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権威と真実の天秤

「黒髪に加え翡翠の瞳を持つ者は、稀に王家へ誕生する異端――黒髪の巫女と呼ばれる者だ」


 王の声が、広間の石へ沈んでいく。


 一語ずつ、冷えた刃で彫り込むような重さだった。


「精霊の言霊などと称して妄言を振りまくばかりか、国に不幸を呼び寄せる忌むべき存在。よって、王家にとっては恥部そのものである」


 喉元に何かが詰まった。


 否定したい衝動か、息苦しさか。どちらでもよかった。奥歯を噛み、視線を微塵も揺らさない。


「第三王女メイレアもその例に漏れず、虚言を吐き、何度も離宮を抜け出しては周囲を困らせる存在であった」


 ――なんてことを。


 爪が掌に食い込んだ。痛みだけが鋭く走り、それ以外の感覚が一瞬遠のく。けれど口は開かない。ここで反論すれば、感情に呑まれる。


 この男は、わたしの求める正義を持たない。言葉に赦しはない。ただ裁断があるだけだ。


「しかるに、ユベル・グロンダイルなる一介の騎士にかどわかされたとあれば、それだけで王家の恥。ましてや関わりを持ち、このように子まで成したとは――まこと、許しがたい」


 空気が、刺々しく変わった。


「王家にもたらしたこの恥辱、決して拭い去ることは叶わぬ」


 王の声が、一段低く沈む。


「――ゆえに、メイレアもまた大罪人。そして、その子であるそなたも……同罪である」


 言葉の重みが肩にのった。


 それでも、わたしは目を落とさない。


 ――顔を上げろ。目を逸らすな。


 自分に言い聞かせる声だけが、内側で繰り返されていた。彼の一言一言は、憎しみでも憐憫でもなく、ただ過去の重荷をわたしに押しつけるものだった。


 ――これは戦いなんだ。


 足元から冷気がせり上がる。静かに深呼吸した。吐いた息が、広間の冷たさに溶けていく。


 わたしはわずかに首を傾げ、玉座の男の顔を見た。


 挑発ではない。石壁にひそむ波紋のような、小さな問いを含ませただけだ。蝋の甘い匂いと磨き油の金気が、澱んだ空気の底に滲んでいる。


「大罪人――でございますか?」


 唇がかすかに弧を描いた。


 腹の底に沈んでいたものが、水面へ浮かび上がるような静けさ。


「このわたくしを、陛下はそう仰るのでございますか?」


 低く穏やかな声が、天蓋の下を透き通った。石壁に反響し、広がっていく。その澄明さに、自分でも少し驚いた。


 近侍たちの呼吸が止まり、遠くで絹の擦れる音が微かに鳴った。


 王の気配が動き、広間の張りが増す。冠の影から落ちるまなざしは、断罪の角度を測るものだった。


「そうであろう」


 湿りを帯びない低音が空気を締めつけ、逃げ場のない重みを残す。


「そのような者が、神聖なる選定の儀式を乱すなど――大罪の上に大罪を重ねる無礼。明白である」


 言葉が切れ、視線が釘のように留まった。


 石床の冷えが足裏からせり上がり、体の芯を秤にかけられているような錯覚を覚える。


「それはすなわち……王家の権威を貶める叛逆行為と断じられよう」


 広間の空気が一気に薄くなった。


 息が喉で凍りつく。壁際の衛兵は一糸乱れず、鎧の隙間から漏れるはずの息遣いすら掻き消されている。


 家臣たちが小さく身じろぎし、絹の音が沈黙を細く裂いた。


 わたしは視線を逸らさず、ただ見返した。


 ――ふざけるな。


 毒のような独白が腹の底に広がり、息の奥でかすかに滲む。言葉にすれば刃となる。わたしは細く息を吐き、慎重に声を編んだ。


「なるほど……陛下にとって世界とは、そのように映るものなのでございますね」


 抑制した響きの奥に、怒りの熱を沈めている。


 火は消えない。けれど、器に収めるべきものだ。


 王の目がわずかに細まった。


「ほう?」


 低く抑えた声が、隅々まで届く。


「では、そなたは何を意図してここへ参った? 己の行いを正当化するつもりか。それとも、この場で潔白を訴える気か?」


 肘掛けに置かれた王の指が静かに動き、虚空を示した。


 声は穏やかに響く。けれど、その穏やかさは、獣が身を低くするときの静けさに似ていた。


「――ゆめゆめ忘れるでない。そなたの存在そのものが、王家の血統にとって忌まわしき証であることを」


