表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
144/174

玉座の嘲笑

 玉座の間では、燭台の火さえ低く息を潜めていた。


 蝋の匂いが石の冷えに混じり、赤い絨毯の毛足は足音を吸い込んでいる。けれど、沈黙そのものは柔らかくならない。列席者たちの衣擦れ、金具の触れ合う微かな音、誰かが息を飲む前の喉の動きまでが、張り詰めた空気の中でやけに近く聞こえた。


 わたしは玉座の前に立ち、ロイドフェリク二世と向き合っていた。


 王は深々と玉座に背を預け、足を組んでいる。薄い笑みが唇に張りつき、その眼差しには試すような侮蔑が宿っていた。この場を支配しているのは自分だと、言葉よりも先に姿勢で示している。


「そなたには、いろいろと問い正したいことがある」


 ゆっくりとした声だった。


 けれど、その先端だけが冷たい。王の視線がわたしの顔から肩へ、衣へ、腰へと下り、白い剣の柄で止まる。


「まずは、その腰に下げた剣を抜いてみせよ」


 赤い絨毯の両側で、絹擦れが一斉に立った。


 笑いにはならない。家臣たちの肩が硬く揃い、沈黙の質が変わる。


 列の中の一人が、耐えかねたように半歩だけ前へ出た。声は震えを隠せていなかった。


「陛下、御前での抜刀など――」


「よい」


 王は小さく手を振り、進言を切り落とした。


 その手つきは、許すというより、黙れと言っているようだった。


「余が許す。所詮は刃なき模造刀――子供の玩具にすぎぬと聞いておる。ローベルトよりな。……ただの興味にすぎん」


 指先が、ほんのわずか震えた。


 胸の奥で小さな怒りが芽吹き、静かに広がっていく。嘲笑と侮蔑。王の言葉には、その二つが隠しもせず混じっていた。


 感情を顔に出してはいけない。


 挑発に乗れば、こちらの負けだ。


「……畏まりました」


 短く返す声は、思った以上に乾いていた。


 拳を強く握り、冷たい鞘の感触を確かめるように腰へ手を伸ばす。その瞬間、心の奥で茉凛の気配が柔らかく触れた。


《《いいねいいね。さあ……みんなに見せつけてやろうじゃないの。わたしたちの絆の証を!》》


 灯火のような声が内側に灯り、こわばりが少しほどける。


 深く息を吸った。


 抜く、という動作を、感情ではなく手順に変える。


 鞘走りの微かな音が、広間に細く伸びた。


 白き剣、マウザーグレイルが姿を現す。


 無垢な白の刀身が、燭台の火を冷たく返した。誰かが息を呑む。その音だけで、この剣がこの場に似合わないものなのだと分かった。


 王の眉が、ほんの一瞬だけ引き攣った。


 鉄壁の仮面に、髪の毛ほどの亀裂が走る。けれど変化はすぐ消えた。王は冷淡な笑みを戻し、無慈悲な声音で続ける。


「ほう……模造品にしては、なかなかの出来映えだ。見れば見るほど、我が国の至宝――聖剣マウザーグレイルに酷似しておる。かような道化、余興としては実に愉快よ」


 笑いが起きそうで、起きない。


 起きる前に、皆が王の顔色を見ている。空気が王の意志で繋がれていることが、肌に触れるほど分かった。


「……して、問おう。何ゆえそなたはこの剣を携え、何ゆえ選定の儀式を乱したのだ? その目的は何か」


 問いが落ちると、誰かの袖飾りがかすかに鳴った。


 すぐに止む。その小さな音のほうが、広間の緊張をよく知らせていた。喉元が熱を帯び、舌の裏が乾いていく。わたしは唇を引き結び、胸の内で気持ちを立て直した。


「畏まりました。恐れながら――申し上げます」


 声はわずかに震えた。


 けれど、そこで止まらない。王の双眸を真正面から見据え、意志を込める。


「この剣は、わたくしの父――ユベル・グロンダイルが、息絶えるその瞬間まで大切に握りしめていたものにございます」


 空気がさらに冷えた。


 家臣たちの視線が、一斉にわたしと王との間を往復する。ひそめた息が、絨毯の上に音もなく落ちる。


「おお、なんと……」


「ユベル・グロンダイルは、息絶えておったのか……」


 低く沈んだ呟きが、波のように広がった。


 王は鋭く一喝する。


「静まれ……! 話を続けよ」


 気迫に押され、小さくうなずく。


 込み上げるものを必死に抑え、続きを紡いだ。


「――そして、この剣は、わたくしにとっても……特別な意味を持つ剣でございます」


「何が特別だというのだ。申してみよ」


 矢のような問いだった。


 胸の奥を鋭い痛みが貫く。迷いを飲み下し、王の目をまっすぐに見返した。周囲の沈黙は針のように尖り、心を試している。


「――この剣には、心がございます。れっきとした人格を持つ魂が、ここに宿っております」


 声は震えなかった。


 けれど鼓動だけが速い。逃げない。剣を握る手の強さだけを一定に保つ。


「その声は、特別な資格を持つ者にしか届きませんが、確かに言葉を発します。わたくしはその存在を『茉凛』とお呼びしております。そして、彼女とわたくしは――」


 王の冷笑が、言葉を刃で断った。


「心だと? 戯けた妄言を言うでない」


 嘲る声。


 皮肉な笑み。


 わたしは瞳を揺らさない。


「戯けたことではありません、陛下」


 毅然と返す。


 声そのものが嘲りを払うように、静かで確かな響きを帯びた。


「彼女は、わたくしと感覚を分かち合っております。わたくしが見る光も、聞く声も、口にするものの味さえも――彼女は共に受け取っております。身体を持たずとも、彼女は確かに、この剣の中で息づいております」


