚へ浅く食い込んだ。
「わたしはただ……エリシアを守ること以外、何も考えられなかった。足が血だらけになっても、息が切れて……わたしは走るしかなかったんです」
火の粉がひとつ跳ね、言葉の切れ目にそっと寄り添った。
「その時……何かが、わたしの胸に深く刺さったような感覚がしました」
指先が迷うように上がり、胸元に触れて、すぐ引いた。
「……自分と娘は生き延びたけれど、たくさんの人たちを……見殺しにしてしまった。――そう、思わざるを得なかったんです。かつてのわたしなら、消えていく命を見ても何も感じなかったはずなのに」
ロスコーは身じろぎしなかった。炎の芯を見つめたまま、彼女の言葉が落ちる場所を、ただ黙って空けていた。やがて手を伸ばし、手袋越しにデルワーズの肩にそっと触れる。焚き火の温度よりも静かな、指の重みだけが残った。
「デルワーズ……それは君のせいじゃない。君はただ、母親として娘の命を優先した。それは決して、責められるべきことじゃないんだ」
デルワーズの瞳がわずかに揺れる。涙を流しながらも、微かに首を横に振った。
「わかっています……でも、奪われていく命を見て、胸が引き裂かれるように痛むことを……止められないんです」
伏し目のまま、膝の上の手の力をわずかに解いた。嗚咽が、息の隙間からこぼれ落ちる。
「……あの地獄のような光景が……今も頭から離れません。戦うつもりもない、抗う力もない人たちが、理由もなく一方的に殺されるだなんて……」
ロスコーは口を閉ざし、火の芯を見つめたまま隣に座し続けた。焚き火の小さな音だけが、間を満たしていく。
「忘れようとしても……忘れられるわけがない……」
デルワーズは目を伏せたまま、膝の上で握った手をもう一度固く結び、すぐに少しだけ緩めた。指先が細く震える。
「エリシアは……泣きもしないんです。ただ黙って……あんなに小さな体で、必死に怖さを我慢しているような目で、わたしを見上げてきて。……それが余計に、わたしの心を強く締めつけました。あの子は、わたしがいなければ、きっと……」
ロスコーはただ見守り、沈黙が彼女の記憶をさらに引き出していく。
「その後……なんとかはぐれていたニナさんと合流できました。彼女に促されて、防空壕を目指しました。ニナさんが先を走り、わたしはエリシアを抱きしめて、遅れて追いかけました。でも……」
焼けた布と油の匂いが、冷たい夜気に薄く伸びてきた気がした。
「上空に……見えたんです。統一機構軍の……ライドムーバーが」
唇を小さく噛み、細い肩がかすかに上下する。ロスコーの眉間にも微かな影が走った。焚き火の赤い光が、彼の瞳に静かに揺れる。
「その瞬間……空気を裂くような轟音が、頭上から響いてきました。逃げ遅れたこちらを正確に狙っているって気づくまで……時間なんて、ほとんどありませんでした」
視線が遠くの闇をなぞる。
「でも……わたしは動けなかったんです。ただそこに立ち尽くして、エリシアを抱えながら……何もできなかった」
言葉が途切れたところで、火がふっと息をついた。
「もう死ぬんだ……と思いました。あの時……あの轟音の中で……それ以外、何も考えられなかった」
喉元へ手を置き、浅い呼吸を整えようとする。指先が冷えて、震えが遅れて追いついた。
「その時……突然、誰かが……わたしを強く、突き飛ばしたんです」
涙が滲み、握った拳の白さが火明かりに浮いた。
「見ず知らずの……男の人でした。その人は……わたしの身代わりになって、銃撃の的になったんです……」
火が一瞬息を潜め、再びぱちりと乾いた音を立てた。揺らぎが影を長く引き、彼女の背の震えを壁に浮かび上がらせる。
「すぐに、血だらけになって倒れたその人に駆け寄りました。顔も知らない……名前も知らない……でも、その人は……」
喉の奥で、言葉が細く震える。
「『子供は……無事か……』とだけ。そう……それが、最期の言葉だったんです」
その一語を絞り出すと、大粒の涙が頬をつたって落ちた。
「どうして……どうして、わたしなんかのために……。わたしはずっと誰からも恨まれて、憎まれているって思っていました。わたしは『死神』だから、石を投げられて当然な存在なのだと。……それなのに、そんなわたしを見ず知らずの他人が、命を懸けて助けてくれるだなんて……」
指が衣を強く握り込み、離せなくなっていた。焚き火の淡い光が、濡れた頬の凹凸を静かに拾う。
ロスコーは火を見据えたまま、深く沈黙を落とした。やがて、夜の底から掬い上げるような低い声で語りかける。
「……デルワーズ。全員が全員、君の敵ってわけじゃないってことだ。それにな、人ってのは……そういう時に、理屈じゃなく咄嗟に動いてしまうものなんだ」
火の光が、ロスコーの横顔をやわらかく洗う。
「論理的とは言えない。だが、その瞬間の『目の前の小さな命を助けたい』という感情だけで、人の体は勝手に動く」
デルワーズは涙を流しながら、その言葉に耳を傾けた。
「その男にとって、助ける相手が憎むべき門徒シリーズであったかどうかなんて関係なかった。ただ、その瞬間に、子供を抱えて立ち尽くすひとりの母親を助けたいと思った。……ただ、それだけのことだ」
彼女はゆっくりと顔を上げ、涙を湛えた若翡翠の瞳で、揺れる赤を見据えた。
「……はい。その時、わたしは――人間の命の本当の重さを、理解したのだと思います」
はぜた火花が夜気に消え、深い静けさが戻る。指先がわずかに震え、その震えだけが、焚き火の赤に静かに映っていた。