 皮膚が粟立った。


 情はなく、退路を断つだけの声だった。


「正当化など、わたくしは望んでなどおりません」


 絞り出した声は静かで、その静けさが芯の据わりを浮き上がらせた。


「わたくしがここにいる理由を、陛下がどう解釈なさろうと――それはわたくしの意図とは無関係でございます」


 王の眉がわずかに動いた。氷面に走るひびのような、小さな揺らぎ。


「儀式に姿を現したのは、必ずしも過去を否定するためではありません」


 一語ずつ、足場を確かめるように言葉を置いていく。静寂が深まり、その深みそのものがわたしを支えていた。


「大罪人と呼ばれるのであれば――その呼び名を背負う覚悟はございます」


 言い切った瞬間、腹の底で何かが据わった。


 怒りでも屈辱でもない。折れないための覚悟だけが、そこにある。


「ただし――わたくしは、ただ罪を償うためだけに、この場へ来たのではありません」


 王の目が鋭く光る。廷臣の息が止まり、音のない張りが広間を満たした。


「わたくしは……父と母の名を、ただ罪の名として終わらせぬために参りました。真実を知り、その先を選ぶために、ここへ参ったのでございます」


 言葉が吐き出された瞬間、凍りついていた空気がわずかに揺らいだ。


 ざわめきが布の下で生まれ、冷えの奥に変化の兆しが広がる。


 王はゆっくりと口を開いた。


「真実だと?」


 冷笑が声に貼りついている。


「そなたは何が言いたい。何を真実と呼ぶ?」


 肘掛けを掴む指が白い。


「――そなたの存在そのものが罪であり、それが真実であろう。いまさら何を追い求めるというのだ」


 眉ひとつ動かさぬ顔。


 母をどこまで貶めるつもりなのか。拳が自然に固くなり、指先に鈍い痛みが走った。それでも目は逸らさない。


「二十年以上前――母さまはこの国に迫る未曾有の厄災の予兆を感じ取っておりました」


 わたしはあえて、母さまと呼んだ。


 この場で、この男の前で。それがわたしにできる、小さな抵抗だった。


「けれども王宮の誰一人として、その警告に耳を傾けようとはしなかった。虚言と片付けたのか、あるいは別の理由があったのか――今となっては定かではありません」


 息を継いだ。


 喉が乾いている。けれど声は止めない。


「しかしながら、母の言葉の通り、それは起きたのです。世にいう『西部戦線』の開戦。それはかつてない災禍となって、人民の命を容赦なく脅かしました」


 廷臣の列に、ざわめきが戻った。


 あの戦争を知らぬ者は、この場にはいない。記憶の痛みが、波紋のように広がっていくのが見えた。


 王だけは動かなかった。


「だから何だというのだ?」


 低い一言。


「軍を投入して対処すれば済む話だ。事実、厄災は収められたではないか」


 無関心。


 それこそが、この国を蝕む病だ。腹の底で怒りが揺れたが、表には出さない。


「そう仰いますが……それによって、どれほどの兵の命が失われたか。どれほど国土が疲弊し、住む土地を奪われ逃げ惑った民が嘆いたか――陛下はご存じなのですか?」


 王の目が冷ややかに据わっている。


「存じておる。それがどうしたというのだ?」


 刺のある声が耳に触れるたび、喉の奥に硬いものが詰まる。


 わたしは表情を保ち、膝の上で静かに指を組んだ。


 目の前のこの男に、威厳は見えない。


 温もりを欠いた視線が、ただ降ってくるだけだ。


「西部国境付近に発生した、有史以来最大級とされる『虚無のゆりかご』――」


 王の声が、ふと重みを変えた。


「確かに、それは我が国にとって大きな脅威であった。失われたものも多かろう」


 一瞬だけ、認めるような響きがあった。


 けれどそれは、次の言葉のための助走にすぎなかった。


「だが、それを補って余りあるほどの利を、この国にもたらしたのもまた事実である」


 王は肘掛けから指を離し、掌を上に向けた。


 恩恵を示す仕草だった。


「活性化を過ぎた現在においても、周辺に残る魔獣の巣窟群は、今もなお我が国の歳入を支える源泉の一つだ。巣窟由来の魔石流通、交易、討伐に伴う軍需。これらがどれほどの富を王国にもたらしているか、余が言わずとも廷臣の誰もが知っておろう」


