真実に至る道標
選定の儀式があと六日に迫り、内側には不安と期待がまだらに残っていた。
グレイさんと話して、いったん冷静さは戻った。けれど、課せられた重さは変わらない。ただ、曖昧だった目的意識が少しずつ輪郭を持ち始め、心のどこかで前を向く感覚が芽吹いている。
テーブルの上には紙片が散り、手書きの文字が乾いた音で擦れる。混じっているのは、王都の掲示板から写し取った告知の切れ端だ。朱の王印を模した紋が、紙の隅にだけ残っている。インクの匂いが薄く漂う中、わたしは考え得る限りのことを、順番に並べ直していった。
――まず、前提を「確かなこと」だけに絞る。
紙の端に、わたしは短く書いた。
『一 王家は所蔵の聖剣を「マウザーグレイル」と公に宣言している』
『二 だが、それは長いあいだ、誰一人として反応を引き出せていない』
『三 それでも王は、外部へ門戸を開き「資格者選定」を行う』
ペン先が止まる。文字の隙間に、冷えた空気が染み込んでくる気がした。
――やはり、矛盾している。
聖剣が本当に「選ぶ」なら、門戸を開く必要がない。王家の血筋の中で完結するはずだ。逆に、誰にも反応しないなら、儀式は恥の上塗りになる。疑いを育てるだけだ。
――それでもやるつもりだ。ならば、王が欲しいのは剣そのものではないということなのだろうか?
わたしは紙の余白へ、もう一つだけ、線を引くように書き足した。
『四 儀式の目的は「剣」ではなく「反応する者」の可能性』
カップの縁で湯気がほどけ、すぐに薄くなる。鼻先に残った茶の香りが、急に遠いものに思えた。
次に、いちばん厄介な部分へ触れる。
――王家の剣が偽物か本物か――その二択は、雑すぎる。
グレイさんの話では、あの剣は物として異様だ。軽すぎる。継ぎ目がない。傷がつかない。存在だけで「象徴」になってしまう。
それでも誰も、力を引き出せない。なら、足りないのは材質でも形状でもない。もっと別の、目に見えない条件だ。
わたしは息を整え、紙の端に言葉を置いた。
『五 心があるか、ないか』
書き終えた瞬間、腰の金具が微かに鳴った。椅子に触れただけの偶然だと自分に言い聞かせるのに、指先がわずかに止まる。
剣に心がないなら、どれだけ本物らしく見えても、反応しない。反応しない剣を掲げて「資格者選定」をするなら、それは選ぶ儀式ではない。選ばせる儀式だ。
――誰を……?
反応できる者を。声を感じ取れる者を。剣に触れて、何かが返ってくる者を。
そう考えると、儀式は祝祭ではなく網になる。参加者を集めることが目的なのではない。反応する者を炙り出すことが目的だ。精霊子を感じ取れる、「巫女」の素質を持つ者を。
喉の手前がきゅっと狭まり、わたしは唇を閉じた。言葉にすればするほど輪郭は鮮明になるのに、その輪郭が怖い。
――では、両親はなぜこの剣を大切にしていたのだろうか?
