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破壊の衝動と愉悦

 わたしは意識を研ぎ澄まし、破壊の輪郭だけを息の奥で組み立てた。


 願いをそのまま奇跡にするな。無から有は生まれない。〈場裏〉の内側で、起こせる現象へ落とし込むだけだ。


 わたしの器に満ちた精霊子が、疑似精霊体の輪郭を結ぶ。白は白。黄は黄。赤は赤。混ぜない。離して走らせる。順番を違えるな。


 冷風が唸り、黒紫の霧を纏ったシャドウファングが迫る。


 喉の奥が乾き、口角が勝手に上がりかける。奥歯で噛み止め、息をひとつだけ薄くした。


「ヴィル、後ろに下がって!」


 呼びかけと同時に、背後の気配がすっと引く。ヴィルは短く頷き、素早く後方へ退いた。鼓動が跳ね、指先がひと息で温む。視界の縁が細く締まり、呼吸だけが勝手に速くなる。


 展開した〈場裏〉の縁が皮膚の裏でざわつく。空気が重くなり、肩のあたりへ圧が乗った。


 バレーボール大の〈場裏〉が幾十も、視界の端で白く点る。吸えば位置がわずかにずれ、吐けば静かに揃っていく。


 最初に白をひらく。〈場裏・白〉がひとつ、急速に膨らみ、巨躯を包んだ。内側で地表の砂が巻き上がり、渦を組む。圧が肌を押し返し、外套の裾が内側から張りついた。嵐の鎖が、シャドウファングの動きを絡め取っていく。


 叫気が抜け、周囲の光が一段白んだ。噛み止めたはずの笑いが、喉の奥で跳ねる。


「ははっ、もう身動きできまい。お前はここで終わりだ!」


 嵐の中心でシャドウファングは咆哮し、もがく。暴れるたび、風の鎖が自由を削り取っていく。耳の奥で細い耳鳴りが糸のように伸び、世界の輪郭だけが鋭く残った。


 同時に、足もとの地面が短く震える。〈場裏・黄〉の内側で亀裂が走った。


 領域部分解放。


 裂け目から無数の棘の槍が突き出し、四肢を串刺しにする。地を貫く低い音が腹へ落ち、空気が震えた。


 さらに上では、〈場裏・赤〉が静かに息を吹く。熱の皮膜が空気を歪ませ、遠いはずの熱が頬の産毛をわずかに萎ませた気がした。炎の領域がシャドウファングを包み、最後に領域解放で一気に散る。凄まじい熱と光が巨体を焼き尽くす。


 シャドウファングは瞬く間に熱へ呑まれ、膝を折った。


 逸れた爆熱は白の外縁で流れを切られ、こちらへは届かない。


 光と熱と低音が重なり合う中、巨体は逃げる間もなく破壊の渦へ呑み込まれ、そのまま滅んだ。


 わたしは唇の裏で息を数え、まず赤を領域解除する。熱が引いていくのを確かめてから黄を領域解除。棘の影だけが地に残り、最後に白を領域解除すると、嵐の鎖がほどけ、白い点がひとつずつ消えていった。


「ふぅーっ……」


 吐いた息が喉を擦り、口の奥がまた乾く。鼓動だけが遅れて落ち着こうとしていた。


 辺りには焼け焦げた毛皮の匂いが立ちこめ、赤熱した岩がじゅうじゅうと音を立てていた。黒灰が雪みたいに舞い落ちる。あれほど荒れ狂っていた大気が嘘のように黙し、風までもが息をひそめていた。


 愉悦。口角が勝手に上がりかける。――だめ、と奥歯で噛みとめる。


《《お疲れ様、美鶴……》》


 茉凜の声が触れた瞬間、背の内側のざわつきがすうっと引いた。詰まっていた息がほどけ、指の白みが少し戻る。


 それでも、力の縁にはまだ薄い冷たさが残っていた。肋の内側に、消えきらない影が貼りついている。


 そのとき、ヴィルが静かな足音で近づいてきた。わたしを確かめるように一度だけ見て、それから荒れ果てた地面へ視線を走らせる。他のダイアーウルフは、とうに片付けていたらしい。