 家臣たちの列から、押しきれない笑いが漏れた。


 喉の奥が締め付けられる。けれど、剣を握る手は緩めない。


「剣に人が入っているなどと笑止。かような夢物語、誰が信じられようか」


「信じていただく必要はございません。ですが、わたくしは幼き頃より――母がこの剣と対話していた姿を、この目にしかと焼き付けております。それだけは、間違いのないことでございます」


 王の眉がわずかに動いた。


 すぐに、皮肉が絡む。


「つまり、そなたの母も妄想に取り憑かれた女であった、ということか。くだらぬ」


 乾いた笑いが広間に広がる。


 嘲りの薄刃が、茉凛の存在を踏みにじる。母の記憶まで、土足で汚していく。


 わたしは剣から手を離さない。


 冷たい笑いの底で、静かな声が響いた。


《《……大丈夫。がんばれ》》


 その声に導かれ、わたしは口を開いた。


「――陛下は、わたくしの母について……本当に何もご存じないのでございますか。思い当たることはございませんか」


 笑いが止んだ。


 視線が集まる。


 一瞬の静けさ――真実を置くための間。


 王は高みから見下ろしている。威厳の姿勢。薄い唇がわずかに歪む。その歪みは、周囲へ向けた見せしめの形にも見えた。


「そういえば――一人おったな。ありもしない妄言を振りまき、恐れ多くも先の王に意見までした女が」


 軽蔑を帯びた吐き捨てだった。


 直後、その視線は疑念の色を深める。


「……だが、どうしてそれをそなたが知っているか? 申してみるがいい」


 刺すような圧が、胸にのしかかる。


 わたしは姿勢を正し、静かに息を吐いた。


 右手で剣を静かに納める。


 鞘へ戻る音が、短く澄んだ。緊張が波紋のように広間へ伝わる。


 無数の視線を受けながら、両手をそっと頭に沿え、長い緑色のウィッグに触れた。根元を辿り、耳元の留め具を探す。日常の気配のない、慎重な動きだった。


 金具が小さく外れる。


 合図のような音。喉の息を吐き出す。


 最後の留め具に触れたところで、ふいに手が止まった。


 深く息を吸い、目を閉じる。


 今、偽りを剥ぐ。


 それは過去との決別でもある。もう一度息を入れ、迷いを振り払い、最後の留め具を外した。


 緑の髪が肩からさらりと滑り落ちる。


 空気をまとい、赤い絨毯へ静かに降りた。落ちた緑の髪を、絨毯の毛足が音もなく受け止めていた。


 もう戻せない。


 そう思った。


 ざわめきが波のように広がる。


 絹が擦れ、誰かの喉が鳴り、すぐ沈黙が上書きする。わたしは王を見据えた。胸の奥の震えを押し沈め、口元を引き締める。


「なんと……」


「ありえん……」


 遠い霧の向こうから届くような声。


 今のわたしを包むのは、冷たく張り詰めた空気と、内側で燃える熱だけだった。


 意識して息を整える。


 背筋をただし、まっすぐ顔を上げ、王を捉えた。


「そうです……」


 喉は乾いていた。


 けれど声は震えず、思っていた以上に強く響いた。


「陛下ならば、もうお分かりのはずです。わたくしの母の名は――」


 一拍。


 深呼吸。


 最後の言葉を紡ぐ。


「――メイレア・レナ・ディウム・フェルトゥーナ・オベルワルト……」


 広間が沈んだ。


 名を告げた瞬間、王の眉がわずかに動き、険しい眼差しが細まる。驚き、嘲り、不快――感情は瞬く間に移ろい、やがて冷たい静けさだけが残った。


「ふふふ……そうであったか」


 嗤いが石の冷えを滑る。


「そなたの顔立ち……確かに、我が妹に恐ろしいほど瓜二つだ。その瞳の色も……そして――」


 刃を含んだ声。


 家臣たちが息を呑み、凍りついたように言葉を待つ。王の目はさらに鋭く細められた。


 わたしは正面から受け止める。


 ここで真実を告げた瞬間から、覚悟は決まっている。


「――やはり、そなたが黒髪のグロンダイルであったか」


 低い声が広間の隅々に染み渡り、空気はいっそう沈む。


 家臣たちは目を見合わせ、言葉の前で凍る。


 わたしは動かない。背筋を真っ直ぐに保ち、冷たい視線を受け止める。耳元で小さく鼓動が鳴る。


 それは恐怖ではない。


 覚悟の音だった。


 王の唇が動く。


 次の言葉は鋭く、刃の落ちる音色を持っていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