紙片の隅に、墨が少し滲んだ。手が震えているのではなく、ペン先が乾いてきただけだ、と自分に言い聞かせる。
もし「心のある剣」が別に存在するなら。もしそれが、王家の舞台へ上がった瞬間に、何かを選んでしまうなら。守る理由は、盗む理由よりずっと静かで、ずっと切実だ。
わたしは視線を落とした。テーブルの影が少し揺れている。揺れが止まらないのは、外の風のせいか、それともわたしの呼吸のせいか、わからない。
そして、最後に残るのは、自分自身のことだった。儀式に行けば、網が閉じる。行かなければ、真実は霧のまま残る。
わたしは紙の余白に、もう一行だけ書いた。
『行く理由は、勇気ではない。知らないままのほうが、もっと怖い』
インクが乾くまでの数秒が、やけに長かった。
◇◇◇
「どれにしても、決め手に欠けるか……」
紙片を前に、こめかみを押さえる。思考は行き止まりを繰り返し、形にならない。
「まだ何か、重要なものを見落としている気がする……」
背もたれに身を預け、深く息を吐く。浮かんでは霧散する仮説たち。どれにも裏付けはなく、焦燥だけがじりじりと胸を締め付ける。
「考えるにしても材料が足らなすぎる。もっと調べるしかないってことか……」
自分へ言い聞かせるように呟いたとき、茉凛の声が心に触れた。柔らかいのに、どこか心配の影を引いている。
《《ごめんね……わたしなりにがんばって、この剣を解析しようとしてるんだけど、異様にプロテクトが厚くてさ、なかなか踏み込むことができないんだよ》》
その困惑に、みぞおちが沈んだ。剣を握るわたしより、剣と同調する彼女のほうがはるかに近いはずなのに。
《《理由はよくわからないんだけど、なかなか厳しい感じかな。スマホだとかパソコンとは違って、パスワードがあるわけじゃないし、生体認証とか? その手のでもないみたい。これってさ、ようするにわたしたちが本来の持ち主じゃないからってことなのかな? もう、わけわかんないよ……》》
声の端が少しだけ萎れている。いつもは明るい彼女が、珍しく弱音を零していた。
「そうかもしれないね。ここは異世界なんだし、この剣が本当に古代の遺産なのだとしたら、わたしたちの常識なんて通じるわけがない。そんなものがどうして、わたしの手の内にあるのか、それ自体わからないんだけど……」
視線を上げる。原稿と格闘するカテリーナの背中が、窓からの光に縁取られていた。悟られぬよう、小さく答える。
《《なんていったらいいのかな……光の中に何かがあるような気がするんだけど、手を突っ込もうとすると、底なし沼みたいに引きずり込まれそうになるの》》
窓の光が白く滲む。光だというのに、そこにあるのは拒絶だ。
《《……ごめんね、曖昧なイメージでしか伝えられなくて》》
「いつもみたいに心を繋げたら、わたしにもそれが見える?」
問いかけに、彼女の声が少し硬くなった。姉が妹をたしなめるような、静かな警告の響き。
《《いやいや、それはちょっと違う。普段あなたが見てるのは、表層的なイメージにすぎないし、わたしの姿が見えるっていっても、あなたの記憶ベースの幻みたいなものだし。だからね、それ以上先は……危ないよ》》
「じゃあ……前にあなたが言っていた……あれしかないっていうの?」
指先が、無意識に腰の剣の柄を探っていた。冷たい金属の感触が、不安を増幅させる。
《《そうだね。わたしが、その光の中にざぶーんって飛び込むしかない》》
指先が金属を撫で、冷たさが骨まで届いた。
「だめ、それだけは絶対にやめて……」
声が震える。喉の奥が熱くなり、視界の端がぼやけた。
「そんなことしたら、あなた二度と戻れなくなるかもしれないんだよ……」
光に呑まれて帰れない彼女を想像するだけで、呼吸が止まりそうになる。彼女は肉体を持たない、精霊子の海に漂う情報体だ。綱を失えば、二度とこの岸辺には戻れない。
《《うん……わたしもそれだけはイヤ。美鶴と離れ離れになるなんて、ぜったいありえないし……》》
柔らかな声が、息の奥へ沁みる。
《《それにさ、そんなことしたら、美鶴いっぱい泣いちゃうでしょ?》》
「泣くなんて、そんなもんじゃすまないよ……」
言葉が詰まる。押し殺したはずの感情が、ゆっくり這い上がってくる。
「……だめだよ。茉凛がいなくなったら、わたし……」
想像するのも恐ろしく、言葉にすらならない。
「一人ぼっちじゃ、とても……」
情けない言葉が勝手に零れ、視界が滲む。涙が頬を伝い、薄い塩の味が唇に触れた。
《《……ねえ》》
茉凛の声が、やさしく包み込むように響く。