 列席者の何人かが、小さく頷いた。


 宰相の口元にも、薄い笑みが戻っている。


「それを厄災などと騒ぎ立てる者など、ましてやそれが王族などと――嘆かわしい限りよ」


 ――命は数字。失われた者は盤上の駒にすぎない。


 そう言われたような気がした。


 その冷たさが、喉を焼いた。拳に力がこもる。


 ――母は、こんな人々と渡り合わねばならなかったのか。


 誰よりも人に尽くし、理解されずとも声が枯れるまで叫んだ。代々の巫女もまた、こういう心なき相手と戦い続けたに違いない。


「では――伝説に謳われるメービス王女は、なぜ英雄視されているのですか?」


 声を低く絞った。


 冷たい空気に吸い込まれても、鼓動だけは耳に鋭く返ってくる。


 王は眉ひとつ動かさない。


「彼女は――何者かの声に応じた。精霊の言霊の呼びかけに応え、聖剣を求める旅に出たと伝えられております」


 わたしは一語一語を、舞台に立つ者の呼吸で置いていった。


「その旅路でさまざまな試練を受け、やがて聖剣を手にし、魔よりも魔なる者――魔族と戦い、民を護り抜き、世界を救済したと」


 張り詰めた空気が、さらに緊張を帯びる。


 王は鼻で短く笑い、口元を歪めた。


「何を言うかと思えば――あれは遠い昔のおとぎ話にすぎん」


 燭台の蝋が一滴、音もなく台座に落ちた。


 溶けた白が冷えて固まるまでの、ほんの一瞬の沈黙が、広間の温度をさらに一段下げた。


「そもそもメービスなる者が王族であったかどうかすら、怪しいものよ。ましてや緑髪だと? 常識外れも甚だしいではないか」


 王は玉座の肘掛けを一度叩き、断ずるように続けた。


「もっとも、聖剣と呼ばれるものが王家に伝わっておるのは事実だ。だがそれとて、民衆が勝手に神格化し、崇め立てているだけのこと。いつの世も愚かな者ほど、古い夢にすがりたがるものよ」


 軽蔑の温度が肌を刺す。


 喉の張り詰めが限界に近づいた。けれど、そこで切れたのは抑制の糸ではなく、恐れの糸だった。


「果たして……そうでしょうか?」


 声は、自分でも驚くほど澄んでいた。


「わたくしは、そうは思いません」


「面白い。申してみよ」


 薄い興味か警戒か。


 細められた目を正面から受け止め、わたしは呼吸をひとつ置いた。ここからは、もう一段深い場所に踏み込む。


「伝説のメービス王女は、本当は緑髪ではなく――黒髪であったのではありませんか?」


 広間の空気が変わった。


 ざわめきではない。呼吸が止まったのだ。


「そして、その事実は意図的に覆い隠されていたのでは、と……わたくしはそのように考えております」


 王の瞳が、わずかに揺れた。


 すぐに口角が上がる。


「面白い仮説、であるな」


 褒め言葉ではなかった。


 子どもの屁理屈を眺めるような、薄い好奇が滲むだけ。


 わたしは息を整え、続けた。


「この中央大陸において黒髪は希少であり、とりわけこの国では不吉とされます。ゆえに彼女には他の道がなかった。旅に出るための苦肉の策として、緑の髪に偽装するしかなかったのだと――わたくしはそのように推測しております」


 わたしがそうしたように。


 この翡翠の瞳を隠すために、緑のウィッグで暮らしたように。その言葉は口にしなかった。けれど、足元に落ちた緑の髪が、それを無言で語っている。


 王の唇が歪んだ。


 笑みか嘲りかは判然としないが、軽蔑だけは隠さなかった。


「くだらぬ。それこそ妄想というものだ」


 手を振り、払うように言う。


「過去の伝説など、もはやどうでもよい。余の治世に寸毫の関わりもないことだ」


「……そのような」


 抑えきれず零れた声に、自分で驚いた。


 唇を噛み、熱を飲み込む。王はその揺れすら逃さず、わずかに身を傾けた。


「黒髪のグロンダイルよ」


 名を呼ぶ声は、判決を読み上げる者の調子だった。


「余は言ったはずだ。そなたは大罪人二人の子。その血を継ぐ者であると」


 間を置いた。


 広間の沈黙が、その間を果てしなく引き延ばす。


「……思い知るがよい」


 響きは冷酷で、影のように広がった。


「だが」


 王は指先で肘掛けを叩いた。


 かつん、と。小さいが、広間の隅まで届く音。


「余には情けがある」


 慈悲の温度はない。


 押しつけの裁定にすぎなかった。


「リーディス王国の王として、人民を正しく導く者として……そなたに罪を濯ぐ道を与えてやってもよい」


 列席者たちが息を呑んだ。


 宰相が顎を撫でる手を止め、老臣が目を見開いた。恩赦の二文字が、空気の中で形を持ち始めている。


「そなたは不世出の魔術の才を持つと聞いている」


 王の目が細まった。


 値踏みの色が、はっきりと浮かんでいる。


「その力をこの国のために捧げると誓うのであれば、余はそなたを赦し、新たな名と地位を与えよう」


 恩恵を授ける者の姿勢。


 掌を上に向け、慈悲を示す仕草。けれどその目は、商人が品物を量る時のそれだった。


「国の繁栄に身を尽くすこと。それがそなたの罪を贖う唯一の道である」


 唯一の。


 その言葉が、鎖の音に聞こえた。


 ――くだらない。まったくもってくだらない。


 奥歯が軋んだ。


 顎の奥で硬い音が鳴る。この男が正義を語るなど。慈悲を語るなど。母を王家の恥と呼び、父を一介の騎士と見下し、その口で赦すと言う。


 赦されるべきは、わたくしではない。


 視線を逸らさず、唇をかすかに噛んだ。冷えた空気が肌に纏いつき、重くなる。けれど心は揺れなかった。


 ――父さま、母さま。わたくしは、あなたたちの思いを決して無駄にはしない。


 拳を静かに握る。


 冷たさに触れた自分の体温を確かめながら、次の言葉を腹の底で温めた。


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