 焼け焦げたシャドウファングの躯は、輪郭からほどけ、塵へ帰っていった。


 ヴィルの表情が固まる。視線が泳ぎ、喉が乾いた音を立てた。ほんの一拍、剣の柄から指が浮きかける。それを、わたしは見逃さなかった。


「こいつは……お前、一体何をしたんだ?」


 声の低さが変わり、空気が一段硬くなる。わたしは息をひとつ整え、振り返った。


「見ての通り、これがわたしの魔術がもたらした“結果”よ……」


「これがか!? 信じられん……いったい、どうやったらこんなことができるんだ?」


 彼の目の揺れが喉の奥に小さく刺さる。口の奥が乾き、指先が冷えた。


 茉凜の囁きがなければ、わたしはもう少し先まで行っていたかもしれない。彼女の存在が、正気へ戻る最後の細い綱だった。


「まるで化け物みたいでしょう?」


 肩を軽くすくめ、自嘲めいた笑みを浮かべる。けれど、ヴィルはすぐにそれを打ち消すような声を出した。


「いいや、そうは思わん。これは大したものだ。誇っていい」


「えっ……?」


 思いもよらない返事に、言葉が喉で止まる。


「お前が“黒髪のグロンダイル”と呼ばれる理由がようやくわかった。噂通りの実力と言わざるを得ない」


 その表情には、わずかな申し訳なさが浮かんでいた。


「この前は、お前を軽んじるようなことを言ってすまなかった。見た目で判断するなど、俺は愚か者の極みだ」


 彼は丁寧に頭を下げる。


 唐突な動きに、わたしは思わず慌てた。熱の残る空気が頬に触れ、息が少しだけ詰まる。


「ちょ、ちょっと、ヴィル? そういうのはやめて。わたしだって、あなたが何者かわからなくて疑っていたんだから、おあいこでいいでしょう?」


 そう促すと、ヴィルは頭を上げた。真剣な光を宿した目が、すぐに少しだけ和らぐ。無精髭を指先でいじりながら、彼は微笑んだ。


「うーん、そうか? じゃあ、そういうことにしておこう!」


 明るい笑みが差すと、張りつめていたものがふっと緩み、肩がひとつ落ちる。


「しかしまあ、俺の知っている魔術とは比べ物にならないな。無詠唱と無遅延の発動だとはわかっていたが、これはそんな程度じゃ説明がつかない」


 首を振りつつ、ヴィルは再び目の前の惨状に目をやった。感嘆より、理解したいという色が濃い。


「あなたの眼でもわからなかったの?」


 問いかけると、ヴィルは少し困ったように息を吐く。


「いや、俺は背後に回った最後の一匹を捌いていたからな。そっちを見る余裕はなかった……」


 ――よかった。見られずに済んだ。


 胃の底に沈んでいた重い塊が、ふっと軽くなる。きっとわたしは、ひどい顔をしていた。


「で、片付けたと思ったら突然凄い音と風が来た。複数の魔術が同時に立ち上がった……そう感じた。――見れば、地は裂け、シャドウファングは影も残っていない。まるで複数の魔術師が連携したかのような。まさかと思うが、お前……」


 彼の視線が、シャドウファングがいたはずの場所へ向かう。そこには焼け焦げた大地が残るばかりだった。


「ええ、そのまさかよ。複数属性の魔術を同時並行で使ったの……」


「なんだって? お前は複数属性持ちだったのか? しかも同時にだと?」


 驚きの色が声に滲む。わたしは苦笑まじりに告げた。


「そうよ。わたしは四大元素、すべてを扱えるの」


 その言葉に、ヴィルは目を見開く。


「おいおい、そんな話、聞いたこともないぞ。普通の魔術師は一属性が限度、二属性使えたら天才ってところだ。俺の知る限り、この大陸でそんな芸当ができる魔術師は一人もいない。いったい、お前はどこまで突き抜けているんだ?」


 視線が一瞬だけ硬くなり、喉の奥が狭くなる。指先も冷え、言葉が一拍遅れて落ちた。


「そんなにいいものじゃないわ。負担だって大きいし……それに、これを使えるようになったのは、父さまが亡くなった時だったから……」


 そう言った途端、心がずきりと痛む。爪が掌へ沈み、皮膚の薄さだけが現実みたいに残った。


「もっと早くこの力に目覚めていれば、父さまは死なせずに済んだかもしれないのにね……」


 喪失の夜が視界をかすめる。声が細くなり、瞬きの間が合わないのを奥歯でこらえた。視線を上げると、ヴィルは深い色を宿した目でわたしを見つめていた。


 ヴィルは無骨な手をわたしの肩にそっと置いた。その温もりが、冷えたところを少しだけほどく。


「そうか……辛かったろう。よく頑張ったな」


 責めず、問い詰めず、ただ理解しようとしてくれる言葉が、息の奥に静かに残る。


「なぜお前がこんな力を持っているのか、俺にはわからん。だが、これもユベルが残してくれた、お前に繋がる何かだと俺は考える。後は、それをどう使いこなしていくかが大事だ。力には、それ相応の責任があるんだからな……」


 わたしはわずかに頷き、ゆっくりと息をついた。


 肩に残った掌の温度が、冷えを少しだけ溶かす。息が一拍深く落ち、指の白みが戻った。


「ありがとう、ヴィル……。力を持つことの意味を、忘れないようにするわ」


 その一言を告げると、ヴィルは肩から手を離し、静かに頷いた。


 冷たい風の中、その一瞬を胸に刻み、わたしは前へ進むと決めた。


《《だいじょうぶ。そんなこと、わたしがぜったいにさせない。でも、あなたが堕ちるなら、そのときは一緒だよ……》》


 背の白い鞘が小さくきしみ、茉凜の気配がそこに戻った。

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