《《もちろん、わたしだってずっとあなたと一緒にいたいよ。けどね、ずっとこのままってわけにもいかないんだよ?》》
言葉の意味が、すぐには飲み込めなかった。
《《あなたはこれからどんどん成長していくんだし、心はまだ不安定なのかもしれないけど、じきに折り合いがついてくると思う。そんなあなたをわたしは見てみたいな。そして……いつか、あなたが言ってた、ごく当たり前の幸せを掴んでほしいって思うんだ》》
「わたしが望むことは……茉凛と一緒にいることだけでいいの……」
縋りつくような声が、自分でも情けなかった。
《《……また、そんなこと言ってる》》
かすかな苦笑が混じる。けれど、その奥には切なさがあった。
《《わたしは転写された存在で身体だってないし、心だってずっと変わらないんだよ? 『永遠の十七歳』とか聞こえはいいけど、実際最悪だよね。ま、どうしたってあなたとはだんだん離れていくわけでさ。こればかりは、どうしようもないんだよね》》
みぞおちがきりきりと痛む。時間が経てば、わたしだけが大人になり、変わっていく。永遠の十七歳である彼女を、いつか置き去りにしてしまう日が来るのだろうか。
《《もちろん、あなたの支えではあり続けたいけどさ……幸せにはしてあげられないんだから……いつまでもわたしに縋ってばかりじゃ、あなたはわたしと同じで成長できないし、幸せにはなれないよ?》》
「そんなの……嫌だよ。どうして、そんなことばっかり言うの……」
袖で拭っても、涙は次から次へと溢れてくる。
《《泣いちゃだめ》》
やさしく、けれど芯のある声。それは、前を歩く者が後ろを振り返って諭すような響きだった。
《《今はまだ、こんな話をするのは早すぎるかもしれない……。でも、心には留めておいてね》》
言葉が胸へ沁みる。縋りつきたい衝動と、目を背けたい弱さが絡み合う。
その時――
「あんたさ……なに一人でぶつぶつ言ってるんだい?」
頭上から降る声に、心臓が跳ねた。
わたしは慌てて袖で涙を拭い、顔を上げる。カテリーナが、怪訝そうな顔でこちらを見下ろしていた。
「カテリーナ……ごめん、ちょっと考え事してて。自分の中で整理してたの」
声が掠れていないか、不安になる。彼女は眉をひそめながらも、それ以上は追及しなかった。
「ふーん、そうかい。で、それがその紙切れに関係あるのかね?」
散らばる紙片を摘み上げ、彼女の眉がわずかに寄る。
「なんだこりゃ? まるで読めない字だね。何かの暗号か?」
ようやく気づく。――いつもの癖で、漢字とひらがなを書き連ねていた。ここでは馴染みのない書体だ。
「あ……これは母さまに教わった字で、リーディス王家だけに伝わる言葉なの。確かに暗号みたいに見えるかもしれないけど……」
苦し紛れに取り繕うと、彼女は半信半疑で肩をすくめる。紙片がひらりと揺れた。
「へえ、そういうものがあるのかい。じゃあ、なんて書いてあるのか教えてくれる?」
逃げ場はない。わたしは仮説の内容を簡潔に説明した。
◇◇◇
「――というわけで、具体的な証拠がなくてどの仮説も決め手に欠ける。何にしても選定の場に行って確かめるしかない、というのが現状ね……」
「なるほどねぇ。でも、こういうのはどれか一点に絞らないと中途半端になるもんだよ」
率直な指摘に小さく頷く。紙片を畳み、卓上を片づける。
「うーん……わたしっていろいろ考えが浮かぶのはいいけど、どんどん枝分かれしていって、まとまりがつかなくなることが多くて」
「あるあるだね。あたしからひとつアドバイスだ。理屈だけで物事を測ると肝心なことを見落とす。『人の欲や業』ってやつをね」
紙片が指先で軽く弾かれ、乾いた音が卓に残った。
「なるほど……」
朱の紋に視線が吸い寄せられる。乾いた音が消えきらないうちに、喉の奥で小さく言葉が転がった。
――欲や業。
聖剣の真贋を追うだけじゃ足りない。儀式をやる理由が先にある。王の意図。そこを読まないと、答えには届かない。
――あと六日しかない。
窓の外では、雲が緩やかに流れていた。光の加減が変わり、部屋の影が少しだけ動く。
「ねえカテリーナ、そろそろお昼にしない? わたし、お腹空いちゃった」
「おっと、そういやもうとっくに昼過ぎてたね。よし、行こうか」
軽く笑って立ち上がる背を追いながら、わたしは声をかけた。
「じゃあ、ヴィルを呼んでくる!」
階段へ駆け出す。軽い足音が廊下を弾み、胸の奥で決意が小さく灯る。
――今は、できる限りのことをするしかない。
その思いが、背を押した。




